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『愚息行状観察日記(40)=御母堂さま=』



※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。


パタパタ・・・パタパタ・・パタ・・パタパタ・・・
廊下を小走りに近付いてくる足音がする。
 

「御方さま、りんさまの熱が下がったそうでございます。如庵殿が、もう大丈夫だと」
 

部屋に入ってくるなり松尾が微(かす)かに頬を弛(ゆる)ませ狗姫(いぬき)に告げた。
続いて権佐(ごんざ)もやってきた。
 

「そうか、では、そろそろアチラを覗(のぞ)くとするか」
 

狗姫は覆いをかけていた“遠見の鏡”から掛け布を取り払った。
台座に据えられた大型の楕円の鏡“遠見の鏡”は数ある西国の宝物(ほうもつ)の中でも出色(しゅっしょく)の名器である。
本来ならば西国城の宝物庫の奥深く厳重に保管されるべき代物であった。
しかし、西国王妃だった頃の狗姫の「馬鹿馬鹿しい、それでは宝の持ち腐れではないか」との鶴の一声(ひとこえ)で蔵から出され、以来、狗姫の居城である天空の城に安置されている。
 

「“遠見の鏡”よ、隻眼の巫女の村を出してくれ」
 

ブゥ・・・ン、暫し鏡面が歪んだ後、パッと人界の村の様子が映し出された。
二日二晩、降り続いた大雨のせいで村の大部分は今もスッポリと黄土色の泥水に囲まれている。
それでも少しずつ水が引き始めているらしい。
僅(わず)かながら泥塗(まみ)れの地面が見える。
隻眼の巫女の家(小屋)は小高い丘の上にあるので今回の大水にも辛(かろ)うじて無事だったようだ。
小屋の前に隻眼の老巫女、異界の巫女、半妖、法師、女退治屋が立っている。
どの顔も沈痛な面持ちだ。
行方の知れないりんの事を思い煩(わずら)っているのだろう。
遠い空に双頭の竜が見えた。
殺生丸だ。
いつものように、りんに逢う為にやってきたのだろう。
アッという間もなく近づいたかと思うと竜を空中に滞空させたままフワリと地面に降りたった。
毛皮には見慣れた緑色の小妖怪がしがみ付いている。
蝶が舞うように重さを感じさせない優雅な降り方が如何にも殺生丸らしい。
狗姫に良く似た秀麗な面差しは完璧なまでに無表情だ。
にも拘らず不穏な気配が“遠見の鏡”を通してさえビリビリと強烈に伝わってくる。
既に気付いているのか、りんが居ないことに。
あ奴は、まだ何も知らされていない筈(はず)。
だが、殺生丸は昔から異様なほど勘が鋭かった。
アレの第六感、本能が異常を告げているのかも知れん。
隻眼の巫女が憂愁に満ちた表情で殺生丸に何かを告げている。
もう、云うまでもなく、りんの事だろうな。
半妖と異界の巫女が、女退治屋が、法師が、それぞれ必死に殺生丸に訴えている。
殺生丸が腰に差した刀に手をかけた。
朱塗りの鞘の天生牙ではない。
荒削りな彫りが施されただけの白鞘の刀、爆砕牙の方だ。
殺生丸の顔は無表情が一転、今にも憤怒と苦悶が噴(ふ)き出しそうだ。
そのまま地を蹴り待たせていた双頭の竜に跨(またが)り水の流れに沿って飛び始めた。
りんを捜しているのだろう。
遮二無二(しゃにむに)りんを探索する殺生丸の姿を見て権佐が口を開いた。
 

「御方さま、殺生丸さまに、りんさまは、この城においでだと、お知らせした方が宜(よろ)しいのでは?」
 

「それは出来んな」
 

今度は松尾が口を挟(はさ)んできた。
 

「何故にございますか、御方さま?」
 

「考えてもみよ。りんの殺害を目論んだ者どもは、今頃、首尾よく事を成し遂げたと陰(かげ)でほくそえんでおろう。彼奴(きゃつ)らを油断させる必要があるのだ。もし、りんが無事だなどと知れようものなら、せっかく旨(うま)い具合に気が緩んでいる奸物(かんぶつ)どもを忽(たちま)ち警戒させてしまうではないか。そうなったら狡賢(ずるがしこ)い奴らのことだ。直ぐにも証拠を隠滅し何喰わぬ顔で地下に潜伏してしまうだろうな」
 

「ですが!」
 

抗議する松尾に狗姫が覆い被(かぶ)せるように言葉を重ねる。
 

「それだけではない。理由は他にもあるぞ。そなた達も知っておろう。りんが、この冥道石で二度目の蘇生を果たしたことを」
 

狗姫が首飾り仕立てにした冥道石を手に松尾と権佐に向き直る。
 

「勿論でございます。御方さまが直々(じきじき)に私どもにお話下さったのです。どうして忘れられましょうか」
 

松尾が権佐と目を合わせて応える。
 

「ならば判ろう。りんは既に天生牙と冥道石で生き返った身。次に命に危険が迫った場合、もう、打つ手はないのだと。だから、妾(わらわ)は、あの時、殺生丸に言っておいた。『二度目はないと思え』とな。にも関わらず、此度(こたび)の体(てい)たらくは何だ。もし、妾(わらわ)が“遠見の鏡”で、りんを見ておらなんだら、どうなっておったか。間違いなく、りんは、あの毒蛾妖怪に殺されておっただろうな。運悪く川に落ちたと見せかけて巧妙に“溺死”と思わされただろう。今回、このような事態を招いたのは全て殺生丸の認識の甘さにある。己が寵愛する少女に、何故、政敵の手が届(とど)くと考えなかったのか。りんが人界にいるからなどという言い訳は通用せぬ。愛する者の身の安全も確保できないような愚か者に、どうして西国の王たる資格があろうか。これを契機に己の甘さを、トコトン認識するが良い。松尾、権佐、くれぐれも、りんのこと、一言も、アレに洩らすでないぞ。配下の者にも確(しか)と申し付けておけ」
 

そこには数々の政治的危機を強(したた)かに乗り切ってきた前西国王妃の姿があった。
松尾も権佐もハッと胸を突かれ、唯々、黙して主(あるじ)に深く頭を下げた。

 

※『愚息行状観察日記(41)=御母堂さま=』に続く


 

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『愚息行状観察日記(39)=御母堂さま=』



※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。


明言通りに権佐(ごんざ)は半時(約一時間)で如庵を連れ帰った。
権佐の背に負ぶわれた如庵は小柄で、その容貌は如何にも好々爺然(こうこうやぜん)としていた。
フサフサした金茶色の顎鬚(あごひげ)と長く伸びた眉毛が如何にも優しげで見る者に安心感を与える。
道々、権佐から事情を聞かされてきたのだろう。
到着するなり、如庵は、挨拶もそこそこに、りんが寝かされている部屋へと急いだ。
りんの容態を目にした如庵は、早速、りんが襲われた際の詳細を狗姫(いぬき)から聞き出した。
 

「御方さま、毒蛾妖怪の毒と伺いましたが、そ奴の風体(ふうてい)は、どのような感じでしたかな」
 

「そうだな、一見、女と勘違いしそうな男だった。顔に何ともケバケバシイ化粧を施しておってな。それがまた、赤、青、黄、緑と、きつ過ぎる原色の紋様だった。異様なまでに毒々しかったぞ」
 

「成る程、それは、ちと厄介ですな。その種族の使う毒は極めて毒性が高い。ともかく善処いたしましょう」
 

「済まぬな、如庵、何としても、りんを助けてくれ」
 

「それにしても、御方さまが、それ程までに気に掛けられるとは・・・。一体、この人間の少女は何者なのですかな?」
 

「如庵、それを聞いたら、そなたも我らと一蓮托生、此度(こたび)の事に関して、今後、一切の他言無用を誓ってもらう必要があるのだが、覚悟は良いか?」
 

「何を今更、有無(うむ)を言わせず、この城に連れてこられた時点で、もう、既に、そうなっておりますぞ」
 

「フム、それもそうだな。よし、そなたには話しても良かろう。りんはな、如庵、殺生丸の許婚(いいなづけ)なのだ」
 

狗姫の言葉に、それまで医師らしく落ち着いた物腰だった如庵が目を見張った。
権佐から毒に侵された人間の治療を要請され、ここまで来はしたものの、内情までは知らされていなかったのだ。
 

「なっ、何と!? それは真(まこと)にございますか」
 

「こんな事で嘘を言ってどうする」
 

「しっ、しかし・・・殺生丸さまは極めつけの人間嫌いのはずでは!?」
 

「確かに、数年前まではな。だが、今は、そうとは言い切れんのだ」
 

優れた医師は往々にして洞察力に長(た)けている。
況(ま)して如庵は妖界きっての名医と謳(うた)われる医師である。
わずかな言葉のやり取りから如庵は凡(おおよ)その事を推察した。
 

「成る程、だからでございますか。わざわざ妖界から刺客が送られたのは。殺生丸さまが寵愛する人間の少女を亡き者にしようと」
 

「フッ、流石に察しが良いな、如庵」
 

如庵は、つと居住いを正(ただ)し真剣な表情で狗姫に向かい頭(こうべ)を垂れた。
それは西国城に仕える御典医としての如庵の顔だった。
 

「恐れ入ります。では、この如庵、医師として当代さまの御寵姫(ごちょうき)、りんさまの治療に全力で当たらせて頂きます」
 

「頼んだぞ」
 

「はっ!」
 

如庵の懸命な治療の甲斐あって、三日後、りんの熱は下がった。
話は前後する。
りんが生死の境を彷徨っていた頃、桜の精が、この世を去ろうとしていた。
神とまで称えられた桜の長老、二千年の樹齢を誇る神代櫻の樹仙、桜神老(おうじんろう)である。
今回の雨は、桜神老の長い膨大な記憶をもってしても前例のない未曾有の大雨だった。
大量の雨水はアッという間に水路から溢れ出し陸地を侵略し始めた。
地面に溢れ出した水は泥を溶かし黄土色の水魔へと変化する。
水、水、水、視界を覆いつくす濁った泥水が強大な水魔となって桜の大木に襲いかかってくる。
その様を桜神老は樹上から見下ろしていた。
立烏帽子(たてえぼし)、狩衣(かりぎぬ)、髪も髭も全てが淡い薄紅色の老人である。
スラリと丈高い容姿は高雅で侵しがたい気品がある。
なにもかも全てが、以前、桜神老の予知したままだった。
この大水を予知した段階で水の流れを意図的に迂回させることは可能だった。
そうすれば桜神老の寿命は少なくとも、後二・三百年は延びただろう。
だが、水の流れを変えた場合、予知した以上の人命が犠牲になるだろうことは間違いなかった。
何より、りんと殺生丸の運命に許容量を超えた大幅な干渉をすることになる。
過去から現在、そして未来に向けて張り巡らされた因果の糸、それは精妙にして複雑な重なり具合で縒(よ)り合わされている。
それを極わずかでも違(たが)えることを桜神老は畏(おそ)れた。
何故なら、ほんの些細な要因で未来は全く異なる様相を見せることが多々あるのだ。
だからこそ、桜の老公は己の運命を甘んじて受け入れた。
りんに扇を渡す以外、何もせず、静かに最期(さいご)の時を待っていた。
大量の泥水が、神代櫻の内部に隠された洞(うろ)を直撃した。
限界を超える水圧が、遂に巨木の生命を断ち切った。
押し寄せる激流に耐え切れず、桜の大木は極太の幹の根元から折れた。
バキッ!バキバキッ!バキッ!バキ・・バキ・・・
ズズ・・・ン・・・ドド・・・・ン・・・・バシャバシャ・・・・バシャ-----------ンッ!
 

「皆の者・・・さらばだ」
 

薄紅色の老人の姿が次第に霞んでいく。
最後は大気に溶けこむように完全に消え失せた。
ひとひらの桜の花弁が風に乗ってヒラヒラと飛んでいく。
桜の花弁は辿り着く先を知っているかのように空高く上(のぼ)っていく。
ひらりひらひら・・・ひらひらひらり・・・ひらり・・・ひらり・・・
気流に乗り桜の花弁は飛ぶ。
天空に浮かぶ巨大な城の中の一室に眠る人間の少女の許へと。
その枕元に置かれた小さな桜の扇。
桜の花弁は扇に描かれた桜の中にスッと吸い込まれるように消えた。
神代櫻の樹仙、桜神老が授けた扇、『惜春(せきしゅん)』は、これ以後、数々の危難からりんを守ることになる。
『惜春』、それは風に舞う桜から着想を得た桜神老が、自(みずか)ら、扇につけた銘であった。

 


※『愚息行状観察日記(40)=御母堂さま=』に続く

 

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『愚息行状観察日記(38)=御母堂さま=』



※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。


「一鼓(いっこ)、伝送を頼む」
 

「きゅいっ」
 

権佐の言葉に右肩の一鼓が応じる。
それまで伏せられていた長いびしょ濡れの耳がピンと立った。
雫(しずく)が飛び散る。
激しく降りつける雨に権佐も全身ずぶ濡れである。
川に落ちたりんは言わずもがなである。
 

「聞こえますか、御方さま」
 

「ああ、多少、雨音が煩(うるさ)いがチャンと聞こえるぞ」
 

権佐の問いかけに僅かな時間差をおいて狗姫(いぬき)の声が返ってくる。
二鼓(にこ)が送り返してきたものだ。
見事な送信と受信である。
二匹の天鼓の連携能力の賜物(たまもの)であった。
 

「りんさまを発見しました。御命に別状はないものの、かなり弱っておられます。至急、そちらに転送を願います」
 

「相判った。今直ぐこちらへ引き戻そう。アモーガ オン アボキャ シッディ アク “神点” 終波!」
 

先程、権佐を人界へと送り出した強烈な光が権佐とりんを包み込んだ。
眩(まぶ)しいと感じた次の瞬間、権佐はりんを腕に抱いたまま元の場所に戻っていた。
天空の城の中にある狗姫の私室に。
 

「りんっ!」 「りんさまっ!」
 

権佐が抱きかかえたりんに狗姫と松尾が駆け寄る。
りんの衰弱した容態を見た狗姫が即座に指示を出す。
 

「松尾、如庵を!判っておろうな。くれぐれも、今回の事は他言無用ぞ!」
 

「心得ております、御方さま」
 

筆頭女房の松尾は同時に狗姫の乳母(めのと)でもある。
謂(い)わば狗姫の育ての親である。
だからこそ阿吽の呼吸で松尾は狗姫の云わんとする事を察した。
話に出てきた『如庵』とは妖界きっての名医と名高い西国の御典医である。
その如庵を極秘に招請せよとの示唆なのだ。
大っぴらに御典医を呼んだりしては、りんの殺害を企(たくら)んだ者どもに、りんが生きている事が露見する恐れがある。
その危険を回避する為には、極力、りんの事を伏せておく必要があった。
松尾の采配の元、信用の置ける数名の女房が呼ばれ、りんを別室に運んだ。
その様子を見届けてから、狗姫は、ずぶ濡れの権佐に向き直り、今回の探索の労をねぎらった。
二匹の天鼓は用済みとばかりに既に姿を消している。
 

「ご苦労だったな、権佐。ゆっくり休んでくれ。それにしても、あの大水の中、よくぞ、りんを見つけてくれた。礼を云うぞ」
 

「御方さま、実は・・・」
 

権佐は狗姫にりんを助け出すに到った不思議な経過を詳しく報告した。
 

「そして、これが、りんさまを救った桜の扇にございます」
 

権佐は懐(ふところ)から小さな扇を取り出し狗姫に手渡した。
 

「これは・・・桜神老(おうじんろう)の物ではないか。この匂い、間違いない。そうか、桜の御老公が、りんを」
 

狗姫は手渡された小さな扇を鼻に近づけクンと嗅(か)いでみた。
雅(みやび)な桜の匂いに交(ま)じって、少々、不快な泥水の匂いがした。
そして、その中に、極々、微かながら血の匂いが雑(ま)じっている。
 

「りんの血の匂いがウッスラとするな。丸太に傷つけられた時のものだろう。ということは・・・血の盟約か!?」
 

「桜神老さまが、りんさまと血の盟約を!?」
 

ハッと権佐が驚いて狗姫に問い質(ただ)す。
 

「ああ、この血の匂いが証(あかし)だ。紛(まぎ)れもなく盟約は交(か)わされたな。今後、この桜の扇は、如何なる危難からも、りんを守ろうとするだろう」
 

そのまま扇を手に狗姫が桜神老に思いを馳(は)せようとした時、慌しく松尾が駆け込んできた。
 

「御方さま、りんさまがっ!」
 

「りんが如何した、松尾!?」
 

「急に激しく震えだされ熱がっ!」
 

「松尾、如庵が、ここに着くまでに、どれほど掛かる?」
 

「少なくとも一刻(約二時間)は掛かろうかと」
 

切迫した雰囲気の狗姫と松尾の話に権佐が割り込んできた。
 

「御方さま、某(それがし)に如庵殿を迎えに行かせて下さい」
 

「そなたがか。しかし、権佐、お主は、人界でのりんの探索で疲れておろうに」
 

「これしきの疲れ、何程の事でもございません。それに私の速足なれば如庵殿を半時(約一時間)でお連れ出来ます」
 

寸時(すんじ)、目を瞑(つむ)って思案に耽(ふけ)った狗姫が顔を上げた。
 

「よし、判った。権佐、如庵を迎えに急行してくれ。頼むぞ。恐らく、りんは毒蛾の毒に侵されている。すぐさま如庵に診せる必要がある」
 

「御意!」
 

云うが早いか、権佐は旋風(はやて))のように姿を消した。
 

「御方さま、りんさまが毒に侵されてるとは?」
 

「松尾、そなたも見ておっただろう。あの毒蛾男めが、りんを鞭打ったのを。多分、あ奴の鞭には毒が仕込んであったのだ。それも即効性ではなく遅効性の毒がな。仮に川に落ちたりんが運良く助かったとしても、今度はジワジワと毒が回り確実に命を奪う。全く、二重・三重の罠とは、この事だな」


※『愚息行状観察日記(39)=御母堂さま=』に続く
 

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『愚息行状観察日記(37)=御母堂さま=』



※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。

「御方さまっ!」
 

権佐が松尾とともに部屋に飛び込んできた。
その時、鏡の中の毒蛾男が振り回した鞭が、りんの頭部に当たった。
ごく軽く触れた感じだったが、実際には相当の衝撃だったのだろう。
りんが増水した川に落ちた。
毒蛾男は、りんの髪紐を狙っていたらしい。
鞭で弾き飛ばされた紅白の髪紐が空中で孤を描き計算したかのようにポトッと男の手に落ちてきた。
川に落ちたりんが息をしようと必死にもがいて水面に顔を出した。
次の瞬間、上流から流れてきた太い丸太が、りんを・・・。
 

「りんっ!」 「「りんさまっ!」」
 

狗姫(いぬき)が、権佐が、松尾が叫ぶ。
狗姫達は知る由(よし)もなかったが、りんが落ちた川の上流には木材の切り出し場があり、そこには丸太が繋留(けいりゅう)されていた。
その切り出し場が、この大水で決壊し、繋がれていた木材が流れてきたのだ。
矢のように川を流れ下る丸太が、凶器となって、りんに襲いかかる。
避(よ)ける間もなく、丸太が、りんの頭部を直撃した。
りんの小さな顔が、ゆっくりと水中に消えていく。
それを見届けた毒蛾男は任務を完了したと思ったのだろう。
ニヤリと笑ったかと思うと背中の羽根を羽ばたかせ雨の中へと消えていった。
非常事態に狗姫が眦(まなじり)を決して矢つぎばやに命令を出す。
 

「天鼓、おるかっ!返事をいたせっ!」
 

「一鼓(いっこ)!」 「きゅいっ」 
 

「二鼓(にこ)!」 「きゅきゅいっ」
 

狗姫の要請に応え、突如、白い兎の形(なり)をした山彦の精が二匹、パッと空中から現われた。
 

「一鼓は権佐につけ。二鼓(は妾(わらわ)に」
 

狗姫の言葉のままに一鼓が権佐の右肩に、二鼓が狗姫の左肩に、スッと取り付いた。
 

「権佐、“遠見の鏡”の前に立て。そうだ、妾(わらわ)の前にだ。事は一刻を争う。今から人界への道を開く。よいか、権佐、必ずや、りんを救出して戻れ」
 

「はっ!」
 

権佐への下知(げち)を下すや否や、狗姫は“遠見の鏡”に向かって、いや、実際には間に権佐を挟んで、印を組み呪(しゅ)を唱(とな)え出した。
 

「アモーガ オン アボキャ シッデイ アク オン アミリタ テイセイ カラ ウン オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ、次元透過の術、“神点”、走波!」
 

狗姫が印を切リ呪(しゅ)を唱え終えた途端、“遠見の鏡”が光を発し始めた。
光はドンドン強くなり目も眩(くら)まんばかりに輝きだす。
眩(まぶ)しさが最大限に到達した瞬間、光は一気に収束し鏡の中に吸収された。
光が消えると同時に権佐の姿も狗姫達の前から消えていた。
人界へと転送されたのだ。
先程まで曇りなく人界の様子を映しだしていた鏡面が、今は全ての光を失った鈍(にぶ)い闇の色に変わっていた。
りんの身が案じられてならないのだろう。
心配そうに松尾が口を開いた。
 

「御方さま、りんさまは大丈夫でしょうか」
 

「判らん。あの怪我と・・・大水だ。権佐が一刻も早く見つけてくれることを祈るしかないな」

 
鏡から発する眩(まばゆ)い光に全身を包まれた。
そう感じた刹那、気が付けば権佐は叩きつけるように降る雨の中に立っていた。
目の前には大水で氾濫する川が流れている。
妖界から人界への転送は上手くいったらしい。
いつも“遠見の鏡”が映し出していた人里に権佐はいた。
ハッ、呆(ほう)けている暇はない。
即座に下流に向かって権佐は駆け出した。
一刻も早く、りんさまを助け出さねば!
傷を負った上、この激流に呑み込まれたりんさま。
急がねば御命そのものが危うい!
銀色の雨を突っ切って、黄、黒、焦げ茶色が雑(ま)じり合った斑(まだら)の閃光が走る。
土を含んで流れ込む大量の泥水のせいで川の水は透明度を失い濁(にご)り始めている。
走りながら妖視で川を走査する権佐。
右肩には体毛を周囲の色に同化させた一鼓(いっこ)がピタリと貼り付いている。
すると信じられない光景が出現した。
川の流れに逆らうように、花が、薄紅色の花が浮き上がってきたのだ。
桜だ! 何千、何万とも知れぬ桜の花びらが!
在りえない! 桜は春に咲く花だ。
今は夏が終わったばかりの秋。
だが、現実に桜の花が川面(かわも)を埋め尽くしている。
ザアアッ・・・無数の桜の花弁は意思を持つかのように川から浮かび上がった。
球体、違う、楕円形の塊りとなって。
桜の花弁の集合体は何かを包み込むような形をしている。
そしてフワリと地面に着地した。
桜の花が霞(かす)むように消え現われたのは・・・りんさま!
桜の花弁が変化した小さな扇が少女を守るように胸元(むなもと)に鎮座していた。
りんの頭部からは血が流れている。
権佐は慌てて駆け寄り、りんの胸に耳を当ててみた。
弱いながらも規則正しい心臓の鼓動が聞こえる。
(有難い、生きておられる!)
幸(さいわ)いにも気絶したせいで、りんは水も飲んでいない様子だった。
権佐は急いで血止めを施し主の大切な姫を腕に抱きかかえた。

 

※『愚息行状観察日記(38)』に続く

 

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『愚息行状観察日記(36)=御母堂さま=』



※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。


「いかんっ!」
 

長い白銀の髪を揺らし佳人が叫んで立ち上がった。
眸の色は金、頬に走る赤い一筋の妖線が白皙の美貌を更に際立たせている。
女としては長身、絶世の美女である。
立ち姿までもが女神のように麗しい。
妖界で最大領土を誇る西国の王、殺生丸の生母にして王太后の狗姫(いぬき)である。
そして、この天空に聳(そび)える巨城の主でもある。
 

「松尾っ! 松尾はおるか!」
 

「何事にございますか、御方さま」
 

常ならぬ主の声に慌てて筆頭女房の松尾が駆けつけてきた。
部屋に入るなり松尾は狗姫の様相に目を瞠(みは)った。
いつも鷹揚に構えている主が血相を変えていたのだ。
 

「説明している暇はない。権佐が来ておったな。大至急、呼んでまいれっ!」
 

「はっ、はいっ!」
 

三年前、人界を放浪していた狗姫の嫡男、殺生丸が、二百年ぶりに西国に帰還した。
そして、先代の闘牙王亡き後、長らく空位であった西国王の位に就いたのは耳目に新しい。
二百年もの間、亡き夫の遺言を忠実に守り西国を狙う野心家どもに睨みを効かせてきた狗姫にとっては、やっと肩の荷が下りた慶事であった。
そんな狗姫の、ここ数年の楽しみは、“遠見の鏡”で人界を覗(のぞ)くことである。
何故、妖界ではなく人界なのか。
それは覗き見る対象が“りん”という幼い人間の娘だからであった。
大妖怪の狗姫が、何故、人間などを具(つぶさ)に観察するのか。
答えは簡単である。
“りん”という人間の娘が殺生丸の許婚(いいなづけ)、所謂(いわゆる)狗姫に取って将来の嫁だからに他ならない。
殺生丸が、極めつけの“人間嫌い”なのは妖界に遍(あまね)く知れ渡っている事実である。
だが、そんな息子が、どういう巡り合わせなのか、“りん”という幼い人間の娘を愛した。
いや、西国に帰還した今も尚、揺るぎない愛情を注ぎ続けている。
この三年間、殺生丸は、三日おきに欠かさず娘に逢いに人界を訪れているのだから。
その行動の一部始終を狗姫は“遠見の鏡”を通して見てきた。
だからこそ、今回の異常事態も逸早(いちはや)く察知した。
鏡の中、りんが、突如、現われた異形の妖怪に襲われている。
まるで滝のような雨が激しく降りしきる人里。
篠突く雨の中、濡れもせず女のような顔立ちの男が立っていた。
女とも見紛(みまが)う顔を彩(いろど)る原色の紋様が何とも毒々しい。
男の背には蝶のような大きな羽根が、いや、あれは蝶ではない、蛾だ。
それも、恐らくは猛毒の鱗粉を撒き散らす毒蛾の羽根だろう。
男は薄い結界を全身に張り巡らしているらしい。
結界が雨粒を弾いて男の全身を白く浮き上がらせている。
鞭を振りまわし徐々に川の方へとりんを追い込んでいく毒蛾の妖怪。
わざと鞭の狙いを外しているのが判る。
猫が鼠を甚振(いたぶ)るように男はりんを弄(もてあそ)んでいるのだ。
その証拠に鞭は髪の毛ひと筋の差でりんに当たっていない。
怖ろしいほどの精度で繰り出される鞭。
相当な手練(てだれ)だ。
傷ひとつ残さぬよう厳命されているのだろう。
気付くべきだった。
あの鮮やかな蝶が、りんの前に現われた時に。
大雨で川の水嵩が信じられない早さで増している。
明らかにりんは誘い込まれている。
この襲撃の目的は“りんの命”。
増水した川に落とし込んで溺死させる積りなのだろう。
それも偶発的な事故と思わせるよう証拠ひとつ残さぬように。
こうした巧妙かつ卑劣な手口を使うのは間違いなく・・・あ奴だ!
大した実力もない癖に欲だけは並外れて深い男。
己の欲の為、他者を陥れることに何の痛痒も感じない唾棄べき輩(やから)。
ギリッ・・・狗姫が唇を噛みしめた。
鋭利な牙が剥(む)きだしになる。
ようも、この狗姫を出し抜いてくれたわ。
覚えておれ、この借りは必ず返すぞ、豹牙(さいが)!


※『愚息行状観察日記(37)=御母堂さま=』につづく

 

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