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小説第三十六作目『月華(げっか)』

相馬の屋敷から殺生丸が全速力で西国城に駆け付けて来た。
神速とも云うべき凄まじい速さだった。
突然、舞い戻った当主を出迎えたのは、木賊に藍生、尾洲に万丈という親子二代に渡る側近と守り役衆、それに家臣一同。
しかし、肝心のりんの姿は、何処にも見えない。
感じ取れるのは、残り香ばかり。いや、りんだけではない。
何時もなら、何があっても、真っ先にしゃしゃり出て来る邪見が見当たらない。
りんの世話を一任している女官長の相模も居ない。
一体、何処へ行ったのだ。

「お帰りなさいませ、お館様。」

「よくぞ、お戻り下さいました、大殿。」

「家臣一同、皆、心配しておりました。」

「・・・・ご無事で何より。」

三々五々、挨拶を述べる側近親子二組に向かい、肩で息を吐く殺生丸が、性急に問い質す。

「りんは、何処に居るのだ? 木賊!藍生! 倒れたと聞いたが、大丈夫なのか?
 尾洲!万丈!
・・・・それに、邪見と相模の姿も見えぬ。」

矢継ぎ早な殺生丸の問いに、尾洲が、落ち着いて答える。

「大殿、りん様は、御方様が、御自分の城で養生させるとお連れになりました。相模殿と邪見殿は、りん様の付き添いとして同伴致しました由。」

「何だとっ! では、あの知らせは・・・・クッ、謀られたか。」

早計な判断を下そうとする殺生丸を諌めるように、尾洲が、言葉を継ぎ足す。

「お待ち下さい、殺生丸様。りん様は、倒れられこそしませんでしたが、お加減が、良くない事は確かで御座います。特に、お館様が、姿を晦まされてからは、日に日に元気を無くされて・・・。
余りの憔悴振りに、御付きの相模殿が、心配して御方様に相談された程で御座いました。」

「・・・・そうか。」

だからと云って、このまま、こうしては居られぬ。殺生丸は、常ならば、供をする邪見の代わりに、木賊と藍生に向き直り、急ぎ用を申し付けた。

「木賊、藍生、阿吽に鞍を付けて厩舎から曳いて来い。・・・・母上の許へ参る。」

「ハッ!」

「承知!」

如何な大妖怪の殺生丸と云えど、全速で休む暇も無く、遠方の相馬の屋敷から西国城まで飛び続けてきたのだ。
体力の消耗が夥しい。
更に、この上、天空に在る母君の城まで赴こうとするのなら、
阿吽に騎乗せねば、到底、覚束ない。
轡(くつわ)と鞍を付けられた阿吽が、厩舎から連れ出されてきた。
久し振りの遠出が判るのか、双頭竜が、主の顔を見て、巨体を震わせ、甘えるような唸り声を出す。

グルルルゥ~~~グルグルグルグルゥ~~~

「・・・・阿吽、頼むぞ。」

ヒラリと阿吽に騎乗した殺生丸が、戻ったばかりの西国城を後に飛び立つ。
陽は、既に傾き、間も
なく夜の帳(とばり)が下り始める刻限になっている。
この調子では、天空の母の城に辿り着くの
は、夜半になるだろう。
ゴオォ~~~~~ッ 風を裂いて妖火を携えた阿吽が夕暮れの空を急ぐ。
壮大な日没の光を背に受けて、風に煽られた殺生丸の白銀の髪が、眩しい程に輝く。
その荘厳なま
でに神々しい姿を眺めるのは、生憎、唯、空を飛ぶ鳥達のみ。
完全に陽が落ちた。
日輪の代わりに月
輪が昇ってくる。
折りしも、今宵は、陰暦の八月十五日、中秋の名月だ。
地上ならば、群雲に隠
されてしまう事が多い名月だが、殺生丸達は、漂う雲の上空を飛んでいる。
十五夜の満月の光を存
分に浴びて夜空を飛行する。
月光が、己が分身の殺生丸を愛でるかのように白銀の髪を煌めかす。
月の化身を思わせる玲瓏なる貴公子が、双頭の竜の背に乗って夜を渡る。
神の如く麗しく月のよう
に冴え渡る姿。
否、殺生丸は、真実、狗神の末裔。
最高位の妖は、神にも等しき存在。妖狐、然り。
天狗、然り。竜、然り。
枚挙に遑(いとま)が無い程、そうした例は多い。
妖力にしても神通力と
同じ事。
神が、使えば神通力、妖怪が、使えば妖力。
呼び方が、異なるのみで力自体に変化が、
ある訳ではない。
故に古代の人々は、彼らを神として崇めた。
“荒ぶる神”又は“禍つ神”と呼
んで。
古代人にとって神も魔も似たような物。
ひたすら畏れ敬うべき存在。
人知では理解し難い業(わざ)、
如何とも説明しようが無い現象は、須(すべからく神の為せる業とするしか無かった。
時代が降(くだ)るにつれ、
人は、知識を獲得し、神と魔を区別し始めたのであった。
阿吽を駆る殺生丸の目に、母の“狗姫の
御方”の住まう天空の城が見えてきた。
今宵は、一年の内、最も明るい満月の月明かりに照らされ、
一層、華やいだ雰囲気を醸し出している。
要所、要所に灯りの燈された城は、月の光の中に冴え冴
えと浮かび上がり、幻想的なまでに美しい。
伝説のかぐや姫の月の都も、斯(か)く有らんやと思わせる
ような神秘的な情景である。
最上部では、宴が、催されているのか、歌舞音曲の音が、聞こえて来
る。
中庭に阿吽を降下させ、その背からフワリと音も無く降り立つ。
母や女官達の匂いに混じって、
一際、清冽な甘く馨(かぐわ)しいりんの匂いが、風に乗って運ばれてきた。玉座の母を中心に女官達が円陣を組んで座っている。
玉座の母の横に、りんが居た。犬妖族の女達は、母を含め、大抵の者が淡い
色合いの着物を好む傾向が有る。
そんな女妖達の中に在って、唐紅の内掛けを纏ったりんは、一際
鮮やかな花のようにパッと目に付く。
黒髪が、滝のように緋色の絹の上を艶やかに流れ落ち、互い
の色を引き立て合っている。
相模と邪見が、りんに寄り添うように付き添っている。
私に気付いた
途端、りんが、信じられないように、目を瞠(みは)った。
そして、次の瞬間、星を含んだ黒曜石
のような目から大粒の涙をポロポロと溢れさせ、りんが、飛び出してきた。

「殺生丸さまっ! 殺生丸さまっ!」

「りん・・・」

私の胸の中に飛び込んできた、りんを隻腕で抱き締める。
暫く逢わない内に、少し痩せたらしい。
幼い頃から、私を惹き付けた、清々しくも甘い、りんの匂い。
りんの成長に伴い、一層、甘く馨し
く香り始めた、その匂いは、今も、私を捉えて離さない。
正に、綻びかけんとする無垢な花の匂い。
余りにも甘美で清雅な、りんの匂いに、このまま酔ってしまいそうな程だ。
しかし、久方振りの、
りんとの逢瀬を邪魔するかのように、母の無遠慮な言葉が、降って来た。
無粋な! 
もし、これが、
邪見であれば、即刻、殴り蹴り倒してやる処だが、己が母では・・・・そうもいかぬ。

「やっと来たか、馬鹿息子が。そなたが、突然、書置きも残さず、姿を晦ましたせいで、りんを始めとして、家臣達が、どれ程、心配したと思うのだ。もう、以前のように人界を放浪していた頃の風来坊とは違うのだぞ。少しは、国主としての自覚を持て。」

「・・・・」

「特に、りんは、そなたが居なくなったせいで、心労の余り、碌に物も食べられない、夜も寝られない状態が続いていたのだぞ。」

「・・・・・・・・」

私に取り縋って泣きじゃくっていた、りんが、急に力無く頽(くずお)れた。慌てて抱き留めれば、気を失っている。
血の気を失った白い顔が、まるで、青褪めた花のように儚げだ。

「りん!」

「そなたに逢って、気が、緩んだのだろう、殺生丸。気丈にも、ずっと、張り詰めていたからな。唯でさえ、微妙な時期に差し掛かっている。相模、松尾、りんを寝所に運んでやってくれ。」

「はい、御方様。」

「畏まりました。」

そのまま、りんに付き添おうとした殺生丸を、御母堂様が、引き留める。

「何処へ行く気だ、殺生丸。りんの事なら相模達に任せておけば、間違いない。こういう場合、男のそなたが、側に居ても何の役にも立たん。今宵は、中秋の名月。それに肖(あやか)って宴を設けた。望月を眺めながら酒でも酌み交わそうではないか。『望月』、月を望むか、ホッ、正しく長年待ち続けた、そなたの心の在り様、そのままであろうが。もう、間も無く訪れるであろう、りんの初めての月華を待ち侘びてな。おや、驚いておるな。フフッ、母が気付かぬと思うてか。此度のそなたの雲隠れの真の理由。」

「・・・・・」

「まあ、気持ちは、判らぬでもない。元々、短気な気性のそなたの事だ。意中の娘を目の当たりにしながら、ここ数年、よくぞ辛抱し続けた物よ。それだけは、感心しておる。」

「・・・・・・」

「欲しければ、何であれ、常に、力づくで奪い取るのが、そなたの流儀だった筈。だが、そんな、そなたが、りんにだけは、そうせぬ。いや、出来ぬ。これだけでも、そなたにとって、りんが、如何に大切な欠くべからざる存在であるのかが、窺い知れようと云う物。」

「・・・・りんを娶る。」

「良いだろう。但し、婚儀の日取りについては、思い立ったが吉日と云うような訳には、行かぬぞ。仮にも西国王の嫁取りじゃ。他国にも布告を出さねばならん。綿密な準備、充分な日時を要する。特に、りんは、人の仔だ。侮られぬよう、後々、陰口を叩かれぬよう、万全を期さねばならぬ。そうした事情を鑑みるに、どう見積もっても、今年中は、無理だろうな。早くて来春になろう。嫁入り支度にしても今まで以上に急がせねばならん。いずれは、こうなるだろうと下準備だけは進めてきたが。さて、忙しくなるぞ、殺生丸。近来、稀に見る豪華絢爛な婚礼にしてくれよう。西国の威信に掛けてもな。絶対に、けちは付けさせん。例え、何処の誰であろうともだ。りんは、妾の可愛い養女(むすめ)じゃからな。」

「・・・・・」

「そうした事は、さて置き、まずは、目出度い。」

殺生丸との話を終えた御母堂様が、広場に詰めた女官達に向き直り、一際、声、高らかに来るべき慶事の前触れを告げる。

「さあさあ、祝いじゃ、皆の者。今宵は、思う存分、飲むが良いぞ。殺生丸の婚約が決まった。」

期せずして、歓声が、あちこちから波のように沸き起こり、やがて、歓喜の渦となって天空の城、全体を覆った。
その知らせは、雲間に隠れた月が、俄(にわ)かに現れたかのような、そんな冴え渡る明らかさを、輝かしい未来を、予感させる出来事だった。
西国王の婚儀、それは、西国の民にとって、久方振の、待ちに待った慶事の訪れであった。
月の光が、祝福の波を絶え間なく送り寄せる。

「せっ・・殺生丸様っ! 今、御母堂様が、仰った事は、真で御座いますか? おっ、お相手は、一体、何処の、どっ・・・どなた様で御座いますか?」

邪見が、慌てて、私の側に走り寄って頓珍漢な事を訊いて来た。
長年、側に仕えながら、こ奴は、未だに主の心情を掴みきれていないらしい。
・・・何処の誰だと!? りんに決まっておろうが!
反射的に、従者の烏帽子頭を踏み潰していた。
ゲシッ! ゲシッ! ゲシッ! この馬鹿者が!

酒蔵が開かれ、秘蔵の酒が、次々と持ち出され、饗宴の為に振る舞われた。
歌舞音曲の音は、名月の空に舞うように広がり、祝賀気分を盛り上げる。
一年で最も明るい満月が、中天に差し掛かる。
月が天空の最も高い位置に昇った時、極々、微かな血の匂いが漂ってきた。
人間ならば、到底、感知出来よう筈もない幽(かそ)けき匂い。
だが、我ら、犬妖にとっては、充分過ぎる程の鮮やかさ。
りんの初めての月華が、今、この時から始まった。
母が、己の方を見遣り、満足そうに頷く。
遠くから相模と松尾が、報告の為に、駆け付けてくる足音が聞こえる。
遂に、りんが、大人への階段を昇ってきた。
祝いの盃を満たした酒に真円の月が映る。
欠ける事なき全(まった)き月が。
殺生丸の脳裏に、ふと、昔、習い覚えた古事記とやらの一節が浮かんできた。
「汝(な)が著(き)せる おすひの裾に 月立ちにけり」
(あなたの着ていらっしゃる衣の裾に月経の血が丸く付いている)
これを読んだ当時、人間とは、何と感傷的な生き物よ、と嗤(わら)った物だが・・・。
今の己は、それと全く同じ境地にあるではないか。
“月立ちにけり”りんの時は、満ちた。
では、私の時は・・・・。
云うまでもない、当の昔に満ちている。
しかし、りんは余りにも幼かった。
天にも地にも、唯一の我が伴侶と定めた、りん。
ひたすら、お前の成長を待ち続けた。
妖怪の私にとっては、ほんの瞬きにも等しい筈の、この数年が、どれ程、長く感じられた事か。
塞き止められた想いは、今しも溢れんばかりに満ち、今か、今か、と奔流の如く流れ出す時を待っている。
されど、今は、暫し、この旨酒(うまさけ)に酔い痴れようぞ。
天の月とりんの月が満ちた事を祝って。
満月を宿した盃を乾(ほ)しつつ、殺生丸は、ひっそりと静かに微笑んだ。        了

                                        2007.7/12(木)★★猫目石

 《第三十六作目『月華(げっか)』についてのコメント》   

広辞苑によると、「月華(げっか)」とは、月の光、月光を意味すると出ています。
しかし、仏典の『善見律』六には、月経血の事として書かれています。
「月華とは、月に水華を生ず、これ血の名なり」
今回の作品の題名である、この『月華(げっか)』、りんちゃんの初潮を扱うに際して、月光と月経を共に掛け合わせた意味を持つ題名として、最も相応しいだろうと思い、決定しました。

とにかく、未開民族の言葉、文明語を問わず、世界の多くの言葉で月と月経との関係が、見られるそうです。「両者が、切っても切れない関係にある事を、長い歴史の中で、人類は、体験的に感得し、それが、常識になったのだろう」と、ある理学博士が、御自分の書物に書き著されています。 

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