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相馬の屋敷から殺生丸が全速力で西国城に駆け付けて来た。
神速とも云うべき凄まじい速さだった。
突然、舞い戻った当主を出迎えたのは、木賊に藍生、尾洲に万丈という親子二代に渡る側近と守り役衆、それに家臣一同。
しかし、肝心のりんの姿は、何処にも見えない。
感じ取れるのは、残り香ばかり。いや、りんだけではない。
何時もなら、何があっても、真っ先にしゃしゃり出て来る邪見が見当たらない。
りんの世話を一任している女官長の相模も居ない。
一体、何処へ行ったのだ。
「お帰りなさいませ、お館様。」
「よくぞ、お戻り下さいました、大殿。」
「家臣一同、皆、心配しておりました。」
「・・・・ご無事で何より。」
三々五々、挨拶を述べる側近親子二組に向かい、肩で息を吐く殺生丸が、性急に問い質す。
「りんは、何処に居るのだ? 木賊!藍生! 倒れたと聞いたが、大丈夫なのか?
尾洲!万丈!・・・・それに、邪見と相模の姿も見えぬ。」
矢継ぎ早な殺生丸の問いに、尾洲が、落ち着いて答える。
「大殿、りん様は、御方様が、御自分の城で養生させるとお連れになりました。相模殿と邪見殿は、りん様の付き添いとして同伴致しました由。」
「何だとっ! では、あの知らせは・・・・クッ、謀られたか。」
早計な判断を下そうとする殺生丸を諌めるように、尾洲が、言葉を継ぎ足す。
「お待ち下さい、殺生丸様。りん様は、倒れられこそしませんでしたが、お加減が、良くない事は確かで御座います。特に、お館様が、姿を晦まされてからは、日に日に元気を無くされて・・・。
余りの憔悴振りに、御付きの相模殿が、心配して御方様に相談された程で御座いました。」
「・・・・そうか。」
だからと云って、このまま、こうしては居られぬ。殺生丸は、常ならば、供をする邪見の代わりに、木賊と藍生に向き直り、急ぎ用を申し付けた。
「木賊、藍生、阿吽に鞍を付けて厩舎から曳いて来い。・・・・母上の許へ参る。」
「ハッ!」
「承知!」
如何な大妖怪の殺生丸と云えど、全速で休む暇も無く、遠方の相馬の屋敷から西国城まで飛び続けてきたのだ。
体力の消耗が夥しい。
更に、この上、天空に在る母君の城まで赴こうとするのなら、阿吽に騎乗せねば、到底、覚束ない。
轡(くつわ)と鞍を付けられた阿吽が、厩舎から連れ出されてきた。
久し振りの遠出が判るのか、双頭竜が、主の顔を見て、巨体を震わせ、甘えるような唸り声を出す。
グルルルゥ~~~グルグルグルグルゥ~~~
「・・・・阿吽、頼むぞ。」
ヒラリと阿吽に騎乗した殺生丸が、戻ったばかりの西国城を後に飛び立つ。
陽は、既に傾き、間もなく夜の帳(とばり)が下り始める刻限になっている。
この調子では、天空の母の城に辿り着くのは、夜半になるだろう。
ゴオォ~~~~~ッ 風を裂いて妖火を携えた阿吽が夕暮れの空を急ぐ。
壮大な日没の光を背に受けて、風に煽られた殺生丸の白銀の髪が、眩しい程に輝く。
その荘厳なまでに神々しい姿を眺めるのは、生憎、唯、空を飛ぶ鳥達のみ。
完全に陽が落ちた。
日輪の代わりに月輪が昇ってくる。
折りしも、今宵は、陰暦の八月十五日、中秋の名月だ。
地上ならば、群雲に隠されてしまう事が多い名月だが、殺生丸達は、漂う雲の上空を飛んでいる。
十五夜の満月の光を存分に浴びて夜空を飛行する。
月光が、己が分身の殺生丸を愛でるかのように白銀の髪を煌めかす。
月の化身を思わせる玲瓏なる貴公子が、双頭の竜の背に乗って夜を渡る。
神の如く麗しく月のように冴え渡る姿。
否、殺生丸は、真実、狗神の末裔。
最高位の妖は、神にも等しき存在。妖狐、然り。天狗、然り。竜、然り。
枚挙に遑(いとま)が無い程、そうした例は多い。
妖力にしても神通力と同じ事。
神が、使えば神通力、妖怪が、使えば妖力。
呼び方が、異なるのみで力自体に変化が、ある訳ではない。
故に古代の人々は、彼らを神として崇めた。
“荒ぶる神”又は“禍つ神”と呼んで。
古代人にとって神も魔も似たような物。
ひたすら畏れ敬うべき存在。
人知では理解し難い業(わざ)、如何とも説明しようが無い現象は、須(すべからく神の為せる業とするしか無かった。
時代が降(くだ)るにつれ、人は、知識を獲得し、神と魔を区別し始めたのであった。
阿吽を駆る殺生丸の目に、母の“狗姫の御方”の住まう天空の城が見えてきた。
今宵は、一年の内、最も明るい満月の月明かりに照らされ、一層、華やいだ雰囲気を醸し出している。
要所、要所に灯りの燈された城は、月の光の中に冴え冴えと浮かび上がり、幻想的なまでに美しい。
伝説のかぐや姫の月の都も、斯(か)く有らんやと思わせるような神秘的な情景である。
最上部では、宴が、催されているのか、歌舞音曲の音が、聞こえて来る。
中庭に阿吽を降下させ、その背からフワリと音も無く降り立つ。
母や女官達の匂いに混じって、一際、清冽な甘く馨(かぐわ)しいりんの匂いが、風に乗って運ばれてきた。玉座の母を中心に女官達が円陣を組んで座っている。
玉座の母の横に、りんが居た。犬妖族の女達は、母を含め、大抵の者が淡い色合いの着物を好む傾向が有る。
そんな女妖達の中に在って、唐紅の内掛けを纏ったりんは、一際鮮やかな花のようにパッと目に付く。
黒髪が、滝のように緋色の絹の上を艶やかに流れ落ち、互いの色を引き立て合っている。
相模と邪見が、りんに寄り添うように付き添っている。
私に気付いた途端、りんが、信じられないように、目を瞠(みは)った。
そして、次の瞬間、星を含んだ黒曜石のような目から大粒の涙をポロポロと溢れさせ、りんが、飛び出してきた。
「殺生丸さまっ! 殺生丸さまっ!」
「りん・・・」
私の胸の中に飛び込んできた、りんを隻腕で抱き締める。
暫く逢わない内に、少し痩せたらしい。
幼い頃から、私を惹き付けた、清々しくも甘い、りんの匂い。
りんの成長に伴い、一層、甘く馨しく香り始めた、その匂いは、今も、私を捉えて離さない。
正に、綻びかけんとする無垢な花の匂い。
余りにも甘美で清雅な、りんの匂いに、このまま酔ってしまいそうな程だ。
しかし、久方振りの、りんとの逢瀬を邪魔するかのように、母の無遠慮な言葉が、降って来た。
無粋な!
もし、これが、邪見であれば、即刻、殴り蹴り倒してやる処だが、己が母では・・・・そうもいかぬ。
「やっと来たか、馬鹿息子が。そなたが、突然、書置きも残さず、姿を晦ましたせいで、りんを始めとして、家臣達が、どれ程、心配したと思うのだ。もう、以前のように人界を放浪していた頃の風来坊とは違うのだぞ。少しは、国主としての自覚を持て。」
「・・・・」
「特に、りんは、そなたが居なくなったせいで、心労の余り、碌に物も食べられない、夜も寝られない状態が続いていたのだぞ。」
「・・・・・・・・」
私に取り縋って泣きじゃくっていた、りんが、急に力無く頽(くずお)れた。慌てて抱き留めれば、気を失っている。
血の気を失った白い顔が、まるで、青褪めた花のように儚げだ。
「りん!」
「そなたに逢って、気が、緩んだのだろう、殺生丸。気丈にも、ずっと、張り詰めていたからな。唯でさえ、微妙な時期に差し掛かっている。相模、松尾、りんを寝所に運んでやってくれ。」
「はい、御方様。」
「畏まりました。」
そのまま、りんに付き添おうとした殺生丸を、御母堂様が、引き留める。
「何処へ行く気だ、殺生丸。りんの事なら相模達に任せておけば、間違いない。こういう場合、男のそなたが、側に居ても何の役にも立たん。今宵は、中秋の名月。それに肖(あやか)って宴を設けた。望月を眺めながら酒でも酌み交わそうではないか。『望月』、月を望むか、ホッ、正しく長年待ち続けた、そなたの心の在り様、そのままであろうが。もう、間も無く訪れるであろう、りんの初めての月華を待ち侘びてな。おや、驚いておるな。フフッ、母が気付かぬと思うてか。此度のそなたの雲隠れの真の理由。」
「・・・・・」
「まあ、気持ちは、判らぬでもない。元々、短気な気性のそなたの事だ。意中の娘を目の当たりにしながら、ここ数年、よくぞ辛抱し続けた物よ。それだけは、感心しておる。」
「・・・・・・」
「欲しければ、何であれ、常に、力づくで奪い取るのが、そなたの流儀だった筈。だが、そんな、そなたが、りんにだけは、そうせぬ。いや、出来ぬ。これだけでも、そなたにとって、りんが、如何に大切な欠くべからざる存在であるのかが、窺い知れようと云う物。」
「・・・・りんを娶る。」
「良いだろう。但し、婚儀の日取りについては、思い立ったが吉日と云うような訳には、行かぬぞ。仮にも西国王の嫁取りじゃ。他国にも布告を出さねばならん。綿密な準備、充分な日時を要する。特に、りんは、人の仔だ。侮られぬよう、後々、陰口を叩かれぬよう、万全を期さねばならぬ。そうした事情を鑑みるに、どう見積もっても、今年中は、無理だろうな。早くて来春になろう。嫁入り支度にしても今まで以上に急がせねばならん。いずれは、こうなるだろうと下準備だけは進めてきたが。さて、忙しくなるぞ、殺生丸。近来、稀に見る豪華絢爛な婚礼にしてくれよう。西国の威信に掛けてもな。絶対に、けちは付けさせん。例え、何処の誰であろうともだ。りんは、妾の可愛い養女(むすめ)じゃからな。」
「・・・・・」
「そうした事は、さて置き、まずは、目出度い。」
殺生丸との話を終えた御母堂様が、広場に詰めた女官達に向き直り、一際、声、高らかに来るべき慶事の前触れを告げる。
「さあさあ、祝いじゃ、皆の者。今宵は、思う存分、飲むが良いぞ。殺生丸の婚約が決まった。」
期せずして、歓声が、あちこちから波のように沸き起こり、やがて、歓喜の渦となって天空の城、全体を覆った。
その知らせは、雲間に隠れた月が、俄(にわ)かに現れたかのような、そんな冴え渡る明らかさを、輝かしい未来を、予感させる出来事だった。
西国王の婚儀、それは、西国の民にとって、久方振の、待ちに待った慶事の訪れであった。
月の光が、祝福の波を絶え間なく送り寄せる。
「せっ・・殺生丸様っ! 今、御母堂様が、仰った事は、真で御座いますか? おっ、お相手は、一体、何処の、どっ・・・どなた様で御座いますか?」
邪見が、慌てて、私の側に走り寄って頓珍漢な事を訊いて来た。
長年、側に仕えながら、こ奴は、未だに主の心情を掴みきれていないらしい。
・・・何処の誰だと!? りんに決まっておろうが!
反射的に、従者の烏帽子頭を踏み潰していた。
ゲシッ! ゲシッ! ゲシッ! この馬鹿者が!
酒蔵が開かれ、秘蔵の酒が、次々と持ち出され、饗宴の為に振る舞われた。
歌舞音曲の音は、名月の空に舞うように広がり、祝賀気分を盛り上げる。
一年で最も明るい満月が、中天に差し掛かる。
月が天空の最も高い位置に昇った時、極々、微かな血の匂いが漂ってきた。
人間ならば、到底、感知出来よう筈もない幽(かそ)けき匂い。
だが、我ら、犬妖にとっては、充分過ぎる程の鮮やかさ。
りんの初めての月華が、今、この時から始まった。
母が、己の方を見遣り、満足そうに頷く。
遠くから相模と松尾が、報告の為に、駆け付けてくる足音が聞こえる。
遂に、りんが、大人への階段を昇ってきた。
祝いの盃を満たした酒に真円の月が映る。
欠ける事なき全(まった)き月が。
殺生丸の脳裏に、ふと、昔、習い覚えた古事記とやらの一節が浮かんできた。
「汝(な)が著(き)せる おすひの裾に 月立ちにけり」
(あなたの着ていらっしゃる衣の裾に月経の血が丸く付いている)
これを読んだ当時、人間とは、何と感傷的な生き物よ、と嗤(わら)った物だが・・・。
今の己は、それと全く同じ境地にあるではないか。
“月立ちにけり”りんの時は、満ちた。
では、私の時は・・・・。云うまでもない、当の昔に満ちている。
しかし、りんは余りにも幼かった。
天にも地にも、唯一の我が伴侶と定めた、りん。
ひたすら、お前の成長を待ち続けた。
妖怪の私にとっては、ほんの瞬きにも等しい筈の、この数年が、どれ程、長く感じられた事か。
塞き止められた想いは、今しも溢れんばかりに満ち、今か、今か、と奔流の如く流れ出す時を待っている。
されど、今は、暫し、この旨酒(うまさけ)に酔い痴れようぞ。
天の月とりんの月が満ちた事を祝って。
満月を宿した盃を乾(ほ)しつつ、殺生丸は、ひっそりと静かに微笑んだ。 了
2007.7/12(木)★★猫目石
《第三十六作目『月華(げっか)』についてのコメント》
広辞苑によると、「月華(げっか)」とは、月の光、月光を意味すると出ています。
しかし、仏典の『善見律』六には、月経血の事として書かれています。
「月華とは、月に水華を生ず、これ血の名なり」
今回の作品の題名である、この『月華(げっか)』、りんちゃんの初潮を扱うに際して、月光と月経を共に掛け合わせた意味を持つ題名として、最も相応しいだろうと思い、決定しました。
とにかく、未開民族の言葉、文明語を問わず、世界の多くの言葉で月と月経との関係が、見られるそうです。「両者が、切っても切れない関係にある事を、長い歴史の中で、人類は、体験的に感得し、それが、常識になったのだろう」と、ある理学博士が、御自分の書物に書き著されています。