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『竜宮綺談』④終宴

殺生丸と邪見が、竜宮に来てから既に四日が経過していた。
ボワッ・・・本性の大亀に戻った劉亀が、口から大きな空気の玉を吐き出した。
殺生丸と邪見、それに阿吽が、その中にスッポリと納まっても、まだ余る大きさである。
この空気玉の内部は二重構造になっている。内側は、地上生物の生存に適した一気圧、外側は、非常に圧力の強い空気で覆われている。途轍もない深海の水圧にさえ充分に耐えられるよう強度が調節されているのだ。
往きは、超豪快に海を二つに割って竜宮にやって来たが、帰りは、この特大の空気玉に乗ってユルユルと上方へ浮上していくのだ。
邪見が、またまた興奮して大げさに騒ぐ。今回、初めて、竜宮にやって来た身では無理もないか。殺生丸と阿吽は、既に経験済みのせいか、ろくに驚きもしない。

「劉亀様、こっ、この空気玉に乗って水上まで浮き上がっていくのでございますかっ!?」

「左様、この空気玉は、ユックリと漂いながら、貴方達を水面ギリギリまで運んでくれます。空中に辿り着けば、自動的に割れて、そのまま大気に溶け込むようになっておるのです。」

「なっ、成る程、実に上手く出来ておりますな。」

「それでは、殺生丸様、邪見殿、ようこそ竜宮にお越し下さいました。本来なら我が主も御見送りすべき処でございますが、今回の身内の不祥事に甚(いた)く恥じ入られまして、到底、顔を出せないと申されておられます。どうぞ、ご容赦下さいませ。大したお持て成しも出来ませんでしたが、これに懲りず、又のお越しをお待ちしております。
阿吽よ、達者でな。」

「・・・・」

「ハッ、ハイ! 大変、お世話になりました。有難うございます、劉亀様。和修吉竜王様には、くれぐれも良しなにお伝え下さい。」

「・・・グル・・・グルル・・」

 型通りの劉亀の別れの挨拶にも、終始、無言の殺生丸。
一見、いつもの無表情である。しかし、よくよく見れば強烈な不機嫌オーラを白皙の美貌から発している。
元々、鋭い金色の眼差しは、一層、険を含み、斬り付けるような危うさを感じさせる。眉間にも皺が寄り、剣呑な事、この上ない。

 それに気付かないのは、初めての竜宮詣でに浮かれている能天気な下僕の邪見だけであった。
阿吽でさえ、先程から主の発する尋常でない妖気に怯えビクビクしていると云うのに。一体、何が有ったというのだろうか。
話は、殺生丸と邪見が、この竜宮に、やって来た時まで遡(さかのぼ)る。

 お目当ての人魚の肉を入手し損ねた殺生丸。すぐさま、西国に舞い戻ろうとする殺生丸を、この竜宮の主、和修吉竜王が、強引に引き止めた。
殺生丸が、何よりも切望する、人間を、イヤ、りんを不老長寿にする方法を餌に。
その後、三日三晩に渡って続いた竜王主催の宴。
殺生丸は、元々、酒は嫌いではないし滅法強い。大酒飲みで有名な母君“狗姫の御方”と張り合うほどの酒豪、云うならば蠎蛇(うわばみ)である。
だが、大人数の宴には、どうにもこうにも我慢がならぬ性質(たち)だった。
酒は静かに飲みたい殺生丸である。
極々、少数の気心の知れた者達と飲むのなら別に構わないのだが、大人数の宴は、酣(たけなわ)になればなるほど、浮かれ騒ぐ馬鹿者たちが決まってドンチャン騒ぎを起こす。それが、殺生丸を辟易(へきえき)させる。
まして、無礼講ともなれば、どれ程、鬱陶しい事か。
だが、和修吉竜王の宴は、最初から大人数の上に無礼講だった。

 多分に神経質な殺生丸と違い、豪放磊落な和修吉竜王は賑やかな宴が大好きなのである。それも、人数が多ければ多いほど楽しいと考える口だった。
寡黙にして気難しい殺生丸とは全く対極に位置する気性の持ち主、それが和修吉竜王である。
竜宮に仕える者達も、皆、主に似たのか大の宴好きばかりが揃っている。
久方ぶりの珍客中の珍客を迎えて、イヤハヤ盛り上がる事、盛り上がる事。

 賑やかな歌舞音曲は勿論の事、惜しげもなく振舞われる竜宮秘蔵の名酒に山海の珍味。それにしても海の中でありながら、何故、山の珍味が? 海に接した土地からもたらされた産物だ。広大な極海は、妖界の全ての大陸に接している。内陸で産する物は川を通して運ばれ海に至る。その結果、海産物は勿論の事、ありとあらゆる珍しい食材を手に入れる事が可能なのである。
そうして始まっ
た大掛かりな西国王歓迎の宴。
それでも、宴が始まった当初は、まだ節度が保たれていたが、そんな物は直ぐに何処かへ消え失せ、アッと云う間に乱痴気騒ぎへと移行していった。
ドンドン機嫌が悪くなる一方の殺生丸とは対照的に邪見は得意の絶頂だった。
雲上人とも云うべき和修吉竜王から、直々に御声をかけて頂いたのである。
一介の従者としては身に余る光栄。完全に舞い上がっている。

 和修吉竜王の目論見としては、殺生丸を酔わせて、アレコレ聞き出そうと思っていたのだが、肝心の相手は、酔い潰れるどころか、顔色ひとつ変えずに黙々と盃を乾していくばかり。何を聞いてもダンマリを決め込み、一向に答えてくれない。
それでは、綺麗どころが相手ならば、多少、態度が
変わるかも知れないと思い、竜宮でも指折りの美女達を侍らせてみたが、これまた一瞥(いちべつ)も与えられず見事なまでの完全無視。
こんな調子では、何時まで経っても埒(らち)が明かん
と和修吉竜王が、好い加減、匙を投げ出しかけた処に、フト目に付いたのが、年若い西国王の側にチョコンと控える従者の小妖怪である。殺生丸にとっては不運、和修吉竜王にとっては思いがけない幸運であった。物は試しと、和修吉竜王が酒を注ぐ事を名目に邪見に話しかけてみた処、案の定、この従者は、ペラペラと口軽く喋り出したのである。斯くして、お喋りな従者は、和修吉竜王から聞かれるままに、人界での放浪の旅についてアレコレ答えたのであった。
殺生丸と半妖の異
母弟、犬夜叉との確執、りんとの出会い、蘇生、天生牙の覚醒、闘鬼神、半妖の奈落とのイザコザ、白霊山での死闘、あの世の境での奈落との戦い、冥道残月破、冥界での出来事、もう何もかも包み隠さず、これまでの経緯(いきさつ)について洗いざらい喋ってくれたから堪らない。
殺生丸の胸の内は荒れ狂う嵐も同然、反対に和修吉竜王の方はホクホクである。
尤も、此処までなら、殺生丸も、腹立たしくはあったが、まだ我慢できる範疇(はんちゅう)にあったのだ。
だが、和修吉竜王が、新たに西国での事を、邪見から詳しく聞きだそうとした肝心な時に邪魔が入った。
突然、闖入(ちんにゅう)してきた客によって宴が中断されたのである。
そして、その客こそが、殺生丸を腹の底から怒らせた張本人なのである。剛胆で知られる和修吉竜王を、殺生丸に顔向け出来ないまでに恥じ入らせたのは如何なる者か。その件については、後日、詳細にお話する事になるだろう。                       了


《第四十六作目『竜宮綺談』についてのコメント》
この作品は、結果的に十万打の御祝い作品となりました。
(本人は、全然、そんな積もりじゃなかったのに・・・)
とにかく有難うございます。
初めて、りんちゃんの寿命問題に触れた作品です。
(尤も、今回は空振りですが・・・。)
そうした微妙な難しい問題を扱ったせいでしょうか。
延々、一ヶ月も頭を捻った割には、字数が一万二千字台に止まってます。
本当は、③の和修吉竜王で終了する筈だったのですが、管理人が、もっと字数を増やしたいばかりに無理矢理、引き伸ばしました。
そうしたら、何と頭の中にムクムクとイメージが湧いてきて、この話の続編の題が決定しました。
続編の方は、構想が練りあがり次第、取り掛かる積もりです。
 
                  ★★★猫目石

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『竜宮綺談』③和修吉竜王

「オオッ! これが、音に聞く竜宮でございますか。
何と・・・煌(きら)びやかな。」

豪奢な竜宮の威容に驚嘆して邪見が言葉を詰まらせる。
無理もない。淡い水色の中に浮かび上がるのは黄金の瓦を葺(ふ)いた眩いばかりの城郭。屋根を支える何本もの太い支柱は、血のような赤さが珍重される極上の血紅(ちあか)珊瑚から作られている。金や銀、珊瑚に真珠が、ふんだんに使用された財宝尽くしの海中の宮殿。
そして、劉亀に案内された壮麗な大広間で待ち受けていたのは、誰あろう、この竜宮の主、和修吉(わしゅきつ)竜王。
人型を取ってはいるが、多頭の竜王らしく頭上には九匹の竜が頭をもたげている。黙っていても滲み出てくる周囲を圧する重厚な存在感。
殺生丸とて妖力や存在感において決して人後に落ちる者ではない。しかし、流石に王としての年季が違いすぎる。
王座に就いて、高々、数年の殺生丸に対し、和修吉竜王の在位は間もなく千年の極みに達そうとしている。
貫禄の違いは如何ともしがたい。
殺生丸が、ズイと前に進み出て挨拶を申し述べる。西国王たる者、僅かでも、ここで臆した素振りを見せる訳にはいかない。
邪見は和修吉竜王の持つ只ならぬ雰囲気に呑まれたのか、いつもの軽口を慎み、主の後ろで神妙に控えている。

「突然の訪問の非礼をお許しいただき、感謝致します。和修吉竜王。」

「何の、何の、水臭い事を、殺生丸殿。以前、闘牙殿と一緒に、この竜宮へ参られた時の貴殿は、確か、元服前であったな。あの頃は、まだまだ幼い感じが否めなんだが、今や、立派に父君の跡を継がれたと聞いておる。即位式の際には祝いの使者を送ったが、ここで改めて儂からも御祝い申し上げる。誠に祝着至極。これで西国の民草も安堵いたすであろう。」

「・・・有難うございます。」

「さて、挨拶は、このくらいにして本題に入ると致そう。今回の貴殿の突然の訪問は、此処でなければ手に入れられない或る物を入手される為でござろう、殺生丸殿。」

「・・・お見通しでございましたか。」

「西国に戻られる際、人間の、しかも童女を伴われたそうだな。当時は、この竜宮でも、その噂で、暫く持ちきりであったわ。その後、西国で起こった妖猿族の襲撃、それに関連した一連の御落胤騒動、全て、この年寄りの耳に届いておる。そして、此度、遂に、その人間の娘御と正式に婚約されたとの由。儂の許に届いた招待状によると、婚儀は来春との事。となれば、何故、多忙を極めるこの時期、西国王である貴殿が、この竜宮に直々に足を運んだか。その理由も自(おの)ずと推察できようと云う物。」

「・・・達見(たっけん)、恐れ入ります。」

「やはり、血は争えぬものだな、殺生丸殿。実に父君と良く似ておられる。嘗て、闘牙殿も、貴殿と同じ事を、頼みに来られた。」

「・・・父が?」

「そう、あれは今から二百年ほど前になろうかな。闘牙殿が、長年の宿敵、竜骨精と雌雄を決する戦いをされる少し前の頃だったと記憶しておる。突然、この竜宮に、儂を訪ねて参られた。殺生丸殿、貴殿と同じ物を求めてな。」

「・・・・」

「竜骨精との戦いで深手を負った闘牙殿は、それにも拘わらず、自分の子を身ごもった人間の女性(にょしょう)を救う為に駆けつけ、その結果、命を落とされた。儂への頼み事も、貴殿同様、その女性(にょしょう)の為であったがな。」

「では・・・父も人魚の肉を。」

「ウム、人界では“不老不死”として知られる奇跡の妙薬を求められた。実際の処、不死は有り得んがな。不老については、かなりの効果が望めよう。そのままでは、非常に儚い人間の身を何百年と生き長らえさせる事が可能になる。
人間の目から見れば、それは不老不死に等しい。恐らく、闘牙殿は、その女性(にょしょう)の腹の中に居た半妖の我が子の今後を思って、母の命を延命させようとしたのであろうな。半妖とは云え、その寿命は我らとそう大差ない。況して、あの闘牙殿の血を受け継いだ御子だ。並みの妖怪など、到底、足許にも及ばぬ程の妖力を持って生れて来る事は、ほぼ必定。事実、人界に居た頃の貴殿と半妖の弟御との凄まじい確執。この竜宮にまで遥々(はるばる)伝わってまいった程よ。」

「・・・・」

「その左腕、以前、半妖の弟御に鉄砕牙で斬り落とされた。
左様であろう。」

「・・・如何にも。今となっては・・汗顔の至りです。」

「恥じる必要はない。結局、貴殿は、天生牙を使いこなし、尚且つ、最終的に爆砕牙を手に入れられた。それと同時に左腕も再生した。全くもって尋常の執念では成し遂げられぬ困難極まる所業。よくぞ、此処まで見事に成長された物よ。闘牙殿も、さぞかし、あの世で喜んでおられる事だろうて。」

「・・・・」

「さて、昔話は、これくらいにして。今回、貴殿が、この竜宮を訪問された目的、ご所望の物を取りに行かせるとしよう。劉亀よ、あれを。」

和修吉竜王が、腹心の部下、家宰の劉亀に向かい命を下した。

「ハハッ、畏(かしこ)まりました、我が君。暫し、お待ちを。」

ほどなくして、劉亀が、銀色の小箱を携えて戻って来た。

「お待たせしました。この箱の中に収められております物が、二百年前に、闘牙王様が、ご所望されました人魚の肉でございます。」

劉亀が、その銀の小箱を、恭(うやうや)しく殺生丸に差し出す。

「・・・何とっ! 二百年前とは。」

流石に、殺生丸が、僅かに顔をしかめた。

「実はな、殺生丸殿、人魚の肉は、これが“最後”なのだ。」

和修吉竜王が、済まなそうに、殺生丸に言葉を掛けた。

「・・・最後とは、一体、どういう意味なのでしょうか、和修吉竜王。」

殺生丸が、和修吉竜王の言葉に疑問を感じて、鋭く言葉を返した。

「人魚が死に絶えた。いや、そうではないな。一匹残らず居なくなったと云うべきであろうか。」

「・・・居なくなった?」

「そうだ。それには、まず、人魚について説明する必要がある。殺生丸殿、貴殿は、人魚について詳しく御存知か?」

「・・・いえ、唯、竜王の眷属としか。」

「フム、確かに。人魚は、我が眷属として、天界、妖界、人界に遍(あまね)く知れ渡っておる。しかしな、それは事実ではない。実際の処、あれらは、元々、この世界の者ですらないのだ。」

「・・・この世界の者ではない。では、人魚は、何処から来たのです。」

「異界、外宇宙(そと)の世界から。」

「なっ・・・!?!」

 滅多に感情を表に出さない殺生丸が、驚愕を、まざまざと明らかにした。呆気に取られる殺生丸を尻目に、和修吉竜王は、そのまま話を続ける。

「人魚は、或る日、突然、降って湧いたように、この極海に現れたのだ。我が眷属どもと同じように水に住まう者ゆえ、そのまま、我が配下として認めたのだが。人間どもが不老不死と信じる人魚の肉の不思議な効能も、この世界の者とは根本的に違う異界の生物なればこその物。あれら人魚の一匹一匹が持つ力は、極々、弱いのだが、不思議な能力を持っておってな。人魚が一族の総力を挙げて思念を結集すれば、瞬時に異界へと移動する事が可能なのだ。人魚どもが、初めて、この極海に出現した時も、その力を使っての事よ。そして、今から五十年ほど前の或る日、一体、どんな理由が有ったのか知らんが、その不思議な力を再び使って、人魚が、文字通り、一匹残さず、この極海から忽然と消え失せたのだ。それ以後、一匹たりと戻って来た報告は受けておらん。とまあ、そんな訳でな、今の処、儂の手許に残っている人魚の肉は、二百年前、貴殿の父君、闘牙殿に頼まれて確保した、その“不蝕(ふしょく)の箱”の中に入っている分だけなのだ。」

「不蝕(ふしょく)・・・の箱?」

聞き慣れない言葉に、殺生丸が、反応する。

「“不蝕、”つまり、蝕(むしば)まれぬと云う意味よ。この箱に入れておけば、喩え、生ものと云えど、まず百年は腐らずに保管できる。その謂(いわ)れから“不蝕の箱”と呼ばれておる。されど、今回は、ざっと通常の保存年数の倍、二百年。これほどに長い時間が経過しておっては、如何に“不蝕の箱”と云えど、果たして人魚の肉に何の変化も来たしておらぬのか、正直、儂とて、心許ない。それ故、有り体(てい)に一切を包み隠さず、貴殿に、事情を話しておるのだ。」

「・・・・」

 とにかく、結果が、どうあれ小箱の中身を確かめてみるしかない。殺生丸が、金と紫の錦の組紐を解いた。
シュルリ・・・ソッと慎重に蓋を開けてみれば、中から現れたのは、不思議な虹の光沢を放つ肉片。腐敗臭は・・ない。しかし、次の瞬間、その肉片は、ほぼ二百年ぶりに外気に触れたせいだろうか。ファサ・・・殺生丸の目の前で、微かな音を発して、人魚の肉は、脆くも崩れ、霞のように煙となって消え失せてしまった。後には、ほんの僅かな残滓さえ残っていなかった。

「!!!」

「やはり・・・駄目であったか。」

「・・・・」

「イヤ、全くもって申し訳ない、殺生丸殿。」

和修吉竜王が、面目なさそうに謝る。

「・・・仕方ありませぬ。」

 隠そうとしても隠しきれぬ落胆が、いつもは無表情な殺生丸の顔に滲(にじ)み出ている。

「・・・和修吉竜王、それでは、これにて、お暇(いとま)させて頂きます。」

 もう、用は無いとばかりに、そのまま踵を返そうとした殺生丸を、和修吉竜王が、慌てて声を掛けて引き止めた。

「待たれよ、殺生丸殿。」

「・・・何か?」

「このまま、何のお持て成しもせずに、西国王たる貴殿を、お帰ししたとあっては、この竜宮の、イヤイヤ、この和修吉の名折れ。どうか、今、暫く、留まって頂きたい。」

「・・・・」

「それに、他の不老延命の方法についても、お話し致そう。」

「・・・他にも有るとおっしゃるのか? 人魚の肉に代わるような方法が。」

「有る。儂が知る限りの方法を、お教えしよう。」

 和修吉竜王、殺生丸が今も敬愛する亡き父、闘牙王が、誰よりも信頼していた友人。王としては、若輩者の殺生丸に比べ、千年もの間、不動の王座を占めてきた先達でもある。それに、殺生丸が、喉から手が出るほど知りたい、人間を、イヤ、りんを不老延命させる方法、それを教えてくれると云う。そうまで云われては、さしも頑固な性分の殺生丸も、己の帰参の意向を引っ込めざるを得なかった。引き返してきた殺生丸を見て、和修吉竜王が、我が意を得たりとばかりに、早速、宴の準備を、劉亀以下、主だった家臣達に申し付けた。
殺生丸は、勿論、知る由もなかったであろうが、和修吉竜王は、見たところ、すこぶる付きの強面(こわもて)のせいで如何にも怖ろしげであるが、その実、無類の話好きで内外に知られた御方なのである。実際、竜宮を訪れた者は、誰彼構わず、竜王のお側近くに呼び寄せられ、アレコレと話を聞かれるのが常であった。
ましてや、殺生丸は、実に三百年ぶりに、この竜宮を訪れた嘗ての友人、闘牙王の遺児。おまけに、人界では、半妖の異母弟、犬夜叉と、大層、華々しい兄弟喧嘩を繰り広げた当事者でもある。その件だけでも、どれほど興味深い話が聞けようか。それ以外にも、この珍客から聞き出したい事は、山のように有るのだ。
いずれ、人魚の肉絡みで、必ずや、この竜宮にやって来るだろうと踏んで、手ぐすね引いて待ち構えていた矢先の殺生丸の訪問であった。そんな和修吉竜王である。みすみす珍客中の珍客をアッサリと手離す筈もなかった。

 

 

 

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『竜宮綺談』②極海

殆ど不眠不休で阿吽を飛ばすこと、三日。
ようやく、極海が見えてきた。
見渡すばかりの大海原、目が覚めるような青一色の世界。
空と海が繋がっている。
そんな錯覚を抱かせるほどに蒼い。
両者を別(わ)かつのは、唯、空に浮かぶ白い雲のみ。

「阿吽、和修吉竜王に目通りを願い出てくれ。西国の殺生丸が、お会いしたいとな。」

阿吽に、和修吉竜王への挨拶を兼ねた目通りを頼む殺生丸。
それと云うのも、阿吽は、和修吉竜王の眷属なのだ。
和修吉竜王は、多頭の竜王で、阿吽の双頭は、一族の証でもある。そもそも、阿吽自身、殺生丸生誕の折、和修吉竜王から、西国の先代国主、闘牙王に、嫡男誕生の祝いとして贈られた竜なのだ。そうした経緯(いきさつ)からも窺い知れるように、殺生丸の父、闘牙王と和修吉竜王は、昵懇(じっこん)の間柄であった。殺生丸自身、幼い頃は、父に連れられて、この極海の竜王の宮に遊びに来た事もある。
轡(くつわ)を外された兄の阿と弟の吽が、それぞれ海面に向かい滅多に出さない大声で咆哮する。とは言っても、その声は人間の可聴領域をこえた超音波なので、決して人には聞こえない音なのだが。細波(さざなみ)が、海水の表面に細かく立ち、波紋を、同心円状に拡げていく。
ほどなくして、海底から竜王の宮を預かる家宰(家臣の長)が数名の家臣を引き連れて浮上してきた。
極海は、海底の、ある部分で人界の海とつながっている。
それは、丁度、日本と大陸との間、それも、より大陸に近い場所に位置している。その為、必然的に大陸との縁が深い。
そうした影響もあってか、皆、大陸風のユッタリと袖が広がった服を着ている。

「久しいな、劉亀(りゅうき)。」

殺生丸が、先頭に立つ家宰に声をかける。どうやら顔見知りらしい。

「お久し振りでございます、殺生丸様。最後に、貴方様にお会いしたのは、かれこれ、三百年ほど前になりましょうか。今は、西国に戻られ亡き父君の後を継がれました由、お聞きしております。少々、遅くなりましたが、ここで、改めて御祝い申し上げます。真に慶賀の至りにございます。

 千秋万歳をお祈りします。新西国王、殺生丸様。」

家宰が、手を前に組んで深々と頭を下げる。大陸風の挨拶だ。
それに合わせて、後ろに控えた家臣達も、同じように恭(うやうや)しく頭を下げて礼を尽くす。
「劉亀」この名前からも窺い知れるように、人型を取ってはいるが本性は甲羅を経た大亀、霊亀(れいき)である。
その証拠に、背中に大きな甲羅が張り付いている。
霊亀族独特のノンビリと穏やかな風貌と物腰が、相対する者の警戒心を解いていく。劉亀の言祝ぎに、殺生丸が、鷹揚にうなずき、話を進める。

「・・・して、和修吉(わしゅきつ)竜王は、ご息災であられるか。」

「はい、我が主は、至ってお元気にございます。お見受けするところ、貴方様も同様のご様子。オオッ、阿吽よ、久しいのう。そなた達も元気そうで何よりじゃ。」

 劉亀に呼びかけられた阿吽が、猫のように嬉しそうに喉をならす。小型の雷のような音がゴロゴロと周囲に鳴り響く。
その重低音に吃驚して、やはり、気絶したように眠りこけていた邪見が、慌てて、ガバッと跳ね起きる。
無理もない。三日三晩、ほぼ不眠不休の強行軍の旅だった。

「ホッホ、良し、良し、可愛いやつらじゃ。」

 阿吽の甘えぶりに相好を崩して喜ぶ劉亀。いかにも好々爺といった感じだが、この劉亀も、尾洲や万丈のように、和修吉竜王の“懐刀(ふところがたな)”として広く世に知られた存在である。見た目の印象だけで、そうそう簡単に判断できるような単純な御仁では決してない。

「劉亀よ、挨拶は、これくらいにして本題に入るぞ。和修吉竜王に、至急、お会いしたい。折り入って、どうしても、お願いしたい儀が有るのだ。」

短気な殺生丸が、挨拶も、そこそこに、ズバリと本題を切り出した。

「ハハッ、承知いたしました。和修吉竜王様からも、貴方様が、訪ねていらっしゃった時は、速(すみ)やかに宮へお通しするように言付かっております。それでは、御前、失礼致します。」

 そう云うなり、劉亀が、大亀の本性を顕(あら)わにした。
小さな島が丸ごと納まりそうな体躯に、背中全体を覆う堅牢な甲羅、ツルリとした丸い頭部、長い顎髭、これが霊亀族本来の姿である。

  その巨体のまま、海中に向かい、阿吽の時よりも更に大きな超音波の咆哮を放つ。すると、どうだろう。その咆哮に呼応するように海面が波立ち渦が巻き始めた。
ゴォ~~~~、海が唸り声のような音を発し始めた。
渦が大きくなればなるほど、その音も、益々、大きくなる。竜がとぐろを巻くようにドンドン大きくなる渦。
遂には、巨大な竜巻となって空中に大量の海水を巻き上げていく。空中に巻き上げられた海水の部分が、鋭利な刃物で切り取ったかのように空白地帯を作り出す。
それと同時に、海が、大きく真っ二つに割れる。膨大な水量の海水が、自ら意思を持つ
かのようにタプタプと右に左に動いていくではないか。まるで、布を切断するように分かれていく海面。
その結果、水深三千メートルもの海底に落下する海水が 地上では有り得ないような大瀑布を出現させる。
ドドドド―――――ッ、ザバ―――――――ッ。
ポッカリと海底への道が開けた。その道の部分だけ明らかに海水の色が薄い。本来の水圧が、その部分のみ大幅に緩和されているら
しい。
仮に、水中で呼吸が出来たとしても、人間は、わずか五十間(約90m)の水深でさえ耐えられないだろう。
それが地上における千尋の谷に匹敵する深さに存在する竜宮ならば、尚更の事。想像を絶する水圧が、人間は、愚か、陸上の生物という生物全てを押しつぶしペチャンコにしてしまうのだ。喩(たと)え、それが地上で最大の大きさを誇る象であろうと例外ではない。
いや、水棲生物と云えども、深海に適応した特殊な種でなければ生存できない。それほどまでに、深海とは過酷な環境なのだ。水中深く潜れば潜るほど、襲いかかってくる凄まじい水圧が、外敵の侵入を阻
み、莫大な財宝と海の神秘その物を守っている。

「では、阿吽ともども、我が背にお乗り下さい。西国王、殺生丸様。竜宮へお連れします。」

本性に戻った劉亀の声が、破(わ)れ鐘のように殷殷と響く。
その声に従い、阿吽に騎乗したまま、殺生丸が大亀の背に乗る。劉亀が、ユックリと海底に向かい下降し始めた。
海亀特有の大きな足鰭で、淡い水色の海水を掻き分けるように進んで行く。
大亀が海中に消えると、二つに割れた海は、ピタリと吸い付くように塞がり、何事もなかったかのように、元の穏やかな表情を取り戻した。

一方、竜巻によって空中に巻き上げられた大量の海水は、どうなるのか? それは、水蒸気となって大気に取り込まれ、いずれ、雨となって下界に降り注ぐだろう。降り注ぐ雨は、大地を潤し、川となり、そして、再び、海に戻ってくる。
水の持つ特質、大循環である。
大亀の背に乗り、海中を降っていく殺生丸と邪見、そして阿吽。劉亀に従ってきた竜宮の家臣達は、大亀の周囲にピタリと寄り添って付いて来る。
それにしても、先程から全く息苦しさを感じない。何故だろう。周囲にはユラユラと海水が漂っていると云うのに。
邪見が、その事に疑問を感じ言葉を発した。

「どっ、どうして息が、苦しくならないのでしょうか、殺生丸様。」

「・・・劉亀が、我らの周囲に大気の膜の結界を張っている。そのおかげで息が出来るのだ。」

「さっ、左様でございますか。それで着物も濡れないのでございますな。それにしても、凄まじい眺めでございましたな。海が割れる光景など初めて目にしましたぞ。」

「・・・・」

殺生丸自身は、嘗て、あの光景を見た記憶がある。
劉亀が先の話でも触れたように、今を去る事、三百年の昔、まだ殺生丸が少年の域を出ない頃、亡き父、闘牙王に連れられて、この極海に遊びに来た事があるのだ。
その時も、やはり、今回と同じように竜宮への道を開ける為に、竜巻を起こし、海を二つに割った。
『天変地異』、天空と地上に起きる自然界の異変。
主に、地震、暴風雨の事を云うが、先程の超弩級の海割れも、そう呼ぶに相応しい。
あの現象ひとつ見るだけでも、和修吉竜王の持つ神通力の凄まじさが良く判る。
妖界の陸の王者が、西国王である殺生丸なら、海の王者は、この極海の支配者、和修吉竜王なのだ。
ゴオッ・・・水中での音の振動の伝達速度は非常に速い。
驚くべき事に、大気中よりも速く、伝達範囲も格段に広い。
陸上なら、到底、届くはずもない遠方にまで、その音波は確実に伝わる。
水棲生物は、その特性を大いに利用している。
竜宮の門前には大勢の家臣たちが整然と列を成し、今や遅しと西国王の到着を待ち構えていた。
水中から伝わってきた音の波動が、殺生丸と邪見主従の出現を、本人達より先に告げていたのだ。出迎えた家臣一同の丁重な挨拶を受け、竜宮の門をくぐった殺生丸と邪見。
阿吽は、人型に戻った劉亀から、世話を言い付かった舎人によって何処かへ連れて行かれた。


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『竜宮綺談』①発端


長い白銀の髪が、風に棚引く。
それに合わせて踊るように漆黒の髪も靡(なび)く。
旧知の“白妙のお婆”のもとへ頼み事に出かけた殺生丸は、天空の母の城への帰途、嗅ぎ慣れた匂いを風の中に感知した。
その匂いを頼りに目をやれば、遥か下方、地上に、緋色の花の大群生の中、りんの姿が見えるではないか。
相模も側にいる。即座に、阿吽の手綱を引いて、向きを変えさせ、鐙(あぶみ)を強く打ち付ける。
主の意向を素早く了解した双頭竜が、一気に、脚を速め、目標に向かって急降下する。急激な加速に驚いた邪見が、危うく、阿吽から転げ落ちそうになるが、殺生丸は、気にもしない。
目も眩むような、それこそ矢のような速さ。音速に近い最高速度で、阿吽が、駆ける。

激しい加速、それに伴い、全身にのしかかってくる押し潰されそうな重力による圧力、唯人ならば、失神してしまうだろう。事実、従者の小妖怪は、目を白黒させ、今にも気絶しそうな気配だ。
しかし、かの者は、人にあらず。見目は麗しい人型の形(なり)なれど、その本性は巨大な化犬の妖。

それも、尋常な妖力の持ち主ではない。妖界にあって最大領土を誇る犬妖族の大国、西国の若き王にして最強の大妖怪、殺生丸。
轟音と共に、主従を乗せた騎獣は、アッという間に、目標地点に辿り着いた。
ヒラリと音もなく地上に降り立つ大妖。
白銀の髪が、陽を弾いて後光のように煌めく。
りんと相模を取り巻くように囲んでいた屈強の護衛たちが、一斉に恭(うやうや)しく膝を折り、頭(こうべ)を垂れ、主君をお迎えする。

「殺生丸さまっ!」

人界を旅していた頃と同じ様に、りんが駆けて来る。
小さな顔いっぱいに嬉しさを滲ませて。
悠然と近付く殺生丸に対し、飛び付かんばかりに駆け寄る。
りんが両手にかかえた真紅の曼珠沙華が、鶸(ひわ)色の内掛けに、ひときわ鮮やかに映える。
打掛に鏤(ちりば)められた色取り取りの上品な菊の紋様。
それさえも霞ませるほどに鮮烈な野の花。
りんの生い立ちと殺生丸との出会いを、そっくりそのまま象徴しているかのような花である。

「見て、殺生丸さま、凄くきれいでしょう。この彼岸花は『曼珠沙華』ともうんだって。相模さまが教えてくれたの。『天上の華』ってう意味なんだって。」

  りんが、摘んだ花を手渡そうとするのも昔と同じ。
殺生丸が、受け取ったためしは無いのだが。

  しかし、今回は、いつの間にか、側に来ていた相模が、りんの行為に口添えする。

「 どうぞ、お受け取り下さいませ、殺生丸様。その花は、りん様の御心その物。彼岸花が別名『曼珠沙華』と呼ばれる事は、既に御存知でいらっしゃいますね。ですが、この花は『天上の華』という意味以外にも、他の意味を持っております。人界、特に大和の国では、この花を『死人花』などと呼び、忌み嫌う傾向がございますが、海を隔てた韓(から)の国では、『相思華』と呼ぶのだそうでございます。(花は葉を思い、葉は花を思う)互いが互いを思い合う、それ故に、相思の華、『相思華』と。相愛の御二方に、これ程、相応しい花は、他にございますまい。」

 相模の言葉を聞いている内に、殺生丸の胸中に、悪戯心が、ムクムクと湧いてきた。徐(おもむろ)にりんを両腕で抱き上げた。胸に抱いた真紅の曼珠沙華ごと。

「せっ、殺生丸さまっ!」

驚いたりんが、殺生丸を覗き込めば、無表情ながら、どこか面白がっているような風が感じられる。
ごくごく微かではあるが、目を細めているのが、その証拠だ。

「では、その花は、りん、お前が抱いているが良い。私が、お前を抱けば、その花も抱いている事になろう。」

りんを抱き上げたまま、フワリと殺生丸空中に舞い上がる。阿吽に乗って疾風迅雷のように現れた時とは、打って変わった緩やかな速度。
久方振りのりんとの逢瀬を楽しむかのようにユッタリと

     した速さで爽やかな秋空を飛ぶ殺生丸。
     相模や阿吽、護衛の者達は、付かず離れず、その後を付
いていく。
 邪見はと云えば、完全に気を失って阿吽の鞍の上で泡を吹いて、ひっくり返っている。そんな状態でも、人頭杖をシッカリと握り締めて手離さなかったのは、従者として天晴れと云うべきだろうか。イヤ、それより、寧ろ、人頭杖を無くした場合の主の折檻をおそれたのだろう。

「殺生丸さま、今日も、おっ、お母さまの城に泊まっていかれるの?」

りんが、期待を込めて、今や公認の許婚(いいなづけ)となった大好きな妖(ひと)を見上げる。

「・・・いや、それはない。今から行かねばならぬ処がある。」

その言葉を聞いて、りんが、シュンとうなだれる。

「りん、今、しばらくの辛抱だ。婚儀さえ挙げてしまえば、もう、離れることはない。」

そう云って、慰めるように、風に揺れるりんの柔らかな黒髪をなでてやる。
旅をしていた頃は、長さが足りないせいも有って、アチコチに跳ねる癖があったりんの髪。
それが、今では、腰を完全に覆うまでに伸びた。
髪の長さが腰を過ぎた辺りから、癖が取れ、髪自体の重みで自然に落ち着くようになった。
女官達に、日々、丁寧に梳(くしけず)られ、丹精込めて世話されているりんの髪。手に取れば、夜の滝のように、サラリと艶(つや)やかに零れ落ちる。
そして、髪から、いや、身体全体から馨る、りん特有の清爽でありながら、限りなく甘い香気が、愈々(いよいよ)、私を惹きつけて離さない。
形の良い細い眉。今も昔と変わらず、曇りなく私を見詰める、りんの瞳は、大きく円(つぶ)らで、長い睫毛に飾られ星を含んだ黒曜石のように輝く。
決して低い訳ではないが、顔の中心に、チョコンとおさまった可愛らしい鼻。
花の蕾のように小さく愛らしい薄紅色の唇。

白く肌理(きめ)の細かい肌は、白桃のように瑞々しい。
以前の、ガリガリに痩せこけ、哀れなほど、みすぼらしかった野性児の面影は、もう何処にも、見当たらない。
ここに居るのは、西国王、殺生丸が、熱愛する寵姫にして、国母(こくも)にあらせられる狗姫(いぬき)の御方の手厚い庇護を受ける御息女。
たおやかな花のような姫君である。
腕の中に、つと視線を向ければ、りんが大事そうに抱き締めている鮮紅色の曼珠沙華が、否応なく、殺生丸の目を惹いた。
この花が持つ別名『彼岸花』。
その名称は、決まって秋の彼岸の頃に咲くことに由来している。優美な形状の真紅の花は、殺生丸に鮮血を思い起こさせた。あの満月の夜、妖狼族の狼に噛み殺された小さなりんの身体から流れ出た紅い血を。そして、つい最近、りんの成長に伴って、身の内から流れ始めた赤い女の徴(しるし)も。
漸く、時が満ちた。予(か)ねてよりの懸案を、実行に移す時が来たらしい。
天空の母の城が、視界に入ってきた。
りんを送り届けたら、その足で、あの場所へ赴くとしよう。
この件は、婚儀の前に済ませておいた方が良かろう。
婚儀が近付くにしたがい、殺生丸は、益々、雑事に忙殺されるようになっていた。
天空の城で待ち構えていた出迎えの者どもに、りんを託し、阿吽に騎乗しようとすれば・・・。
邪見の奴は、まだ、のびておるのか。フン、あれしきの事でだらしがない。
いつまで、のん気に気絶しているつもりだ。サッサと起きろ、この馬鹿者! 
主を前に、阿呆面をさらす従者に、鉄拳を、一発、喰らわせて目を覚まさせる。ボカッ!

「ウギャッ!」

けたたましい声を上げて跳び起きたかと思うと、慌ててキョロキョロと辺りを見回す邪見。こ奴は、昔からそうだが、相変わらず落ち着きがない。未(いま)だ、状況が飲み込めておらんのか。

「・・・やっと起きたか。」

「せっ、殺生丸様、もっ、もう、御母堂様の城に着いたのでございますか?」

やはり、気絶していた間の事は、何ひとつ記憶にないようだ。頓珍漢な邪見の返答を無視して用をいいつける。

「・・・今から出掛ける、供をせよ。」

 

「ハッ、ハハ~~~、この邪見、殺生丸様が行かれるのでしたら、どこへなりと御供致します。」

いつも通り、歯の浮くような台詞を吐く。
阿諛追従は、殺生丸が、最も、嫌悪する類の物であるが、邪見の場合、大抵が、本心から出ている。
だからかも知れない、殺生丸が、この矮小な小妖怪を従者にしたのは・・・。
いささか、喋り過ぎる傾向は、多分にあるが、その忠誠心は、他に類を見ないまでに篤い。
その点、かつて、殺生丸の父、闘牙王の従者を務めたノミ妖怪の冥加、現在は、異母弟の犬夜叉の家来とは大違いである。
危険な状況に陥った時には、サッサと主を見捨て己の保身をまず第一に図る冥加。
父親の従者ならば、当然、嫡男である殺生丸に仕えても可笑しくないはずだが、闘牙王の遺言もあって、今は犬夜叉に仕えている。
一切の妥協を許さない殺生丸のような気性の主では、冥加のように二心(ふたごころ)ある従者は、恐らく、一日たりとて勤まらなかったであろう。
イヤ、勤まるどころか、寧ろ、問答無用で、お手討ちの可能性の方が高い。
嫡男と従者の性格を知りぬいた上での闘牙王の配慮。
全く見事と云うほかない。
そして、如何なる巡りあわせによるものか、犬夜叉には冥加、殺生丸には邪見。この絶妙な主従の組み合わせ、正しく天の配剤と云うべきであろう。
再度、阿吽にまたがり、目的の地へと急ぐ殺生丸。
先程の音速に近い最高速度ではないが、それでも、通常に比べれば相当に速い。
邪見が、今度こそは、気絶するまいと涙目になりつつも、必死に阿吽の尻尾にしがみつく。
急がねばならぬ。これから目指す場所は、はるかに遠い。
阿吽の足をもってしても、少なくとも三日はかかるだろう。
今回、訪れる場所は、西国の東方に位置する広大な海の中に存在する。
妖界にある七つの海の中でも最大の領域を有する極海。
その極海を支配する和修吉(わしゅきつ)竜王を訪問するのが目的だ。

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