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第十七作目『これは、りんの虫、リンと鳴く――鈴虫』

 

盛夏が終わり日中は、まだまだ暑さが続いているが流石に朝晩は漸く涼しくなり始めた初秋の頃。

邪見が、りんの部屋にイソイソとやって来た。 
両手に何かを抱えているようだ。

「りん、お前が喜ぶだろうと思って、こんな物を持ってきてやったぞ」

徐(おもむろ)に取り出したのは、木で作られた籠(かご)、中に何やら入っているらしい。

「邪見さま、その中には何が入っているの?」

りんが、キョトンとして木の籠を見つめて訊ねる。


「ウムッ、これはな、鈴虫じゃ。 お前も知っておるじゃろう。 秋になると夜に鳴く虫」


「エッ、鈴虫って、あの、リーンリーンって鳴く虫の事!?」

りんは、珍しそうに木箱の中を
眺めた。 
今まで鈴虫の鳴き声を聞いた事は有っても、実際に、虫が鳴いている処を見た事は無い。

「そうじゃ、その鈴虫じゃ。まだ残暑が厳しいが、これを聞けば、もう秋が来ていると実感できるじゃろうが。」

今年の酷暑に夏バテした、りんを気遣っての邪見なりの心配りだった。
西国に連れてこられて彼是(かれこれ)数年が過ぎ、りんの背は殺生丸の腰の辺りに届くまでになっていた。 最初に出会った頃は、膝くらいまでの身長だった事を思えば、随分、成長した。

以前は、やっと肩に届く程度の長さだった髪は、今では腰に余るまで伸びている。
毎日、それは、丁寧に梳られ(くしけずられ)黒曜石のような艶が美しい。
少し癖がある柔らかな髪は、両脇で少し取って紅白の錦の組紐で結わえられている。 
旅をしていた頃は、日に焼けていた肌も御殿暮らしで色がすっかり抜け、白磁を思わせる透き通るような白さに変わった。 
元々、大きく澄み切っていた瞳は長い睫に縁取られ、一層、印象的になっている。 
小さな可愛らしい鼻,いつも微笑んでいる愛らしい薄紅色の唇。 
西国王、殺生丸が溺愛する小さな人間の童女は、それはそれは、愛らしい花のような姫に育ちつつあった。 
二百年もの間、好き勝手に放浪の旅を続けていた西国の跡取り息子、殺生丸が連れ帰った人間、しかも童女! 
西国の妖怪どもは、腰を抜かさんばかりに面喰った。
殺生丸の人間嫌いは、それこそ筋金入りで知られていたからだ。 
先代、闘牙王が人間の姫に心を寄せたが為に命を落としたせいか、殺生丸は、人間を忌み嫌っていた。
故あって人界を旅していた頃も刃向かう者は、人間、妖怪の区別無く、その爪に掛けていたと聞き及んでいる。

その殺生丸が、西国の新しい王が、人間を、それも幼女を連れ帰ったのだ。 
驚くな、と言う方が無理という物であろう。 
そんな周囲の思惑など一切、頓着せず、新しい主は、連れ帰った人間の
小娘を、それは大切に扱い育て始めたのだ。 
まるで、この世に唯一つの貴重な花を育てるように。
そして、更に驚いた事に、その人間の童女は、先代の御正室様、つまり、殺生丸の御生母様のお気に入りでもあったのだ。
妖怪世界でも最大の領土を誇る西国の王と王母、共に破格の妖力を有する実力者の二人に逆らえるような度胸の有る者は、現在の西国には存在しない。
もし、居たとすれば、その者は即座に命を落とす事を覚悟しなければならないだろう。 
尤も、りんを西国に連れ帰ったばかりの頃は、人間である、りんを厭い、密かに暗殺を謀ろうとした一派が、居る事は居た。
頭が固い古狸どもが、妖怪としては年若い殺生丸を侮り、西国の実権を握ろうと懐柔策に出たのだ。

手始めとして新しい主に似合いの年頃の姫を持つ領主達が、大挙して姫君達を伴い城を訪れてきた。

殺生丸の気を惹こうとしたのだ。 
しかし、美貌の主は、妍を競う姫君達を一顧だにせず傍らの
幼い人間の童女にだけ関心を見せるのみ。 
これを見た古狸どもは、事態を重く見て一計を案じた。

新しい西国王の妃の座を狙う姫を擁する領主に、りん暗殺を、持ち掛けたのだ。
しかし、その動きは未然に防がれ、その領主は蟄居を余儀なくされ、姫君は、西国の中でも最も辺境の地の領主に嫁がされる事となり事件は終わりを告げた。 
それでも、以前の殺生丸の事を知る者であれば、温情溢れる沙汰であった。
曾ての殺生丸であれば、一切、容赦する事なく、即、一族皆殺しが当然であったのだから。
その裁定に、当の狙われた本人、人間の童女の必死の働きかけがあった事も既に周知の事実である。 
この事件一つ取っても、如何に西国王が、この小さな童女を溺愛しているかが知れようと言う物。 
それ以来、りんに仇なす事は、即ち、西国王、殺生丸に刃向かうも同然と知れ渡り、今では、そのような愚かな行為に走ろうとする者は、一人も居なくなった。
そんな、りんも今年で十二を数える年齢になった。
未だに雛のように、あどけなくはあるが、りんの生まれ持った天性の麗質が花開き始めた様が見て取れる。 ゆっくりと蕾が膨らみ始めたとでも言えば良いのだろうか。
そんなりんを、主の殺生丸が、目を細めて見ている事が、近頃、良くある。
そうした主を見るにつけ、邪見は、変われば変わるものだと感じ入らずにはいられない。

西国王、殺生丸。かの大妖は、決して気が長い方だとは、お世辞にも言えない気性の御方である。

気の短い主のおかげで何度、お仕置きされた事であろうか。 
ある時は、石をぶつけられ、又、ある時は、蹴り飛ばされ、又々、ある時は、水責めの仕置きに遭い、はたまた、別な時には、ぶん殴られるは、踏ん付けられるは、とにかく、気が短い分、手が早いのである。 
そんな主が、りんに対してだけは怖ろしく気が長い。 
その分、トバッチリは、邪見の方に回って来ているのだが。

この夏は、異常な程に暑い日々が続いた。 
台風も例年より多く、その分、湿度が上がり、蒸し暑さに拍車が掛かった。 
そのせいで、いつもは元気なりんが遂に夏バテに倒れてしまったのである。

見兼ねた殺生丸が、涼しい高山にある別荘に、りんを避暑に連れ出したのである。
まだ気温が高くない早朝に出発して阿吽に乗って半日。 
平安時代に建てられた別荘は、雅な寝殿造りで、舟遊びが出来るように池が造られていた。 
高山にあるだけに気温も平地に比べ低い。
別荘に落ち着いてやっと一息いれた一行。 
邪見が鈴虫を持ってきたのは、そんな時だった。
りんは、一刻も早く、鈴虫の涼しげな鳴き声を聞いてみたくてワクワクしながら虫籠を覗き込んだ。
しかし、虫籠の中からは、鳴き声一つしない。 
首を傾げながら、邪見に聞いてみる。

「邪見さま、でも、この鈴虫、ちっとも鳴かないよ。どうしてなの?」

「それは、そうじゃ。 鈴虫は、夜、暗くならないと鳴き始めないものなのじゃ」

例によって、邪見が、得意の知識を披露しはじめた。 
邪見は、こう見えて博識に富んでおり
折りに触れては、りんに色々と説明してやる事が良くある。 
寡黙な主と違い、下僕の方は相当なお喋りである。 
尤も、その饒舌のおかげで主から折檻を喰らう事も良くあるのだが・・・。

「それにな、りん、知っておるか? 鈴虫も、そうじゃが大抵の虫は、雄は鳴くが、雌は鳴かないものなのじゃ」
 
それを聞いた、りんが驚いて訊ねた。

「どうして? どうして、雄だけが鳴いて雌は鳴かないの!?」

「それはな、交尾の為なんじゃ。 雄は雌の気を惹く為に、他の雄よりも美しい鳴き声を立てなければならん。 つまり、それだけ雄は大変なんじゃよ」

「フ~~~ン・・・でも、邪見さま、交尾って何?」

りんが、又、疑問に思った事を訊いて来た。

「交尾か? それはな・・・・」

好い気になって得々と説明しようとしていた邪見の目に映った
のは・・・・主、殺生丸の殺気に満ちた視線。
途端にサ
――――ッと顔から血の気が引いていく。 
元々は、緑の顔色が、更に青くなって青緑色とでも言えばいいのだろうか。
タラ~~~~滲む脂汗。

「どうやら逆上(のぼ)せたようだな、邪見。池で頭でも冷やして来い!」

言うが早いか下僕の襟首を掴まえて池の中に放り込んだ殺生丸。
ドッボ~~~ン! 
盛大な水飛沫(みずしぶき)が上がった。

「邪見さまっ! 大丈夫!?」

りんが、慌てて縁側に出て池を覗き込む。

「・・・・放っておけ、りん。 奴には、良い薬だ」

どうやら、邪見は、殺生丸の勘気に触れてしまったらしい。 
幸い、この別荘の池は、舟遊びの為に掘られた池で、それ程、深くもないし、食肉魚もいない。 
いつも放り込まれる城の池は、深い上に、食肉魚が放してあって、即座に助け出さないと命が無いほど危険な場所なのである。 
別荘に到着して早々の邪見の災難であった。
最近の殺生丸は、以前に比べて頻繁に苛立つようになっている。 
おかげで何かにつけ邪見に八つ当たりする回数も増えている。
特に、りんが、めっきり娘らしくなり始めた頃から、それが目立つようになってきた。 
とは言っても、りんは、まだ初潮も来ていない、お子様である。
つまり、殺生丸は、どんなに、りんに手が出したくても出せない状況にあるという訳である。

そのイライラが嵩じて、必然的に、邪見へと向かっている。 
まるで、以前、旅をしていた頃に毒ヘビにやられた琥珀が一行の中に迷い込んできた日々の再現のようではないか。

当時、邪見は、琥珀を親身になって看病する、りんのおかげで、それはそれは、エライ目に遭ったのである。 元々、独占欲の強い殺生丸である。 
当然、琥珀の存在が、面白くない事は火を見るよりも明らか。
しかし、りんの前で、それを悟らせる訳にはいかない。 
畢竟(ひっきょう)、矢面に立ったのが、気の毒な邪見だったのである。
邪見自身、琥珀と同様に毒ヘビに噛まれたのであったが、妖怪であるだけに琥珀よりは回復が早かった。
すっかり回復した快気祝いの御礼を主に申し上げた途端に、今までの最高記録を誇る飛距離を叩きだした凄まじい蹴りを頂戴したのである。
冗談抜きに、もう僅かでも蹴り飛ばす力が強かったら、間違いなく、夜空のお星様になっていたに違いない。
それからと言う物、りんが見ていない時を見計らっては、殴る、蹴る、石をぶつける、踏んづけると鬱憤(うっぷん)を晴らすために、やりたい放題であったのだ。
流石に、原因が琥珀に対する焼き餅と気付いた邪見が、殺生丸を諌めたが、却って、火に油を注ぐ結果となる有り様であった。
琥珀が、一行の許から離れるまで、邪見の受難の日々は続いたのだ。
その悪夢の日々が又しても。
大切に大切に育ててきた養い仔、りんの成長と共に、日々、大きくなっていく殺生丸の煩悶。

それと同時に激しくなる邪見への八つ当たり。 
最近の邪見は、何時、地雷を踏むかと冷や冷やしつつ過ごしているのであった。 
つい先程の件も、うっかり主の心情を逆撫でした結果と言って良いだろう。
まさか、殺生丸が、鈴虫の話を聞いているとは思いもしなかったのだから・・・。

「ハア~~怖かったぁ~~~睨み殺されるかと思ったわっ!」

ブルブルと頭を振って水を払う。

池から中島に上がり、自分の水干(すいかん)の水を絞りながら邪見が愚痴る。 

中島とは、池の中に作られた人工の島の事で、島同士は朱塗りの橋で結ばれている。 
貴族の館を模しただけあって何とも優雅な建築様式であった。 
平安時代に作られたとは言え、長年、使用される事なく結界に封じてこられたせいで、建物は少しも古びておらず、つい先頃、建てられた物かと思うほど、真新しい木の香までしている。
屋敷の裏手には小さいながらも滝まで流れて涼しさを満喫できる。

陽が落ちて辺りが暗くなってから池に船を浮かべ、平安時代の貴族のように舟遊びを始める。

勿論、船の舵を取るのは邪見の役目である。 
篝火(かがりび)を焚いて舳先(へさき)に吊るす。

今宵は満月で、中秋の名月とまではいかないが中々の風情である。 
邪見からもらった虫籠を手に
船に乗り込んだりんは、膝の上に、それを置いた。 
暫くして、庭の方から他の鈴虫が鳴き始めると呼応するように虫籠の中の鈴虫達も鳴き出した。
――――ン リ―――ン リ―――

「まるで、りんの事を呼んでるみたい。」


りんが、鈴虫の鳴き声を聴きながら嬉しそうに言った。

「リ――――ンって呼んでるから、これは、りんの虫だね。」


確かに言われてみればそうである。

無邪気に喜ぶ、りんの言葉を聞きながら、邪見は、胸の中で独り言つ(ひとりごつ)。

(り~~ん、お前の虫は、鈴虫なんかじゃないぞぉ~~! 目の前に居るその御方こそ、お前に取り付こうとしている最大の虫なんじゃぁ~~~!)

そんな下僕の胸の内を知ってか知らずか、主の殺生丸は、常と変わらず涼しげな風貌で、静かに池の水面(みなも)を眺めている。
明鏡止水、鏡のような水面に映し出される満月の明るさ。

昼間は、まだまだ茹だるような暑さが続いているが、流石に夜ともなれば涼しさが満ちてくる。

山の宵に秋の虫達の合奏が鳴り響き、確かに盛夏は過ぎ、もう、秋の風情が広がり始めている事を

教えてくれる。
―――ン リ―――ン スイッチョ! スイ―――ッチョ !リリ―――

(・・・りんの・・虫・・か・・・まるで・・・私の心を言い当てられたような物だな・・・・)

殺生丸は、己の心中を反芻するかのように、今も、りんを呼ぶように鳴き交わす鈴虫達の鳴き声を聴いていた。 
りんの匂いが、近頃、変わり始めてきた。 
幼さ故の乳臭さが、次第に抜け始め、
以前は、仄かに香る程度であった甘い柔らかな馨しさが、りんの成長と同時に、より鮮やかに香り出し、己の理性を打ち壊しに掛かる。 
目に映る、りんの愛らしさと、鋭敏な己の嗅覚を否応無く
擽る(くすぐる)りんに相応しい甘く馨しい匂い。 殺生丸の理性は、目に見える攻撃と目に見えない攻撃、二重の攻勢に曝(さらさ)されているも同然だった。 
戦国最強の大妖怪、唯我独尊、冷酷非情、と怖れられる妖怪世界でも最大の領土を誇る西国の王、殺生丸。
それ程の大妖が、今、
己の守護してきた小さな人間の養い仔に、どうしようもなく翻弄されつつあるのであった。                                    
                                            了 


2006.8/29(火)作成◆◆


《第十七作目「これは、りんの虫、リンと鳴く――鈴虫」についてのコメント》
鈴虫の鳴き声を聴いて、これは、ネタに使えると早速、書き出す内に、アレッと気付きました。

りんの虫って・・・・・・・・りんに付く虫と考えてみれば殺生丸の事じゃありませんか!

ウム~~~『虫』とは凄く意味深な言葉なのでありました。

今回の話は兄上の生殺し状態です。(*(^◇^)*)

あれだけ原作でファンの心をハラハラドキドキの生殺しにしてくれたんです。

兄上にも味わって頂かなくてはね。(笑(●^o^●)笑)

2006.8/30(水)★★★猫目石

 

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