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『桜騒動(その参 真贋【しんがん】)』


早咲きの寒緋桜の花見から、かれこれ半月が経とうとしている。
巷(ちまた)では緘口令にも拘わらず“御落胤”の噂(うわさ)で持ち切りだが、此処、西国城では誰も、その噂をしない。
しない、と云うよりも出来ないのだ。
地獄耳にも等しい能力を備えている西国城の主、殺生丸が今回の噂の原因を作った当の御本人様が鎮座ましましている居城なのだから。
国主だけではない。
“狗姫の御方”こと先代の国妃、殺生丸の御生母様も、あの事件発生から此処、西国城に腰を落ち着けておられる。
更に付け加えるなら殺生丸が西国に帰還したと同時に半ば隠居したような形だった重臣中の重臣が今回の騒動収拾の為に呼び寄せられ戻って来ているのだ。
先代、闘牙王の両懐刀とまで呼ばれ他国にまで、その令名を馳(は)せてきた“知の尾洲、武の万丈”の御両人である。
西国きっての実力者が四人も、この西国城に集結しているのである。
そんな方々が詰めていらっしゃるのだ。
どうしてヒソヒソ内緒話など出来ようか。
この“御落胤騒動”が勃発して以来、家中の者どもは、それこそ、薄氷を踏むような気持ちで日々の勤めをこなしている。
掛け値なしの実力者揃いに恐れをなしている点もあるが、何と云っても辛うじてギリギリの均衡を保っている西国王の精神を刺激したくないからである。
西国王、殺生丸は、その無類の気難しさで夙(つと)に有名な男である。
その殺生丸が、幼い人間の童女、りんを溺愛している事は広く内外に知れ渡っている。
その寵愛の深さ故に童女を男子禁制の奥御殿に住まわせ厳重な警備の許、更に、最高強度の結界を張って守護している程である。
しかし、今回の騒動には、その配慮が徒(あだ)となった。
奥御殿に隣接して建つ鴻臚館(こうろかん)に事件の大元になった母子が起居しているのである。
りんに逢いに奥御殿に行けば鴻臚館に居る母子に逢う可能性も高くなる。
何よりも他の者達に、やはり身に覚えがあったのかと勘繰られかねない。
そうした要らぬ詮索を避ける為、殺生丸は、あの花見の日から今日まで奥御殿に脚を向けていない。
当然、りんの顔を見ていない。
勿論、邪見や相模を通して、りんの様子については、逐一、報告を受けてはいるのだが・・・。
その動こうにも動けない状態が西国王の精神を酷く苛立たせているのは誰の目にも一目瞭然であった。
側近の者達は主の周囲に蒼白い鬼火のような妖気が漂っているのを目と肌の両方で察知できる程であった。りんに逢いたくても逢えない、その鬱屈した気持ちを振り払うかのように最近の殺生丸は頻繁に遠乗りに出るようになった。
連日、阿吽を駆って何処(いずこ)へともなくフイと居なくなってしまうのだ。
戻って来るのは、大抵、夜も更けてからだ。
政務に関しては唯でさえ有能な家臣が二人も戻って来ている。
老練な尾洲と万丈に任せておけば、万事、何の問題もない。
あの母君でさえ、流石に殺生丸の進退、谷(きわ)まった状態を思い遣っているのか、それとも面白がっているのか定かではないが、ともかく、煩(うるさ)い事を云わず放って置いてくれている。
一見、平穏を保ちつつ、その実、水面下では様々な工作が行われている、それが、昨今の西国城であった。
季節は、陽春に移ろうとしている。
もう朱山の寒緋桜は全て散り葉桜に変わっている事だろう。
代わりに世間一般で云う処の桜は薄紅色の蕾が膨らみだしている。
奥御殿にも何本か桜の木が植えられている。
桜が大好きなりんは西国に来て初めての春に見た桜を思い出し邪見を連れて庭に出た。


「桜、まだ咲かないね、邪見さま」


「そうだな、後、三日から五日は、かかりそうだな」


「・・・・この桜が咲いたら、殺生丸さま、逢いに来てくれるかな」


「ンムムッ・・・しっ、仕事がお忙しいのじゃ!」


(まさか、昔の女が隠し子を連れて名乗り出てきたせいで来られんとは云えんじゃろうが!!!)


「だって、相模さまが云ってたよ。近頃の殺生丸さまは阿吽に乗って遠乗りばかりされてお城に居ない事が多いって・・・」


「(アタァ~~~ッ!)・・・りん、今はな、どうしても来られない事情があるんじゃ」


「殺生丸さま、りんの事、嫌いになったのかな・・・」


「ばっ・・馬鹿者! そんな事がある訳が無かろうがっ!!」


(・・・殺生丸様は、本当は、今すぐにでも、お前に逢いに来たいんじゃっ! じゃが、そうすると奥御殿の隣の鴻臚館に居る、あの母子と顔を会わせる可能性が高い! そうなれば、やはり、昔馴染かと思われかねん! だから、来られないんじゃっ!と云いたい! 云いたいが・・・・まだ子供のりんに、そんな事を云う訳にはいかんではないかっ!)


「だって・・・前は、いつも、お顔を見せに来てくれたのに。りん、もう、殺生丸さまのお顔をずっと・・見てない。 おっ、お母さまは、来てくれるのに・・・」


りんの愛らしい顔が悲しそうに歪んだ。
澄んだ大きな瞳から堪えきれずにポロッと涙が零れた。


「アア~~ッ! これっ! 泣くでない! りん! お前を泣かせたなんて殺生丸様が知ったら後で儂がどんな折檻をされるか! 」


必死になって、りんを慰めようとするが尤もらしい理由を思い付けず苦慮する邪見であった。
その後方から不意に話し声が聞こえてきた。


「まあ、こんな処に下賤な人間の臭いが。おお、嫌だ、そう云えば殺生丸様が物好きにも人の仔を飼ってらっしゃると聞いたけど本当の事だったとは」


したたるような女の色気を振り撒き、あの花見で見た鮮やかな緋桜を思わせる驕慢な感じの美女が意地の悪そうな子供を連れて其処に居た。


「なっ・・何じゃとおぉ・・・」


余りな暴言に呆れて物も言えない邪見であった。


「母上、其奴(そやつ)ですか? 父上が気紛れで西国に連れ帰った人間の小娘とやらは」


「そうですよ、祖牙丸。でもね、その内、父上にお願いして目障りな者は排除しませんとね」


その時、冷ややかな威厳に満ちた声が母子を咎(とが)めた。
西国城の奥向き一切を差配する女官長にして殺生丸の乳母でもある相模である。


「控えなされ! 阿那殿に祖牙丸殿、 りん様は“狗姫の御方”様の正式なる養女にして西国王、殺生丸様が後見していらっしゃる姫君、滅多な事を申してはなりません」


思わぬ人物の出現に怯む“御落胤”の母子であった。


「クッ・・・」


「フン! 今に吠え面かかせてくれる! いずれ、この祖牙丸が西国の跡目を継ぐのだ! その暁には、お前ら皆、追放してくれるわ! その時になって後悔しても知らんぞ!」


捨て台詞と共に母子は鴻臚館に戻って行った。


「なっ・・・何と云う無礼な奴らじゃっ! りん、気にするでないぞっ!」


「でも・・・本当の事かも。邪見さまだって云ってたじゃない。殺生丸さまは気紛れだって」


「そっ・・それは・・・」


以前、りんと出逢って間もない頃、軽はずみに喋った事で揚げ足を取られ邪見はグッと返答に窮した。
そんな邪見を見兼ねたのか、相模が優しくりんを諭(さと)した。


「りん様、殺生丸様は何も仰いませんが他の誰よりも、りん様の事を大事になさってらっしゃるのですよ」


「相模さま・・・」


「今、暫く、ご辛抱下さいませ。必ずや、良いようになります故に」


りんの気持ちを落ち着かせてから邪見と一緒に奥御殿に戻した相模は、そのまま“狗姫の御方”の部屋に向かった。


「御方様、相模で御座います。入っても宜しゅう御座いますか」


「相模か、入れ」


「失礼致します」


部屋の中には“狗姫の御方”の他に尾洲と万丈の両名も居た。


「そろそろ、本性を現し始めたようにございます」


「フム、やはり、そうか。では、そろそろ仕上げといくかな。尾洲、万丈、手筈は良いか」


「ハッ! 後は、権佐の帰りを待つばかりでございます」


「・・・首尾は上々」


その晩、夜も更けてから帰城した殺生丸を御母堂様が待ち構えていた。


「殺生丸、明日、あの母子の詮議を致す。そなたも出席致せ。良いか、必ず出るのだぞ」


「・・・・」


一見、無表情のようでいながら幽鬼のような妖気がユラユラと殺生丸の周囲に立ち昇っている。
その妖気が如実に彼の焦燥を物語っていた。


「そのような顔を致すな。心配せずとも悪い様にはせぬ。明日は、りんも同席させる故、其方も久方振りにりんに逢えるぞ」


明けて西国城の大広間に家中一同が集められ今回の騒動の元になった母子の詮議が始まった。
西国城の大広間は千畳敷で無類の広さを誇るが、それでも入り切れなかった家臣達が廊下に溢れ出し、この詮議の行方を確かめんと遠巻きに見物する程であった。
千畳もの大広間の為、後方の家臣にも国主の顔を拝めるようにとの配慮から、奥の上座は一段と高い舞台形式で作られている。
その舞台の中央に西国王と生母である“狗姫の御方”が陣取り両者の真ん中にチョコンとりんが収まっている。殺生丸の左側の後方には邪見が控えている。
舞台の横には『帳台(ちょうだい)の間』と呼ばれる小さな個室があり側近の木賊(とくさ)と藍生(あいおい)は、其処に近侍している。
舞台のすぐ下の左右を尾洲と万丈が固め、以下、身分の順に従い左右に分かれて並んでいる。
部屋の中央に出来た空白部分に、回の“御落胤騒動”の発端となった母子が座している。
既に、この西国の跡継ぎに認定でもされたかのような尊大な態度が母子の物腰の端々に滲み出ている。


「一同、ご静粛に!」


この詮議を万丈と共に取り仕切る尾洲が、ざわつく大広間に向かって、一際、鋭い声を掛けた。
ピタリと私語が止まった。
いよいよ詮議が始まる。


「只今より、恐れ多くも、当、西国の国主、殺生丸様の御落胤を名乗り出た阿那・祖牙丸なる親子、両名の詮議を始める!」


「阿那と云う女、其の方、五十年前に現国主、殺生丸様と同衾(どうきん)致し祖牙丸なる一子を儲(もうけ)けたとの此度の訴え、相違ないか」


「相違ございません」


尾洲の鋭い問い掛けの声にも阿那は全く怯む事なく自信たっぷりに答えを返す。


「もし、その申し出が偽りであった時は、母子共々、極刑に処されるが、それでも相違ないと申す。」


「相違ございません! 祖牙丸は、殺生丸様の御子でございます!」


重ねて問う尾洲に対して太々(ふてぶて)しさを感じさせるような態度で躊躇する事なく言葉を返す阿那であった。


「再度、問う。真実、その子供は西国王、殺生丸様の『胤(たね)』か」


「誓って相違ございません! 何よりの証拠は、この祖牙丸の髪の色、目の色、更には額の月の徴、これこそ紛れもなく真実、殺生丸様の御子である証にございます!」


祖牙丸を初めて見る者も多い家中の者達は阿那と云う母親の申し立てた通りに子供の白銀の髪、金色の目、額の月の徴が全て、西国王、殺生丸と同じである事を認めた。


「しかし、西国王は其の方に全く見覚えが無いと申されておる」


「お忘れになっていらっしゃるのです! 口惜しき事なれど、当時、殺生丸様は数える事すら出来ない程の女人(にょにん)と同衾なさっていらっしゃいましたから」


見物の家臣達のアチコチから堪えきれない失笑が漏れてきた。
それどころか上座の中央で西国王の隣に座っておられる御母堂様までが豪快に笑い出される始末。
殺生丸の後方に控える邪見も堪らずブッと噴出したが、前方の主から漂う異様な気配にハッと気が付き、サァ――ッと血の気が引いていった。
殺生丸の背中に確かに“怒”の大文字が浮かんで見える邪見であった。
りんだけが、全く何の事か理解できずに周りを見回してキョトンとしていた。


「方々、ご静粛に!」


尾洲が哄笑に包まれた詮議の場に厳粛さを取り戻させようと厳しい諫止の言葉を掛けた。


「この場は西国の将来に拘わる重大な訴えを詮議する場に御座いますぞ!」


「ハハハッ! いや、済まぬ、尾洲。クックッ・・・続けてくれ、まさか、このような場で大笑いする羽目に陥ろうとは思いもせなんだでな。許せ、これ以後はもう笑ったり致さぬ故」


“狗姫の御方”が笑いを噛み殺しながら尾洲に応えられた。


「・・・・ご一同、只今、詮議しているのは西国の一大事である事をお忘れなきように」


今まで口を開かなかった万丈が殷々と腹に響く万雷のような声で大広間に詰めている家中の者一同に呼び掛けた。
場内が水を打ったようにシン・・と静まり返った。
咳(しわぶき)ひとつ聞こえない。
針を落としても、その音が聞こえてきそうな静寂が拡がった。
尾洲が息詰まるような緊張が高まる中、取調べを再開した。


「それでは詮議を続行致す。阿那とやら、訴えによると其の方は五十年前に殺生丸様と人界で出逢った訳だな」


「はい、その通りにございます」


「それは、可笑しい」


「何故でございます。私は人界で殺生丸様と確かに、お逢いしているのです!」


「その当時、阿那、お前は人界に行っていない筈だ。」


「何を証拠に、そのような嘘を申されますのか!」


「嘘ではない」


「では、証拠を見せて下さいませ!」


「よかろう、では、証人を此処に呼んで参ろう。 藍生! 木賊! あの者を此処へ」


尾洲の命に従い殺生丸の側近両名が舞台の横にある帳台の間から妖力封じの呪(しゅ)を施した縄で捕縛された或る人物(=妖)を引き出し舞台の下に引き据えた。


「阿那よ、この者に見覚えが無いと申すか?」


縄打たれた人物(=妖)を見るなり、阿那は、一瞬、ハッと顔色を変えたが瞬時に気を取り直し素知らぬ顔を決め込んだ。
その強(したた)かさは並の女の比ではない。


「知りませぬ! そのような男!」


「知らぬと申すか! この者は、嘗て、りん様を亡き者にしようと謀り、この西国城を妖猿族に襲わせる手引きをした大逆の謀反人、豺牙(さいが)の長男、雷牙、其の方の情夫であろう。 阿那、お前は、五十年前、豺牙の屋敷で奉公していた時、雷牙と理無(わりな)い仲になった。その時、出来た子供が、それ、其処に居る祖牙丸であろうが!」


「そのような男、見た事も聞いた事も御座いません!」


「俺を見捨てるのか! 阿那!」


舞台下に引き据えられた雷牙が髪を振り乱し大声で喚いた。
朱い縮れた髪、琥珀色の瞳、大柄な父親よりは幾分か小柄だが、それ以外は豺牙をそっくり小型にしたような感のある男である。


「フン! 大方、私達、親子を陥れようと誰ぞが、企んだに違いありません」


雷牙を見て阿那は憎々し気に言葉を吐き捨てる。
完全に腹を括ったらしい。


「飽く迄も知らぬと申すのだな、阿那!」


尾洲が何処までも白(しら)を切り通そうとする阿那に厳しく詰め寄った。


「くどう御座います! 祖牙丸は殺生丸様と私の間に出来た子。先にも申し上げたように動かぬ証拠が、それ、其処に! 祖牙丸の目の色、髪の色、それに額にある月の徴(しるし)、どれもが殺生丸様と瓜二つ、これ以上の証拠が他にございましょうか!」


それを聞いていた“狗姫の御方”が遂に口を開かれた。


「フウッ・・・往生際の悪い女だな。此処まで追い詰められながら、まだ諦めぬとは、大した執念じゃ。コレッ! 阿那とやら、好い加減、観念致せ」


「何を仰います! 祖牙丸は殺生丸様の御子、謂わば、“狗姫の御方”様、貴方様の孫に当たります! ご自分の孫を排斥なさいますのかっ!」


「聞かぬ女だな。仕方ない、このような事は、したくなかったのだがな」


スッと“狗姫の御方”が立ち上がり両手で印を組み呪(しゅ)を唱え出した。


「臨・兵・闘・者・階・陣・列・在・前! 破邪の呪、摧破(さいは)!」


裂帛の気合いと共に膨大な気が練り合わされて一気に放出される。
それが、そのまま、祖牙丸に向かって発せられた。
白熱した眩しい光が祖牙丸を覆い尽くす。


「ギャアァ―――――ッ!」


「祖牙丸―――――!」


雷に打たれたかのように祖牙丸は悲鳴を上げて倒れた。
シュウシュウとまだ白煙が漂う中、現われたのは、つい先程までの白銀の髪とは似ても似つかぬ朱い縮れた髪。
白目を剥いた眼の色は母親と同じ赤い瞳、額の月の徴の跡には焼け焦げた札が貼りついている。
阿那が悶絶した息子を抱き上げて泣き叫ぶ。
妖力を使って祖牙丸の本来の髪の色、目の色を変容させていたのだろう。
額の月の徴も、妖力を籠めた札を使って偽装していたのだろう。


「見たか、皆の者! 西国王、殺生丸様の“御落胤”とは真っ赤な偽り、この祖牙丸なる子供は、謀反人、豺牙(さいが)の長男、雷牙と、その侍女であった阿那との間に生まれた子供。自分達の子供を西国王の“御落胤”と偽り、我らを謀(たばか)ろうとした罪は重い。よって雷牙と阿那、祖牙丸の三名は見せしめの為、三日後、城下の広場にて極刑に処す! これにて詮議を終了致す!」


尾洲が大広間に詰めている家中の者達、全てに洩れなく伝わるように、三名の罪状と、その量刑を殊更に大きな声で告げて詮議は終了した。
雷牙と阿那、気絶している祖牙丸が城内の警護の者達に引き立てられ行く。
殺生丸と御母堂様、りんも邪見と連れ立って上座の舞台から帳台の間に入り大広間から退出した。
国主一行の姿が見えなくなるとザワザワと皆が騒ぎ出した。


「邪見さま、極刑って・・・どういう意味なの?」


小さな声で、りんが後ろの方に居る邪見に訊ねた。


「・・・死刑と云う意味じゃ」


邪見が周りを憚(はばか)って小さな声で答えてやる。


「えっ・・・殺されちゃうの!」


「まあな、何しろ、この西国の主、殺生丸様の御落胤と偽ったんじゃからな。あ奴らの目論見は、恐らく、あの子供を殺生丸様のお世継ぎに仕立て上げ、あわよくば、この西国を自分達の血筋で乗っ取ろうと企んだのじゃろう。天をも恐れぬ大胆不敵な所業じゃ。これ程、大それた事を企んだのじゃ。極刑も止むを得んだろうな」


「そっ・・そんな・・」


「それにな、りん、お前だって、あの祖牙丸とやらに云われた事を覚えているじゃろうが。 あの親子が、万が一にも、我々を上手く騙(だま)しおおせていたら、りん! 真っ先に、お前を追い出そうとした筈じゃ。 イヤ、追い出すくらいで済んでいれば、まだ良い。 あの雷牙の父親である豺牙は、お前を殺す為だけに妖猿族を使って西国城を襲撃させ同胞が殺されても何とも思わなかった悪逆非道の一族なんじゃ。 その息子である雷牙が、あの親子の後ろで糸を引いてたんじゃぞ。 間違いなく、お前を殺そうとしたじゃろう!」


「・・・・」


三日後、城下の広場で三人(=妖)の処刑が行われようとしていた。
殺生丸は、刑の執行を尾洲、万丈の両名と共に検分する為に、その場に赴いていた。
勿論、邪見に木賊や藍生も同行している。
雷牙、阿那、祖牙丸の三名は、もう互いに罵り合う気力も失せたのか憔悴した面持ちで処刑の場に引き立てられてきた。
西国城下に住む民衆の殆どが今回の御落胤騒動の原因となった罪人どもの顔を見ようと刑場に押しかけて来ている
。間も無く処刑の刻限になろうとしている。
刑を執行しようとした、その刹那、殺生丸は己が最も好む甘く優しい匂いが空の上から漂って来る事に気付いた。
霞たなびく空中から己の母が、りんを抱いて降りて来ようとしている。
その後ろには相模の他に松尾を始めとして“狗姫の御方”の天空の城からやって来た女官衆が随行している。


「・・・母上、何故、りんを、こんな場所に連れてきた?」


厳しい面持ちで殺生丸が母君に訊ねる。


「仕方なかろう。りんが、どうしても、と云うのでな」


「ご免なさい・・・殺生丸さま。でも、りん、どうしてもお願いしなくちゃって思って」


「・・・何をだ」


憮然として殺生丸が、りんに、そのお願いとやらを訊く。


「あの人達を・・・殺さないであげて欲しいの、殺生丸さま」


「・・・本気か、りん」


「うん、本気だよ」


「あの者どもは、以前にも、お前を殺そうとした男の身内なのだぞ。 況してや、今回は、この私の御落胤などと偽って西国を混乱させ下手すれば世継ぎに成りすましこの国を乗っ取ろうとした大罪人なのだぞ。 それだけではない! お前を追放して下手すれば殺そうと企んでいたのだぞ!」


「うん、知ってる」


「それでも・・・殺すなと云うのか、りん?」


「うん、悪い人達だけど、殺すのだけは、やめてあげて」


「・・・りん」

「殺生丸さま、りんは本当なら死んでる筈だよね。でも、生きてる。一度目は殺生丸さまに助けられて二度目は、おっ、お母さまに助けてもらって。だから・・・この人達も殺さないで助けてあげて欲しいの」


「・・・・」


西国王の眉間に深い皺が刻まれた。
殺生丸は今回の御落胤騒動のせいで、りんに逢う事さえままならなくなった怨みを忘れた訳ではなかった。
その怨み辛みの感情の全てを罪人どもを処刑する事で解消しようとしていた。
断罪されて当然の奴らだった。
だが、その大罪人を何度殺しても飽き足らないような奴らを、りんは「殺すな」と云う。
殺されそうになったのは、追放されそうになったかも知れないのは、りん、お前なのに・・・。 
何故、許せる! 
何故、それ程までに、寛大になれるのだ! 
私は、お前を害そうとする者はその身を八つ裂きにしても、まだ足りぬ気持ちになるのに・・・。
グッと握り締めた隻腕の右手に爪が喰い込む。
承服しかねる! されど・・・・・。


「・・・尾洲、万丈、流刑に使えそうな遠島は、在るか?」


「ハッ! それならば妖力を封じる結界を島中に張り巡らした呪封島が西国の端、乾(いぬい=北西)の方角にございます。四方を全て海に覆われた絶海の孤島と聞き及んでおります」


「・・・完全に妖力を封じる結界の島にて。脱出は、まず不可能で御座ろう」


「・・・この者どもの処刑は中止する。死刑を減じて流罪に処す。呪封島に流せ!」


苦虫を噛み潰したような顔の殺生丸が側に控えていた尾洲と万丈に命じた。


「御意!」


「・・・畏(かしこ)まって候」


罪人の処刑を見物しようと鵜の目、鷹の目で集まっていた野次馬どもに尾洲、万丈の両人が処刑の中止を告知して広場から立ち去るように促している。
民衆が、三々五々、散って行く。


「ありがとう、殺生丸さま」


「りん・・・礼ならば此処ではなく城で申せ。それに言葉よりも態度で示すが良かろう」


「態度って・・・どうすれば、いいの? 殺生丸さま」


「・・・それは、城に戻ってから教えてやる」


「?????」


「フフッ、どうやら、これで一件落着のようだな。それでは、そろそろ、お暇(いとま)するとしようか。りん、殺生丸、達者でな!」


今回の御落胤騒動の終結を見届けた御母堂様が、ご自分の天空の居城へ戻る事を告げられた。


「帰っちゃうの、おっ、お母さま」


「随分、城を空けておったでの、そんな顔を致すな、りん。近い内に、又、来よう。相模、りんを頼むぞ」


「はい、お任せ下さい、御方様。りん様の事は、この相模が責任を持って御世話致します」


「尾洲、万丈、今回の騒動では権佐や、そち達の尽力のお蔭で、さしたる混乱もなく事を収める事が出来た。礼を申すぞ」


「何を仰いますか、御方様。我らは家臣として当然の事をしたまで。礼には及びませぬ」


「・・・何時なりと、お呼び下され」


「殺生丸、此度の騒動で、両名の有難味が身に沁みたであろう。まだまだ木賊や藍生では役不足なのだ。尾洲と万丈に後進の者どもをビシバシ鍛えてもらえ」


「・・・・・」


「御方様、そろそろ、御出発なさらないと、城に辿り着く前に日が暮れてしまいます」


筆頭女房の松尾が“狗姫の御方”に出立を促した。


「ウムッ! ではな、りん、殺生丸、暫しの別れじゃ、皆の者、さらばじゃ!」


斯くして御母堂様は迎えに来た女官衆と一緒に空中を飛んで帰って行かれた。
西国城下の桜は、この処、陽気に恵まれたせいもあって一気に蕾が膨らみ花が咲き始めていた。
刑場となった広場の桜の大木も蕾が綻び柔らかな薄紅色の彩りが周囲の景色に、一層、春らしい華やかな風情を醸し出している。
今回の御落胤騒動は寒緋桜の花見に端を発し桜の開花と共に終息した。
それを以って、以後、“桜騒動”と後の世に語り継がれる事になった。
  
               
(『桜騒動【後日談】』に続く)


(『桜騒動』についてのコメント★★★)

当初、桜を題材にして書こうと思った時は緋桜に封じられた妖怪を登場させようかと思ってました。
しかし、そのパターンは他のサイト様が既に使われたりして新鮮味も無いし有りがちな設定になってしまいます。
とにかく日本人にとって『桜』ほど人騒がせな花は有りません。
「人騒がせ」という言葉から殺生丸の隠し子が出現したら、どんな騒ぎになるだろうか???と思い付いた事から、この『桜騒動』は誕生しました。
桜に合わせて執筆していたので、かなり厳しいスケジュールで自分を追い込みながら書き上げました。何とか桜が完全に散り終えるまでに仕上げられてホッとしてます。
次は、この『桜騒動』の後日談を書こうと思っています。
桜と共に、この作品を楽しんで頂けたら幸いです。

2007.4/13(金) ◆◆◆猫目石

拍手[8回]

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第三十作目『桜騒動(その弐 御落胤【ごらくいん】)』

 
  ヒソヒソ・・・ヒソヒソ・・・近頃の西国では、寄ると触ると誰もが声を潜(ひそ)めて内緒話を始める。
先月の花見の宴の席に突然、訴え出た親子の話題である。
何でも子供の方は、この西国の最高権力者、殺生丸の“落とし胤(だね)”つまり『御落胤(ごらくいん)』だと母親が名乗り出たそうなのだ。
花見の宴の後に急遽、出された緘口令(かんこうれい)など何の効果も無い。
  これまで禄(ろく)に浮いた噂(うわさ)一つ無かった堅物と評判の西国の国主、殺生丸に突如、降って湧いた『隠し子』の噂(うわさ)。
この手の話は人であれ妖怪であれ庶民の最も好む処である。
人々(=妖)は、皆、この目新しい噂に大喜びで飛び付きコッソリと面白可笑しく話し合う。
“悪事、千里を走る”とも云う。
それこそ燎原に火が付いたようにアッと云う間に西国中に西国王、殺生丸の『御落胤(ごらくいん)』の話は広まりつつあった。
西国王と御母堂様のご一行が花見から戻ってきた。
出掛けた当初の華やいだ雰囲気など何処にも無い。
特に殺生丸はムッツリと押し黙り眉間には深く皺が刻み込まれている。
りんや邪見、誰もが口を噤(つぐ)み重苦しいような雰囲気に包まれている。
そんな中、“狗姫(いぬき)の御方”御母堂様が信頼厚き盟友でもある西国城の女官長、相模を呼び付けた。


「相模!相模は居らぬか!」

 
「ハイ! 御方様、此処に控えております」

 
留守を預かっていた相模が、菫(すみれ)色の内掛けの裾を乱し、急いで飛び出してきた。

 
「オオッ! 相模、相すまぬが、こちらの客人達を部屋に案内してくれ」

 
  そう云い付けつつ、一行から何処と無く遠巻きにされている母子を差し招く。
母親の方は女っぽさが前面に出た感じが婀娜(あだ)な雰囲気の中々になまめかしい美女である。
しかし、この西国城には美人や麗人が数多(あまた)ひしめいている。
大して珍しくもない。
それよりも相模の目を惹いたのは子供の方であった。
何と!この西国城の主、殺生丸と同じ白銀の髪に金の瞳、額には同じ様に月の徴(しるし)までもが! 
相模は思わず御母堂様を“狗姫(いぬき)の御方”を見遣った。
母君も微(かす)かに頷き、その無言の問い掛けに答えた。
僅(わず)かに逡巡した後、相模は、母子を奥御殿の隣に位置する鴻臚館(こうろかん)に案内するよう部下の女官に申し付けた。
鴻臚館(こうろかん)とは外国(とつくに)の賓客(ひんきゃく)が西国を訪問する際に使用される格式の高い宿泊施設である。
それは、即ち、母子を“国賓級”の客人と認めた処遇であった。
女官に連れられ立ち去る母子を見送った後、“狗姫の御方”は、殺生丸の傍らに控えている年若い側近の両名に火急の用を下命(かめい)した。

 
「木賊(とくさ)、藍生(あいおい)、其方(そなた)達の父御(ててご)を呼び出せ。要件は、こうじゃ。『疾(と)く駆け付けよ! 先の国妃、狗姫(いぬき)が直々に申し付ける! 西国の将来に拘わる由々しき事態ぞ。のんびり隠居などしておる場合では無い!』とな」

 
「ハハッ!」「御意(ぎょい)のままに!」

 
“狗姫の御方”の内意に従い、その場を足早に立ち去る木賊(とくさ)と藍生(あいおい)。

 
「・・・あ奴らを呼び出すのか、母上」

 
「殺生丸、此度(こたび)の事は、この西国を揺るがしかねぬ大事だ。一朝、事ある場合に備え、あの者どもに国の内外に睨(にら)みを利かしてもらわねばならぬ。あ奴らの影響力は、未だ、些(いささ)かも衰えてはおらぬ筈だからな」

 
「・・・・」

 
  今回の騒動の大本とも言うべき過去の行状を先程から反芻(はんすう)しては、あの女の記憶を探っているが、どうしても思い出せない殺生丸であった。
如何に他者に対して関心の薄い殺生丸と云えど、過去、己と関係した女の顔の大半は覚えている自信があった。
しかし、何度、思い返してみても、あの阿那(あだ)という女に見覚えは無い。
それに、あの祖牙丸と云う子供・・己と同じ白銀の髪、金の瞳、額には駄目押しのように月の徴(しるし)まである。
解(げ)せぬ!
思考を巡らす内に早くも、あ奴らが母の呼び出しに応じ駆け付けて来たらしい。
騒々しい足音が、廊下に響いて来た。
ドカドカッ・・タタタッ・・・ドカッ・・タッ・・・タタタッ・・・・ドドッ・・・タタタッ・・・・・ドドドッ・・・・ドカッ・・・タタッ・・・


 「お召しにより駆け付けてまいりました」


「・・・・参上」


中肉中背の方が尾洲(びしゅう)、大兵(だいひょう)の方が万丈(ばんじょう)。
共に“闘牙王の二本柱”として世に名高い名臣中の名臣である。
“知の尾洲(びしゅう)、武の万丈(ばんじょう)”と並び称せられ、その名は他国にまで鳴り響く。
金茶の髪に青い目の尾洲が藍生(あいおい)の父、漆黒の髪に深い琥珀色の目が万丈、木賊(とくさ)の父である。


「来たか、待っておったぞ。尾洲、万丈、壮健そうで何よりだ」


「・・・フン」

 
「御方様に御館様も、お変わりなく。尾洲、只今、参上仕(つかまつ)りました」

 
「・・・お久しゅう、万丈に候(そうろう)」

 
尾洲は“知”を売り物にしているだけに舌が滑らかだが、万丈の方は、若干、口が重い。


「挨拶は、これ位にしておこう。仔細(しさい)は、其(そ)の方(ほう)達の息子から聞いておろうな」

 
「ハッ! 何でも“御落胤(ごらくいん)”が現われたそうで・・・」

 
  そっぽを向く殺生丸。
この両人(=妖)は彼の幼い頃からの守役であった。

 
「・・・して、その真偽は」

 
「それを、これから探索致そうと思ってな。権佐(ごんざ)、其処(そこ)に居(お)るか!」

 
「ハハッ! 御前(ごぜん)に」

 
  何時の間にか庭先に、この広大な西国城の全ての庭を管理・統括する“お庭番”の頭領、権佐が控えていた。
顔は犬、身体は人型の権佐は斑(まだら)のぶち犬である。
茶色に黄色、黒に白と様々な色が混ざり込んだ毛色をしている。
一見、穏やかな風貌に見えるが妖忍としての腕前は妖怪世界でも三本の指に数えられる凄腕である。

 
「あの、阿那(あだ)とやらの女の身元を洗い出せ。祖牙丸(そがまる)なる子供についても同様だ。生国(しょうごく)、生い立ち、誰に仕えてきたのか、その経歴の一切を細大漏らさず調べ上げるのだ。此度(こたび)の事は、この西国の行く末に拘わる一大事じゃ。どのように些細な事であろうとも取りこぼしは、断じて、ならぬ。西国のお庭番の総力を結集して探索致せ」

 
「ハッ! 確(しか)と」

 
“狗姫(いぬき)の御方”の命を受け、権佐は一陣の風のように姿を掻き消した。

 
「さて・・・とりあえず、どうするかな。尾洲、万丈、策があれば申せ」

 
「まずは緘口令(かんこうれい)を出されませ、御方様」

 
「そのような物を出した処で、噂(うわさ)を止める事は出来ぬだろう、尾洲」

 
「噂は噂でも、おおっぴらにするのと隠れてするのとでは、かなり様子が違ってきましょう。それに緘口令(かんこうれい)を出さなければ“御落胤(ごらくいん)”の存在を認めた事になりかねません」

 
「フム・・・それも、そうだな。木賊(とくさ)、藍生(あいおい)、早急(さっきゅう)に緘口令(かんこうれい)公布の手配を致せ!」

 
「ハッ!」「畏(かしこ)まりました!」

 
年若い側近達が矢継ぎ早に出される指示を実行すべく御前を辞して行くのを見送る殺生丸に嘗(かつ)ての守役であった尾洲が、早速、質問を始めた。

 
「して、若君、あいや、お館様。此度(こたび)の騒動について、お心当たりの事を全て、この尾洲めにお聞かせ願えませんか?」

 
「・・・あの女に、見覚えは無い」

 
  すかさず、御母堂様が此処(ここ)ぞとばかりに邪見から仕入れた知識と花見の席で聞いた事を纏(まと)め合わせて先代の腹心の部下達に話して聞かせる。

 
「先程、権佐に云ったように母親の名前は阿那(あだ)と云うそうだ。見るからに女の色気を全開にしたような色っぽい女でな。その阿那(あだ)とやらが殺生丸の『胤(たね)』と主張している子供の方は祖牙丸(そがまる)。何でも殺生丸が五十年程前に『女狂い』していた頃に関係していたそうな。」

 
「五十年前とは、これは、又、随分、昔の話ですな」

 
  御母堂様と尾洲の会話に万丈も口を挟んできた。
尾洲が、どちらかと云えば滑らかな高音に対し万丈の声は殷々(いんいん)と腹に響くような低音である。

 
「・・・してみると子供は、赤子では御座いませんな」

 
「ああ、見た処、人の仔ならば五・六歳と云った処だな。容貌は殺生丸に余り似ておるとは云い難い。しかし、問題は子供の髪の色に目の色だ。我らと同じ白銀の髪に金の瞳、ご丁寧にも、額には月の徴(しるし)まである」

 
「フム・・・厄介ですな」

 
「まあな、尾洲、万丈、其方(そなた)達も知っておるように、この西国において、この白銀の髪、金の瞳を有するのは妾(わらわ)と殺生丸のみ。額の月の徴(しるし)についても同様じだ」

 
「さしあたっては権佐(ごんざ)の報告を待つしかありませんな」

 
「それで・・・その母子は、今、何処に? 御方様」

 
「相模が気を利かせてくれてな、鴻臚館(こうろかん)に留めておる。あそこならば外部から容易に接触出来まいからな。それに“りん”の住む奥御殿に隣接しておるから結界の強度も最高級だ」

 
「流石は、相模殿。それは“上々の首尾”に御座いました」

 
「・・・適切至極(てきせつしごく)なる処置」

 
「本物の“御落胤(ごらくいん)”ならば、殺生丸様が、西国に御帰還遊ばした時に、即座に名乗りを上げた筈。・・・・何故、この時期に名乗り出て来たのか? 」

 
「・・・密謀(みつぼう)の臭い」

 
「お主(ぬし)達も、そう思うか、尾洲、万丈」

 
「はい、裏で誰ぞが糸を引いているような気が致します。」

 
   先程から殺生丸を完全に無視して老人どもが勝手に話を進めている。
所謂(いわゆる)“蚊帳(かや)の外”と云う奴である。
この状況にスッカリ嫌気が注(さ)して、その場を立ち去ろうとした殺生丸に御母堂様が釘を刺した。

 
「何処へ行くのだ? 殺生丸」

 
「・・・・・」

 
「りんの処へ行く積りならば、やめておけ。・・・というよりも、暫く奥御殿には近付くな」

 
「・・・何故だ!?!」

 
「奥御殿と鴻臚館(こうろかん)は、隣接して建てられておるからな。其方(そなた)が奥御殿に出向けば、りんに逢う為と云うよりも、あの母子に逢う為に出向いたと取られかねんぞ」

 
  殺生丸の眉間の皺が、一層、深くなった。
袂(たもと)に隠された隻腕も怒りで握り締められているのだろう。
ギリギリッと牙を喰い縛る音がハッキリと聞こえる程に響いた。
憤懣やる方無いと云った処だろう。
己が身から出た錆(さび)とは云え全く見に覚えの無い女から訴え出られ、そのせいで、りんに逢う事さえ、ままならなくなったのだ。
踵(きびす)を返した殺生丸は奥御殿とは反対の方向にある中庭に脚を向けた。
中庭には阿吽の厩舎(きゅうしゃ)がある。
厩番(うまやばん)に命じて阿吽に轡(くつわ)と鞍(くら)を付けさせ、そのまま西国城を後にした。
  辺りが急に暗くなってきた。
つい先程までの晴天が俄(にわ)かに掻き曇り風が強くなり始めた。
行く先を定めずに阿吽を駆けさせる内に雨も降り出した。
雷まで鳴り出している。
春の嵐の到来だろう。
急に雨脚が強くなった。
叩き付けるような勢いで降り出した。
強い横殴りの風が濡れて重みを増した殺生丸の髪を吹き上げる。
常ならば同行している者達を気遣い何処ぞで難を避けるが今の殺生丸の気分には似合いの天候だった。雨に濡れるのも厭(いと)わず、大荒れの嵐の中、双頭竜に乗って駆ける殺生丸の姿こそ嵐その物を体現しているかのようであった。

 
                         (その参)に続く
 
 
 

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第三十作目『桜騒動(その壱 寒緋桜)』


広大な西国城の懐深く位置する奥御殿、その庭の更に奥まった場所にポツンと一本だけ咲く桜の木がある。桜と云っても、世間一般に馴染みの深い淡い薄紅色の花では無い。緋桜(ひざくら)である。
その花の色は濃い桃色で寧(むし)ろ紅(くれない)に近い。
この桜の正式名称は“寒緋桜”桜の中で最も早く咲きだす事から“寒”の字が付いている。
午後の仕事に一区切りを付けた女官長の相模が邪見を誘って縁側に座り、見るともなしに、その桜に目を遣り呟(つぶ)いた。

 
「緋桜を見ると、思い出しますね、邪見殿。」


「あの・・・桜騒動ですかな、相模殿。」


「はい、もう二年前の事になるのですね。」

 
“桜騒動”、それは寒緋桜の花見に端を発し西国全体を揺るがす大騒動に発展した事件だった。
りんが殺生丸に連れられ西国に来てから二度目の春に、それは起こった。
梅を追いかけるように咲き出す寒緋桜を見に行こうと“狗姫(いぬき)の御方”が、りんを誘い出したのが事の始まりだった。
昨年の男子禁制の上巳(じょうし)の節句の宴以来、何かにつけて、りんを連れ出しては一緒に遊ぼうとする御母堂様。
童女を溺愛する西国王、殺生丸にとって、それが面白かろう筈がない。
従って御母堂様が何事か思いつかれる度に殺生丸も同行する羽目になる。
花見遊山(はなみゆさん)の話も当然の如く殺生丸の耳に入り、りんを独占させまいと政務の日程を強引に調整させ行動を共にする事となった。
“花見”と云えば宴会が付き物である。
結果的に今回の花見も、又、御母堂様ご一行と西国城の主だった家中の者を巻き込んでの一大行事と相成った。
西国城から巽(たつみ)の方角(=南東)、距離にして半時(約一時間)ほどの場所に寒緋桜に覆われた小高い山が有る。
桜の季節になると、全山が朱に染まる事から“朱山(しゅざん)”と呼ばれている。
一面、朱に覆われた山を阿吽の背から見下ろして、りんが感嘆の声を発する。

 
「凄いっ! 殺生丸さま! りん、こんなに赤い桜を初めて見たよ!」

 
「・・・緋桜(ひざくら)と呼ばれる由縁だな。」

 
山の中腹の比較的、平らな場所に緋毛氈(ひもうせん)を敷き詰め宴が始まろうとした時に、その事件は起こった。
座の中央を占める殺生丸と御母堂様を目指して幼い子供を連れた母親が、ある事を訴えようとして無理矢理、割り込んできたのである。
世に言う“桜騒動”の始まりであった。
母親の名前は、阿那(あだ)、鈍色(にびいろ)の髪に朱の瞳、なまめかしく艶っぽい容貌が、嘗て葬り去った奈落の分身、神楽を何処と無く思い起こさせる女妖である。
子供の名は祖牙丸(そがまる)、見かけは人間の子供に換算すれば五・六歳くらいだろうか。
しかし、問題は子供の容貌だった。
白銀の髪、金の瞳、額にある月の徴、そう、西国王、殺生丸と同じ髪の色に目の色。
阿那(あだ)という母親の訴えも、その事実に起因していた。
犬妖族の国、西国において最も高貴な血筋を顕(あらわ)す白銀の髪、金の瞳を有するのは西国王、殺生丸と生母である母君のみ。
話は五十年前に遡(さかのぼ)る。
当時、殺生丸は猫妖怪である豹猫一族と大昔の遺恨から戦う仕儀となった。
亡き父、闘牙王に関わる因縁から半妖とは言え息子である犬夜叉も戦に携わる事を期待されたが、生憎、巫女に封印され参戦する事は叶わなかった。
戦は辛(かろ)うじて勝利したものの、肝心の豹猫一族を取り逃がし味方にも多大な損害を出す結果で終わった。
その戦いの場において殺生丸が強く感じた思いは父から譲られた“癒しの刀”天生牙への拭(ぬぐ)い去り難い不満と、もう一振りの“力の刀”鉄砕牙に対する渇望。
その思いが殺生丸を荒(すさ)ませた。
己が身に渦巻く激しい鬱屈した思いをぶつけようにも、父は既に世を去って久しく、己以外に父の血を受け継いだ唯一の存在である半妖の異母弟は巫女に封印された。
荒れる心のままに殺生丸は数多(あまた)の女妖の誘いを拒まなかった。
絶世の美姫と美男の両親の間に生まれた殺生丸である。
その震い付きたくなるような美貌に黙っていても女達が列を成して相手をしたがる。
絶大な妖力は、そのまま生命力に直結する。
一晩に五人(=妖)もの女を相手にした事さえあった。
暫く、そんな誰彼構わず相手にする時期が続いた。
しかし一度でも閨(ねや)を共にした女は誰もが例外なく殺生丸の愛人気取りを始める。
そして他の女達と諍(いさか)いを起こす。
その余りの煩(わず)わしさに嫌気がさした殺生丸は素人女とはキッパリ縁を切り、それ以後は口の堅い商売女から慎重に相手を選ぶようになった。
阿那(あだ)という母親の訴えは、丁度、殺生丸が女どもと遊び回っていた時期に符合(ふごう)する。
しかし、殺生丸はその女に全く見覚えが無かった。
当然、その訴えに取り合おうとはせず無視しようとしたが母君である“狗姫(いぬき)の御方”に止められた。

 
「待て、殺生丸。此処は一旦、西国城に戻って、あの女、阿那(あだ)とやらの身元を洗い出すのだ。あの幼子(おさなご)が、真(まこと)そなたの子供であるか、どうかをな。『五十年前』と言えば、其方(そなた)が“来る者拒(こば)まず”で手当り次第に女子(おなご)どもと関係していた頃ではないか。それに、朴念仁(ぼくねんじん)な上に唐変木(とうへんぼく)な其方(そなた)の事だ。どうせ、相手をした女達の顔も禄(ろく)に覚えてはおらんだろう。詮議は、それからだ」

 
「何故・・・五十年前の時の事を知っている? 母上」

 
訝(いぶか)しげに己の母を見据える殺生丸に御母堂様が事も無げに言葉を返す。

 
「何、上巳(じょうし)の節句の宴の際に色々と耳寄りな話を聞かせて貰ったのでな」

 
  チラッと殺生丸の傍らに控える小妖怪を見遣って、ほくそ笑む御母堂様であった。
ゾゾ~ッと邪見の背筋に悪寒が走った。
今宵は折檻の嵐が吹き荒れるだろう。
唯でさえ、顔色が良いとはお世辞にも言えない緑の顔色が、血の気を失って益々、悪くなりつつあった。
ガタガタと身体が勝手に震え出し冷や汗がドドッと流れ始めていた。
主の凍り付くような眼差しが、突き刺さるように痛い。
  その場に居合わせた者達は、皆、突然この降って沸いたような“御落胤(ごらくいん)”の話に驚愕し騒然となった。
最早、花見どころの騒ぎではない。
斯(か)くして花見の宴は始まる前に中止を余儀なくされた。
一行は、訴え出た母子を同行させ西国城への帰還を急ぐ事になった。
  一行が立ち去った後も寒緋桜は誰に見せるともなく、その鮮やかな緋色の花弁を誇らしげに風に揺らしハラハラと散り落としていった。
その様子は、まるで血の涙が風に舞うように錯覚させる。
これから西国に降り懸かる大騒動を予感させるかのように。
西国は憶測の渦中に巻きこまれつつあった。
事態を重く見た西国の重臣達により即座に緘口令(かんこうれい)が敷かれたが人(=妖)の口に戸は立てられぬ。
噂(うわさ)が更なる噂を呼ぶ。
“流言飛語”この言葉の示す状況が、そのまま西国全体に伝播(でんぱ)しつつあった。
果たして阿那(あだ)と云う女は五十年前に殺生丸と関係を持っていたのだろうか? 
そして、祖牙丸なる子供は、本当に殺生丸の子供なのだろうか?                             

                                                                                                                                       
                                                                                                                                (その弐に続く)
 

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