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第二十八作目『雛(ひな)騒動(その参)無礼講』 

西国城の奥御殿で、この二百年絶えて久しい上巳(じょうし)の節句の宴が、開かれる事になった。
旧暦(太陰暦、即ち月の満ち欠けを基準として作られた暦の為、時として太陽暦とは一月以上のズレが生じる。今年は四月十九日が旧暦の三月三日に相当する)の三月三日に催される男子禁制の女子(おなご)の祭りである。
主催者は妖怪世界でも最大領土を誇る西国の当代の国王の生母、前西国王妃の『狗姫(いぬき)の御方』である。
絶世の美貌と共に男顔負けの豪気な気性で世に名高い当代国主の母君は、その容姿と性格そのままに慎ましさなど爪の垢程も持ち合わせていらっしゃらない。
総じて豪華で派手派手しい事が大好きな御方なのである。
それ故、此度(こたび)の宴についても一月も前から下準備が始められ、総責任者の相模は、今も入念な検分に追われている。
各地から取り寄せた宴のご馳走用の大量の食材に、これまた蔵から持ち出された大量の食器類、更に、酒豪の“狗姫の御方”の為に持ち込まれた大量の酒類。
極上の火酒から清酒、蜜酒、果実酒、練酒、濁り酒、白酒、甘酒、ありとあらゆる種類の酒類が樽ごと宴の会場に運ばれ今や遅しと封を切られるのを待っている。
雛人形が飾られた“りんの部屋”を中心に奥御殿の庭全体を紅白の幕で覆うように囲い、地面には赤い毛氈(もうせん)を敷き詰め、西国城で働く下働きから奥勤めの者まで女子(おなご)という女子(おなご)全てが参加できるように、配慮されている。
明日は、いよいよ三月三日、“狗姫の御方”が御自分の城から宴の為に、この西国城に御出座(おでま)しになる。
何一つ、粗相(そそう)の無いように致さねば、と相模は、総責任者の立場から気を引き締めて、あらゆる事に目を光らせて明日の宴に備えている。
しかし、相模が、どれほど水も洩らさぬ構えで事に臨もうと不測の事態が起きる時は起きる。
寧ろ、予想外の事態に如何に対処するかで責任者の有能さが測れると言っても過言ではない。
況(ま)して今回の上巳(じょうし)の節句の宴は、二百年振りに開かれる女子(おなご)による女子(おなご)の為の女子(おなご)だけの祭りであり、最初から身分や地位の上下に拘らない“無礼講“との御達(おたっ)しが出されている。
何も起きないと楽観視する方が間抜けと言う物であろう。
この宴が催されると聞いた城内の女子(おなご)達は、数日前からソワソワと落ち着き無く何処か上っ調子(うわっちょうし)な有様が目に付く。
それに対して男どもはと云えば今回の宴に関してだけは完全に蚊帳の外に置かれ、ほったらかしにされている。
基本的に大抵の男には大なり小なり我が儘(わがまま)な傾向がある。
そうした男どもの中でも、この西国城の主、殺生丸は、特に、その傾向が強い。
いや、強いどころでは無い。
並外れていると言っても良い。
更に独占欲についても以下同文である。
同じく嫉妬心についても完全に以下同文。
元々、心の広さなど禄(ろく)に持ち合わせていない殺生丸である。
当然、今回の母君の独断で決められた上巳の節句の宴が面白かろう筈が無い。
特に、りんが殺生丸の事をそっちのけにして宴の準備にかまけているのだから尚更であった。
いつもならば、常に最優先で殺生丸の意向を気にする、あの、りんが、である。
日に日に殺生丸の御機嫌は悪化の一途を辿り、宴を明日に控えた今、最高潮に達しかけている。
不満はブスブスと燻(くすぶ)り今にも爆発しそうな程に膨れ上がっている。
側近達は、皆、腫れ物に触(さわ)るように処して主の怒りを煽らぬように気を遣っているのだが、如何せん、邪見だけは、その失言癖から、諸(もろ)に標的にされている。
誰もが主の前では一言も宴について触(ふ)れないように貝の如く堅く口を閉ざしていると云うのに、邪見は、いつもの迂闊(うかつ)さから、ついポロッと宴の様子について洩らしてしまったのである。
火に油を注ぐとは当(まさ)にこの事だろうか。
怒り心頭の殺生丸が書き物をしていた筆を握り潰した。
ついでに螺鈿(らでん)細工の書き物机まで破壊してくれた。
(螺鈿細工とは、貝殻の光沢のある美しい部分を薄く切り取り、器物にはめ込んで装飾とする物で大変に美しい細工物なのである。)
国宝級とまではいかないが、かなりの値打ち物である。いや・・・あった。
上巳の節句の宴が近付くに従い、殺生丸の周辺では、そうした損害が後を絶たず木賊(とくさ)や藍生(あいおい)が、その被害額の大きさに溜め息を吐かない日は無い。
そんなこんなのアレやコレやで、ここ数日の殺生丸のご機嫌の悪さと来たら大型台風も顔負けの荒れ様で、お側に仕える者達が堪りかねて悲鳴を上げる程の険悪さなのである。
誰も彼もが超低気圧の主の御機嫌に振り回されて目を回すという惨状を呈している。
特に邪見などは主の八つ当たりのせいで四六時中、折檻され生傷が絶えない悲惨な状況となっている。
このままで、殺される!と半ば本気で邪見が我が身の心配をする程である。
失言した罰に殴られるわ、踏ん付けられるわ、仕事が面白くないと硯(すずり)は投げ付けられるわ、庭のお池に蹴り飛ばされて危うくお魚の餌になりかかるわ、イヤハヤ、もう散々な目に遭っているのだ。
殺生丸様に御仕えする事、百うん十年の邪見の下僕生活においても、これほどキツイお仕置きが連続したのは今回が初めてであった。
つまり、主の御機嫌の悪さも此処に極まれり!という訳で・・・。
とにかく上巳の節句の宴が一刻も早く終わらん事には、儂(わし)・・・生きた心地がせん! 
今!この瞬間にも荒れ狂う暴風雨のような御機嫌の主が心の臓が止まりそうな程、怖ろしい目付きで儂(わし)を睨んでおられるではないか! 
ヒイィィィィ・・・せっ・・殺生丸様っ・・・こっ、これ以上のお仕置きは、何卒(なにとぞ)ごっ、ご勘弁を・・・。
冗談抜きで、儂(わし)・・・死にそうじゃわい・・・。
(青息吐息、虫の息の邪見)

明けて旧暦(太陰暦)の三月三日、上巳の節句の当日、空は青く澄み雲ひとつ無く晴れ渡った。
楽しげな小鳥達の囀(さえず)りが、アチコチから聞こえる。
お雛様に相応しく桃の花が艶やかに咲き誇り、幕を張り巡らし急拵(きゅうごしら)えの宴会場に仕立てた奥御殿の庭に一方ならぬ興趣(きょうしゅ)を添える。
前日まで天気の心配をしていた総責任者の相模はホッと胸を撫で下ろした。
庭を宴の会場にしている関係上、何が何でも晴れてもらわねばならなかったからだ。
ここ二・三日の天候の様子から見て、まず雨の降る気配は無いと思ってはいたが、念の為、風神に頼み込み、雨雲を遥か彼方へ吹き飛ばしておいてもらったのだ。
謝礼は、勿論、極上の酒樽十本である。
りんと相模を筆頭に西国城内の女子(おなご)達が並んで待ち受ける中、空から賑々(にぎにぎ)しく御母堂様が女官衆を引き連れて御来駕(ごらいが)遊ばした。
豪奢な宝尽くしの紋様の内掛けをお召しになっておられる。
勿論、冥道石が胸元を飾っている。
お付きの女官連中も、それぞれ思い思いに意匠を凝らした内掛けを纏い華やかさを振り撒いている。
お出迎えする西国城内の女子(おなご)連中も負けてはいない。
皆、今日の宴の為に晴れ着を新調して思いっきりお洒落してめかし込んでいる。
その煌(きら)びやかな様子といったら、あらゆる花が一斉に咲き誇る“百花繚乱”の形容が最も相応しいだろう。
“狗姫の御方”の養女になり、事実上、西国城内の女子(おなご)達の中でも筆頭の地位にある、りんは、この日の為に拵(こしら)えた桃の花と貝桶、御所車をあしらった紋様の内掛けを羽織っている。
上巳の節句に因んだ紋様である。
西国女官長の相模の内掛けは季節を表す流水に桜吹雪の紋様で、落ち着いた藍の色合いが、りんの愛らしさを引き立てて好一対(こういっつい)を成している。
いつもは右側だけ髪を一房結わえる髪型が“御侠(おきゃん)”な雰囲気のりんであるが、今日は相模の勧めで両耳の脇で一房ずつ紅白の錦の組紐で黒髪を結び流している。
それだけで深窓の姫君らしい雅(みやび)な印象が醸し出されるのだから不思議な物である。
組紐の先には、小さな金の鈴が付けられ、りんが身動きする度にチリンチリンと可愛らしく鳴り響く。
何処から、どう眺めても愛らしい事この上なしの姫君である。
御母堂様をお出迎えした一同は、そのまま、宴の会場である奥御殿の庭に移動した。
御母堂様の挨拶と乾杯の音頭を皮切りに、此処に華々しく女子(おなご)の為の宴の幕が切って落とされた。

宴に付き物の歌舞音曲(かぶおんぎょく)が奥御殿から流れて来る。
聞こうとしなくても楽しげな響きが勝手に耳に飛び込んでくる。
西国城の主の本性は犬の大妖怪である。
その為、耳の性能の良さは“超一級品”の折り紙付きである。
嗅覚ときたら、尚一層、凄い。
遥か彼方の出来事さえも匂いだけで難無く嗅ぎ当てる事が出来る。
その為、今も、別段、意識しなくても宴に浮かれ騒ぐ女子(おなご)どもの様子が手に取るように判る。
しかし、余りにも多くの女子(おなご)どもが入り乱れている為に、りんの匂いが特定しずらい。
それだけではない、大量の酒の匂いと料理の匂いが混ざり合っている上に、更に、女子(おなご)どもの化粧の噎(む)せ返るような脂粉の匂いまでもが入り混じり、りんの淡い優しい匂いを掻き消してしまう。
普段なら目を瞑っていても掴める、りんの動向が、今日は数多(あまた)の匂いに邪魔されて全くと言って良いほど掴みきれない。
時折、りんの匂いを嗅いだかと思うとフッと途切れる、その繰り返しである。
能面のように無表情な顔の下で殺生丸の意識は、ひたすら、りんの匂いを捉えようとしたが、摑まえたかと思うとスルッと擦り抜けられて、どうしても捉えきれない。
あれは、今・・・・何をしているのか。
次第に苛立ちが募り仕事をする手までもが勢い止まり気味になってしまう。
むしゃくしゃする気分のままに視線を周囲に彷徨(さまよ)わせれば邪見が、ビクッと身を竦(すく)ませる。
その態度が余計に癇に障る。
そんなに怯えるのならば、わざわざ、側に控えずとも良い物を。
今は貴様の顔など見たくもない。
その辛気臭い面を何処ぞへ・・・何処ぞ・・・何処・・ぞ・・フン!
そうだな・・あそこへやって様子を探らせるか。


「・・・邪見。」


「ハッ・・ハイィッ!・・せっ、殺生丸様! なっ、何でございましょうかっ!」


「・・・行って来い。」


「ハァッ!? 行って来いと仰っても・・・どちらへ。」


「・・・見て・・来い。」


「見て・・来い? 何処で・・何を見て来るので? 」


「・・宴・・」


「アァッ! ハハァッ! あっ、あの女子(おなご)どもの宴で御座いますか。しっ、しかし・・あれは、御母堂さまの命により・・男子禁制と聞き及んでおりますが・・・。」


「・・・つべこべ抜かす暇があったら、とっとと行け!」


ピシッと額に青筋が立つのが己にさえ感じ取れる。
余程、怖れを成したのか、従僕は、慌てに慌てて、倒(こ)けつ転(まろ)びつ我(わ)が指示に従うべくアタフタと退出していった。

さざめく宴の中心に座を占めておられるのは、勿論、先代西国王妃の“狗姫の御方”その横には養女の“りん”。
その周囲を松尾や相模のような“側近中の側近”とも言うべき女官衆が固めている。
無礼講とは云え、其処はそれ、やはり、ある程度の秩序が保たれている。
開け放たれた部屋に飾られた見事な雛人形を酒の肴に眺めつつ、母君がりんに徐(おもむろ)に訊ねた。


「りん、最初に贈った内裏雛の片割れ、男雛(おびな)の方は、紛失したそうだな」


「ごっ、ご免なさい・・・おっ、お母さま」


りんが、その時の事を思い出したのか、申し訳なさそうに、みるみる目を潤ませる。


「ああ、良い、良い、そなたを責めているのではない。今は、代わりの男雛が、あるのだから。唯、どうやって、あれが失われたのか・・・ちと、興味が、あってな」


「それについては、御方様、私が、りん様の代わりにお話させて頂きます。丁度、その時、私も、その場に居合わせておりましたので」


相模が、涙ぐむ、りんの代わりに当時の状況を、逐一、詳細に説明する。


「フム・・・成る程な。それにしても、あ奴め、随分、姑息な手を使いおったな。大方、りんに嫌われぬように智恵を絞ったのであろうが」


りんに聞こえぬように母君がボソッと呟く。
傍らの松尾が小さな溜め息をソッと吐いた。
相模も、松尾の様子から一脈、相通ずる物を感じたのか、同情するような眼差しを送る。
何事か騒ぎが起きたらしい。
騒々しく女子(おなご)連中が、誰かを引き立ててきた。


「マアッ! 邪見殿では御座いませんか。 皆も、どうしたのです」


「相模様、今日は女子(おなご)の祭りにて男は誰であろうと御法度(ごはっと)の筈。その男子禁制の“女の宴”を大胆不敵にも覗こうとした輩(やから)を捕まえただけで御座います。」


邪見を摑まえた女子(おなご)どもの内、年嵩(としかさ)の者が皆を代表して答える。


「確かに・・・。御方様のご意向で、その様に通達しましたが・・・」


相模が困り果てて邪見の処遇をどうしようかと考えあぐねていると“男子禁制”を決めた当の御本人である御母堂様から助け舟が出された。


「男ならばな。男でなければ良いのじゃ。相模、りんの普段着用の小袖があろう。それを持ってまいれ。ついでに鬘(かつら)と化粧道具もな」


「まさか? ・・・御方様。」


「その、まさかじゃ。この宴に参加する以上、男の格好はならぬ。女装してもらうぞ、小妖怪。皆の者も手伝ってやれ」


「エエッ! こっ、この儂(わし)が、ですか!?!」


「エ~~~ッ! 邪見さま、女の人の格好するの? 面白そうだねぇ。りんにも見せてね」

「ばっ、馬鹿者っ! 阿呆な事を喜ぶでないっ!」


御母堂様の鶴の一言に女子(おなご)連中も面白い余興だと手を打って賛成し、一人(=妖)憤慨する邪見を尻目に大はしゃぎで支度にかかった。
人頭杖を振りかざして何とか女装させられるのを阻止しようとした邪見であるが、多勢に無勢、あっと言う間に取り押さえられ手際良く、身包(みぐる)み剥(は)がされ着替えさせられてしまった。
斯(か)くして、何とも珍妙な女装姿の邪見が出来上がった。
りんの小袖を着せられ烏帽子(えぼし)の代わりに鬘(かつら)を被せられ、緑色の肌の上にはタップリと白粉(おしろい)が塗られた。
鳥の嘴(くちばし)のような口元には赤々とした紅まで差されているではないか。
その道化染みた姿を見た御母堂様を始めとする女子(おなご)衆一同は、皆、一斉にドッと吹き出し、やんや、やんやの大喝采。
宴は弥(いや)が上にも最高の盛り上がりを見せた。
女子(おなご)連中の良い見世物にされた邪見は、最初の内こそ白粉(おしろい)を塗りたくられた顔を赤くしたり青くしたりと忙しかったが、もう自棄糞(やけくそ)になったのか、勧められた酒を片っ端からグビグビと飲み干し始めた。
それどころか、酔っ払った勢いでフラフラと女装姿のまま踊りだし始めたのである。
それを見て、又、女どもが調子に乗って囃(はや)し立てる。
普段は、男達の手前、中々、羽目を外す事の出来ない女達も、今日ばかりは此処ぞとばかりに好きなだけ酒を飲み且つ喰らい歌い踊る。
さしずめ、どんちゃん騒ぎの女版と云った処か。
流石に男どものように諸肌脱(もろはだぬ)ぎになったり裸踊りをする者こそ出ないが、それ以外は“無礼講”の名に恥じぬ破茶滅茶(はちゃめちゃ)な騒ぎっぷりである。
春の饗宴ならぬ狂宴とでも云うべきだろうか。
りん自身は、以前、御母堂様の天空の城を訪問した際、酒に極端に弱い事が判明しているので酒精分が殆ど無い甘酒を美味しそうに啜(すす)っていた。
だが、ありとあらゆる酒類が此処には樽(たる)ごと持ち込まれている。
甘酒と白酒、どちらも甘味が強く見た目もトロリと白い。
それを思い合わせると此の二つの酒を取り違えた者を責めるのは、ちと酷だろう。
甘酒と違い、白酒は、弱いながらも酒精分を含んだ立派な酒である。
その酒精分の強さは果実酒に相当する。
甘い物が大好きなりんが甘酒のお代わりを貰ったのは当然と云えば当然。
りんの小さ目の朱塗りの盃に注がれた白い液体が甘酒でないと誰が看破(かんぱ)できただろう。
そう、正月に御母堂様の城で邪見に酒を引っかけられて酔い潰れた時のように、又しても、りんは酒に酔っぱらう羽目になったのである。
今回の酒は前回と違い酒精分が、かなり低い為、意識を失うとまではいかなかったが、ほろ酔い程度には酔っている。
白桃のような、りんの白い頬にはポッと赤味が差し大きな黒目がちの瞳は潤み、眠そうに瞼(まぶた)が半分下がっている。
トロンとした眼差しには、とても童女とは思えぬような危ない色香が・・・。
同じ様に邪見も酔っ払っているが此方の酔い方は完全に悪酔いの部類に入る。
日頃の溜りに溜まった鬱憤(うっぷん)を晴らそうとするのか、女装姿のまま聞き苦しいだみ声で高歌放吟(こうかほうぎん)、踊るわ、歌いまくるわ、やりたい放題、したい放題である。
後で殺生丸が、この事を知ったら、到底、只で済むとは思えない。


「マアッ! りん様! 酔っておられるのですか! 確か甘酒を召し上がってらっしゃった・・筈では」


相模が、りんの只ならぬ様子に気が付き、慌てて盃を取り上げ、匂いを嗅いでみれば、何と!


「これは・・・白酒。まあまあ、どうしましょう。御方様、りん様が、白酒に酔ってしまわれました。如何(いかが) 
 致しましょう?」


「りん、気分は、どうだ?」


「おっ・・お母さ・・ま、りん・・平気だよぉ~~何だか・・・少~~しフラフ・・ラして・・・熱いけど・・気持ち良いねぇ~~」


「そうか、それを、“ほろ酔い”と言うのだ。だが、りん、酒は、もう、それ位にしておけ。相模、何処か静かな部屋に床を用意してやってくれ。休ませた方が良いだろう」


「はい、承知しました。さあ、りん様、参りましょう」


「ふぁ~~~い、相模・さ・・まぁ~~」


りんの世話を相模に任せると母君は女装姿のまま酔っ払っている邪見に声をかけた。


「これっ、何と言ったかな、其処(そこ)な・・小妖怪。」


「じゃっ・・・ヒック・・邪見・・・でございましゅぅ・・ウイック・・ヒック・・」


「ウムッ、そうであったな、では、邪見。此方に来て妾(わらわ)と一緒にゆっくり酒でも飲みながら話をせぬか。そちには色々と訊きたい事があってな。」


「ウイッ・・ク・・何・・でございましゅるぅ・・ヒッ・・ヒック・・ウイッ・・・ク・・」


「何、別段、大した事ではない。殺生丸が、りんを拾った経緯(いきさつ)やら何やら、先の元旦に聞き漏らした事をじっくりと聞かせてもらおうと思ってな。」


御母堂様がニンマリと人(=妖)の悪い笑みを艶麗な美貌に浮かべ、酔っ払って半ば正気を失っている邪見に話の水を向けた。
元々、お喋りな性分の邪見である。
その上、酒で理性の箍(たが)が殆ど緩んでしまっている。
斯(か)くして、邪見は、御母堂様に聞かれるままに自分の知る限りの事を良い事も悪い事も含めて何もかも、洗い浚(ざら)い喋ってしまったのである。 
後日、この事が、殺生丸にばれて新たな折檻のネタになるが、それは、又、別の話である。

執務室には依然として尋常ではない妖気が大荒れの主から大量に放出されて御付きの者達の神経をビリビリと刺激していた。
その異様なまでの妖気が、急にパタッと収束した。
主の鋭敏な嗅覚には、若干、劣るものの木賊(とくさ)や藍生(あいおい)も犬妖である。
廊下にパタパタと可愛らしい足音が響く前に、その原因が知れた。
気難しく扱いづらい西国王の御機嫌を、僅か一瞬で変える事の出来る奇跡の匂いの持ち主が現れたのだ。
つい先程まで、あれほど険悪だった妖気が見る見る穏やかな物へと変化していく。
主が溺愛する幼い人間の養い仔、今では主の母君の養女になられた“りん様”が、此方に向かっているのだ。(やれ、助かった・・・)
御付きの誰もが心の中でそう思い安堵の溜め息を吐いたに違いない。
気のせいか、無表情な主の顔までもが心なし穏やかな物に変化したように見える。
待つほども無く廊下に子供と大人の足音が聞こえて来た。
気を利かせて木賊(とくさ)と藍生(あいおい)が左右に障子を開けたと同時に、りんと相模がやって来た。
いつもは、お転婆な印象の強いりんが今日は妙に大人びて見える。
晴れ着を着て髪型を変えているせいか・・。
それだけではない、この、妖しい目付きは何とした事だ。
目元も頬も、うっすらと赤味を帯びて童女とは思えないような色香を漂わせている。


「殺・・生丸・さ・・まぁ~~~」


りんが両手を広げて嬉しそうに殺生丸の胸元に抱き付いてきた。
フワリと酒気が漂う。


「りん・・・?」

訝(いぶか)しげに腕の中の童女を覗き込んでみれば、殺生丸の長い白銀の髪を鷲掴みにしてコロコロと笑い転げている。
側に控えている相模に、何があった、と視線を遣れば申し訳なさそうに事の次第を説明し出した。


「申し訳御座いません。最初は、甘酒を飲んでいらっしゃったのですが、途中から係りの者が間違って白酒を盃にお注ぎしてしまったようで・・・。御方様の御云いつけで、すぐさま横になって頂こうとしたのですが、りん様が、どうしても殺生丸様に逢いたいと仰って・・・」


腕の中のりんは、たわいない事を口走りながら相変わらず上機嫌である。
酒気を帯びているせいか体温が少々、高い。
その為か、りんの甘い柔らかな匂いが、いつもより一際、鮮やかに香る。


「・・良い。私が寝かし付ける。木賊(とくさ)、藍生(あいおい)、隣の部屋に床の用意を」


「ハッ!」「只今!」


手際良く隣室に床の用意をすると相模と側近達は主の邪魔をせぬように静かに退出していった。
奥御殿の宴の喧騒も、この執務室には、ごく微かにしか聞こえてこない。
昼下がりの穏やかな陽光が障子を通して柔らかく部屋の中に差し込んでいる。
腕の中でモゾモゾ動いていたりんが何時の間にかスヤスヤと寝息を立てている。
ごく僅かに開いた口元は眠りながらも微笑んでいるかのように安らかで微かに上気した白い頬に長い睫毛が、影を落とし何とも愛らしい。
旅をしていた頃に比べ、りんの髪が伸びた。
女官達に、毎日、丁寧に梳(くしけず)られ手入れされた黒髪は艶を増し今では、肩を覆う程に。
以前は肩に付くか付かないかの長さしか無かった。
手に取ればサラリと流れる黒髪は、僅かに癖を残すが細く柔らかい。
何時か、お前の髪が腰を覆う程に丈なす時が来たら・・その時こそは。
今、お前の部屋に飾られた男雛と女雛のように並び立つ日が来るだろう。
大妖は幼い想い人の成長をジッと待ち焦がれる。
近い将来の在るべき日のりんの姿を、垣間(かいま)見せたかのような先程の一瞬。
その艶やかな残像を思い浮かべながら、殺生丸はソッとりんの頬に口付けた。
時、恰(あたか)も芳春、花盛りの頃、りん、八歳の雛祭りであった。 
                          
                                                         了
2007.3月9日(金)作成  ◆◆猫目石

《第二十八作目『雛騒動』につてのコメント》
初めての連作物で特に最後の(その参)には手こずりました。
ドンドン長くなる一方で、結果的に(その壱)と(その弐)を合わせたよりも長くなりました。
少しずつ段階的に殺生丸とりんの関係も深みを増していきます。
徐々に徐々に物語を盛り上げていきたいと考えています。
一気にラブラブモードに持っていかせたい考えの方には物足りないかもしれません。
しかし、これが、私の殺りんの書き方です。
焦らずユックリと、その過程を追っていきつつ楽しみたいと考えております。
ご訪問、有り難う御座いました。心より感謝致します。


2007年3月10日(金) ★★猫目石

拍手[9回]

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第二十八作目『雛騒動(その弐)内裏雛』

 
雛人形は、宮中の殿上人(てんじょうびと)の貴族の装束を模している。
“内裏雛”とは、本来、男雛(おびな)と女雛(めびな)の一対を指している。
男雛は天皇を、女雛は皇后を表す。
随人の人形は、随身、右大臣と左大臣であり、同時に衛士(えじ)でもある。
仕丁(しちょう)は、従者を、官女は、巫女(三人官女)を表す。
五人囃子(ごにんばやし)は、お囃子を奏でる楽人を表し、それぞれ「太鼓」「大皮」「小鼓」「笛」「謡」である。
三人官女以下の、その他大勢の随身、従者人形を「供揃い」と言う。
 
遥か上空を往く艶やかな一行がある。
集団の先頭を駆けるのは絶世の美貌を誇る先の西国王妃にして当代の王の生母、『狗姫(いぬき)の御方』、後に従うのは、彼女に仕える女官連中である。
早春の風を物ともせずに二つ結びにした白銀の髪を靡(なび)かせ思うままに空を往く姿は、さながら一幅の名画を思わせる程に優雅にして艶麗な風情。
もし、この場に絵師が居たら感激の余り泣いて喜んだ事であろう。
天女も、かくやと思わせるような麗容、しかし、彼の女(ひと)は人に非ず。
その本性は、犬の大妖怪。
一度(ひとたび)変化すれば小山ほどもの大きさの白銀の犬に成り代わる。
額を飾る月の紋様、頬に流れる一筋の妖線、その全てが絶大な妖力の証。
一行が目指すのは天空に構えられた王母の城、息子である西国王を訪問した帰路の途上にある。

 
「御方様、宜しいので御座いますか?」

 
一行の中でも最年長の古参女房が、ついと女主人に近寄り、声を掛けた。


「何がだ、松尾。」

 
松尾と呼ばれた女官は、西国王、殺生丸の側近、木賊(とくさ)の祖母に当たる。
木賊(とくさ)は、母方の祖母である松尾から銀灰色(ぎんかいしょく)の髪と緑色の瞳を受け継いでいる。
沈毅(ちんき)な性格も、そっくりそのまま祖母譲りである。

 
「あの内裏雛で御座います。当初、御方様が人形師の夢有斎(むうさい)殿に出された注文とは明らかに違っております。このままにしておいて良いので御座いますか?」

 
「フフッ・・・やはり気付いたか、流石に目敏いな、松尾。何、ちと、殺生丸を突付いてやろうと思ってな。後から別な注文を夢有斎(むうさい)に出しておいたのよ。」

 
「本(ほん)に御方様も人(=妖)が悪い。きっと、若様が、今頃、カッカしておられますよ。」


「それが、狙いよ。ごくごく幼い頃から、あれは、禄に感情を表に出さん可愛気のない子供だった。こいつは、本当に、あの闘牙と妾(わらわ)の子供だろうか?と思うた程にな。そんな殺生丸が、二百年振りに我が城を尋ねてきたのが天生牙に関しての事だ。父親のせいで極度の人間嫌いであった筈の殺生丸が、二匹も人の仔を連れてな。その内の片割れが、あの、りんじゃ。そなたも覚えておろう。もう一匹は・・・ン~~それ、何と言ったかな?・・退治屋の格好をした年少の男の子(おのこ)、確か、宝石の名だったと思うのだが・・・。」

 
「・・・琥珀とか申すのでは。」

 
「そう、そう、それよ、琥珀! あ奴の様子から、一体、これは、どういう事か?と推測しようにも、どうにもこうにも訳が判らず首を捻ったものよ。りんについては、冥道の拡大の過程で殺生丸の感情の所在も掴めたのだが、あの・・琥珀については、どうも従者のような物らしいと見当が付いたものの、何となく、その存在自体、渋々と認めているような感があってな。それで今回、あのような事で試してみたのだ。どうも、琥珀は殺生丸の恋敵のように思えてな。」

 
「・・・藪(やぶ)を突付いて蛇を出すような真似(まね)をなさいますな。」

 
「クスクスッ・・・心配致すな、松尾。あの朴念仁には、あれ位せんと堪えん。さて、我が愛しき息子殿は如何なる反応をしてくれようか? 楽しみな事よのう、そうではないか?」

 
「御方様・・・・」

 
松尾は呆れたようにホウッと溜め息交じりの息を一つ吐いた。

 
  処は変わって、此方は、西国城の奥御殿である。
いつもなら、幼子の笑いさざめく声が庭の其処彼処(そこかしこ)に響いている筈が昨日からピタリと静まり返っている。
聞こえて来るのは小鳥の囀(さえず)りと池の魚が、時折、パシャリと飛び跳ねる音のみ。
愛用の鞠(まり)さえもポツンと庭に置き去りにされている。
りんの部屋は、奥御殿の中でも特に日当たりの良い庭に面した位置にある。
障子の開け放たれた部屋の中央には、御母堂様から贈られた美々しい雛人形が麗々しく飾られ弥(いや)が上にも華やかな雰囲気を醸し出している。
昨日以来、りんは、暇さえ有れば、その雛人形の前に座り飽きもせずにウットリと眺めているのであった。

 
  シュッ・・シュッ・・ペタッ・・ぺタペタッ・・シュッ・・シュッ・・ペタペタッ・・
廊下に響く衣擦れの音に重なる平坦な足音が、りんの部屋の前で止まった。
相模の手には、お茶とお菓子が用意された膳が載っている。
丁度、“おやつ”の時間になったらしい。

 
「まあ、りん様、又、雛人形をご覧になっていらっしゃったのですか」

 
「まぁ~~ったく! よくも飽きんもんじゃのう。昨日から矯(た)めつ眇(すが)めつ人形ばっかり眺めて。何が、そんなに楽しいんじゃ」

 
「相模さまに邪見さま! だぁって、りん、こんなに綺麗なお人形を見た事なかったんだもん。それに、おっ、お母さまが、りんのお人形だって下さったんだもん。嬉しくて嬉しくて、何遍、見てても飽きないよ」

 
「フン・・・まあ、確かに見栄えのする人形ではあるな。流石は、御母堂様の御見立てだけの事はある。これほどの物は、西国広しと言えども、まず、有るまい」

 
「本当に見事な細工で御座いますね。何でも、高名な人形師の夢有斎(むうさい)殿に特注なさったとか。何でも、夢有斎(むうさい)殿という人形師は、怖ろしく気難しく自分が気に入らない客の注文は、決して受けないと聞き及んでおります。きっと、御方様に口説き落とされたので御座いましょう」

 
「相模さま、その夢有斎さんって人(=妖)、そんなに気難しいの?」

 
「はい、以前、大金持ちの妖怪商人(ようかいあきんど)が千金を積んでも首を縦に振らなかったそうです。
それでも夢有斎殿の創る人形は、まるで生きているかのように素晴らしく注文は国内、国外を問わず引きも切らないそうで御座います」

 
「フムッ・・・夢有斎の評判は、儂(わし)も聞いた事が有る。特に、注文した者の人相を映して創った人形は、まるで当人を目の当たりにするかのように生き写しだそうな」

 
「そう言えば、この内裏雛、特に女雛(めびな)は、りん様に“そっくり”で御座いますね。多分、御方様が水鏡を使って夢有斎殿にりん様の容姿をお見せになったので御座いましょう」

 
「えっ! そうなの? 」

 
「とすると、この男雛(おびな)は、一体、誰なんじゃ? 殺生丸様とは似ても似つかんぞ!」

 
可愛らしい女雛(めびな)と対になっている男雛(おびな)は、まるで少年のような顔立ちで、髪の色も漆黒、西国王の白銀色の髪とは天と地ほども違う。
一体、誰に似せて創った物か・・・。

 
「ウ~~~ン・・・あれっ! ねぇ、邪見さま、この男のお雛様って・・琥珀に似てない?」

 
「何っ! ウムムッ・・・そう言われてみると・・・確かに。」

 
  りんにそっくりな女雛(めびな)の横に、以前、一緒に旅をしていた退治屋の少年に良く似た男雛(おびな)が鎮座坐(ちんざま)しましているではないか。
不味い!・・・これは、凄~~~く不味い! 
もし! もしもだ! 殺生丸様が、この事を知ったらどうなるか?
・・・想像するだに怖ろしい! 
秀麗極まりない主の顔に・・うっすらと微笑みが刷(は)かれる様子が、ありありと邪見の脳裏に浮かんできた。
ゾオォ~~~冷や汗が、つつぅ~~~と背筋を流れて行くのが判る。
邪見が、必死になって、この、とんでもない事実を、どうやって主から隠そうかと思案をグルグル巡らしていた・・・正に、その時、間が悪い事に、殺生丸が、渡り廊下を渡ってやって来た。

 
「・・・りん。」

 
「ハワッ! せっ・・殺生丸様っ!」

 
  おもむろに部屋に入って来た主を見て、邪見の焦る事、焦る事、タラ~~タラ~~ッと流れる脂汗。
そんな邪見の気持ちも知らず、りんが無邪気に雛人形の話題を・・・。

 
「ねえ、ねえ、殺生丸さま。この女のお雛さまは、“りん”なんだって。それでね、男のお雛さまは“琥珀”に似せて創られたみたいなんだって。」

 
  ヒィ~~~~~~~何ちゅう事をっ! 
アアッ!・・・案の定、殺生丸様の眉間に皺がぁぁぁぁぁぁ・・・・
どっ・・どうしよう・・・ドンドン機嫌が悪くなっておられるのが手に取るように判るぅぅぅぅ。
  儂(わし)・・・もう気絶したい。
ウ~~~ン・・・本当に目が回り出した・・・バタッ!

 
 あら、あら、邪見殿ったら、気絶されてしまったの?
 それにしても・・・何と、気の小さい事。
 呆れた。こんなんで良くも、まあ、あんなに長い間、殺生丸様に付き従ってこられた物だわ。
 松尾は内心、独りごちた。

 
「アレッ! 邪見さま! 邪見さまっ! 気絶しちゃった、どうしよう? 相模さま」

 
「りん・・・構わん、放っておけ。」
 

殺生丸の表情は、苦虫を噛み潰したかのように苦り切っている。
己の目の前で都合良く意識を手放した従者を一瞥して冷たく言葉を吐き捨てる。
その金色の双眸に映るのは、己の母が、りんに与えた雛飾りの人形一式。
それは、何段もの飾りを連ねた豪華な造りで、御所車や長持ち(衣装などをしまう長方形の木の箱)、和琴に貝合わせの道具など、やんごとなき姫君の日常生活に必要な細々した物が、寸分違わず縮小されて再現されている。
名工の手になる贅を尽くした見事な細工の数々が衆目の目を惹く特注品。
恐らくは作者の夢有斎(むうさい)にとっても最高傑作の一つだろう。

 
しかし、西国王が先程からひたと双眼に捉えて離さないのは、そうした付属品ではなく、最上段の御殿造りの寝殿に飾られた内裏雛である。
りんをそっくり映し取ったかのような愛らしい女雛の横に据えられたお揃いの男雛。
その面差しは、以前、旅の道中に渋々、加えた退治屋の少年に良く似ている。
いや、似ている所ではない! 
酷似していると云っても良い! 
これは、明らかに母の己に対する嫌がらせだ! 
断言しても構わぬ!
この殺生丸が激怒するであろう事を見越しての挑発行為・・・己のりんに寄せる想いを重々、承知していながら・・・よくも、よくも、このような見え透いた事をっ!
この見るからに忌々しい人形、即刻、握り潰すか、毒華爪で溶かし尽くすかしてしまいたい処だが、りんの見ている手前、そうも出来ぬ。
どうすれば、あの男雛を手っ取り早く自然に排除できようか?
・・・それも絶対に己が手を下したと判らぬように。その為の手段を早くも考慮し始めた殺生丸であった。

深夜、お庭番の権佐(ごんざ)を通して命令が秘かに下された。
後日、大鷹が、雛人形を飾ってある部屋に飛び込み、りんや邪見、相模の見ている前で男雛をサッと咥えると、アッと言う間に遥か彼方へ飛び去ってしまった。
動揺して泣きじゃくる傷心のりんを何喰わぬ顔で慰めながら、その実、殺生丸が、内心、大いに溜飲を下げたのは云うまでも無い。

計画の次第は、ごく単純である。
邪見に生肉をこっそり男雛の中に仕込むように命じた上で、子飼いの鷹(たかじょう)に鷹を使って、それを奪うよう指示しておいたのである。
共犯である邪見は、勿論、犬妖である相模は部屋の中に残った匂いから、薄々、事の真相を察しているだろうが構う物か! 
りんにさえ、ばれなければ何ら問題は無い。
大鷹に攫われた男雛は、どうなったか? 
無惨にもズタズタに引き裂かれて、その残骸は獣さえ滅多に近寄らない深い山の谷間に放り出された。
げに怖ろしき物は、男の嫉妬。
“男雛紛失”の報が齎(もたら)された数日後、御母堂様から、代わりの男雛が届けられた。
今度の男雛は最初の物とは打って変わって白銀の髪、秀麗な青年の容貌の即ち西国王に瓜二つの作品であった。

                                                                                                                           『雛騒動(その参)』に続く
 

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第二十八作目『雛騒動(その壱)ご母堂様来襲』


【上巳(じょうし)の節句】、旧暦(太陰暦)の三月三日に当り桃の咲く時期に重なる事から“桃の節句”とも呼ばれる。
古代中国では上巳の日に川で身を清め不浄を祓(はら)う習慣があった。
これが平安時代に日本で取り入れられ、その後、“流し雛”という風習に変化。
また桃が邪気を祓(はら)い長寿を保つという中国思想の影響を受けて桃の花の入った桃酒を飲むようになった。
平安時代に貴族の子女が人形で遊んだ“ひいな遊び”と上記の風習“流し雛”とが結び付き雛祭りになったと考えられている。
現在のような雛祭りが定着したのは江戸時代からである。
 
ドオン! 
衝撃音と同時に結界が破られた。城内に瞬時に緊張が走る! 
しかし、次の瞬間、犬妖達は警戒を解いた。
漂ってきた匂いは、この西国城の主、殺生丸の御生母様『狗姫(いぬき)の御方』の物。
先の正月、西国王の養い仔、人の仔である“りん様”を満座の許で「養女にする」と宣言され衆目の度肝(どぎも)を抜いた御方である。
華やかな蝶の紋様の内掛けを纏った御母堂様がお供の女官衆を大勢引き連れ空から降りてこられた。
胸元を飾るのは勿論、冥道石の首飾りである。
女官達はそれぞれ手に荷物を持っている。
丁度、城内で執務に励んでいた殺生丸も即座に異変を感じ取り縁側に飛び出してきた。
殺生丸が張り巡らした最高強度の結界を容易(たやす)く破る事が出来るような実力者は、西国には、いや、妖怪世界でも数える程しか居ない。
当然、その相手も特定出来る。
咄嗟に脳裏に浮かんだ相手が、やはり、予想に違(たが)わず目の前に現われた。

 
「・・・何の用だ。母上」


露骨に嫌そうな気配を声にも顔にも滲(にじ)ませて、殺生丸が己の母に尋ねる。


「相も変わらず無愛想な奴だな、殺生丸。そなたに用は無い、りんは何処だ?」

 
そう言った端から、りんが部屋から走り出して来た。
臙脂(えんじ)色の生地に鶯(うぐいす)と白梅をあしらった紋様の内掛けが早春の季節に相応しい。
邪見と相模も一緒である。


「ワアッ! いらっしゃいっ! おっ・・お母さま。」

 
「オオッ! りん! 元気にしておったか? 逢いたかったぞ!」


「お久し振りで御座います、御方様。」

 
「相模か、一月振りだな。それに、其処(そこ)な小妖怪も。」


「・・・邪見に御座います。」

 
依然、母君に名前を覚えて貰えない邪見が、少々、憮然としながら返事をした。


「ん? そうであったか、まあ良い。今日は、りんに土産を持ってきたのだ。」

 
後ろに控えていた女官衆を振り返り、御母堂様が目で合図をした。
すると、荷物を抱えた女官衆がゾロゾロと部屋に入り、一斉に箱から何かを取り出し中央に飾り始めた。
それは見事な細工の雛人形であった。
御殿造りの館に揃いの内裏雛、三人官女、五人囃子(はやし)、左大臣、右大臣。
飾り終わった女官衆が立ち退くと、其処には、女の子ならば誰しも夢に見るような雛飾りが完成していた。
この時代の庶民には、一生、手にする事は愚か、見る事さえも叶わぬ一級品の品々である。


「ウワァ~~! 綺麗! 綺麗! 凄いっ!」


りんが興奮して歓声を上げた。
大きな瞳が、キラキラと輝き、柔らかな頬には赤味が注(さ)している。
元々、愛らしい顔立ちが嬉しそうに花のように綻び、より一層、愛らしさを引き立てる。


「これは、りんの雛人形だ。妾(わらわ)が懇意にしている人形師に特注して作らせた物じゃ。」


「えっ! これ・・・りんの・・なの!?! 本当に?」


「勿論じゃ。そなたは妾の養女(むすめ)になったのだからな。上巳(じょうし)の節句が近付いておる。女の童(めのわらわ)は昔から人形で遊ぶ物じゃ。養母(はは)が、可愛い娘に“ひいな遊び”の為の人形を揃えてやらんでどうするぞ。」


「おっ・・お母さま! あっ・・ありがとう! りん、凄く凄~~~く嬉しいっ!」


貧しい農村に生まれ育ったりんは、こんなに綺麗な人形を見た事も聞いた事も無かった。
殺生丸に出会うまでは生きるだけで精一杯、かつかつの生活を強(し)いられてきた境遇だった。
それでも、まだ家  族が生きていた頃は、貧しい乍らも幸せだった、
仲の良い両親と兄達に守られて。
そんな、ささやかな幸せさえも夜盗達に奪われてしまった。
家族を惨殺され孤児になったりんは村の厄介者として何か事ある毎に虐待された。
目の前で家族を殺された衝撃のせいで口が利けなくなった事にさえも薄情な村の者達から同情の声は無く、気味が悪いと疎(うと)まれ蔑(さげ)まれた。
りんにとって、何より一番、怖ろしいのは妖怪でも亡霊でもなく生きている人間その物だった。
だからこそ、犬夜叉との闘いで重傷を負った殺生丸に近付けたのかもしれない。
明らかに人ではないと判る風采、白銀の髪、金色の瞳、頬に走る二筋の妖線、額にある月の徴(しるし)、右肩に掛かる豊かな白い毛皮、血に汚れてはいたが上等な着物、何もかもが、りんの知っている村人達とはかけ離れた存在だった。
偶然という言葉が在る。
しかし、偶然などは有り得ない、此の世における一切の事象は全て必然。
期せずして、りんは、見えざる運命の手に導かれ、己の宿命の相手、殺生丸に出会うべくして出会った。
そして、それは、殺生丸にとっても同様であった。
不思議な運命と言うしかない。
而も、その結びつきには天生牙が関与している。
人智を超えた力が働いていると言っても過言ではないだろう。
何はともあれ、りんと殺生丸は共に居る。
当然、殺生丸の従者である邪見も、側に。
阿吽は、言うまでもない。

 
  殺生丸が西国に帰還した事により、りんの境遇は、旅をしていた頃とは一変した。
日々の世話は、殺生丸の乳母をしていた女官長の相模に一任され、完全にお姫様の生活である。
おまけに殺生丸の母君が、今年の元旦の宴で“りんを養女にする”と家臣一同を前にして公然と宣(のたま)ったのであるから、もう押しも押されぬ本物の姫君になったと言っても差し支えない。
妖怪世界でも屈指の実力者が二人も後ろ盾に付いているのである。
下手に手を出そう物なら、即刻、首が飛ぶ事を覚悟しなければならない。
唯・・・此処にチョットした問題がある。
この母子は、お世辞抜きにしても仲が良いとは言えないのである。
と云うよりも息子の方が母を毛嫌いしていると云った方が良いだろうか・・・。
その証拠に西国王の眉間には今もハッキリと皺が寄っている。
大切な養い仔を、最近、何かにつけて構いたがり遊びに来る己の母を如何にも忌々(いまいま)しいとばかりに睨んでいる。
この調子では後で邪見が八つ当たりでボコボコにされるのは、ほぼ確定であろう。

・・・面白くない。
りんが、我が母とは言え己以外に、あんなにも嬉しそうな顔を見せるとは!
あんな物(=人形)に誑(たぶら)かされおって! 
おのれっ! 何が“ひいな遊び”だっ!
上巳(じょうし)の節句だっ! 
貴様が、単に、りんと一緒に遊びたかっただけだろうがっ!
ムムッ・・・りんに気安く触るな! 
りん、お前もお前だ! 
そんな蕩(とろ)けそうな笑顔を女狐に向けるなっ!
(再三で申し訳ありませんが、御母堂様は犬妖の為、女狐ではなく雌犬で御座います)
お前が笑顔を見せる相手は、この殺生丸だけで良いっ!ギリギリッ(牙の音)
  殺生丸という御仁は、普段、滅多に感情を見せない。
長年、付き従っている邪見でさえ、主の心情を読み損なう事が多い。
それ程、無表情な御方なのである。
そんな殺生丸が、あからさまに感情を見せる時と云えば、まず間違いなく、りんが絡んでいると見て問題ない。
本日とて例外ではない。

 
「さて、人形も運び終えた事であるし、今日は、これにてお暇(いとま)しよう。」


(さっさと帰れ!)・・・殺生丸の心の声

 
「エ~~~ッ! 帰っちゃうの!?! おっ、お母さま、りん、もっとお話したいのに・・・」


りんが、残念そうに養母を見上げて声を掛ける。

 
「次は、弥生の月、上巳(じょうし)の節句にやって来よう。その時には、りん、心ゆくまで、話を致そう。何しろ
女子(おなご)の祭りだからな。オオッ! そうだ!! 奥仕えの者達、いや、この城に勤めている女
子(おなご)ども全てを集めて宴を催そう。勿論、酒は飲み放題、ご馳走も食べ放題の無礼講じゃ。皆で、思う存分、楽しく過ごそうではないか。」

 
(何っ! 又しても来る積りかっ! 断れっ! りん!)・・・殺生丸の心中

 
「うん、きっとね! おっ、お母さま、約束だよっ!」

 
「手配を頼むぞ、相模。そなたならば抜かりなく目配りしてくれよう。」


御母堂様が、西国城の奥向き全てを差配する女官長の相模を振り返り、宴の準備を申し付けた。

 
「御用の向き確(しか)と承りました。この相模、御方様のご意向に添うよう精一杯、務めさせて頂きます。それでは、道中、お気を付けてお戻り下さいませ。来月のご来駕(らいが)をりん様共々、お待ち申し上げております。」

 
「ウムッ、では、次に逢うのは宴の席じゃ。りん、それまで達者でおれよ!」


こうして王母は、帰って行った。
唯一人(一匹?)憤懣やる方ない西国王を残して。
来(きた)る上巳の節句には、さぞかし華やかな宴が張られる事だろう。
主不在の期間が長らく続いた西国城では、これまで、そのような雅(みやび)な催し事は一切、開かれてこなかった。
久方ぶりに催される事になった上巳の節句の宴に城内の者ども、特に女達はワクワクと心を躍らせ何処となくソワソワと落ち着きがない。
その日を指折り数えて待ち詫びている。
その分、男達は、つんぼ桟敷な状態に置かれている。
それは、西国の王である殺生丸でさえも例外ではなかった。

 
                             『雛騒動(その弐)』に続く
 
 
 
 
 
 
 
 
                  

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