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第十四作目『龍笛(りゅうてき)』  



※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。


“龍笛(りゅうてき)”とは、雅楽に使われる管楽器の一つ。 
吹き物である。
竹の管で作られ表側に「歌口(うたぐち)」と七つの「指孔(ゆびあな)」を持つ横笛。
能管(のうかん)・篠笛(しのぶえ)など和楽器の横笛全般の原型・先祖であると考えられている。
篠笛が、竹の割れ止めに藤を巻いて漆を塗る以外は、殆ど装飾される事もなく、簡素な竹そのものといった姿に対し貴族や武家など上流階級が用いた「龍笛(りゅうてき)」「能管(のうかん)」は、巻きや塗りなど手間のかかる装飾が施されている。 
「大水龍」「青竹」など龍笛の名器の名前が今に伝わっている。
中国大陸から雅楽の横笛として伝来。 
更に歴史を遡(さかのぼ)ると世界中の横笛の元祖は、古代インドであると言われている。
 
 
 
西国に戻って暫く経った、或る日、りんが、手に持った物を差し出して、私に尋ねてきた。
 
「殺生丸さま、これ、なあに?」
 
童女が持っているのは、横笛、それも唯の横笛ではない。
丁寧に巻きと塗りが施され、名工が作ったと一目で判る品の良さと華麗な雰囲気を併せ持つ龍笛。
低い音から高い音の間を縦横無尽に駆け抜ける、その音色は、「舞い立ち昇る龍の鳴き声」と例えられ、それが、名前の由来となっている。 
雅楽の中でも極めて広い音域を持っている横笛。
 
 
「・・・・これは、龍笛(りゅうてき)という笛だ。・・・・・以前、私が良く奏していた物」
 
そう・・・これは、あの男と交換した物であった。 
殺生丸は、膨大な追憶の中から、かの龍笛の持ち主との出会いを拾い上げ、感慨深げに回想し始めた。
あれは、貴族どもが世を支配していた頃の事。 
雅な貴族文化が華やかに咲き誇っていた時代。
・・・今は遥かな昔の出来事。
 
古(いにしえ)の中国の大国、唐(から)の都、長安を模して造営された平安京。
平(たいら)けく、安(やすら)けく、在る様にと名付けられた都の名前。
実際は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する地であったがな。
可笑しな物よ、そうあれかしと願って付けた名前と、概して、全く反対の様相を呈する事が多いのだからな。
大陸から導入した最新の知識、四神相応の考え方に基づいて、東を青龍(せいりゅう)、流水の川、西を白虎(びゃっこ)、大道、南を朱雀(すざく)、湖沼、北を玄武(げんぶ)と見なし、丘陵が存在する。
以上、四つの条件を満たした地こそが、天の四方を司る四神に最も相応しいとする地相の考え方。
要は、そのような地こそが、地上の権力者、天子のおわすべき場所であると考えられた訳だ。
その点、平安京は、東に鴨川、西に山陰道、南に小椋池(おぐらいけ)、北に船岡山を備えている。
 
 
 
まだ、私が童(わらべ)であった頃、西国を抜け出し阿吽に乗って、何度か人界に出かけた折の事。
雲海を飛び抜け、一気に、地上に降下する。 
阿吽も思うがまま自在に空を翔る事に満足そうだ。
好奇心旺盛であった童の私は、京の都に入り込み、暫しの人界散歩を楽しんでいた。
当時としては斬新な東西に走る碁盤目状の道路、大陸の都をそっくりそのまま真似しただけあって小路でさえ4丈(12m)、大路では8丈(24m)、一番の大道、朱雀大路に至っては、28丈(84m)もの幅があった。 
呆れる程の大陸傾倒ぶりであった。 
尤も、遣唐使が廃止され、もう、かれこれ百年近く経とうという今、この国独自の文化も発達し始め、人真似ばかりではなくなっている。
かの大国、唐(から)の国も滅んだ。 
今は宋という王朝が栄えているらしい。
 
 
 
百鬼夜行の京の夜。 
貴族どもは、競って夜な夜な宴を催し、贅を尽くした山海の珍味を楽しんでいるが、一度(ひとたび)目を凝らせば、この王城の地に潜む魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類が見えてくるであろう。 
あの時代は、密教が盛んで、王城安護の為に、丑寅の方角、即ち、鬼門に比叡山延暦寺が建立されていた。 
くくっ・・・寺に忍び込み、物は試しと供物を頂戴した事もあったな。 
歓喜団(かんきだん)とか言って唐(から)から伝来した唐菓子(からくだもの)。
小麦粉と米粉を混ぜ、“清め”の意味で七種の香(丁子・白檀・桂皮など)を入れた皮で実を包み胡麻油で揚げた神饌(しんせん)。 
何でも歓喜天なる神に捧げる供物だそうな。
妙な形の菓子で八つの結びは八葉の蓮華を表しているらしかった。
口にしてみれば・・人間にしてみれば、良い香りなのであろうが、犬妖である我(われ)にとっては、きつ過ぎて食べれた物ではない!ペッペッ!!
寺には、香も、常に立ちこめている。 
このような臭いのきつい場所に長居は無用だ。
 
 
 
都の正門である羅生門を通り抜け、朱雀大路を直進すれば、大内裏の南中央に宮城を象徴する朱雀門がある。 
曾ては南門とも大伴門(おおとももん)とも呼ばれていたらしいが、818年(引仁9年)「殿門改号」(建物や門の名称変更)により、その呼称は使われなくなっていった。
朱雀門は、宮城にある他のどの門よりも、広く大きく「重閣御門(じゅうかくのごもん)」とも呼ばれる特別な門である。 
堂々たる威容を誇っている。
正面が七間(一間=約1.82m)、奥行が五間の二重閣、流石に、国家の威信をかけて作られただけあって勇壮華麗な内裏(だいり)の正門である。 
赤い丹塗りの柱が白壁に映えて美しい。
金色に輝く鴟尾(しび)、風に揺れる風鐸(ふうたく)、昼間ならば、都の住民を始め、百官の官人や外国使節達の往来で殷賑を極めている事であろう。 
しかし、今は、何もかもが闇に包まれ人為らざる者が跳梁する刻限、満月であれば、月明かりを頼る事も出来ようが、今宵は二十六夜。
我の額にある月の紋様の如き細い三日月、暁闇(ぎょうあん)の闇は、一層、深く朱雀大路は墨染めのような闇の中に静まり返っていた。 
朱雀門の二重閣の屋根に跳び乗り腰を落ち着ける。
 
 
心地良い風に誘われ、懐に入れてきた愛用の龍笛を取り出し、興惹かれるままに吹き鳴らす。
 
その笛の音は、風に乗り、一人の男を呼び寄せた。 
男の名は、源博雅(みなもとのひろまさ)。
醍醐天皇の第一皇子、克明親王の長男、今上帝(きんじょうてい)村上天皇の年上の甥である。
母は、菅原道真を、大宰府に左遷し、その怨霊に、呪い殺されたと、噂される藤原時平の娘。
この平安京の都において 最も、血筋正しき公達(きんだち)の中の公達の一人、殿上人である。
この男には、数々の逸話が、今も伝わっている。 
楽に秀で、楽聖とまで呼ばれた男でもある。
 
 
嫋々(じょうじょう)と響く妙なる龍笛の音に誘われ、博雅は、随身の止めるのも聞かず、闇夜にも拘わらず、この朱雀門まで、やって来たのであった。 
一体、何者が奏しているのか?
これ程の龍笛の音色は、未だ曾て、聞いた事すらない! 誰だ! 誰なのだ!
博雅は、微かに差し込んでくる月明かりを頼りに、目を凝らして、朱雀門を眺めた。
楽の音は、確かに、朱雀門の屋根の辺りから響いてくる。 
だが、あの二重閣に登る事など出来る者がいるであろうか? 
魑魅魍魎(ちみもうりょう)はたまた悪鬼(あっき)の類であろうか?
いいや! 例え、あれが魑魅魍魎(ちみもうりょう)ましてや、鬼であろうとも構わぬ!
これ程の楽を奏でる事が出来る者ならば! 
是非とも楽について語り明かしたいものだ。
余りにも見事な龍笛の音に応えるかのように、博雅も愛用の龍笛を取り出し互いに奏し合う。
博雅自身、並ぶ者なき管弦の名手。 
相譲らぬ名手同士の合奏が夜のしじまに溶けていく。
 
 
殺生丸も又、相手の並々ならぬ力量に感じ入っていた。 
人間が・・・これ程まで我に肉迫した楽の音を奏してくるとは。 
あ奴は何者ぞ? 
演奏を止め、楼上から、己に合奏していた者を見定める。 
妖(あやかし)である殺生丸の目には、この程度の闇は、何の障害にもならなかった。
人品骨柄、卑しからぬ風情、身に付けている狩衣(かりぎぬ)も高価な絹で仕立てられている。
何より、この深い闇に包まれた刻限に、己の笛の音に惹かれて、わざわざ、この朱雀門にまで足を運んできた男の奇特さに呆れていた。 
普通の者ならば、魑魅魍魎(ちみもうりょう)や鬼に出くわす事を怖れて、外出するなど考えもせぬであろう。
人間にしては、変わった男だな。
いいだろう・・・姿を見せてやろう。 
それで、どのような態度を取るか、見極めてやろうぞ。
我を見て、怖れ逃げ惑うなら、それも良し、人外の者と見て成敗せんとするなら、この爪に掛けるまでの事よ。 
童ながら、既に並の妖さえも凌駕する力を秘めた、その鋭く長い爪に力を込める。
二重閣の屋根から、フワリと跳び下りる。 
元結で止めた白銀の髪、金色の獣眼、尖った耳、額にある今宵の月を思わせる紋様、頬に走る二対の朱の妖線、絹拵えの童水干(わらわすいかん)の腰には黄金作りの太刀が。 
目を欺(あざむ)くほど美しい童姿ではあるが、人外の者である事は一目瞭然。
 
 
だが、この男は、何処までも変わり者であったようだ。 
恐れ慄(おのの)くどころか顔色一つ変えぬ。 
それどころか、嬉しそうに、我(われ)に話しかけてくるではないか!?
 
「只今の楽の音は、そなたが奏でしものか?」

「・・・・・」
 
「私の名は、源博雅(みなもとのひろまさ)、そなたの名は?」

「・・・・・」
 
「応えたくないのなら、それでも良い。あの見事な音色を、もう一度、聞かせてはくれぬか?」
 
「未だ曾て、これ程の龍笛の音色を聞いた事がない」

「頼む!今一度、奏してはくれまいか?」
 
どうやら、この男にとっては、我(われ)が人外であろうが無かろうが、何の関係も無いらしい。
唯々・・・楽の音に感嘆する想いのみ。 
殺生丸は、久方振りに興に駆られ、この源博雅なる男の願いに応え龍笛を奏し始めた。 
博雅も又、殺生丸に合わせ吹き始める。
闇の中、繰り広げられる音の饗宴。 
龍の尊称を持つ横笛が、その名の示す通りに高く低く自在に音階を駆け巡る。
その華麗なる旋律。
古今にも稀な名手の合奏、聞く者があれば涙せずにはいられぬ。
殺生丸も、又、悦に入っていた。 
妖であれ人であれ、これ程の楽の音を奏する事の出来る者はまず居ない。
 一時の夢を思わせる合奏が終わった時、ふと思い付き、殺生丸は、己の龍笛を博雅に差し出していた。 
驚きつつも、即座に、我が意を了承し、自らの龍笛を差し出す博雅。
名手が互いの力量を認め、愛器を交換したのだ。 
間もなく夜明けの刻限となる。 
不味い!早く戻らねば! 
殺生丸は、その場を軽く蹴り、フワリと朱雀門の屋根に降り立ち、そのまま空に消える。
阿吽を待たせている場所まで急がねば! 
朝までには西国に戻らねばならぬ!
 
 
殺生丸に置き去りにされた博雅は、狐に抓まれたような気がしていた。
あれは、夢ではないのか?
しかし、己の手には、紛う事なく証拠の龍笛が! 
それは見事な品であった。 
吹き口の辺りに赤と青の葉のような物が描かれていた。 
屋敷に戻り、改めて、その龍笛を奏してみれば、何と素晴らしい音色である事か! 
澄み切った音色が、龍が舞うように空に昇っていく。
我知らず頬に流れる涙を気にもせず、博雅は、その龍笛を吹き続けた。
類稀な僥倖に感謝しつつ。
“葉二(はふたつ)”と名付けられた、その龍笛は、後世、天下第一の名笛として名を残す。
 
 
 
その後、殺生丸が、もう一度、京の都を訪れた時、既に、博雅は、鬼籍の人となっていた。
無理もない・・・・妖である己にとっては、つかの間の時であっても、人にとって二十年は長い。
源博雅(みなもとのひろまさ)、極めた位から博雅三位(はくがのさんみ)、長秋卿とも呼ばれた。
藤原実資なる男が、日記「小右記」にて「博雅の如きは、文筆・管弦者なり。ただし、天下懈怠の白者(しれもの)なり」と評している。 
権勢を極めた藤原道長にしても、ある人を評する際に「あの人は、才能はある人なのだが、あの怠慢の様子は、博雅のようだ。」と述べているようにかなりの怠け者だったらしい。
・・・・だが、それで良かったのかも知れない。
 
時代は、藤原氏全盛に向かっていた。 
皇族として、下手に政治的野心など持てば、簡単に闇に葬り去られていただろう。 
権謀術数に長けた藤原氏の事だ。 
例え、清廉潔白であろうとも事実を捏造(ねつぞう)して謀反の罪を着せるくらいの事は、やりかねない。
・・・曾て、威勢を誇った奈良時代からの豪族、大伴氏が失墜したように。
如何に、母親が、藤原氏の出身であろうともだ。 
兄弟間でさえ熾烈な権力闘争を繰り広げた藤原氏である。
寧ろ、うつけ者の評判を取っておいたおかげで野心家どもに利用されずに済んだとも言えるだろう。
正しく“大賢は愚なるが如し”だな、博雅よ。
 
 
 
「殺生丸さま、 どうしたの?」

りんの声が、回想から己を引き戻した。 
黙ったまま龍笛を眺めていた私を不審に思ったらしい。 
もう一度、手に取って、博雅愛用の龍笛を眺める。
 
「この笛、何て名前がついてるの? 殺生丸さま」

りんに聞かれて、幡(はた)と気付いた。
そう言えば・・・・この龍笛には、名前が無かった。 
勿論、博雅は、名前を付けていただろうが己は、いつも単に“博雅の笛”とのみ呼び習わしてきた。
これ程の名笛に名を付けずにいたとは。
 
「そうだな・・・・三位(さんみ)」

そう、三位(さんみ)が良かろう。あの男を偲(しの)ぶために。
 
 
その時、ゆるゆると回想から現実に戻りつつあった、私の意識を逆撫でするように騒がしい物音が!
邪見のだみ声が闖入してきた。

「こりゃっ! りん! また、琴の稽古をさぼったなっ!」
 
「だって、毎日、琴のお稽古や、縫い物に、文の習い事ばかりで、ちっとも遊べないんだもん!」
 
「馬鹿者! これまで散々、遊び回ってきたではないか!お前も、そろそろ娘らしい習い事を覚えねばならんのじゃっ! 殺生丸様に恥を掻かせぬようになっ!」
 
「りんが、習い事をさぼると、どうして、殺生丸さまが恥を掻くの?」
 
「ウッ! それはだな・・・お前が殺生丸様の・・・お側に居るからじゃ。」
 
「だって、前は、お側に居ても全然、恥になんかならなかったよ。」
 
「ええい! ああ言えばこう言う! つべこべ抜かさず、ちゃんと習い事に励むのじゃっ!」
 
 
西国に戻って以来、邪見は、りんの教育係兼監督役となっていた。 
野育ちで林野を駆け回って遊んでいた、りんにとって、いきなりの教育は、かなり窮屈な物であろうな。 
無理もない。
 
御殿暮らしで、日に焼ける事も無くなった、りんの肌は抜けるように白くなった。 
肌理(きめ)は元々細かい。 
少し癖のある柔らかい黒髪は、毎日、りん付きの侍女達によって、それはそれは、丁寧に梳られ艶を増した。腰に達する程、伸びもした。
今は両脇で一房づつ結わえ残りは流している。
大きく澄んだ瞳は、長い睫に縁取られ、光を受けると、夜空の星を思わせる程に瞬(またた)く。
ちょこんとした鼻、いつも、微笑みを絶やさぬ愛らしい唇は、薄紅色の花の蕾のようにさえ見える。
未だ、幼さが色濃く残るりんではあるが、“栴檀は双葉より芳し”の例えにもあるように、その麗質の兆しが、既に見て取れる。 
成長すれば、さぞかし、艶やかな名花となる事であろう。
そう、いずれ、私の右に並び立つ者として、それに相応しい素養を。 
邪見が、そうした私の意を汲んで、りんの教育を買って出た事は、間違いないが。
りんは、まだまだ遊びたい盛りの年頃。
些か(いささか)やり過ぎの傾向があるようだな。 
まだ、ガミガミとりんに説教を垂れている邪見に嫌気が差し、ついつい、手に持っていた三位(さんみ)で、ポカリと殴ってしまった。
しまった! 
邪見は、どうでも良いが、三位は、無事か!?
幸い、三位に破損は無かった。
その後、気絶した邪見を置いて、私とりんが、阿吽に乗って、久々に空中散歩と洒落込んだ事は、わざわざ言うまでもない程の事だろう。               了  
 
                                           2006.8/2(水)作成◆◆ 

 
 
 
《第十四作目「龍笛(りゅうてき)」についてのコメント》 

 
源博雅(みなもとのひろまさ)が朱雀門で会ったのが殺生丸であったとしたら?
 
そう考えてみたら頭の中に浮かんできた作品です。 
実際、もし、そうだとしたら殺生丸は
人間年齢に換算すると(40×19=760歳)くらいになってしまうんですが。
其処はそれ、妖怪の一年が
人間の何年に当たるのかハッキリした事は判らないという事で不問にしてください。
妖怪も色々と種族が多そうだし、人間よりは長生きだけど妖怪としては短命の種族もいるかもしれないし。 
または種族によって寿命に違いがあるのかも知れない。
とにかく、今は隻腕の殺生丸ですが、あの長い、しなやかな 美しい指には高雅な龍笛がピッタリだと思いました。 
凄く似合いますよね!!!

 
2006.8/10(木)★★★猫目石                     

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