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第二十三作目『氷解』

立冬も過ぎ小雪(しょうせつ)から大雪(たいせつ)に入ろうかという頃に差し掛かってきた。
冬も、ソロソロ本番である。
木々の葉は、スッカリ枯れ落ち、寒々しい様相を見せている。
空は冬特有の重く垂れ込めた雲に覆われている。
先頃、二百年振りに当主が帰還したばかりの西国城の奥御殿にも暗雲が漂っている。
御帰還されたばかりの西国王、殺生丸の眉間にはクッキリと皺が寄っている。
只今、西国王の御機嫌の悪さは最高潮に達している。
と言うのも・・・御帰還の際に一緒に連れ帰られた人間の童女“りん”が熱を出して寝込んでいるのだ。
連れ帰った当初は国主の単なる気紛れくらいに考えていた周囲の者達は、その後の“重陽の宴”“妖猿族の襲撃”に際しての殺生丸の童女に対する扱いを見て、如何に西国王が、あの小さな人間の童女を寵愛しているのかをマザマザと見せ付けられ認識を大いに改めさせられたのであった。
その重要人物“りん”様が熱を出して倒れてしまったのだ。
御付きの筆頭、女官長の相模を始めとして奥女中衆の気の揉み様は大変な物である。
すぐさま、御典医が呼ばれ診察が始まった。
枕許には国主の殺生丸に加え、邪見、相模が付いている。
熱で顔が赤らんだ、りんの額には雪を溶かした水で絞った冷たいお絞りが置かれている。
りんの脈を取り慎重に病状を診ていた御典医は長い顎鬚(あごひげ)を擦(さす)りつつ次のように答えた。


「症状を見る処、風邪のようで御座いますな。暫く、安静にしていれば、熱も下がりましょう」


「本当に大丈夫でございますか? 如庵(じょあん)殿」


相模が心配して御典医の如庵に尋ねる。
長年、この西国城に御典医として仕える如庵は名医として夙(つと)に名高い。
フサフサした金茶色の顎鬚(あごひげ)と長く伸びた眉毛が如何にも優しげな好々爺という印象で見る者に安心感を与える風貌をしている。


「人間を診た経験は余り御座いませんが、今の処まず大丈夫でしょう」


安心したのか相模がホッと息を吐く。
 

「・・・間違いないのだな」


殺生丸も、再度、確認するように尋ねる。


「はい、十中八九、この見立てで宜しいかと」
 

「・・・そうか」
 

殺生丸の眉間に刻まれていた皺が消えた。
緊張して周りに控えていた奥女中衆も、皆、一様に胸を撫で下ろす。
只でさえ気難しい事で有名な西国王である。
ご寵愛一方(ひとかた)ならぬ童女に万一の事でもあったら、どのような目に遭うか。
想像するだに恐ろしい事であった。
如庵の見立て通り、りんの熱は三日ほどで収まった。
四日目に政務の合間を縫って、殺生丸が邪見を伴ってりんの見舞いに奥御殿にやってきた。
久し振りに殺生丸に会える嬉しさに床から起き上がった、りんを見るなり、邪見は腹を抱えて笑い転げた。
殺生丸も僅かに目を見張った。
 

「ブワッハッハッ! ヒッ!ヒッ! ワハハハッ! な・何じゃ! その・・・お多福はっ!」
 

りんの可愛らしい顔は両頬がプックリ膨れて、邪見が云う通りのお多福ソックリに。
 

「え・・・うっ、嘘!」
 

慌てて褥の側にあった手鏡を見た、りんは、見事に膨れた自分の顔に見る見る内に瞳を潤ませる。
殺生丸を見て大きな瞳から悲しそうにポロポロポロポロと涙を零す。


「えっ・・えっ・・り・りんの顔・・・変に・・なっちゃったぁ・・・ひぃっく・ひっ・うっう」
 

ガシッ! 
無言で邪見の頭を鷲摑(わしづか)みにした殺生丸が障子を蹴り開けて、中庭の氷が張った池に、そのまま、うっかり者の従者を投げ込んだ。
バンッ! ビュ~~~~~~~~~ンバッシャ―――――――――ン!
 

りんが起きたのに気が付いて急いで駆けつけてきた相模が、りんを慰めるように言い聞かせる。
 

「大丈夫でございますよ、りん様。御典医の如庵殿から先日、言付かっております。この病は何でも“お多福風邪”と申しまして、一旦はこのように頬が膨れますが徐々に腫れは引いていくそうで御座いますから」
 

「ほ・本当に? ひっく・ひっく・・りん・・ずっと・・このまま・・じゃない・・の?」


りんが手で自分の膨らんだ両頬を触りながら泣きべそ顔で相模に尋ねる。


「はい、それに、この病は一度かかると二度とかからないそうです」
 

相模はそう云って白いサラシの布で、りんの膨らんだ両頬を包んで頭の上で結んで止めた。
不思議な事に、そうして患部を布で包んでみると、結構、愛嬌タップリで可愛らしくさえ見える。
例えるなら口一杯にドングリを詰め込んで頬を膨らませたリスのような小動物の愛らしさ。
 

「暫くは、このようにして包んでおきましょうね。膨らんでいる内は完全に治っていないそうですから」


コックリと、りんが頷く。やっと安心したらしい。
いつもの屈託の無い微笑みが浮かんでいる。
 

「ずっと熱で、お食事も喉を通らない状態が続きましたから、お腹が空いておいででしょう。お粥の他にも色々と用意させましたから召し上がって下さいませ」
 

相模がポンポンと手を叩くと、女中衆が、お膳を持って座敷に入ってきた。りんの食欲をそそるようにと献立にも様々な工夫が凝らされている。口当たりが良くて食べやすい物を中心に、りんの好物が用意されている。中には貴重な蜂蜜を使って菓子も添えられている。
 

「りん、そのままで良い。・・・口を開けろ」
 

殺生丸、床の側に置かれた膳から、お粥の椀を相模に持たせ隻腕で匙(さじ)を持ち、りんに食べさせようとしている。

「えっ・・・いっ・いいよっ! 殺生丸さまっ、りん、自分で食べられるよっ!」


「遠慮するな。重陽の宴では、お前に酒を飲ませてもらったからな。・・・お返しだ」
 

「う“~~~~~~~~~~~そんなぁ・・・恥ずかしいよぉ」
 

赤ちゃんのように扱われるのが恥ずかしいのか、りんは、顔を赤くしたままモジモジしていたが覚悟を決めて目を瞑ったまま、口を開けた。
 

「別に痛い事をする訳ではない。・・・りん、目を開けろ」
 

りんが目を開けた途端に口の中に匙が入れられ程よい温かさのお粥が喉を通り過ぎていった。
熱のある間は禄に物も食べられなかったせいか、久し振りのお粥は殊の外(ことのほか)美味でりんは思わずニッコリと嬉しそうに笑った。
愛らしい桜色の唇から、真珠のような小さな歯がチラリと覗く。
 

「美味しい!」
 

「・・・そうか」
 

まるで、親鳥が、雛に餌を与えているかのような微笑ましい光景が其処に描き出されている。
食事の介添えをしながら相模は殺生丸の変わり様に表面にこそ出さないものの、内心、驚かずにはいられなかった。
自分がお育てあいた嘗ての若君を思い返すと、到底、在り得ない振る舞いだった。
以前、西国に居た頃の殺生丸は全てにおいて余りにも完璧すぎて自分よりも劣る者、弱い者に対して、一切、慈悲の心を持たなかった。
必要とあらば何者であろうと容赦なく斬り捨てる事の出来る冷酷且つ非情な性情の持ち主であった。
余りにも怜悧で触れれば斬れそうな程の鋭さが寧ろギリギリに引き絞られた弓の弦のような、何時、切れるかも知れない危うさを孕んでいて、相模はズットその事に危惧の念を抱いていた。
先代の御館様、父君、闘牙王が、御存命であった頃は、まだ良かった。
若君が、唯一、尊敬する絶対的な存在の父君の包容力が殺生丸様の狷介(けんかい)な気性を上手く包み込んでくれていたから。
しかし、その後、闘牙王が人間の女に心を惹かれ、その女と半妖の子供の為に命を落とされた時、若君の心は、さながら氷のように凍りつき、何者も、その心を融かす事は出来まいと思ってきた。
御館様が亡くなられたと同時に西国を出奔された殺生丸様。
その凍て付いた氷の刃(やいば)のような心を融かしたのが、殺生丸様が、あれ程、忌み嫌った人間の、しかも雛のように幼い童女だと知った時、相模は不思議な運命の導きを感じずにはいられなかった。
聞けば、“癒しの刀”天生牙が、使えるようになった経緯(いきさつ)にも童女が絡んでいると聞く。
今は亡き御館(おやかた)様のお導きかも知れない・・・。
以前と変わらず、刃(やいば)のように研ぎ澄まされた妖気を発している殺生丸様ではあるが、極々、僅かながら弓の弦に生じた撓(たわ)みのような丸みを感じさせるのは、やはり、あの、“りん”様のお蔭に違いないと、相模は心の中で結論づけた。
 

「ねえ、殺生丸さま、邪見さま・・・大丈夫かな?」
 

お粥を食べさせてもらいながら、りんが池に投げ込まれた従者の小妖怪の身を心配している。
 

「・・・あの程度で死ぬようなら、とっくの昔に死んでいる」
 

これまでにも散々、殴る、蹴る、踏み潰す、水責めにする、と数限りなく迂闊(うかつ)な従者を折檻してきた殺生丸は禄に心配もせず平然としている。
 

「でもぉ・・・お城の池には氷が張ってるんでしょ・・・本当に大丈夫かな???」
 

邪見が、殺生丸に、お仕置きされる場面を何度も見てきたせいか、かなり慣れているりんではあったが、流石に凍りついた池に投げ込まれるのを見たのは初めてであった。


「それなら、つい、先程、お庭番の者に申し付けておきました。ご安心下さい、りん様」
 

相模が、りんの心配を取り除こうと声をかけた。
 

「多少、凍り付いていたようですが、今頃、お湯の中で元に戻っていらっしゃるでしょう」
 

如何に非力な小妖怪と云えど、一応、邪見は、妖怪の端くれである。
そうそう簡単に人間のように凍死する事はない。
 

「そっかぁ!・・・良かったぁ!」
 

その頃、お庭番に池から救出された邪見はパリパリに凍り付いた身体を元に戻す為に大きなお釜の中に放り込まれグラグラと沸いたお湯と共に煮立てられていた。
ジュウゥゥゥ~~~~~~ジュワァァァ~~~~~~~~~~
シュウゥゥゥゥゥゥゥゥ~~~~~~~~~~~~


「あちっ! あちちっ! あじぃ~~~~~っ!」


氷の中にカチンコチンに凍って閉じ込められていた邪見が氷が融けるとともに蘇生した。
ついでに邪見に噛み付いていた食肉魚までピチピチと元気良く床の上で飛び跳ねている。
溢れ出したお湯と一緒に、お釜の外に放りだされたのだ。
 

「おや、気が付かれましたか、邪見様。 あれだけカチンコチンに凍っていたので正直な話もう駄目か?と思ってましたよ。それだけ喋れれば大丈夫ですね」
 

お庭番の権佐(ごんざ)が薪をくべながら蘇生したばかりの邪見に、のんびりと話し掛ける。
 

「これが、大丈夫に見えるかっ! わっ、儂は、今度こそ、あの世行きかと観念したんじゃぞっ!」
 

権佐は顔が犬で身体は人型の斑(まだら)のぶち犬である。
茶色に黒、黄色に白と様々な色が混ざりこんだ毛色をしている。
この、とてつもなく広い西国城の庭全体を管理・統轄(とうかつ)している、お庭番の頭領でもある。
 

「まあまあ、そう何度も言いながら、まだ一度も死んでないんだから大した物ですよ」
 

「当たり前じゃっ! 死んでたら、こんな処で、お前と喋っとらんわっ!」


「ハッハッハッ、それにしても、今度は、一体、どんな事を言って大殿を怒らせたんです?」
 

「ウッ!・・・そ・それはだな。・・その、物の弾みという奴で・・・」
 

「今回は、今迄と違って凍り付いた池に直接、投げ込まれた訳ですから相当の“うっかり”だったんですね」
 

「うっ、煩いわいっ! 大体、りんの奴が、まさか・・・あんな風になっているとは思いもせんかったんじゃい!」


「ほお、りん様が? お女中衆の話では熱は下がって、もう安心だと聞いておりますが」
 

「熱はなっ! 熱は下がったんじゃが・・・いかん! いかん! 儂は、もう、この事については、ひとっ言も喋らんぞっ!」


「ふむ、流石に今回のお仕置きは、かなり堪えたようですな。邪見様」


その後、十日ほどで、りんの顔の腫れは、すっかり引いて元通りになった。 
以前と同じように奥御殿の庭に幼子のあどけない笑い声が響くようになった。 
童女が危険な目に遭わない様にと双頭竜の阿吽が、いつも側に居て目を光らせている。
西国城の奥御殿、此処は西国の中でも最も警護の厳しい場所の一つである。
国主、殺生丸の寵愛する人間の童女、りん。
もしも、彼女に万万が一にも何か危害の及ぶような事でも起きたら、即刻、警護の者達の首が飛ぶであろう事は間違いない。
その為、奥御殿には蟻一匹と云えども這い入る隙も無いような鉄壁の結界が絶大な妖力を誇る国主自身によって張り巡らされている。
特に、妖猿族の襲撃があって以来、結界の強度は更に上がり、今では前もって書状で知らせが無ければ奥御殿は愚か西国城にさえ入る事が出来なくなっている。
そんな物々しい警護ではあるが、当の童女、りんには一切、知らされていないし気付かせもしない。
今日も無邪気に童女は笑う。
池に掛けられた、お太鼓橋から水面を眺めるりん。
池に張った氷が冬の日差しを反射してキラキラ輝くのに目を止めたりんは、お太鼓橋から降りて池に近付き、石で氷を割って破片を手に取る。
そのまま氷の破片を冬の日差しにかざし光の反射を楽しむ。
 

「りん・・・何をしている」
 

何時の間にか音も無く背後に近付いていた殺生丸が声を掛ける。


「あっ、 殺生丸さまっ!」
 

満面の笑顔で振り向いた、りんが氷を放り出し嬉しそうに駆け寄ってくる。
 

「今ね、氷がキラキラ光るのを見てたの。 凄く綺麗だった」


「・・・冬だからな」


「これから、もっともっと寒くなるって相模さまが言ってたの。春になるまで溶けないくらい雪がドンドン降るだろうって」


「・・・そうだな」


「雪が、一杯、積もったら雪ダルマを作りたいな。それとも、雪ウサギにしようかな」


「りん・・・まだ病が癒えたばかりだ。そろそろ部屋に戻るぞ」


「はぁい」


殺生丸が、りんを器用に隻腕で抱き上げる。
長身の大妖の腕の中にスッポリと収まる小さな童女。
“玲瓏、玉の如し”と讃(たた)えられる美貌の大妖と人形のように愛らしい童女、それは、一幅の絵のように互いが互いを引き立てあう対照の妙。
大妖の長い白銀の髪に寄り添う童女の漆黒の黒髪。
旅をしていた頃と同じように右側で黒髪を一房取り紅白の錦の組紐で結わえている。
組紐の先には小さな金の鈴が付けられ、りんが身動きする毎にチリンチリリ―ンと澄んだ音色を響かせる。
殺生丸が羽織る銀灰色(ぎんかいしょく)の羽織には、雪持笹(ゆきもちささ)の刺繍が縫い取られ、袴の色は海老茶(えびちゃ)。
童女が纏う鶸色(ひわいろ)の薄い綿入りの内掛けには真紅の寒椿が色鮮やかに染め出されている。


「雪で遊ぶのも楽しいけど、りん、やっぱり、お花が、いっぱい咲く春が一番好き!」


「・・・春になったら、花見に連れて行ってやる」


「本当!? 殺生丸さま!」


「ああ・・・」


「うれしいっ、 きっとね!」


「・・・殺生丸さま」


「・・・何だ」


「大好きっ!」


細い華奢な手がキュッと大妖の首にしがみ付く。
表情は相変わらず無表情なままの殺生丸であるが童女を抱く仕種(しぐさ)には隠そうとしても隠し切れない愛しさが仄見える。
殺生丸にとって、これまで季節など単なる時間の経過による変化に過ぎなかった。
今も季節に対する特別な感慨など無い。
あるとすれば、それは、りんを通して感じた物ばかりであった。
“冬”万物が冷ゆる季節、殆どの生物が死に絶え或いは冬眠に入り来(きた)るべき春を待ち焦がれる。
りんの云う通り、これから更に冬の寒さは厳しさを増し雪と氷に閉ざされる時期が続くだろう。
まるで、嘗ての己の心のように・・・・。 
何者も寄せ付けず心の内に住まわせず孤高の位置から他者を見据え、唯、只管(ひたすら)に力のみを追い求めた日々。
“慈悲の心”など弱者の持つ物だと思い上がっていた。
だが、りんに出会い共に時を過ごす内に己の心は徐々に変わりつつあったのだ。
氷が春の日差しにユックリと融けていくように、りんの存在が、りんの笑顔が、自分ですら気付かない程に凍て付いた心を温め溶かして行った。
私にとっては、りん、お前こそが“春”その物に他ならない。
お前の笑顔が私の傍らに在る限り、二度とこの心が氷雪に閉ざされる事はないだろう。
りんが放り出した氷の破片が穏やかな小春日和(こはるびより)の日差しにトロトロと溶け始めていた。
暫くすると時間の経過と共に完全に水へと変化し、やがて地面に吸い込まれ消えていった。 

                   了
 
2006.12/1.(金).作成◆◆猫目石


《第二十三作目『氷解』についてのコメント》
とにかく◆今回も苦労しました。 
ブログにてぼやいていたように改題せざるを得なくなった上に◆当初の予定の短編どころか立派な長編になってしまった作品です。 
最初の題は『大難小難』だったんですが・・・。
書き進む内にドンドン方向性が違ってきて読んで頂けば判るように上記の題『氷解』以外ではピッタリこなくなってしまいました。
尚◆これは◆壱万打の御祝い作品でもあります。 
かなり遅くなりましたが感謝の意味を込めて此処にご披露させて頂きます。



2006.12/2.(土)★★★猫目石

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