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※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。
遠見の鏡”に飛び込んできたのは衝撃的な光景だった。
小娘は長身の男の腕に抱かれていた
いや、正確には違うな。
男の腕は小娘には触れていないのだから。
つまり、小娘は空中に浮いているのだ。
手甲に具足、豪奢な陣羽織を纏(まと)った武将姿の若い男。
長い黒髪は束ねず総髪のまま。
それ自体、命を持つかのように空中でうねる黒髪。
見た処は人間、だが、その男の背後から伸びる何本もの禍々(まがまが)しい触手。
そして、何よりも男の前に小さな玉が浮かんでいる。
邪気に満ち満ちた黒い玉。
察する処、あれが四魂の玉であろうな。
となると導き出される答えは一つ、あの男が半妖の奈落という訳だ。
その奈落に向かい女退治屋が武器を投げ付けた。
あれは手裏剣のように敵に投げつける飛び道具。
それも、あの大きさからして殺傷力は手裏剣とは比べ物にならぬほど大きいはず。
まともに喰らえば命がない。
間に合わぬ!
奈落もろとも小娘が殺される!
そう思った刹那、小娘を抱いていた男が消えた!?
幻!?
だからか、小娘に男の手が触れていなかったのは。
髪一重の差で飛び道具は小娘から逸(そ)れた。
落下していく小娘は何処から湧(わ)いたのか、あの人間の小僧が助けた。
運良く双頭竜に騎乗していた小僧が、そのまま空中で小娘を受け止めたのだ。
狗姫(いぬき)は堪(こら)えていた息を吐いた。
傍(かたわ)らの松尾の顔も心なし青褪めている。
胸元を掴んでいる手の微(かす)かな震えが動揺の激しさを物語る。
「フゥッ・・・危なかったな」
「間に合わないかと・・・思いました、御方さま。もう・・・肝が潰(つぶ)れるかと」
「そのような事になっていたら・・・想像するだに怖ろしいな。もし小娘が死んでいたら殺生丸の心は闇に沈んでしまっただろう。憎悪一色に染まり、手に入れた爆砕牙で破壊の限りを尽くすだろう。それこそ敵も味方も区別せぬほどに・・・な」
「そんな事にならなくて・・・本当に宜(よろ)しゅうございました」
奈落なる者の幻が消えたと同時に、あの若衆侍の左腕が肩口からもぎ取られていた。
あ奴は奈落の分身と聞いている。
つまり、本体が損傷を負ったから、当然、分身である若衆侍も同じ傷を受けたという訳か。
次の瞬間、女退治屋の飛び道具が風を切り戻ってきた。
飛び道具は若衆侍をスレスレに掠(かす)めて肉壁に突き刺さり止まった。
殺生丸が投げ返したのだ。
己の目の前で大事な小娘が殺されかけたのだ。
今、アレの心の内に燃え盛(さか)る怒りの炎の激しさは如何ばかりか。
「怒っておるだろうな、殺生丸」
「それは当然でございましょう、御方さま。りん様が殺される処だったのでございますから」
「フ・・・ム、あの女退治屋、命乞いをしている様子はないな。もし、あの女が自分の命を惜しんで哀れっぽく泣いて縋(すが)ったりしようものなら、殺生丸のことだ。瞬時に己が爪で抹殺しただろうな」
対峙(たいじ)する殺生丸と女退治屋、鏡を通してさえヒシヒシと伝わってくる無言の重圧、息詰まるような緊迫した場面だ。
そんな中、不意に薄暗い大蜘蛛の体内に光が差し込んできた。
肉壁に生じた綻(ほころ)びから洩れてきた光だ。
殺生丸が光の差す方向へ飛んでいく。
小僧と女退治屋も後に続く。
ひとまず女退治屋への詮議(せんぎ)は『お預け』らしい。
「まずは当面の敵を片付けてからといった処かな、松尾」
「そうでございますな、御方さま。ともかく今は奈落を倒すのが先決かと」
光の差す方向へと急ぐ殺生丸と他の面々。
小僧は双頭竜に小娘と共に、女退治屋は猫又に騎乗している。
大蜘蛛の体内が、アチコチで破綻を見せ始めている。
肉壁が裂け凝縮した妖毒が溶岩のように噴き出す。
そのまま気体となり撒(ま)き散らされる瘴気。
あの色から判断するに並の濃度ではないな。
我らは、ともかく、人が吸い続ければ正気を保つことさえ困難になるだろう。
そう、有害な瘴気を防御する術か、または防毒面でも無ければな。
すると、あの女退治屋、何を思ったのか、己の命綱ともいうべき防毒面を小娘に装着させたのだ。
そして、自分は防毒面なしで猫又を急(せ)かし、宿敵の奈落の許へと駆けていった。
狗姫(いぬき)はポツリと呟(つぶや)いた。
「・・・不退転の決意」
「御方さま?」
「あの女退治屋、死ぬ積もりだな。敵の中核に近付けば近付くほど瘴気は更に強くなる。脆弱(ぜいじゃく)な人間の身には、到底、耐えられぬ程にな。にも拘(かかわ)らず女退治屋は小娘に己の防毒面を譲った。それは取りも直さず二度と戻らぬ決死の覚悟の現われだ。壮絶だな」
【詮議(せんぎ)】:①評議して物事を明らかにすること。②罪人を取り調べること。
【中核(ちゅうかく)】:物事の中心となる重要な部分。
【対峙(たいじ)】:①高い山などが向かい合って聳(そび)えること。②人や軍勢がにらみ合ったまま動かないでいること。当作での使用は②の意味。
【不退転(ふたいてん)】:①【仏】修行の過程で、既に得た悟りや徳を失わないこと。不退。必定。②堅く保持して動じないこと。屈せず頑張ること。当作での使用は②の意味。
※『愚息行状観察日記(26)=御母堂さま=』に続く
※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。
殺生丸と巫女が肉塊に隠れた半妖を追う。
鉄砕牙は巫女が拾う。
殺生丸は鉄砕牙に触れることが出来ない。
父である闘牙が封印を施しておいたからな。
厚い肉壁を爪で抉(えぐ)る殺生丸。
肉壁の向こうに半妖がいるのだろう。
ほどなく貫通した。
殺生丸が肉壁の外側へ出た途端、半妖が襲い掛かってきた。
長く鋭い剥(む)きだしの爪。
襲う弟、躱(かわ)す兄。
半妖の隙を衝いて殺生丸が透(す)かさず弟を殴り飛ばす。
それぞれ足場を固めて対峙する兄弟。
空中で激しくぶつかりあう兄と弟。
拮抗する力、爪と爪の応酬。
ムッ、殺生丸の着物の右袖が裂けた。
やるな、半妖。
殺生丸が天生牙を抜いた。
ここで一気に片を付ける積りか。
何と!半妖めが天生牙を鷲掴(わしづか)みにしおったではないか。
不味(まず)い、あ奴め、天生牙を叩き折る気だ。
そうはさせじと殺生丸が大きく踏み込み半妖を押し出す。
追い詰められる半妖、睨み合う兄と弟。
その最中(さなか)、巫女が動いた。
鉄砕牙を半妖に渡さんとしたのだろう。
だが、足場の悪い大蜘蛛の体内。
案の定、足を踏み外し落ちかけた。
すると驚いたことに巫女が持っていた鉄砕牙を肉壁に突き立て踏みとどまったのだ。
巫女の身体の重みで裂けていく肉壁、ずり落ちていく巫女。
怪我をした右手で鉄砕牙を掴んでいる巫女。
傷口が開いたのだろう。
鮮血が着物に滲む。
半妖に鉄砕牙を渡そうとする巫女の意図を察した奈落が、そうはさせじと動いた。
肉壁を触手に変化させ巫女を弾(はじ)き飛ばしたのだ。
辛うじて肉壁に突き刺さっていた鉄砕牙は押し出され、巫女も虚空に投げ出されてしまった。
落ちていく巫女と鉄砕牙。
それを見た半妖が天生牙を手離し巫女を追う。
悪霊の呪縛から解放されたのか。
殺生丸も半妖を追う。
半妖が巫女に追いつき抱きとめた。
鉄砕牙は、そのまま落ちていく。
ムッ、悪霊が分かたれ一部が巫女に移ろうとしている。
今度は巫女を支配しようというのか。
悪霊の意図を察した半妖が巫女から急いで離れようとする。
その時、何と、鉄砕牙が、半妖めがけて飛んできた。
主の危機に反応したのか。
半妖の手に戻ってきた鉄砕牙。
戻ったと同時に鉄砕牙が変化(へんげ)した。
アレは・・・竜の鱗が浮き出た刃。
以前、冥道の中で見た竜鱗の鉄砕牙!
何だ、悪霊の様子が可笑しい。
動こうにも動けないように見える。
「あの悪霊、どうやら動けないらしいぞ、松尾」
「左様にございますな、御方さま。恐らく変化した鉄砕牙が曲霊(まがつひ)の動きを封じ込めているのではないかと思われます」
竜鱗の鉄砕牙のせいなのか。
まるで縫い止められたかのように身動き一つできない悪霊。
必死にもがく悪霊を殺生丸が天生牙で斬り捨てた。
あの場にいたら、きっと悪霊の断末魔が聞けたのだろうな。
それほどまでに己の絶対的優位を覆(くつがえ)されたのが信じられなかったのだろう。
驚愕の表情を貼り付けたまま悪霊は消え失せた。
綺麗に影も形も残さずにな。
あれほど梃子摺(てこず)らされた割には、随分と呆気(あっけ)ない最期だった。
少し拍子抜けしたぞ。
「よしっ、やっと悪霊を倒したな、殺生丸」
「お見事にございます、若さま。文字通り一刀両断にございますな」
もう用は済んだとばかりに、サッサとその場を後にする殺生丸。
半妖と巫女を一顧(いっこ)だにせん。
悪霊を倒した以上、一刻も早く小娘の許に駆けつけたいのだろうな。
我が息子ながら、こういう処は実にハッキリしておる。
愛想もへったくれもない。
相変わらずだな。
「さて、松尾よ、殺生丸は今度こそ悪霊を倒した。次は小娘の救出だな」
「仰(おっしゃ)る通りにございます、御方さま。さぞかし、今の若さまは気が急(せ)いておられましょうな」
小娘の居場所が特定できたのだろう。
殺生丸の動きが先程までとは、まるで違う。
全く迷いがない。
まっしぐらに突き進んでいく。
そんな殺生丸の行く手を阻む何本もの触手。
そのまま爪で強行突破しようとする殺生丸。
だが、思いの外(ほか)、邪気が強まっているらしい。
触手に触れた殺生丸の爪が焼け爛(ただ)れている。
殺生丸が己(おの)が妖気を高めた。
再度、爪で触手を攻撃する殺生丸。
今度は難なく触手を破壊した。
尚も小娘を捜して先を急ぐ。
※『愚息行状観察日記(25)=御母堂さま=』に続く
※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。
「確か、あの巫女は半妖の連れだったな。という事はだ、殺生丸とは顔見知り程度の知己(ちき)と考えれば良いのか」
「そうでございますな、御方さま。拝見した処、あの様子では、それ程、若さまと親しいとは感じられません」
大蜘蛛の体内にボウッと童女の姿が映し出された。
「ムッ、見よ、松尾、あの小娘が!」
「御方さま、若さまが全く見向きもされません。という事は、あれは恐らく幻にございましょう」
「そうだな、人間である巫女は騙(だま)せても我ら犬妖は騙せまい。特に殺生丸の嗅覚の鋭さは一族の中でもずば抜けた精度を誇るからな」
そのまま巫女を連れ化け蜘蛛の体内を歩く殺生丸。
不意に殺生丸が歩みを止めたと思いきや、飛んだ!
それこそ矢のような速さで。
巫女はといえば離されまいと殺生丸の毛皮に必死にしがみ付いている。
それを見た狗姫(いぬき)が何気なく呟(つぶや)いた。
「小娘とは扱いが全く違うな」
「と申しますと?」
「殺生丸はな、松尾、以前、この城を訪れた時、冥界の邪気に触れて息絶えた小娘を、それは大切そうに隻腕に抱いておったのだ。あの時とは違い、今の殺生丸には両腕が揃っている。にも関わらず、あの巫女を腕(かいな)に抱いて移動しようとはせん。つまり、そうした考えが殺生丸の頭には露(つゆ)ほども思い浮かばん訳だ」
「若さまに取って、りん様だけが、真に愛おしい存在だからにございましょうな」
「あの時の殺生丸の様子が思い出されるわ。冥界から、この城に戻ってきたものの、小娘は息絶えたまま。更に妾(わらわ)から天生牙の効力は一度きりと知らされ、あ奴、内心、茫然としておったらしいぞ。どうすれば良いのか判らぬ程にな。だが、殺生丸は極めつけの強情っ張りだ。必死に無表情を装っておった。それでも、妾(わらわ)が冥道石を使って小娘が息を吹き返し目を開けた時は、流石に己(おの)が真情を堪(こら)えきれなかったのだろうな。隻腕を伸ばし小娘の頬を撫(な)でておったわ。それも、この上なく愛おしそうにな。フフッ、あんな殺生丸を見ては誰も奴の小娘に対する思いを否定できまい。それにしても、あれ程、他者に触れる事を厭(いと)うておった我が息子殿がな。変われば変わるものだ」
「私めも、その場にいて、この目で見とうございました、御方さま。本(ほん)に口惜しゅうございます」
「拗(す)ねるな、松尾。いずれ、そうした機会も巡ってこよう」
殺生丸が目標の場所に着いた。
小娘が、今しも肉塊に呑まれようとしている。
必死に殺生丸に向かい手を伸ばそうとする小娘。
だが、その前に半妖が立ちはだかる。
アアッ、完全に肉塊に呑み込まれ姿が見えなくなってしまった。
ムッ、半妖の様子がおかしい。
明らかに顔が変わっている。
目は赤く染まり頬には一筋の妖線。
爪も長く鋭くなっている。
妖怪化している。
「どうした事だ。半妖め、変化(へんげ)しておるぞ」
「恐らく奈落の強い毒気に呑まれたのでございましょう。若さまと違い弟御(おとうとご)は半妖。その分、邪気に影響されやすいかと」
睨み合う兄弟。
片親だけ同じ異母兄弟とはいえ、やはり血筋か。
良く似ている。
父譲りの見事な白銀の髪に金の瞳。
何だ、何かが、半妖の上に覆いかぶさるように透けて見える。
アレは・・・?
「松尾、半妖は何かに取り憑かれておるようだ」
「アレは・・・。御方さま、あ奴にございます! あの曲霊(まがつひ)なる悪霊!」
半妖が鉄砕牙を抜いた。
殺生丸は、爆砕牙を、イヤ、違う、天生牙を抜いた。
そうか、あの悪霊は天生牙でなければ斬れない。
そして、天生牙に生身の者は斬れない。
半妖が鉄砕牙を黒く変化させ冥道残月破を撃った。
だが、狙いは大きく的を外(はず)れた。
イヤ、それも違う。
あれはワザと的を外したのか。
いきなり触手が半妖を下から突き上げた。
鉄砕牙を触手が半妖から取り上げる。
半妖は触手に掴まれたまま肉塊に呑み込まれ姿を消した。
※『愚息行状観察日記(24)=御母堂さま=』に続く
※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。
小娘が拉致されて数日、コレといった動きはなかった。
だが、ソロソロ何かが起きてもいいはずだ。
そう思って“遠見の鏡”を見ていた矢先、それは起こった。
夥(おびただ)しい数の妖怪が集結し始めている。
圧倒的なまでに膨大な数量の妖怪。
空一面を覆い尽くすほどの凄まじい数だ。
その中心部には巨大な大蜘蛛が陣取っている。
見るからに邪気に塗(まみ)れた汚(けが)らわしい姿。
実に醜悪極まりない。
その大蜘蛛を眼下に見据える位置に殺生丸がいる。
という事はだ、あの大蜘蛛が、奈落なる半妖の変化した成れの果てという訳か。
狗姫(いぬき)は傍らに控えている松尾に声をかけた。
「やっと物事が始まりそうだぞ、松尾」
「若さまが動かれますか、御方さま」
鏡の中の殺生丸に妖怪どもが無謀にも襲いかかる。
苦もなく爆砕牙で奴らを破壊し粉砕していく殺生丸。
そんな殺生丸の背後に例の若衆侍、夢幻の白夜が姿を現した。
何事か話しかけているようだ。
やはり敵とも味方とも思えぬ風情。
「何を喋っておるのやら」
「左様でございますな、御方さま。遠鼓(えんこ)の精でも張り付いておれば私どもにも聞けましたでしょうに」
「まあな、そうしてみようかとも思ったのだが・・・止(や)めた」
「何故にございますか?」
「考えてもみよ、松尾。あの並外れて気配に聡(さと)い殺生丸に気付かれずに済むと思うか?」
「無理でございましょうなあ。若さまが相手では」
「だろう。だから止(や)めておいたのだ」
ここで遠鼓の精なるモノについて説明しておこう。
“遠鼓の精”とは大きな長い耳を持つ山彦の精である。
見た目はウサギに似ている。
普段は白い体毛の遠鼓の精だが必要に応じて体色を自在に変化させ周囲に溶け込むという特性を持っている。
更に殆ど気配を感じさせない。
結果、非常に気付かれにくい。
その為、権佐など妖忍に飼われ敵方の情勢を探る際に良く使われる。
通常、二匹を一対で使役する。
一匹が遠方で聞き取った音声を山彦で伝送、もう一匹が受信するのだ。
丁度、現代の携帯電話と同じような機能を持っていると思えば良い。
手っ取り早く云うなら狗姫(いぬき)は盗み聞きを断念したのであった。
大蜘蛛が糸を吐いた。
瘴気その物で出来た蜘蛛の糸だ。
蜘蛛の糸に触れた妖怪どもは、皆、体を溶かされ奈落に取り込まれていく。
大蜘蛛が体を開いた。
自ら敵を体内に迎え入れるかのように。
真っ先に殺生丸が飛び込んでいく。
何の躊躇(ちゅうちょ)もせずに。
余程、小娘のことが気懸かりらしい。
次いで半妖が奇妙な形(なり)をした巫女とともに飛び込んでいった。
猫又に乗った法師と女退治屋が後に続く。
目当ての人物を取り込んだからだろう。
大蜘蛛が開いた口を閉じた。
それから四対の脚を折り曲げピッタリと体に密着させた。
まるで玉のような形状。
巨大な黒い玉と化した大蜘蛛が空中に浮かんでいる。
「さて、殺生丸は、あの大蜘蛛の体内に率先して飛び込んでいった。このままでは見えんな。“遠見の鏡”よ、大蜘蛛の体内にいる殺生丸を写せ」
狗姫(いぬき)の命令に“遠見の鏡”が曇る。
暫くすると薄暗い大蜘蛛の体内を歩く殺生丸が映った。
「フム、見た目よりも大蜘蛛の体内は広いようだぞ、松尾」
「左様にございますな、御方さま。あの奈落とかいう半妖、想像以上の数の妖怪を取り込んでいるものと推察されます。恐らくは万単位。ほんの一部分だけで、この広さと奥行きです。恐らく全容は巨大な城にも匹敵するかと思われます」
「ムッ、女が倒れているぞ、松尾。あれは・・・半妖と一緒にいた巫女ではないか。どうした事だ」
「右腕に怪我を負っているようでございますな。着物に血が滲(にじ)んでおります」
血の匂いに惹きつけられたのだろう。
雑魚妖怪どもが集まってきた。
それを見た殺生丸が巫女に襲いかかろうとする雑魚どもを爪で引き裂く。
何の衒(てら)いもなく無造作に。
「フ~~ム、殺生丸の奴め、小娘の時も思ったが、随分と優しくなったものだ」
狗姫が少し驚きながら言葉を紡ぐ。
「真に驚かされますな。昔の若さまでしたら、あの巫女が襲われても眉ひとつ動かされなかったでしょうに」
松尾も幼少の頃から殺生丸を知っている。
その驚くほど狷介孤高(けんかいここう)な激しい気性を。
だからこそ、かごめを庇(かば)う姿に驚きを隠せない。
「ホッ、巫女が目を覚ましたぞ、松尾」
「あの様子だと、巫女は、どうも、若さまと顔見知りのようでございますな」
「フム、どうやら、巫女は殺生丸に付いていくようだぞ」
「それが最上の策にございますな。奈落なる敵の体内にございます。誰よりも強い若さまのお側が最も安全な場所にございましょう」
【狷介(けんかい)】:頑固で自分の意思を堅く守り、人と打ち解けないこと。また、そのさま。
【孤高(ここう)】:唯ひとり、世俗とかけ離れて高い理想を抱いているさま。
※『愚息行状観察日記(23)=御母堂さま=』に続く
※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。
“遠見の鏡”の像がぶれている。
殺生丸の移動速度が速すぎて捉えきれないのである。
「フム、今の殺生丸は尻に火がついたように先を急いでおるからな。彼(か)の悪霊に一杯喰わされて、相当、鶏冠(とさか)に来ておるだろうし」
「・・・となると。御方さま、若さまは、あの人里に向かっておられるのでございますか?」
「いや、違うな、松尾。あの若衆侍は時間を稼ぐ為に殺生丸を騙してきた。わざわざ悪霊の肉片まで使ってな。つまり、我ら犬妖族の最大の特性、鋭敏なる嗅覚を逆手に取ったのだ。小僧の四魂の欠片を、あの悪霊めが手に入れられるようにな。それを止(や)めたという事は・・・多分、今、現在、彼の悪霊は何らかの方法で小僧を手中にしたと考えて良かろう」
狗姫(いぬき)は“遠見の鏡”に向かい命じた。
「“遠見の鏡”よ、小僧を映し出せ。以前、この城に殺生丸に伴われてやって来た、あの人間の小僧だ」
暫時(ざんじ)、鏡が曇ったが、直ぐさま元に戻った。
鏡の表面には狗姫が命じた通りに、人間の少年、琥珀が映っている。
それも尋常な状況とは、到底、思えない場面が。
少年は異様な太さの触手に片足を取られ宙吊りになっている。
周囲は切り立つ岩場、眼下には千尋の谷が広がっている。
「やはり、捕われておったか」
「御方さま、あの不気味な触手は奈落なる者の・・・」
「その通りだ、松尾。小僧の周囲には半妖達もおるようだぞ」
良く見れば鏡の縁に小さく犬夜叉や仲間が映っている。
邪悪な本性を剥(む)きだしにした巨大な顔面の曲霊(まがつひ)が空中に浮かんでいる。
悪霊が勝ち誇ったように嘲笑を浮かべている。
完全に小僧を捕らえたと悦に入っているのだろう。
万事休す!と思ったその時、悪霊の左眼が斬られた。
“遠見の鏡”の中に殺生丸が出現するや否や天生牙で曲霊を斬ったのだ。
「よし、間に合ったな、殺生丸」
「流石は若さま、実にお速い。もう、現場にご到着遊ばすとは」
狗姫と松尾が交互に言葉を掛ける。
すると、悪霊を援護するかのように極太の触手が何本も殺生丸に襲いかかってきた。
奈落の攻撃だ。
殺生丸は悠然と構えている。
徐(おもむろ)に天生牙を左手に持ち替えたかと思うと、右手に爆砕牙を握った。
殺生丸が爆砕牙を軽く一振りする。
それだけで、あっけなく奈落の触手は爆砕牙に破壊され粉々に砕け散っていく。
勿論、琥珀を捕らえていた触手も爆砕牙の破壊効果が波及して消滅した。
そのまま、空中に投げ出された琥珀を雲母(きらら)に乗った珊瑚が救出した。
爆砕牙を鞘に納め、改めて曲霊と対峙する殺生丸。
「何やら悪霊とゴチャゴチャと喋っておるようだな」
「出来れば側で聞いてみとうございますな、御方さま」
「フン、どうせ殺生丸のことだ。負け惜しみでも言っておるのであろう」
狗姫と松尾が、そうこう云っている内に、悪霊は、殺生丸が無造作に振るった天生牙に斬られアッサリ虚空に消え去った。
これで、ひとまず片がついたと思いきや、どうも様子が可笑しい。
女退治屋が殺生丸に近付き必死に何か訴えている。
すると、殺生丸が顔色を変えた。
すぐさま踵(きびす)を返し、再び最速で何処(いずこ)かへ飛び去っていく。
「何か起きたようだぞ、松尾」
「左様にございますな、御方さま。若様が、ああも急がれるとは」
「殺生丸が血相変えて急ぐようなこと・・・。ムッ、小娘に関することか!」
「りん様が!?」
狗姫は急ぎ“遠見の鏡”に向かい命じた。
「“遠見の鏡”よ、今一度、命じる。小妖怪を映せ。小僧と同じく殺生丸に伴われておった、あの緑色の矮小(わいしょう)な小者だ」
「御方さま、小妖怪とは、先日、聞かせて頂いた若さまの従者にございますな」
「その通りだ、松尾。お世辞にも見栄えが良いとは云えん奴だったがな、あ奴の主思いには見上げた物があった。殺生丸が小娘を人里に置いてくるに当たって、あの小妖怪が守役の任を命じられただろう事は必定。小娘は小妖怪と共におる筈だ。さもなければ・・・」
“遠見の鏡”が先程と同じように曇る。
曇りが消えると、小妖怪が映し出された。
見るからにワタワタと慌てている。
やはり様子が可笑しい。
随分、緑色の顔が蒼ざめておるな。
予想した通りに好くない事が起きてしまったようだ。
小妖怪が年老いた巫女と法師の形(なり)をした若い男に向かい何か喚(わめ)き立てている。
小娘は見当たらない。
という事は・・・考えられるのは拉致(らち)だな。
悪知恵に長(た)けた、あの悪霊のことだ。
殺生丸の最大の弱点となる、あの小娘を攫(さら)ったか。
ホッ、殺生丸が小妖怪の背後に現われおったわ。
だが、小娘が居ないことを確かめるなり、すぐさま飛び去っていった。
「やはり、小娘は攫(さら)われたようだぞ、松尾」
「何と!では、若さまは、りん様を取り戻しに行かれたのでございますか?」
「そうだろうな。あの悪霊と奈落とやらは結託しておるようだから。大方、殺生丸の刀、爆砕牙と天生牙を封じる為の措置であろう。小娘を人質に取られては、殺生丸は手も足も出せんだろうからな」
※『愚息行状観察日記(22)=御母堂さま=』に続く