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※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。
【りん】を城に引き取ってから、かれこれ三年の月日が過ぎようとしている。
毒蛾妖怪に襲われた【りん】を救出したはいいが彼奴の毒を受けた【りん】は高熱を出して倒れ三日三晩寝込んでしまった。
四日目の朝にして漸く【りん】は目を覚ましたが記憶を失ってしまっていた。
まだ九歳とはいえ、これまで生きてきた記憶の全てを。
勿論、殺生丸の記憶もな。
唯一、覚えていたのは【りん】という自分の名前のみ。
当初はどうなることかと真剣に危ぶんでおったが【りん】は驚くほど柔軟に環境の変化を受け入れ順応した。
自分が人間であり行き倒れていたこと、運良く妖怪の妾(わらわ)に助けられ、そのまま養女として引き取られたことなど。
元の記憶がないせいもあるだろう。
熱が下がり床上げをしてからも【りん】は妾(わらわ)の側から離れようとはしなかった。
まるで親鳥の後を追う雛のようにトテトテと一生懸命に妾の後を追う【りん】。
むう、その可愛ゆさといったら・・・堪らん!
少しでも離れると不安そうに周囲を見回し必死に妾の姿を捜し求めておった。
フフ、ああまで慕われると、実際、悪い気はせんな。
それに【りん】は大層、愛くるしい容姿の少女だった。
黒漆のように艶やかな髪、黒曜石のような煌きを宿す大きな瞳、白桃を思わせる肌の色、小鹿のような手足、見れば見るほど飾り甲斐のある少女だ。
殺生丸が子供の頃、あ奴を人形に見立てて着せ替え遊びに興じたものだが、ニコリともせん息子が相手では張り合いがないこと夥(おびただ)しかった。
それに引き換え【りん】の素直なこと。
アレやこれやと衣装や髪飾りを選んでやると嬉しそうに頬を赤らめて喜ぶ様といったら、もう、それはそれは愛らしい。
女房どもも可愛い養女を着飾る愉しみが増えて満足そうだ。
【りん】を城に引き取って以来、毎日が驚きの連続だ。
養女は好奇心が旺盛で様々な物に興味を示す。
そんな【りん】の様子を見ているだけで楽しい。
退屈などしている暇がない。
松尾を始めとして女房どもは若い【りん】の教育に余念がない。
【りん】は、近い将来、殺生丸と結婚し西国王の妃となる身だ。
周囲の者に侮られぬよう今から必要最低限の知識、教養を急いで身に付けさせねばならぬ。
幸い【りん】は利発で砂に水が滲み込むように教えられる知識を物にしている。
この調子ならば正式なお披露目の段になっても恥をかくことはあるまい。
それにしても、娘とはこんなにも可愛いものなのか。
いずれ、殺生丸が【りん】を娶る日が来ようが出来る限り先延ばしにしてくれよう。
結婚してからも何かと理由をつけて里帰りを強行させよう。
ホホホ、娘を持つ母の特権じゃ。
殺生丸に『否や』は云わせぬわ。
無愛想で親を親とも思わぬ息子なんぞより【りん】の方が遥かに可愛い。
孫でもできたら、更に楽しかろう。
もっとも、その前に古狸どもの退治という大掃除が待っておるがな。
了
※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。
りん】が死に瀕(ひん)している。
この三年間、“遠見の鏡”を通して欠かさず見続けてきた人間の少女。
何者にも惹かれなかった殺生丸の心を初めて動かした稀有な存在。
大水で荒れ狂う川から救出したものの【りん】は高熱を発して生死の境をさまよっている。
あの毒蛾妖怪の放った毒をうけたせいだ。
妖界きっての名医、如庵を呼んで【りん】の治療にあたらせているが大丈夫であろうか。
狗姫は【りん】を寝かせている小部屋に足を運んだ。
小柄な御典医が【りん】の枕元で脈を診(み)ていた。
熱が高いのだろう、【りん】の顔は赤く息づかいも荒い。
「りんの容態はどうだ、如庵」
「思わしくございませんな。毒消しと熱さましの薬を与えましたが・・・未だ効果がございません」
「危ないのか?」
「我ら妖(あやかし)であれば、この程度の熱、なにほどの事もございますまい。されど【りん】さまは脆弱なる人の仔、このまま高熱が続けば身体がもちますまい。そうなる前に薬が効いてくれればよいのですが・・・」
そうした会話を交わす我らの前で【りん】が救いを求めるように小さな手を差しのべた。
妾(わらわ)は思わず【りん】の手を握りしめていた。
赤子のように小さな手だった。
紅葉(もみじ)のような手が何とも稚(いとけな)い。
気がつけば狗姫(いぬき)は【りん】に言い聞かせていた。
「死んではならぬぞ、りん」
そう呼びかける狗姫の声が届いたのだろうか。
うっすらと【りん】は微笑み、そのままスゥッと寝入ってしまった。
その後、【りん】の容態は安定し熱も徐々に下がっていった。
完全に熱が下がり【りん】が目を開けたのは四日目の朝だった。
その後、狗姫を始め松尾も権佐もひどく驚くことになる。
【りん】は何も覚えていなかったのである。
唯ひとつ、自分の名前だけは【りん】と記憶していた。
【りん】は、それ以外の全ての記憶を忘れていた。
その場にいた誰もが驚くなか、如庵のみが驚かなかった。
医師という職業柄、このような症例を知っていたからである。
狗姫は如庵に訊ねた。
「このまま【りん】の記憶は戻らぬのか、如庵」
「さあ、それは判りません。もしかすると明日にも戻るやもしれません。はたまた何年も経ってからか。それとも、ズッと戻らないままかも。いずれにしろ当人が最も動揺されておりましょう。今は滋養のある物を摂り体力を取りもどすことに専念すべきかと」
「むぅ、それもそうだな」
【りん】の看病を女房どもに任せた狗姫は小部屋を出て自室に戻った。
筆頭女房の松尾と権佐も同行している。
部屋の中の椅子に座り狗姫は松尾に話しかけた。
「さて、どうするか」
「といいいますと?」
主の意を汲(く)んだ松尾が言葉を返す。
「【りん】の今後の処遇についてよ。毒蛾妖怪に襲われた時点で人界に戻す気はなかったが、まさか、【りん】が記憶を失うとは思いもせなんだからな」
暫し、狗姫は思案をめぐらす。
考えがまとまったのだろう。
つと視線をあげ口唇を開いた。
「考えてみれば【りん】が記憶を失ったのは寧ろ好都合かもしれんな。このまま【りん】はこの城に引き取ろう。妾(わらわ)の養女として」
権佐が狗姫の言葉に素早く反応した。
「御方さまの養女にございますか。さすれば【りん】さまは殺生丸さまの義理の妹君になられる訳ですな」
「まあな、とはいえ、実際には血は一滴も繋がっておらんし種族も違う。近い将来、殺生丸と【りん】が結婚となった場合、多少、煩さ型がヤイヤイ騒ぐだろうが、この程度のこと、どうとでも出来よう。松尾、権佐、今後、【りん】は妾の娘として扱え。唯、暫らくは内密にせねばならん、よいな」
「承知しました」「ははっ」
※『月の面影⑤』に続く
※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。
【りん】の五度目の拉致は曲霊(まがつひ)の策謀による。
何故、五度目かというと四度目は息絶えた【りん】が冥界の主に攫われたからだ。
弥勒の風穴に吸い込まれたはずの曲霊の一部。
琥珀に乗り移った曲霊の本体は殺生丸の天生牙に斬られ絶命したかと思われた。
しかし、曲霊の一部は、しぶとく生きていた。
霊は彼岸のもの、すなわち、今生(こんじょう)のものに非(あら)ず。
したがって現世の生き物の道理は通用しない。
一部でも生き残っていれば本体ごと修復可能らしい。
弥勒の身体を通して曲霊は再び現世に舞い戻ってきた。
そして、今度は気絶していた【りん】に乗り移って逃亡した。
四魂の玉を完成させ大蜘蛛に変化した奈落のもとへと。
拉致された【りん】は異様な場所で目をさました。
周囲は薄暗く地面は妙にやわらかい。
何気なく見上げれば、そこには曲霊の不気味な顔が!
琥珀を操り珊瑚を殺させようとした怖ろしい悪霊。
(逃げなきゃ!)
【りん】は必死に走った。
すると目の前に大好きなひとの弟の姿が。
白銀の長い髪、真っ赤な着物、殺生丸さまの弟、犬夜叉だ。
助けてもらおうと側へ駆け寄った。
でも様子がおかしい。
真っ赤な目と頬に走る一筋の妖線。
以前、会った時と全くちがう怖ろしげな顔。
(違う、こんなの犬夜叉さまじゃない!)
(怖い!)
犬夜叉から逃げようとする【りん】。
すると反対側から曲霊の顔が迫ってきた。
驚いて足を滑らせ尻餅をつく【りん】。
怖ろしくてたまらない。
滅多に泣かない【りん】の目に涙がにじむ。
絶体絶命である。
『もう駄目だ』と思った次の瞬間、犬夜叉が狙ったのは【りん】ではなく曲霊の方だった。
犬夜叉は己を完全に失ってはいなかったのだ。
だが、そんな犬夜叉を嘲るように曲霊は犬夜叉の中に入り込み身体を乗っ取ってしまった。
そこへ殺生丸が毛皮にかごめを掴まらせ急行してきた。
しかし、紙一重(かみひとえ)の差で【りん】の救出はならず。
奈落の肉塊に呑み込まれてしまった【りん】。
これが【りん】にとって人界での六度目の拉致になる。
場面は現在に戻る。
【りん】は相変わらず高熱にうなされていた。
夢とも現実ともつかない意識不明の状態のまま生死の境をさまよっている。
朦朧とする意識の中、昔の記憶が甦(よみがえ)っては【りん】を苦しめる。
家族が夜盗に惨殺された夜の、村にいた頃に受けた虐待の、思い出すのさえ辛い記憶が【りん】の意識を苛(さいな)む。
それだけではない、冥界の闇そのものが【りん】を捕らえようとゾワリと蠢(うごめ)きだした。
普通の人間ならば、こんなことは起きない。
だが【りん】は普通の人間ではない。
二度も『死』を体験しながら生きている稀有な存在だ。
妖狼族の狼に噛み殺された一度目の『死』で【りん】は冥界と接触した。
二度目の死は、直接、冥界の闇そのものに触れたのが原因だった。
二度とも首尾よく死の顎(あぎと)から逃(のが)れ生還したものの、そのせいで【りん】の魂は冥界とつながってしまったのだ。
だから、このように生死をさまよう状況に陥ると、すかさず冥界の闇が【りん】の魂を手中にしようと手を伸ばしてくる。
闇の触手が【りん】を絡めとろうとソロソロと蠢(うごめ)く。
禍々(まがまが)しい闇の魔手は【りん】を冥界へと連れ去ろうとする。
抵抗しなければ直ぐさま『死』が待ち構えている。
これと良く似た感覚に【りん】は覚えがあった。
奈落の肉塊に呑み込まれた時と同じ感じだ。
あの時も肉塊にビッチリと覆われ息が出来なくて苦しかった。
苦しくて、苦しくて、もがいて、もがいて。
声が出せなくても【りん】は全身で殺生丸を呼んでいた。
いつも【りん】がどんな状況にあろうと助けにきてくれた殺生丸。
苦しい息の中、【りん】はうわ言で殺生丸の名を呼ぶ。
小さなか細い手を必死に差しのべて助けを求める。
(・・殺生・・丸さ・・ま・・・助け・・て・・)
すると【りん】の手を誰かがシッカリと握りしめた。
白い繊手(せんしゅ)から伝わる確かな生気が【りん】の中の闇を祓(はら)う。
熱にうかされた【りん】の目にボンヤリと映る人の姿は・・・。
月の光を集めたような白銀の髪、満月を嵌めこんだような金の眸、鮮やかな朱色の妖線が頬に走る白皙の美貌、そして額を飾る三日月の徴(しるし)、夜空に輝く月のように秀麗な容貌の人だった。
【りん】が大好きな人だった。
(ああ・・・来て・・くれた・・んだ・・殺生・・丸・・さま・・)
その人の出現と同時に【りん】の魂を取り込もうとする冥界の闇がフッと消えた。
冥界との通路が断ち切られたのだ。
(もう・・・大丈・・夫・・・怖く・・ない・・)
【りん】は安心して目を閉じた。
生と死の戦いは『生』に軍配があがった。
その後、【りん】の容態は安定しゆるやかに快復へと向かった。
【繊手(せんしゅ)】::細くしなやかな手のこと。
※『月の面影④』に続く