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『濁流④=惨状=』


「なっ・・・何という・・・」
 

「酷(ひで)え・・・な」
 

目の前の光景に弥勒と犬夜叉は言葉を失った。
見渡す限りの水、水、水。
それも黄土色に染まった泥水。
雨上がりの抜けるように青い空と対照的な色合いが酷(ひど)く違和感を与える。
耕(たがや)したばかりの畑が、収穫を待つ水田の稲が、見慣れた村の風景がどこにもない。
村の大半の家が荒れ狂う濁流に呑み込まれ水没しているではないか。
今しも一軒の家が水に押し出され倒壊しようとしている。
バシャッ!
遂に水圧に耐えかねて柱が折れた。
もう家の体(てい)を成していない残骸がバラバラになって崩れ落ちていく。
そして二人の前でアッという間に下流へと押し流されていった。
時々刻々、増水する大水の中、無理を押して犬夜叉と弥勒は出先から戻ってきた。
三日前、朝から犬夜叉と弥勒は村から遠く離れた町へ赴(おもむ)いた。
妖怪退治を請け負ったのだ。
弥勒が御札で妖怪を誘(おび)きだし犬夜叉が鉄砕牙で妖怪を倒す。
いつも通りの決まりきった慣れた手順。
犬夜叉が妖怪を退治した途端、雨が降り出した。
その時は、いつもの事だと、別段、二人は気にも留めなかった。
まさか、こんな大水になると誰が予測できただろう。
雨は一気に滝のような水量となり犬夜叉と弥勒は帰ろうにも帰れなくなってしまった。
その為、二人は妖怪を退治をした家の主の好意を受け、その晩は、その家に泊まることにした。
しかし、次の日になっても、雨は一向に止(や)む気配がなかった。
やむを得ず、二人は、二日目も、その家で厄介(やっかい)になった。
結局、雨は、二日二晩、休むことなく降り続き、漸(ようや)く三日目の朝になって止んだ。
世話になった分限者の家を早々に辞し村へ帰ろうとした犬夜叉と弥勒は氾濫する川から溢れ出す大量の水に目を瞠(みは)った。
町は地勢的に高台にある為、余り水の被害が出ていなかったのだ。
だが、楓の村は川の下流にある。
普通の雨なら心配する必要はないが、これほどの大雨である。
家屋が浸水している可能性は高い。
弥勒は足を速めた。
 

「急ごう、犬夜叉」
 

「ああ・・・」
 

後から後から溢れ出す水が足元を洗う。
増水する水に覆われ瞬(またた)く間に道は見えなくなってしまった。
 

「弥勒、負ぶされ!」
 

「すまん、犬夜叉!」
 

見るに見かねた犬夜叉が弥勒を背に負ぶった。
僅かに残った地面を見つけては、そこを足場に跳躍を繰り返す。
だが、直ぐに限界が来た。
進めば進むほどに地面が見えなくなっていく。
遂に完全に冠水してしまった。
それからは水との戦いだった。
腰まで水に浸かりながら二人は村へと急いだ。
犬夜叉の火鼠の衣も弥勒の法衣(ほうえ)も忽(たちま)ち水に浸かりドッシリと重みを増す。
だからと言って脱ぎ捨てる訳にもいかない。
グッショリと濡れて重い衣を纏(まと)い二人は水の中を歩く。
しかし、水圧に阻まれ足取りは思うように進まない。
容赦なく水温の低さが体熱を水圧が体力を奪っていく。
それでも気力を振り絞って二人は歩き続けた。
やっと夕方近くなって二人は村の入り口に辿り着いた。
そして、眼前に広がる光景に絶句した。
村の周囲の惨状に自失していた弥勒が、ハッと気を取り直した。
 

「そうだ、珊瑚と子供達は!? それに、みんなは!?」
 

「あっ、ああっ、そうだ、 かごめっ!」
 

同じように気力を取り戻した犬夜叉が周囲を見回す。
ポツンと遠目に楓の家が見えた。
小高い丘の上にある楓の家は今回の大水の被害を辛(かろ)うじて免(まぬが)れていた。
泥水から這(は)いあがり二人は丘へと向かう。
近付くに従い楓の家の周囲に人の姿が見えてきた。
楓の家から人影が飛び出してきた。
 

「珊瑚、子供達は無事か!?」
 

「法師さま!」
 

「怪我はないか、かごめ!」
 

「犬夜叉!」
 

それぞれに愛妻を抱き再会を喜び合う二組の夫婦。
 

「帰ったか、犬夜叉、法師殿」
 

楓が家の中から出てきて労(ねぎら)いの言葉をかける。
だが、どうしたことだろう。
見るからに憔悴した面持ちである。
 

「楓さま、良かった、ご無事でしたか」
 

弥勒が老巫女に言葉を返す。
 

「わしは無事だが・・・村の衆が何人も大水の犠牲になってしまった」
 

「・・・そうですか。しかし、これほどの大水です。人の力では、どうしようもありますまい」
 

楓は村を守る巫女である。
巫女であった姉の桔梗亡き後、五十年の長きに亘(わた)って村を守り続けてきた。
今回の大水で多くの村人の命が喪われたのは痛恨の出来事だろう。
だが、それだけではない。
どうしようもない憂愁と絶望感が楓の全身を色濃く覆(おお)っている。
今まで、どれほどの危難に見舞われようと、この気骨溢れる老女の隻眼から光が消えたことは無かった。
それが、今はどうしたことだろう。
見る影もなく打ち萎(しお)れているではないか。
一体、何があったというのだろう。
 

「どうしたんだ、楓婆(かえでばばあ)?」
 

老女の徒(ただ)ならぬ様子を訝(いぶか)しみ、犬夜叉が楓に声をかけた。
 

「犬夜叉、りんちゃんが・・・戻ってないの」
 

楓の代わりにかごめが答えた。
 

「何だとっ!?」
 

「何ですとっ!?」
 

「それは本当か、楓?」
 

「真ですか、楓さま?」
 

犬夜叉と弥勒の矢継ぎ早の問いかけに楓が重い口を開いた。
 

「三日前・・・大雨が降り出した昼頃から、りんの姿を見かけた者が誰も・・・いないのだ」
 

珊瑚が楓の後に言葉を付け足す。
 

「最後にりんを見たのは家の双子なんだ。綺麗な蝶を追いかけて川の方へ行ったらしい。大雨のせいで川が増水して・・・」
 

珊瑚は、喉まで出かかった言葉を、無理矢理、呑み込んだ。
頭の中に浮かんだ『りんの溺死』という最悪の事態を予想させる言葉を。
一旦、口にしたら、それが本当になりそうで震えが止まらなかった。
りん、楓が、犬夜叉の異母兄、大妖怪の殺生丸から預かった大切な大切な養い子。
この三年間、殺生丸が、三日おきに、りんに逢うために村を訪(おとな)わなかった事は一度もない。
それほど大妖は、りんに深い愛情を注いできた。
犬夜叉の異母兄、大妖怪の殺生丸は世にも稀(まれ)なる二本の名刀を腰に佩(は)く。
壱の刀は天生牙、ひと振りで百人の命を救う癒やしの刀。
弐の刀は爆砕牙、ひと振りで千匹もの妖怪を薙ぎ倒す必殺の刀。
二本の刀は、そのまま殺生丸という大妖怪が持つ“慈悲”と“非情”という相反する資質を示す。
もし・・・りんが、本当に死んでしまったとしたら・・・・。
殺生丸の怒りは、嘆きは、どれほど深く激しいだろう。
想像するだに怖ろしい。
況(ま)して、珊瑚は、三年前、弥勒を救いたい一心で奈落の罠に嵌り、りんを殺そうとして殺生丸に許されたことがある身だった。
当然、殺されると覚悟していた。
だが、信じられないことに許された。
殺生丸は慈悲を示してくれたのだ。
だからこそ、りんが、楓に預けられた時、珊瑚は心に固く誓った。
何があろうと、必ず、りんを守ろうと。
そんな決意にも関わらず、又しても、このような為体(ていたらく)。
珊瑚は激しく己を責めていた。
そして、それは犬夜叉達も同様だった。
殺生丸が、寵愛するりんを、楓に預けた、それは取りも直さず誇り高き大妖が人間である自分達を深く信頼してくれたからに他ならなかった。
その信頼の証(あかし)である、りんが、増水した川に落ちて死んでしまったかもしれない。
一体・・・どうすればよいのか。
暗澹たる思いに一同は、唯々、茫然とするしかなかった。  
 


 

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『濁流③=襲撃=』


りんの前に立ちふさがったのは女の妖怪だった。
背に大きな羽根がある。
いや、違う、男だ!
一見、女のように見えはしたが、よくよく見れば、広い肩幅、背の高さ、何より女なら気付かない筈のクッキリした喉仏(のどぼとけ)が男であることを証明している。
女のように妖艶な顔に施された毒々しい原色の赤、青、黄、緑の化粧が、けばけばしさを、一層、際立たせている。
何故、人里に、こんな妖怪が?
犬夜叉や弥勒のお陰で人に害を為す妖怪どもが里に姿を見せなくなって久しい。
違和感は他にもある。
りんは雨に打たれズブ濡れなのに男は少しも濡れていないのだ。
雨は相変わらず激しく降り続いているのに。
理由は直ぐに判明した。
結界だ。
男の全身を覆っている非常に薄い膜のような結界が雨粒を弾(はじ)いているのだ。
弾き飛ばす雨が多すぎて本来なら見えないはずの結界が視覚できる。
-----ニタリ----
厚化粧の男が口角を上げた。
 

「フ~~ン、西国王になった殺生丸さまが人間の女にケタ惚(ぼ)けてるって聞いたから、どんな妙齢の美女かと思いきや、こんな色気もへったくれもない小娘とはね。焼きが回ったのかな、殺生丸さま。以前、俺が粉かけた時は、それはもう、ゾクゾクするような冷たい目で毒華爪(どっかそう)を喰らわしてくれたのにさ。あん時は、流石の俺も死ぬんじゃないかと思ったよ。毒負けしちゃってさ。本当、つれない御方だよね。まっ、そこが良いんだけどさ。とびっきり綺麗で凍りつきそうなほど冷たくて怖ろしい。ウ~~ン、堪(たま)らない、痺(しび)れるね~~。とまあ、そんな訳で、お嬢ちゃん、俺に取っちゃアンタは恋敵だ。悪いが此処で死んでもらうよ。今回の仕事も都合よく溺死に見せかけて殺せって依頼だし、『一石二鳥』って、この事だよな。そうそう、俺は毒蛾の蛾々って云うの。自分を殺す相手の名前くらい知っておきたいだろう。ウン、俺って親切だよな」
 

そう言い放つや否や、手に持った鞭を振り上げ打ち据える。
ビシッ!
りんの顔スレスレを掠めて鞭が地面を叩く。
ビシャッ!
飛び跳ねた泥が、りんの顔を、小袖を汚す。
 

「ひっ・・・」
 

毒蛾の蛾々と名乗った男は鞭に関しては百発百中の腕前を持つ。
まして獲物はこんな至近距離である。
本来なら絶対に外すはずもない。
そう、毒蛾の蛾々は猫が鼠を弄(もてあそ)ぶように遊んでいるのだ。
ワザと狙いを外して鞭を振るっている。
それも髪の毛ひと筋という神業的な精度で外しながら。
しかし、恐怖に駆られ必死に逃げるりんに、そんな事が判ろうはずもない。
土砂降りの雨の中、泥を撥(は)ね散らかしながら、倒(こ)けつ転(まろ)びつ、りんは逃げ惑う。
 

「ソ~~~ラ、ソラ、ソラ、もっと頑張って逃げないと鞭が当たっちゃうよ」
 

ビシッ!  ビシッ!  ビシッ!
毒蛾の蛾々が、りんを追い掛け回しながら舌舐めずりをする。
真っ赤な唇からチラチラと覗く長い舌が煽情的なまでに卑猥(ひわい)な感じだ。
楽しそうに笑いながら毒蛾の蛾々はりんをジワジワと追い詰めていく。
 

「フフッ、当たったら肉が裂けちゃうかもね」
 

りんを狙って、しかし、その実、決して、りんの身体には触れない絶妙な間隔で襲いかかる鞭。
そうこうする内に、りんは、益々、村から離れた方へ、水嵩(みずかさ)が増した川へと誘導されていた。
雨の勢いは一向に衰えない。
もう昼から、かれこれ二時(=約四時間)も降り続いている。
りんは知らない。
この雨が、これから二日二晩にわたって降り続け記録的な大災害を齎(もたら)すことを。
百年に一度と云われた豪雨の被害は凄まじく近郷近在の村々に壊滅的な打撃を与える。
中には大水に呑み込まれ村ごと全滅した場所も少なくなかった。
生き残った人々は、その悲惨な記憶を後世に残すべく子々孫々に語り伝えることになる。
後年、未曾有(みぞう)の大惨事を惹き起こしたこの集中豪雨は、酉(とり)年に起こった水害という意味で“酉(とり)の大水”と呼ばれるようになる。
地面に滲み込むだけ滲み込んだ雨水は直ぐに限界を超え溢れだした。
通常の排水能力を遥かに超えた驚異的な水量が天から降り注がれているのだ。
高きから低きに流れる水の性質そのままに雨水は集中して水路を流れ川に流れ込む。
想像を絶する早さで川が氾濫し始めている。
毒蛾の蛾々はドンドン川幅を広げる川をチロッと横目で見ながら考えた。

(さ~~て、そろそろ川に落とし込もうかな)

(ととっ、待てよ、その前に確かに依頼をこなした証拠に獲物の物を何でもいいから持ってこいって云われてたんだよね)

(何にしようかな。着物の一部?ン~~駄目駄目、如何にもスパッと切りましたって判る感じじゃ襲われたのが一目瞭然じゃん。目敏い奴なら気付いちゃうかも。疑われないように、飽くまでも、偶然、川に落っこちて死にましたって感じに見えなきゃ。だから、無くなっても気付かない。でも、持っていけばバッチリ証拠になるような物・・・あっ、あった、あった、あれにしよう)

鞭を高く振り上げて狙いをつける。
ビシッ!
 

「あっ!」
 

初めて、鞭が、りんに触れた。
右側頭部、いつも、りんが髪をひと房とって纏(まと)めている部分だ。
鞭の反動で、りんが、足を縺(もつ)れさせた。
目の前は増水した川、一瞬の間の後に激しい水音が。
バシャアッ!
りんが増水した川に落ちた。
鞭で切られたりんの黒髪が、数本、雨に泥濘(ぬか)るんだ地面に落ちる。
それと同時に髪を纏めていた髪紐が外れて宙に孤を描く。
髪紐は待ち受けていた毒蛾の蛾々の手にポトッと落ちてきた。
雨水が沁み込んで、幾分、重みが増している。
光沢のある錦で編んだ紅白の組み紐。
とても鄙びた農村の村娘が身につける代物ではない。
大名家の姫君か豪商の娘でもなければ持てない高価な品物。
殺生丸が贈った品だった。


※『濁流④=惨状=』に続く

 

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『濁流②=暗躍=』


闇に覆われた結界の中、密談が交わされている。
主らしき男が部下に問い掛ける。
 

「・・・手筈(てはず)は?」
 

密談と意識しているせいだろうか。
普段の胴間声(どうまごえ)とは似ても似つかぬ低い潜(ひそ)めた声。
そんな主に合わせるように部下も声を潜める。
 

「ハッ、仰せの通りに」
 

「雨師(うし)と風伯(ふうはく)は?」
 

「諾(だく)と」
 

「見返りは?」
 

「雨師が貴酒を百斗、風伯が筝(そう)と琴(きん)を五十器ずつ」
 

「フム、かなりの物入りだな。まあいい。儂(わし)が西国の実権を手中にすれば、その程度の損、瞬(またた)く間に取り戻せるわ」
 

「御意」
 

「それで、今回、使う忍びは?」
 

「毒蛾の蛾々を」
 

「あ奴か。だが、くれぐれも獲物には傷を残さぬよう念を押しておけ。襲われた証拠を残さんようにな。飽くまでも溺死という形にするのだぞ。僅かたりとも我らが関与したと疑われんように。判っておろうな」
 

「重々、承知しております」
 

「よし、では、早速、明後日、決行するのだ。明日はいかんぞ。殺生丸が人間の小娘に逢いに行く日だからな。フォッフォッ、精々、最後の逢瀬を楽しむがいい。これで邪魔な存在はいなくなる。次は、傷心の殺生丸を我が娘に慰めさせればよい。そのまま勢いにまかせて娘を娶(めと)らせて。さすれば、儂(わし)は西国王の舅(しゅうと)じゃ。子供でも出来れば外祖父ぞ。由羅には何としてでも男子を産んでもらわねばな。孫を足掛かりにジワジワと実権を握ってくれるわ」
 

「待ち遠しゅうございますな、豹牙(さいが)さま」
 

「フッ、儂(わし)は先代、闘牙王の従兄弟だ。この西国では、一番、血が近い親族なのだぞ。もっと厚遇されても当然であろうが。にも関わらず、殺生丸め、儂(わし)を冷遇しおって。二百年もの間、国を放り出し、このまま人界をほっつき歩いているのだろうと思えば、いきなり帰ってきおってからに。国主の座に就くや否や、不正な蓄財に励む者を次々と摘発し始めおった。長年、西国を支えてきた儂(わし)らの抗議を聞こうともせん。それどころか、抵抗する者は容赦なく牢に繋(つな)がれ断罪される始末よ。免職に蟄居(ちっきょ)、閉門、領地の召し上げは当たり前。それどころか、下手をすれば罪状によっては、打ち首、獄門の刑も有りうる。そうした所業を、殺生丸の奴め、平然と顔色ひとつ変えずやってのけおった。要職は、次々と、あ奴の息の掛かった者に挿(す)げ替えられ儂(わし)は閑職に追いやられてしまった。その上、高貴な犬妖に下賤(げせん)な人間の血を交(ま)ぜようなどと・・・・断じて許さんっ!」
 

次第に興奮してきたのだろう。
豹牙(さいが)と呼ばれた男が声を荒げた。
闇に染まる結界の中、点(とも)された明り取りの火に照らされ男の姿が浮かび上がる。
小山のような巨躯に縮れた赤い髪、荒削りな容貌、尊大な物腰の壮年の男が盃を手に座している。
髪と同色の赤い眉が逆八の字に跳ね上がり魁偉な容貌を、尚更、荒々しく見せる。
豹牙(さいが)は身の内に湧きあがる憤りを掻き消そうとするかのように酒を呷(あお)った。
帰還した殺生丸が、まず断行したのが西国に巣喰う鼠どもの一掃だった。
二百年にも亘(わた)る国主の不在は野心家どもを増長させた。
その最たる者が豹牙(さいが)である。
もし、世に名高い“西国の二本柱”、名臣の中の名臣と称(たた)えられる尾洲と万丈が国政の手綱を、天空の城に座す前西国王妃の“狗姫(いぬき)の御方”が睨みを利かせていなかったならば、間違いなく西国の王位簒奪(さんだつ)を企て実行していたであろう男だった。
しかし、実際には隙のない尾洲と万丈に阻まれ西国の実権を握れなかった豹牙(さいが)は、その鬱憤を晴らすかのように、先代国主の従兄弟という本来なら遠縁でしかない血縁を盾に取り弱者を虐(しいた)げ己の懐(ふところ)を肥やしてきた。
典型的な虎の威を借る狐の如き輩(やから)である。
強い酒が胃の腑を焼くに従い豹牙(さいが)の舌は、益々、滑(なめ)らかになった。
 

「全く、親が親なら子も子だ。大体、先代の闘牙が亡くなったのは竜骨精との闘いで負傷した身でありながら人間の女を助けに行ったせいではないか。それが原因で殺生丸は大の人間嫌いになったと聞いておる。それが今はどうだ。三日おきに人間の小娘に逢いに人界に出かけるなど腑抜けになったとしか思えん。一体、どういう料簡(りょうけん)だ。呆れて物も云えんわ!」
 

ダンッ!
豹牙(さいが)が力任せに盃(さかずき)を膳に叩き付けた。
赤毛の男は並々ならぬ膂力(りょりょく)の持ち主である。
グラッ・・・・
余りの勢いに結界内の空気が揺らぐ。
ビシッ!
衝撃で盃と膳が真っ二つに割れた。
・・・カラン・・・
これからの先行きを暗示するかのように割れた盃が転がっていた。


※雨師(うし)=雨の神
※風伯(ふうはく)=風の神
※閉門(へいもん)=一定期間、門を閉ざして出入りを禁じる刑罰。
※蟄居(ちっきょ)=閉門のうえ、一室に謹慎させる刑罰。
※獄門の刑=首切りの刑を受けた者の首をさらす刑罰。さらし首。


※『濁流③=襲撃=』に続く



 

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『濁流①=豪雨=』


 雨が降り続いている。
小糠雨(こぬかあめ)や霧雨のような少量の雨ではない。
雨粒の一つ一つが大きい。
天から大粒の雨粒が休む間もなく叩きつけるように降り注ぐ。
豪雨だ。
昼頃から降りだした雨。
止(や)む気配は一向にない。
大量の雨水が集中して河川に流れ込む。
しかし、量が多過ぎて排水が間に合わない。
見る間に水路から溢れ出す水、水、水。
決壊する堰(せき)、逆流する水。
氾濫する水が押し寄せてくる。
水の浸入が速すぎる。
逃げる時間さえ無い。
村でも低い位置に建てられた家々は、あっという間に濁った水に呑み込まれ見えなくなった。
荒れ狂う濁流に為す術もなく村人の命が失われていく。
助けに行こうにも、ここは農村であって漁村ではない。
肝心の船がないのだ。
そうする内にも水位はドンドン上がり高台にある楓の家にまで迫りつつある。
間の悪いことに犬夜叉も弥勒もいない。
妖怪退治を依頼され朝から家を留守にしているのだ。
この雨で何処かで足止めでもされているのだろう。
猫又の雲母(きらら)がいてくれれば空を飛んで戻ることも出来ただろうが、今は、生憎、琥珀と共に武者修行の旅に出て、ここ数年、戻ってない。
更に悪いことに七宝までもが妖術修行に出掛けていなかった。
せめて七宝だけでも居てくれれば狐妖術の風船球変化で助けられる村人もいただろうに。
楓は、最近、寄る年波に足腰がメッキリ弱り以前のようには動けない。
代わりに、かごめと珊瑚が中心になって走り回り村の衆に楓の家への避難を指図している。
篠突く雨に雨具など何の役にも立たない。
二人ともびしょ濡れになりながら陣頭指揮を取っている。
楓が、かごめに訊ねた。
 

「かごめ、りんを知らないか?」
 

「りんちゃん? 朝、顔を見たきりだけど」
 

珊瑚が口を出してきた。
顔色が真っ青になっている。
 

「家の双子と遊んでたんだ。でも、蝶を追いかけていって川の方へ・・・。その後、姿を見てない」
 

大水からの避難で誰も彼もが騒然としている。
そんな雰囲気の中、衝撃的な事実が判明した。
りんが何処にもいないのだ。
 


ヒラヒラと蝶が飛ぶ。
りんは見たこともない綺麗な蝶を夢中で追いかけていた。
鮮やかな朱色の四枚の羽根には上下に目のような模様がある。
朱色と黒が交じり合う上羽根の目は黄白色の縁取り。
黒の中に鮮やかな水色の斑点が散る下羽根の目は褐色の縁取り。
朱色、水色、黄色、白、褐色、そこに黒が入り、一層、鮮やかさを際立たせている。
かと思うと蝶が羽根をたたんだ瞬間、そこに現われるのは黒褐色の裏羽根。
よくよく見ると細(こま)かい縞が羽根一面に走っている。
まるで最上級の黒のお召しを纏((まと)う貴婦人のようだ。
正(まさ)しく豪奢と洗練の極み。
蝶が舞うごとに、緋色の羽根が、羽根を飾る目の模様が、ユラユラと揺れて催眠効果を発揮する。
四つの瞳にジッと見詰められている。
そんな錯覚さえ抱(いだ)かせる。
誰もが幻惑されそうになる。
蠱惑的な魅力を放つ妖美な蝶。
蝶の名は孔雀蝶。
華麗な姿に何と似つかわしいことか。
命名の由来は孔雀の羽根のような目を持つことに起因している。
本来、孔雀蝶は、高い山地に生息する。
そんな蝶が、何故、こんな人里に?
りんは孔雀蝶に誘われるままにフラフラと川の方へと誘導されていた。
ポツリ、水滴が頬を打つ。
ハッと、りんは正気に返った。
 

「あっ、あれ?」
 

周囲を見回してみた。
蝶は、もう何処にも見えなかった。
りんは、何時の間にか、珊瑚の家から、随分、遠ざかった場所に来ていた。
目の前には川が流れている。
ポツ・・・ポツ・・・ポツ・・・
最初は疎(まば)らに大地を打っていた雨が、急に、天水桶を引っくり返したような土砂降りに切り換わった。
アッという間もなく、りんはズブ濡れになっていた。
容赦なく降り注ぐ雨に新調の小袖が濡れて肌に張り付く。
髪から小袖からポタポタと雫が滴(したた)り落ちる。
 

「かっ、帰らなきゃ。楓さまが心配しちゃう!」
 

りんが慌(あわ)てて走り出そうとした瞬間、目の前に大きな影が立ちはだかった。
 


※『濁流②=暗躍=』に続く

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