忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『濁流③=襲撃=』


りんの前に立ちふさがったのは女の妖怪だった。
背に大きな羽根がある。
いや、違う、男だ!
一見、女のように見えはしたが、よくよく見れば、広い肩幅、背の高さ、何より女なら気付かない筈のクッキリした喉仏(のどぼとけ)が男であることを証明している。
女のように妖艶な顔に施された毒々しい原色の赤、青、黄、緑の化粧が、けばけばしさを、一層、際立たせている。
何故、人里に、こんな妖怪が?
犬夜叉や弥勒のお陰で人に害を為す妖怪どもが里に姿を見せなくなって久しい。
違和感は他にもある。
りんは雨に打たれズブ濡れなのに男は少しも濡れていないのだ。
雨は相変わらず激しく降り続いているのに。
理由は直ぐに判明した。
結界だ。
男の全身を覆っている非常に薄い膜のような結界が雨粒を弾(はじ)いているのだ。
弾き飛ばす雨が多すぎて本来なら見えないはずの結界が視覚できる。
-----ニタリ----
厚化粧の男が口角を上げた。
 

「フ~~ン、西国王になった殺生丸さまが人間の女にケタ惚(ぼ)けてるって聞いたから、どんな妙齢の美女かと思いきや、こんな色気もへったくれもない小娘とはね。焼きが回ったのかな、殺生丸さま。以前、俺が粉かけた時は、それはもう、ゾクゾクするような冷たい目で毒華爪(どっかそう)を喰らわしてくれたのにさ。あん時は、流石の俺も死ぬんじゃないかと思ったよ。毒負けしちゃってさ。本当、つれない御方だよね。まっ、そこが良いんだけどさ。とびっきり綺麗で凍りつきそうなほど冷たくて怖ろしい。ウ~~ン、堪(たま)らない、痺(しび)れるね~~。とまあ、そんな訳で、お嬢ちゃん、俺に取っちゃアンタは恋敵だ。悪いが此処で死んでもらうよ。今回の仕事も都合よく溺死に見せかけて殺せって依頼だし、『一石二鳥』って、この事だよな。そうそう、俺は毒蛾の蛾々って云うの。自分を殺す相手の名前くらい知っておきたいだろう。ウン、俺って親切だよな」
 

そう言い放つや否や、手に持った鞭を振り上げ打ち据える。
ビシッ!
りんの顔スレスレを掠めて鞭が地面を叩く。
ビシャッ!
飛び跳ねた泥が、りんの顔を、小袖を汚す。
 

「ひっ・・・」
 

毒蛾の蛾々と名乗った男は鞭に関しては百発百中の腕前を持つ。
まして獲物はこんな至近距離である。
本来なら絶対に外すはずもない。
そう、毒蛾の蛾々は猫が鼠を弄(もてあそ)ぶように遊んでいるのだ。
ワザと狙いを外して鞭を振るっている。
それも髪の毛ひと筋という神業的な精度で外しながら。
しかし、恐怖に駆られ必死に逃げるりんに、そんな事が判ろうはずもない。
土砂降りの雨の中、泥を撥(は)ね散らかしながら、倒(こ)けつ転(まろ)びつ、りんは逃げ惑う。
 

「ソ~~~ラ、ソラ、ソラ、もっと頑張って逃げないと鞭が当たっちゃうよ」
 

ビシッ!  ビシッ!  ビシッ!
毒蛾の蛾々が、りんを追い掛け回しながら舌舐めずりをする。
真っ赤な唇からチラチラと覗く長い舌が煽情的なまでに卑猥(ひわい)な感じだ。
楽しそうに笑いながら毒蛾の蛾々はりんをジワジワと追い詰めていく。
 

「フフッ、当たったら肉が裂けちゃうかもね」
 

りんを狙って、しかし、その実、決して、りんの身体には触れない絶妙な間隔で襲いかかる鞭。
そうこうする内に、りんは、益々、村から離れた方へ、水嵩(みずかさ)が増した川へと誘導されていた。
雨の勢いは一向に衰えない。
もう昼から、かれこれ二時(=約四時間)も降り続いている。
りんは知らない。
この雨が、これから二日二晩にわたって降り続け記録的な大災害を齎(もたら)すことを。
百年に一度と云われた豪雨の被害は凄まじく近郷近在の村々に壊滅的な打撃を与える。
中には大水に呑み込まれ村ごと全滅した場所も少なくなかった。
生き残った人々は、その悲惨な記憶を後世に残すべく子々孫々に語り伝えることになる。
後年、未曾有(みぞう)の大惨事を惹き起こしたこの集中豪雨は、酉(とり)年に起こった水害という意味で“酉(とり)の大水”と呼ばれるようになる。
地面に滲み込むだけ滲み込んだ雨水は直ぐに限界を超え溢れだした。
通常の排水能力を遥かに超えた驚異的な水量が天から降り注がれているのだ。
高きから低きに流れる水の性質そのままに雨水は集中して水路を流れ川に流れ込む。
想像を絶する早さで川が氾濫し始めている。
毒蛾の蛾々はドンドン川幅を広げる川をチロッと横目で見ながら考えた。

(さ~~て、そろそろ川に落とし込もうかな)

(ととっ、待てよ、その前に確かに依頼をこなした証拠に獲物の物を何でもいいから持ってこいって云われてたんだよね)

(何にしようかな。着物の一部?ン~~駄目駄目、如何にもスパッと切りましたって判る感じじゃ襲われたのが一目瞭然じゃん。目敏い奴なら気付いちゃうかも。疑われないように、飽くまでも、偶然、川に落っこちて死にましたって感じに見えなきゃ。だから、無くなっても気付かない。でも、持っていけばバッチリ証拠になるような物・・・あっ、あった、あった、あれにしよう)

鞭を高く振り上げて狙いをつける。
ビシッ!
 

「あっ!」
 

初めて、鞭が、りんに触れた。
右側頭部、いつも、りんが髪をひと房とって纏(まと)めている部分だ。
鞭の反動で、りんが、足を縺(もつ)れさせた。
目の前は増水した川、一瞬の間の後に激しい水音が。
バシャアッ!
りんが増水した川に落ちた。
鞭で切られたりんの黒髪が、数本、雨に泥濘(ぬか)るんだ地面に落ちる。
それと同時に髪を纏めていた髪紐が外れて宙に孤を描く。
髪紐は待ち受けていた毒蛾の蛾々の手にポトッと落ちてきた。
雨水が沁み込んで、幾分、重みが増している。
光沢のある錦で編んだ紅白の組み紐。
とても鄙びた農村の村娘が身につける代物ではない。
大名家の姫君か豪商の娘でもなければ持てない高価な品物。
殺生丸が贈った品だった。


※『濁流④=惨状=』に続く

 

拍手[11回]

PR