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『錦繍事変(きんしゅうじへん)③』



※上の画像は『妖ノ恋』さまの使用許可を頂いてます。


艶(あで)やかな一行は殺生丸や豺牙(さいが)から少し離れた位置に静かに降り立った。
地面に着地すると同時に牛車に繋がれていた三つ目の妖牛が大きく嘶(いなな)いた。
ブモォ~~~~~~
通常よりも一回り大きな牛車に相応しく、それを牽(ひ)く牛も並みの大きさではない。
手入れが良いのだろう、全身、真っ黒な毛並みがツヤツヤと黒光りしている。
大きく頑丈そうな胴体を支える逞(たくま)しい四肢、頭から突き出た大きな角、見事な体躯である。
もし闘牛に出したとしても楽々と優勝しそうな威容を誇る牛だが、妙に愛嬌がある。
それは妖牛の顔のせいだった。
何とも惚(とぼ)けた感じがする三つ目、その顔を見たが最後、誰もが、緊張感など何処かに忘れ去ってしまうからだろう。
そのせいか、威圧感を与えるほど大きな体格にも拘らず、牛飼いは勿論、お付きの女房衆からも可愛がられているらしい。
牛車から妖牛が離され轅(ながえ)が下ろされた。
牛車の箱、または屋形とも呼ばれる乗車部分の前に搨(しじ)が置かれる。
お付きの女房が二名がかりで御簾(みす)をスルスルとたくし上げた。
屋形(やかた)の中からスッと御出座(おでま)しになったのは西国で最も高貴な女性。
前西国王妃にして当代さまの御生母、王太后の狗姫(いぬき)の御方である。
絶世の美姫として世に名高い前王妃は、襟元は朱金、そして次第に金へと色が変化するボカシ染めの技法を駆使した絹地に大輪の菊と南天をあしらった優美な打ち掛けを身に纏(まと)っておられた。
菊は文字通り『秋』を象徴する花、南天は『難』を『転ずる』の意味から縁起物として喜ばれる草木。
秋という季節に合わせた高雅にして艶麗な趣きの衣裳である。
牛車から降りられた狗姫の御方は女房達を引き連れ殺生丸の方へやって来た。
当然、豺牙は西国に属する臣下として挨拶せねばならない。
(なっ、なぜ、狗姫の御方が、ここに!?)
豺牙が、うろたえるのも無理はない。
闘牙王が身罷(みまか)って以来、かれこれ二百年が経つが、これまで狗姫が公式の場に姿を現したことは殆どなかったのだ。
だからこそ、今回の宴も、勿論、欠席と見込んで何の用意もしていなかった。
狗姫の不意の登場に、内心、慌(あわ)てふためきながらも、そこは流石(さすが)に古狸、豺牙は狼狽する気持ちをグッと堪(こら)え殊勝な顔を作り挨拶した。
 

「こっ、これは狗姫の御方さま、ご来臨を賜わり誠に恐縮至極(きょうしゅくしごく)に存じます」
 

「豺牙か、久しいな、邪魔するぞ」
 

狗姫は、そう宣(のたま)うと、すぐさま筆頭女房の松尾に頷いた。
すると、それが合図だったのだろう。
松尾が後方に控えていた女房衆に声を掛けた。
すぐさま狗姫に付き従ってきた十数人の女房達がキビキビと動き始めた。
血のように赤い猩々緋の毛氈に瑠璃色の毛氈が次々と足され忽(たちま)ち宴席が拡がる。
上空から見れば赤の陣地に青の陣地が喰い込むように見えただろう。
そして、狗姫は何喰わぬ顔で微笑みながら豺牙の姦計を潰(つぶ)しにかかった。
 

「どれ、わざわざ豺牙が対(つい)で用意してくれた席だ。殺生丸、妾(わらわ)と並んで座るがよいぞ」
 

「・・・・・・・」
 

殺生丸に否やはない。
用意された主賓の座に母と息子は並んで着座した。
この場に狗姫が現われた時点で豺牙の計画は初(しょ)っ端(ぱな)から躓(つまず)いた。
今、ここで、西国王である殺生丸の横に座れるのは身分からいって王太后の狗姫を置いて他にいないのだ。
豺牙は周到に仕組んだ目論見の一端が頓挫したことを覚(さと)った。
とはいえ、まだ計画の全てが瓦解(がかい)した訳ではない。
要は殺生丸が由羅に籠絡されてしまえばよいのだ。
その下準備として殺生丸に饗(きょう)する薬酒には強力な媚薬が仕込まれているし、肴(さかな)は精力を増強させる物ばかりを用意してある。
素早く気持ちを立て直し豺牙は家臣に酒と肴を出すよう口を開きかけた。
その矢先、狗姫が豺牙の機先を制するように声を掛けた。
 

「突然、押しかけて済まんな、豺牙。せめてもの詫びに酒と肴を用意させた。遠慮なくやってくれ」
 

「あっ、いや・・・その」
 

狗姫に付き従ってきた女房衆が次々と贅(ぜい)を尽した山海の珍味を盛り付けた膳を運び込み主だった家臣の前に置いていく。
如何に豺牙が古狸とはいえ最高権力者を二人も前にしてゴリ押しは出来ない。
不満気(ふまんげ)に口を噤(つぐ)むしかなかった。
更に酒を満たした徳利と盃(さかずき)が大量に運ばれ宴席を埋め尽した。
酒食を全て狗姫に提供されてしまった以上、豺牙は一言も口を挿(はさ)めない。
この時点で豺牙が用意した酒と肴は完全に『用無し』とされてしまった。
 

「ほれ、殺生丸、盃(さかずき)を取れ。薬老毒仙から巻き上げた“切れずの瓢(ふくべ)”ぞ」
 

そう云って狗姫は松尾から受け取った瓢箪(ひょうたん)を振ってみせた。
チャポチャポ・・・中の酒が揺れる音がする。
瓢箪に巻き付けられた赤い飾り紐(ひも)がユラユラと揺れる。
 

「・・・薬老毒仙」
 

「んっ、そなたも知っておろう。あの助兵衛爺と妾(わらわ)との一件を」
 

「・・・・・・」
 

「ふふっ、この“切れずの瓢(ふくべ)”は妾の嫁入り道具の一つ。酌(く)めども酌(く)めども酒が尽きぬ不思議な瓢箪。どれ、殺生丸、そなたも妾も音に聞こえし酒豪。今日は思う存分、飲み明かそうではないか」
 

そんな狗姫の言葉に殺生丸が無言で盃を差し出す。
国主親子が酒を酌み交わすと同時に華やかな宴が始まった。

 

【轅(ながえ)】::牛車の前方、左右に長く前に出ている木のこと。

【搨(しじ)】::机のような形をした台で、車から牛を放した時に車を水平に保つため軛(くびき)の下に置くもの。


※『錦繍事変(きんしゅうじへん)④』に続く
 

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