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『満月情話(まんげつじょうわ)①』最終回萌え作品⑦

一年で最も明るく美しい月が空に昇る頃、生ける月の化身の如き存在も空を駆けていた。
双頭竜、阿吽の背に跨るのは西国王として妖界にその名を轟かせる殺生丸。
白き額を飾る三日月の徴、頬に走る二筋の朱の妖線、瞳の色は煌めく黄金、風に棚引き流れるのは滴るような白銀の髪、右肩から靡(なび)かせる髪と同じ色の豪奢な毛皮、さながら銀と金で象(かたど)られた夢のような姿。
月の男神(おがみ)、月読尊(ツクヨミノミコト)を思わせる程に冴えた美貌は、月光に照らされ、益々、神々しく、それ自体、光を発しているかのようにさえ見える。
殺生丸は、りんの匂いを追跡していた。
風に乗って漂ってくる甘く馨しい匂い。
まだ幼い頃から、りんの持つ生得の馨(かぐわ)しい匂いは、殺生丸を惹き付けて離さなかった。
初めて出会った貧相極まりない孤児(みなしご)の時から、今に至るも、それは変わる事なく。
イヤ、寧ろ、りんの成長と共に芳香は、益々、馨しさと艶やかさを増し、一層、強く、殺生丸を捉えるようになっている。
三日ぶりに村を訪れた。
半妖の弟と仲間達が住み着いて暮らしている村。
その村の長老である老いた巫女に、りんを預けて、かれこれ三年。
預けた当時は童女だったりんも、月日と共に可憐な少女に成長した。
殺生丸が村を訪問する度に、それは嬉しそうに駆け寄ってくるりん。
何時の間にか髪は腰近くにまで伸びた。
スンナリとした細い手足は小鹿のように敏捷に動く。
そして何よりも素晴らしい花が咲き零れるような満面の笑顔。
りんの健やかな成長は甚(いた)く殺生丸を満足させる物だった。
奈落を滅した後、殺生丸は長らく留守にしていた西国に戻り、父の跡を継ぎ国主の座に就いた。
多忙な政務に忙殺される日々。
そんな殺生丸に取って、りんに逢う為、村を訪れる事は何よりの楽しみだった。
しかし、何時もなら子犬のように駆けてくる少女の姿は無かった。
老いた巫女の姿も見当たらない。
残り香の強度から判断して既に半日以上の不在と推測できた。
それに、何時もならウンザリするほど強く臭って来る半妖の弟と姦(かしま)しい妻、法師と退治屋の夫婦の臭いまで極々弱くなっている。
どうやら全員揃って何処ぞへ出掛けたらしい。
巫女が使う馬も馬小屋に居ない。
となれば、殺生丸が次に取る行動も決まっている。
態々(わざわざ)、西国から出向いて来たのは愛しい少女に逢う為。
無駄足を踏む気は毛頭ない。
斯くして、殺生丸は、りんの匂いを追って夜空を翔けている。
従者の邪見は振り落とされまいと阿吽の尻尾を必死に掴んでいた。
りんに渡す土産の籠(かご)はシッカリと阿吽に括りつけてあるが油断は出来ない。
栗に茸に山葡萄、手渡せば、どんなにりんが喜ぶか。
折角の秋の味覚である。
落っことしでもしたら主のこっ酷(ぴど)い折檻は免れない。
急に主が阿吽の速度を上げた。
それも阿吽の最大速度に迫る速さ。
顔に受ける風がビシビシと痛いくらいに強い。
一体、何故?
邪見は、疑問を、そのまま、主にぶつけた。

「殺生丸様、一体、どうされたのです? 何か有ったのですか?」

「・・・臭う。・・・狼だ。」

「エッ!」

狼と聞いて、即座に、邪見の脳裏に以前の場景が浮かんだ。
それは、嘗て、りんが狼に喰い殺された時の物。
あの時、初めて主が自らの意思で天生牙を振るったのだ。
そして、りんの命を、この世に呼び戻した。
もっ、もしや、あの時の狼か?
だから、これ程までに主は急いでいるのか?

「せっ、殺生丸様、まさか、その狼、以前、りんを襲ったのと同じ奴らなのですか?」

「・・・・・」

主の応えはない。
しかし、否定もされない。
邪見は確信した。
あの時の狼どもに間違いない。
主の怖ろしく鋭敏な嗅覚が間違えるはずが無いのだ。
邪見が察したように、殺生丸が急行している時、狼どもを従えた若い男も足を速めていた。
見るからに精悍な容姿を持つ青年。
長い黒髪を頭上で一つにまとめて垂らし、目立った防具は胴鎧のみ。
肩当て代わりと腰蓑(こしみの)風の狼の毛皮。
長い手足は如何にも俊敏で頑丈そうに見える。
そして狼以上に足が速い。
ともすれば群れを置き去りにしてしまう。
いつも付き従っている仲間にしても同じ事。
腹心の部下は、勿論、苦楽を共にしてきた銀太と白角である。
嘗て、犬夜叉達と行動を共にした事もある妖狼族の若頭、鋼牙である。
イヤ、もう若頭ではない。
鋼牙は、今や、全妖狼族の長の地位に有る。
奈落の分身である夢幻の白夜に操られた妖怪に滅ぼされた南の洞穴(あな)。
鋼牙が率いていた東の洞穴の仲間も北の洞穴の連中と一緒に奈落の分身である神楽に殺されている。
奈落の姦計にはまり、四魂の欠片を餌に誘(おび)き出されて。
中央の洞穴も南の洞穴同様、灰(かい)と弟の芯太(しんた)以外、皆殺しに遭った。
四魂の欠片に関わったばかりに妖狼族は著しく数を減らし勢力を減じた。
妖狼族全体が絶滅の危機にある中、唯一、被害に遭わなかった西の洞穴の長老は決断した。
強い指導者の許、生き残った妖狼族を集め一族の再興を図ろうと。
その為に選ばれたのが鋼牙である。
妖狼族代々の祖先の魂が籠もった妖爪、五雷指(ごらいし)を受け継いだ鋼牙。
謂わば、鋼牙は妖狼族の祖先から選ばれた者。
鋼牙ほど強い若者は、全妖狼族を見渡してもいない。
血の結束を固める為、西の長老は孫娘と鋼牙を娶((めあわ)せる事にした。
長老は一族の命運を託すべく鋼牙の許に使者を送った。
犬夜叉達と別れ、古巣に戻っていた鋼牙は、その申し出を一度は蹴った。
しかし、長老は諦めなかった。
粘り強く、再三再四、使いを寄越した。
遂に鋼牙が折れた。
長老の要請を聞き入れて全妖狼族の長の地位に就いたのだ。
しかし、西の長老の孫娘との祝言は、敢えて時期を引き延ばしてきた。
かごめの消息が判らなかったからだ。
犬夜叉達が奈落を滅した事は、風の噂に聞いた。
四魂の玉が消滅した事も。
しかし、奈落を滅ぼした後、巫女のかごめは、何処へともなく消えたと云う。
それ以後、三年間、かごめの消息は杳として知れなかった。
だが、つい先頃、巫女が村に舞い戻ったという噂を耳にした。
どうしても顔を見たかった。
逢って無事を確かめたかった。
鋼牙に取って、かごめは、人間ではあるが、心底、惚れた女だった。
それも、単なる人間の女ではない。
四魂の欠片をも見る事の出来た霊力の高い巫女。
かごめのおかげで命を助けられた事さえ何度か有る。
度胸の良さも、可愛い処も、何もかも鋼牙の好みだった。
生憎、もう犬夜叉が居たせいで鋼牙の想いは成就しなかったが。
それでも簡単に忘れる事ができるような存在ではなかった。

「「鋼牙、待ってくれよぉ~~~!」」

お馴染みの銀太と一角の掛け声。
速すぎる鋼牙を引き止める為、こうして日に三度は声を掛けなければならない。
尤も、以前、鋼牙が四魂の欠片を両足に仕込んでいた頃は、半日に一度の割合だった。
それを思えば、多少はマシになったのかも知れない。

「何だよ!? さっき休んだばっかりだろうが!」

鋼牙が、不承不承、足を止めた。
嘗てのように盛大に風を巻き上げる竜巻は起きないが、それでも相当な高速である。

「おっ・・お・・前・あっ・明日・・西の長老・・の孫娘と・・・しゅっ・祝言・・挙げるんだろうがっ!」

一角が息を切らしながら鋼牙に話しかける。ゼイゼイ・・・ヒイヒイ・・・

「そっ・・そうだぞ・・・いっ・今更・・かっ・かごめ姉さんに・・逢って・・どっ・どうする気なんだよ?」

銀太も一角と同じように、鋼牙の気持ちを問いただす。ゼッゼッ・・ハアハア・・・

「どうもしねえよ。唯、どうしても顔を見ときたいんだ。犬っころ達の様子は風の噂に聞こえてきたが、かごめだけは、この三年間、何処に姿を消したのか、全く判らなかった。それが、最近、戻ってきたらしいって聞いたからな。最後に逢って俺の気持ちにケリを付けときたいだけだ。」

「「・・・・そっか。」」

銀太と一角は、同時に頷(うなず)いた。
かごめに対する鋼牙の想い。
それは、ともすれば過剰なまでの自信を感じさせるこの男が抱いた紛れも無い純愛だった。
銀太も一角も、かごめに対しては尊敬と感謝の念を抱いている。
何度も危ない処を助けてもらった覚えがある。
特に、銀太は、命を助けて貰った事さえ有る。
まだ、出会って間もない頃、妖狼族の天敵、極楽鳥に捕らえられ喰われる処を、かごめの破魔の矢で助けてもらったのだ。
正直、かごめなら人間であろうと、鋼牙の連れ合いとして全く文句は無かった。
しかし、かごめには、既に犬夜叉が居た。
有り体にいうと、鋼牙は、横恋慕したのだ。
強引な鋼牙らしい。
犬夜叉が弱ければ、即、鋼牙に殺されてお終いだったろうが。
相手は半妖とは云え、鋼牙に優るとも劣らぬ実力を備えていた。
特に犬夜叉の持つ刀、鉄砕牙の威力は凄まじい。
鋼牙は恋敵の犬夜叉に助けてもらった事も何度かある。
常に張り合いながら、共通の敵、奈落を追う内に両者の間に育まれていった友情。
互いの力量を認め合った男同士ならではの友としての絆。
今では、鋼牙と犬夜叉の関係は、かごめを巡っての敵同士というよりは『喧嘩友達』といった方が、正直、相応しいだろう。
両足の四魂の欠片を奈落に奪われ、これ以上の戦闘は無理と判断した鋼牙が、犬夜叉達一行と別れた時もそうだった。
恋敵と云うよりは生死を共にした戦友として別れたのだった。
常に気紛れな風が、ふいに風向きを変えた。
今迄とは、ほぼ逆の方向から風が吹き始めた。
さっきまでは風上の位置にあった鋼牙達。
それが、今は、風下に変わっている。
風力も急にそよ風から突風と云うべき強さに変わり出した。
強風によって、臭いは、一層、速く四方に運ばれる。
それを逸早く感知した犬夜叉が行動に出た。

「何処へ行くんです、犬夜叉!」

唯ならぬ形相で飛び出して行こうとする犬夜叉に弥勒が訊ねる。

「鋼牙の奴が、コッチに向かってる!オマケに殺生丸まで反対方向から近付いて来てるんだ!」

「「!」」

犬夜叉の吠(ほ)えるような言葉に弥勒が瞬時に覚る。
同時に七宝も犬夜叉の云わんとする事に気付く。
何故、犬夜叉が、こんなに焦っているのかを。
鋼牙は、殺生丸にとって、りんを狼に噛み殺させた張本人。
何度八つ裂きにしても飽き足らない相手。
そして、悪い事に、鋼牙は、それを知らない。
もし、両者が顔を合わせたら、どうなるか。
間違いなく殺生丸は鋼牙を殺す。
これまで、りんに害を成す者は、極、僅かな例を除いて悉(ことごと)く殺生丸に排除されてきた。
力量的には、犬夜叉と、ほぼ互角の鋼牙だが、殺生丸が相手では話にならない。
元々、戦国最強の大妖と謳われる殺生丸だが、今では、爆砕牙まで有るのだ。
【爆砕牙】、鉄砕牙のような父親の形見ではなく、殺生丸の中から現れた殺生丸自身の刀。
一振りすれば百どころか千の妖怪をも薙ぎ倒す。
それも、一度、爆砕牙に破壊された対象を取り込めば、新しい対象まで破壊するという怖ろしい属性を持っている。
文字通り“塵”になるまで完全に破壊され尽くすのだ。
まるで神の怒りを体現するような究極の『破壊の刀』。
そんな相手に、一体、どう対抗すればいい。
どう転んでも鋼牙に勝ち目はない。
りんを鋼牙の手下の狼どもが噛み殺した事は、これ以上ないほど明白な事実。
そして、それを許可したのが他ならぬ鋼牙である事も。
言い逃れる事は絶対に不可能だろう。
斯くなる上は、鋼牙を、出来るだけ早く遠くへ逃がすしかない。
犬夜叉は奔(はし)った。
一刻も早く、この地から鋼牙を遠ざけねばならない。
僅かでも時を失えば、それは、即、鋼牙を喪う事に繋がる。
見えた! 鋼牙と付き従う狼ども、それに腰巾着の銀太と一角が!
以前より速度が、多少、落ちているが、それでも相変わらずの俊足だ。

「止まれ、鋼牙!」

大声で呼びかける犬夜叉に足を止める鋼牙。
少し遅れて銀太や一角、狼達も辿り着いた。

「何でえ、犬っころじゃねえか。久し振りだな。かごめは元気か?」

「暢気(のんき)に世間話してる暇はねえっ! 今直ぐ此処から引き返せ! 痩せ狼!」

「ハア~~~? 何でだよ。」

「おめえ、三年前、俺達と出会うチョッと前に人間の村を狼どもに襲わせただろう。そん時、りんも殺されてるんだ!」

「りん? 誰だ? そりゃ?」

「殺生丸が物凄く大事にしてる人間の小娘だ。」

「益々、話が見えねえ。 大体、殺生丸って誰なんだよ? 犬っころ。」

「俺の腹違いの兄貴だ。俺と違って半妖じゃねえ。本物の妖怪だ。」

「で、そいつが、どうしようってんだ。」

「馬鹿野郎、お前を殺そうとするに決まってるだろうがっ!今、コッチに向かってるんだよ!」

「「「!?」」」

「判らねえのか!りんは、殺生丸に取って、俺に取ってのかごめと同じだ。誰よりも大事なんだよ!そんなりんを、お前の手下の狼どもは、噛み殺しちまってるんだ! 天生牙で生き返らせる事が出来たからって、あの殺生丸が、見す見す、お前や狼どもを見逃すはずがねえ!悪い事は云わねえ。今直ぐ、逃げろ!」

「天生牙? オイオイ、犬っころ、そりゃ、一体、何のこった?」

「アアッ、もう、じれってえな。鉄砕牙と同じく親父の牙から打ち出された刀だよ。鉄砕牙と違って『癒しの刀』で、一度、死んだ者を蘇らせる事が出来るんだっ!」

物分りの悪い鋼牙の態度に犬夜叉が地団駄を踏んで怒リ出した。

「こっ、鋼牙、ひっ、引き返そうぜ。俺、殺生丸って奴の噂を耳にした事がある。」

銀太が、及び腰で鋼牙に提案する。

「そっ、そうだぞ、鋼牙。ぎっ、銀太の云う通りだ。俺も、犬夜叉の兄貴って滅茶苦茶強いって聞いたぞ。そいつ、爆砕牙って刀を持ってて、それが、また、トンデモナクおっかない代物らしいぜ。」

一角も必死で鋼牙を説得に掛かる。

「お前、かごめが殺されたら俺がどうするか考えてみろっ!」

犬夜叉が完全にブチ切れて喚いた。

「相手をぶっ殺す!」

間髪いれず鋼牙が答える。

「それを殺生丸がしようってんだよっ! 判ったら、トットと逃げやがれっ!」

犬夜叉が、そう大声で叫んだ途端、一陣の風が吹き抜けた。
その風が運んできた匂いを嗅いだ瞬間、鋼牙達が、一様に顔色を変えた。
匂いは嗅覚能力の高い者に取って膨大な情報を含んでいる。

「戻るぞっ! てめえら全力で走れっ! チョッとでも遅れたら死ぬと思えっ!」

殺生丸の匂いを嗅ぎ取った鋼牙が即座に指示を出す。
匂いから読み取った相手の実力は絶望的なまでに強い。
こんな相手とやり合ったら間違いなく殺される!
危険回避能力の高い鋼牙は、一旦、判断したら早い。
今、来た道を全速力で引き返し始めた。
戻って行く鋼牙の背に向かい、犬夜叉が叫ぶ。

「ぶっ殺されたくなかったら、今後、俺達の側に近付くんじゃねえぞ! アイツは、殺生丸は、りんに逢う為にチョクチョク村にやって来るんだ!」

「判った! 達者でな、犬っころ! かごめに宜しく伝えてくれ!」

風向きが変わった。
今度は斜め後ろの方向から吹き付けてきた。
嗅覚の鋭い犬夜叉が、風の運んできた匂いから兄との距離を測る。
匂いの濃度から判断して殺生丸は、まだ、到着していないようだ。

「フゥ~~~冷や冷やさせるぜ、全く。何とか間に合ったらしいな。」

ホッと一息吐く。
鋼牙達が見えなくなるのを確認してから犬夜叉は帰路に着いた。
戻って直ぐに、弥勒が声を掛けてきた。

「お帰り、犬夜叉。鋼牙は、無事、逃げおおせたようですね。」

「アア・・・・胆を冷やしたぜ。あの馬鹿、俺が焦りまくって説明してんのに、全然、ピンとこねえんだ。その癖、殺生丸の臭いを嗅いだ途端、サッサカ逃げ出しやがって。相変わらず良い性格してるぜ。」

「鋼牙は危険を察知する弟六感が優れてますからな。とにかく兄上と鉢合わせしなくて良かった。血の雨が降る処でしたよ。」

弥勒が云い終わったのと同時にキャッキャと華やいだ声が聞こえてきた。
女達は久々の温泉をタップリ堪能したようだ。
充分に温められた体からフワッと柔らかい体臭が立ち昇って漂ってくる。
と同時に犬夜叉は風の中に混じる兄の匂いを感じ取った。
かなり近くに居る。邪見と阿吽の臭いもする。
木立を抜けた辺りになだらかな草地が拡がっている。
其処に阿吽を着陸させたらしい。
殺生丸は犬夜叉以上に鼻が利く。
とっくに今の状況を察知しているのだろう。
りんを殺した鋼牙と狼どもが刻一刻と遠ざかりつつある事を。
そして、それに犬夜叉が手を貸しただろう事も。
もし本気で殺生丸が鋼牙を殺す気なら此処に寄りはしない。
どうやら今回は見逃してくれる積もりらしい。

「りん、殺生丸が来てるぜ。」

「エッ! はっ、はい。 有難う、犬夜叉さま。」

りんが満月に照らされた木立の中に消えていく。


                            『満月情話②』に続く

 

刻々と遠ざかる不快な臭い。
今、こうしている間にも距離が大きく開きつつあるのが判る。
殺生丸は、途中から察知した狼の臭いを引き続き意識の上で追尾していた。
並外れて感度の高い殺生丸の嗅覚感知能力である。
この程度の事、何の造作もない。
普通の狼の臭いなら気にも留めなかっただろう。
だが、それは忘れようにも忘れられない記憶を刺激する臭いだった。
りんを噛み殺した妖狼族の狼の臭い。
あの時は、まだ、りんが自分に取って、どれ程、大切な存在か自覚していなかった。
だから、りんを噛み殺し貪(むさぼ)り喰う狼どもを威嚇するだけに止(とど)めた。
だが、今、あの狼どもが目の前に現れたなら容赦なく引き裂いてくれよう。
ギリッ・・・・噛み締めた唇に血が滲む。
口中に広がる鉄錆のような匂いと味。
りんが味わったであろう凄まじい苦痛と恐怖。
それを思えば、どうして奴らを生かしておけようか。
引き裂かれた小さな身体、噛み砕かれた細い喉、飛び散った鮮血は血溜まりとなって広がりジワジワと地面に沁み込んでいた。
光を失った虚ろな目、声なき断末魔は、私を呼んだのだろうか。
思い出す度、肺腑を抉(えぐ)られるような気がする。
二度と、あのような目には遭わせぬ!
何者にも傷つけさせはせぬ!
もう天生牙でさえ、お前を蘇らせる事はできないのだから!
不意に臭いが途切れた。
狼どもは、殺生丸の捕捉できる限界領域から飛び出したらしい。
今回は見逃してやる。
どうも、妖狼族の狼どもを逃がすのに犬夜叉が手を貸した節(ふし)があるようだしな。
だが、今後、りんの周囲に、あの不快な臭いを、極、僅かでも感知したら・・・・。
その時は、一切、容赦はせん。
即刻、この手で葬り去ってくれようぞ。
強力無比な爪を鳴らす。バキバキッ!
殺生丸は酷薄な笑みを口の端に浮かべる。
それを見ていた邪見は、ゾゾ~~ッと戦慄が背筋に走るのを抑えられなかった。
(ヒィ~~~こっ、怖い! せっ、殺生丸様が笑ってらっしゃる!)
口許は笑っていながら、殺生丸の目は、笑っていなかった。
獲物を狙う猛禽のような剣呑なまでに鋭い光を宿していた。
カサッ、微かな物音。
嗅覚が鋭いとはお世辞にも云えない邪見にも感じ取れる柔らかな甘い匂い。
温泉に浸かって、充分、温まったせいだろう。
りんの体臭が、今宵は、一際、艶(あで)やかに匂う。
つい先程まで、あれほど強く吹いていた風が、ピタリと止んだ。
何時も月の輝きを邪魔する雲が折からの強風で綺麗に吹き払われている。
遮る物のない明澄な月明かりに浮かび上がるりんの姿。
それを目にした途端、殺生丸から殺気が消えた。
りんは、以前、殺生丸が贈った小袖を身に付けていた。
若草色の小袖に散らされた可愛らしい手毬紋様。
西国の女官長、相模が見立てた手毬尽くしの紋様。
大小様々な手毬が小袖全体に配された紋様が、まだ大人にならない少女の愛らしさに、この上なく相応しい。
踊るような手毬は、りんの軽やかな所作を思わせる。
相模が、この紋様を選んだのは、殺生丸の心中を察しての事だろう。
紋様に籠められたりんの健やかな成長を願う思い。
そして、微かに混じる焦(じ)れったさ。
未だ幼い少女に対して成長を急(せ)かしたくなる殺生丸の気持ち。
それを見透かした相模が、この紋様を選んだのであった。

「殺生丸さま」

「・・・・りん」

満月の光に映し出された少女の姿は、シットリと露に濡れた笹百合のような艶を放っていた。
そんなりんに殺生丸は目を瞠(みは)る思いがした。
(気付かなかった。子供子供しているとばかり思っていたのに・・・何時の間に)
横から響いてきた濁声(だみごえ)が、一挙に艶(つや)やかな雰囲気を台無しにした。
得意気に、邪見が籠に山盛りの秋の味覚を、りんに差し出す。

「ホ~~レ、りん、お前が大好きな栗に茸、山葡萄じゃぞ!」

「ワア~~美味しそう! 有難う、殺生丸さま、邪見さま」

りんが大喜びで邪見から籠を受け取る。

「・・・・邪見」

「はい?」

主の方に振り向いた従者を力任せの足蹴りが襲う。

「ア”~~~~~~~~ッ! なっ、何でぇ~~~~~~っ?!」

月の兎の仲間入りをするように見事な弧を描いて邪見が飛んでいく。
そのまま邪見の姿は中秋の名月に吸い込まれるように消えていった。


                            『満月情話③』に続く

 


 

雨露をしのぐ為、大急ぎで拵えた仮の小屋の中。
殺生丸に逢う為、小屋から出て行くりんを見送った後、かごめが呟く。

「フ~~ン、そうなの。殺生丸、来てたんだ。相変わらずマメねえ」

弥勒が口を挟む。

「殺生丸だけではありませんよ、かごめ様。鋼牙も近くまで来てたんです」

「エッ、本当なの。鋼牙クンが?懐かしいわ。あれからどうしてたのかな?」

かごめの言葉に犬夜叉が噛み付くように答える。

「のん気な事云ってんじゃねえよ。鋼牙と殺生丸が顔なんか合わせてみろ。即、殺し合いが始まるぞ。それも一方的に鋼牙が殺される羽目になるだろうぜ」

「どうしてよ、犬夜叉?」

「忘れたのかよ、かごめ。りんを噛み殺したの、ありゃ、間違いなく鋼牙の手下の狼どもだぜ。あの殺生丸が、狼どもと親玉の鋼牙を放っとく訳ないだろうが」

「アッ、そっ、そっか! じゃあ・・・・」

かごめの云わんとする処を先に引き取って犬夜叉が応える。

「アア、そういうこった。だから、鋼牙が殺生丸にブッ殺されないように、さっき俺が大急ぎで走って知らせに行って来た。直ぐ逃げろってな。それなのに、あの馬鹿!こっちが必死になって説明してやってんのに、悠長に構えやがって。その癖、殺生丸の臭いを嗅ぎ取った途端、後も振り返らず、死に物狂いで逃げていきやがった。全く・・・。相変わらず良い性格してるぜ。」

「ハア~~~そうだったの。(ホッ)有難う、犬夜叉。元気だった、鋼牙クン?」

「アア、鋼牙の奴は、全然、変わってなかったぜ。腰巾着の銀太と一角もな。相変わらず鋼牙にベッタリくっ付いてたぜ」

七宝がヒョイと横から口を挟む。

「アイツら、まだ一緒につるんでおったのか。」

弥勒が、以前、鋼牙から聞いた事情を思い出し答える。

「それはそうでしょう。狼は群れるものです。彼らと鋼牙は同じ洞穴(あな)で育った仲間なんですしね。鋼牙の率いていた東の洞穴は神楽に皆殺しにされてますから、あの両名だけが鋼牙の本当の仲間なんですよ。」

「ンッ、そう云えば、おら、此間(こないだ)、妖術試験で噂を聞いたぞ。妖狼族がアチコチに散らばった一族を一つに纏めてるって話を。何でも奈落に滅ぼされた洞穴の残党を集めて一族の再興を図るらしいぞ。それで、唯一、無事だった西の洞穴の長老の孫娘と新しい頭目とを娶わせるとか。その新しい頭目って鋼牙の事じゃないのか?」

七宝の推測に弥勒が頷く。

「それは、充分、有りうる話ですね、七宝。奈落に、あれだけ痛め付けられた妖狼族です。一族の再興を考えるなら強い指導者が必要でしょう。その点、鋼牙ならピッタリです。少々、強引ではありますが、群れの事を第一に考えて行動しますし、それに何より強い。妖狼族代々の祖先の魂が籠もった妖爪、五雷指まで受け継いでますからね。鋼牙なら一族の誰からも文句は出ないでしょう。」

犬夜叉が話に加わった。

「てえ事は何か、弥勒、鋼牙の奴、嫁をもらうってのか?」

「そういう事になりますな。鋼牙は、かごめ様にベタ惚れでしたが、かごめ様には、既に、犬夜叉、お前が居ましたからな。諦めるしかないでしょう。今回、此処に近付いたのも、嫁取りをする前に、かごめ様に逢いたかったからでは有りませんか」

「そっか、鋼牙クンも、お嫁さん貰うんだ。みんな、少しづつ変わっていくんだね。」

自分がコチラの世界に居なかった三年。
その間、みんなの境遇も少しづつ変化していた。
かごめが、チョッピリ寂しそうに呟く。

「鋼牙の奴には、二度と俺達の側に近付かないように云っといたぜ。りんに逢う為に、殺生丸が、しょっちゅう村に来てるんだ。もし、見つかったら、即、ブッ殺されるだろうからな。」

「ウン、その方が良いよ。村の人達が狼を見たら驚くだろうし。」

珊瑚も犬夜叉の言葉に同意する。

「ねえ、犬夜叉、チョッと散歩しない?」

徐(おもむろ)に、かごめが犬夜叉に声を掛ける。

「ハアッ! 今からか?」

「ウン、月が、とっても綺麗だから。ネッ、行こう!」

「チッ、しょうがねえな」

かごめの誘いに面倒くさそうに犬夜叉が腰を上げる。

「オラも一緒に・・・」

二人の散歩に付いて行こうとする七宝。
しかし、弥勒にムギュッと尻尾を摑まれ、引き止められる。

「なっ、何をするんじゃっ! 弥勒!」

「夫婦の邪魔をする物ではありません。それに、あの二人には大事な話が有るのです。ネッ、珊瑚」

訳知り顔に弥勒が七宝を諭し、珊瑚に目配せする。

「さて、散歩と云っても何処へ行く?草地の方には殺生丸達が居るぜ。」

満月の空を眺めながら、犬夜叉が、かごめに話しかける。
兄とりんの居所を造作もなく掴んでいるのだろう。
兄の殺生丸には劣るものの、犬夜叉の嗅覚も並外れて鋭敏だ。
周囲の状況が居ながらにして判る。
懐手(ふところで)の犬夜叉に、かごめが寄り添い話す。

「あのね、温泉に入ってたら微かに水の音が聞こえたの。もしかすると滝が有るんじゃない?」

クンクンと犬夜叉が鼻を蠢(うごめ)かして周囲の匂いを嗅ぐ。

「お前の云う通りだ、かごめ。温泉の匂いの中に水の匂いが混じってるぜ。それに滝の音も聞こえるな。」

「じゃ、其処に行ってみようよ。」

「アア」

二人が暫く河原を歩いていくと、切り立った崖から滝が流れているのが見えてきた。
ドド————ッドドド————ッドド————ッ
豊富な水量が間断なく流れ落ち清涼な飛沫(しぶき)を上げる。
月明かりを反射して神秘的な輝きを発する銀色の滝。
幻想的なまでに美しい真円の月が闇を照らす。

「・・・・素敵。まるで夢みたい」

かごめが感に堪えぬように言葉を漏らす。

「弥勒が云うには今夜は中秋の名月らしいぜ。」

「ウン、知ってる。さっき楓ばあちゃんが教えてくれた。」

心地よい風が吹いてきた。
月の光を浴びて犬夜叉の長い白銀の髪が輝く。
銀色に輝きながら風に靡(なび)く様はウットリと見とれる程に美しい。
鮮やかな真紅の童水干が髪の色を、一層、惹き立てている。
瞳の色は満月と同じ煌めく黄金。
少年の面影を色濃く残す容貌は綺麗という言葉に相応しく。
傍らを歩く夫の姿に、かごめは思わず目を奪われた。

「犬夜叉、あんたって、ヤッパリ殺生丸の弟なだけあるわね。」

「ハアッ!? 何云ってんだよ、かごめ」

「殺生丸ほどじゃないけど、あんたも綺麗な顔してるんだもん。」

「おっ、男に『綺麗』なんて云うな!」

「アラ、どうしてよ。綺麗なものは綺麗じゃない。」

「気色悪いんだよ。そんな事云われんのは・・・・」

「ねえ、犬夜叉、もし、私達に子供が出来たら、どっちに似てると思う?」

「どっちって、俺は・・・・かごめの方に似て欲しい」

「どうして?」

「俺に似たら一目で妖怪の血が混じってると判るじゃねえか」

「そうね。でも、あたしは、アンタの髪も目の色も好きだけどな。だって凄く綺麗なんだもん」

「そっ、そうか。おっ、おめえが気に入ってんなら、それで良い」

「最初の子は、どっちが良い? 男の子? 女の子?」

「どっ、どっちでも良い」

「ウ~~ン、あたしは男の子が欲しいな。犬夜叉に良く似た可愛い男の子。」

「おっ、俺に似てるのか?」

「ウン、きっと凄く可愛いと思う。それでね、滅茶苦茶、可愛がるの。」

「・・・・・・」

「犬夜叉が小さな頃も、きっと凄く可愛かったんだろうな。ウ~~ン、残念。コッチの世界に写真が有れば良いのに」

「お袋は・・・・俺が半妖のせいで、凄く苦労したんだ。親父は、とっくに死んで居なかったし」

「じゃ、犬夜叉は、お父さんの顔を覚えてないの?」

「アア、物心付いた頃には、もう居なかった。だから、俺は、親父の事を何も知らない。冥加が、親父の事をアレコレ話してくれても、全然、ピンと来ないんだ。」

「・・・・そうだったの」

「お袋も俺が小さい頃に亡くなって、それからズッと一人で生きてきた。だから、もし子供が出来たら俺みたいな寂しい思いはさせたくない。絶対、側に居て守ってやりたいんだ」

「・・・・・犬夜叉、アッ!」

草に足を取られ、よろけそうになったかごめを、犬夜叉が、すかさず力強い腕で抱きとめる。

「気を付けろよ。大事な身体なんだから」

「ウン、有難う。ンッ?大事な身体って・・・・エエッ!犬夜叉、知ってたの?!」

「アア?子供が出来たって事か。当然だろ。おめえの匂いが変わったからな」

「なあ~~んだ。じゃあ、何時、打ち明けようかってドキドキしてたあたしが馬鹿みたいじゃない。」

「そんな事ねえよ。これでも、何時、お前が教えてくれるんだろうって待ってたんだぜ。それで、何時頃、産まれるんだ?」

「多分、来年の春頃。」

「そうか。かごめ、お前が居なかった間、ズッと考え続けてた。元々、アッチが、お前の世界だ。家族だって友達だって居る。不安だった。コッチに本当に戻って来てくれるだろうかって。この三年間、お前の事を考えない日は一日だって無かった。有難うな、戻って来てくれて。その上、子供まで産んでくれるなんて」

「犬夜叉、あたしも逢いたかった。逢いたくて逢いたくて堪らなかった。その願いを骨喰いの井戸が叶えてくれたの。だから良いの。もう何も云わないで」

「かごめ・・・・」

ソッと静かに寄り添い抱きあう若い夫婦に絶え間なく降り注ぐ月の光。
音もなく静かに金色の光の波は地上に届く。
まるで新たな命の誕生に声なき祝福を贈るかのように。    
                                     了


 



 


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