小説第四十三作目『或る祐筆の述懐』 ② 邪見殿にお聞きした話の中には、神楽なる、これまた、奈落の分身である風使いの女が、何度も出てまいります。 その者の行動から考えると、どうも、殺生丸様に懸想していた節が御座いますな。 当初は、自分の心臓を握る奈落から自由になる為、恐れ多くも、殺生丸様を利用しようと近付いてきたようです。 ある時などは、四魂の欠片と引き換えに自分と手を組み、奈落を倒すよう、取引を持ちかけた事さえ有るそうで。 尤も、殺生丸様は、四魂の欠片などに全く興味が無い御方で御座いますからな。 すげなく断られたそうですが。 その後も、何かと、殺生丸様に絡んで参ります。 この神楽、見かけは、妙齢の女性ですが、少々と云うか、かなり蓮っ葉な感じの女だったようですな。 これも、邪見殿の言葉を、ソックリ再現しますと、まるで、遊び女(あそびめ)か、浮かれ女(うかれめ)のような風情だったそうです。 その気性も、風使いだけに、自由を好み、束縛される事を何より嫌っていたようです。 そんな神楽ですから、何とかして、奈落から逃れる事を考え抜いた末に、我らが主、殺生丸様の事を思い付いたのでしょう。 そうした、神楽にとっては、必死の申し出を、アッサリと断られた腹いせも、多少は、あったのでしょう。 奈落に命じられ、最初に、りん様を拉致したのは、神楽でした。 この場合の奈落の目的は、何とも図々しいと言うべきか、はたまた、神をも恐れぬ所業と云うべきでしょうか。大妖怪であらせられる殺生丸様を、高貴なる血統を誇る我らが主を、奈落め、己の中に取り込もうなどと、怖ろしく不遜な目論見を企てていたのです。 その為に、りん様を、神楽に命じて拉致させたので御座います。 殺生丸様を、瘴気に満ちた穢らわしい己が結界に、誘い込む為に。 この奈落、出自からして卑しい成り上がり者の半妖に御座います。 何でも、元々は、人間で、それも、人を殺(あや)めて金品を奪う夜盗だったと聞き及んでおります。 その汚らわしい夜盗の魂を繋ぎに、数多の妖怪が寄り集まり、生れたのが、奈落だそうです。 そして、この奈落と、半妖の弟御、犬夜叉殿との間には、過去に纏(まつ)わる浅からぬ因縁があるそうで。 その関係で、兄君である殺生丸様も、否応無く、奈落との係わりが生じてしまった由(よし)に御座います。 奈落め、殺生丸様を取り込もうなどと不敬極まりない事を企てた上に、事が成就せぬと見極めた時点で、何と、腹いせに、りん様を殺そうなどと考えていたのです。 退治屋の琥珀なる少年に密かに命じて。 この琥珀、御舎弟の犬夜叉殿の仲間、退治屋の珊瑚の弟でもあります。 奈落の姦計によって、父親や仲間共々、一度は、命を落としたのですが、四魂の欠片を仕込まれ、奈落の意志のままに動く僕として使われておりました。 記憶を失ったまま、奈落を、肉親の、一族の仇とも知らず、彼奴の命じる通りに、りん様を殺そうとした琥珀ですが、間一髪、殺生丸様が、その場に駆け付けられました。 本来なら、その場で、即刻、命を絶たれても、可笑しくない状況でしたが、これも、奈落の策略の一部と気付かれた殺生丸様の恩情により赦され、一命を繋ぎました。 もし、この時、殺生丸様が、琥珀を殺していたら、珊瑚は、弟の仇として、殺生丸様を、生涯、怨んだ事で御座いましょうな。 それと同時に、殺生丸様の弟である犬夜叉殿との関係にも、修復不可能な亀裂が入っていた筈です。 奈落の真の狙いは、恐らく、其処にあったのでしょうな。 実に用意周到と云うか、絡み合った蜘蛛の糸の如き策略です。 この琥珀、後に、一時、殺生丸様の御供として、一行に加わる事になるのですから、驚きですな。 本当に、何処に縁があるのやら、判らない物です。 ともかく、奈落に、生殺与奪の権を握られていると云う点では、神楽も琥珀も同様です。 神楽の場合は、生来の性情が禍(わざわい)して、早々と奈落に、その反抗心を見破られ、常に、監視の目が光っておりました。 神楽自身は、上手く見張りを撒いた積もりでも、その実、奈落は、逐一、その動向を捉えており、何時なりと、神楽を始末する事が出来たのです。 手を下さなかったのは、単に、その時期が来ていなかっただけで。 泳がせて、利用できるだけ利用して、挙句の果てに殺す。 奈落のやり口は、正直、吐き気がする程、卑劣です。 己が手を汚さず、自身は、安全な巣に隠れて、他者を操る。 謀略の天才ですな。 己が分身と云えど、役に立たなくなれば容赦なく殺すし、己に取って代わろうなどと考える者も、これまた同様。 神楽と、ほぼ同じ頃に、白童子なる分身も始末されています。 それも、己が手を下さず、犬夜叉殿の仲間である法師の手によって。 この法師、弥勒と申しまして、五十年前に、祖父が、奈落から受けた呪いのせいで、親子三代に渡って右手に風穴が穿たれております。 この風穴、何でも吸い込んでしまう怖ろしい武器ですが、同時に諸刃の剣で、次第に穴が広がり、遂には、持ち主自身をも吸い込んでしまうのです。 奈落を討ち果たし、その呪いを解かない限り、法師に未来は有りません。 白童子は、その風穴に吸い込まれて死んだのです。 神楽自身は、直接、奈落の手に掛かって死にます。 自由に憧れた神楽を愚弄するかのように、心臓を、神楽に戻し、その上で、瘴気をタップリと体内に注いだのです。 即死さえ許しませんでした。 死に至る僅かな時間を絶望と恐怖に染め上げ、苦しませる為に。 もし、殺生丸様が、神楽の許に赴かなければ、多分、奈落の予想通りになっていたでしょう。 どうして、そんな事まで知っているのかって? 邪見殿が、話して下さったのではありませんか。 ホレ、何時ぞや、拙者が、宿直をしておりましたら、陣中見舞いに来て下さった、あの時です。 酒と肴を持参して、夜分遅くに、様子を伺いに来て下さったのです。 酒を酌み交わす内に、ドンドン、調子に乗って、アレもコレもと、色々、喋って下さいましたぞ。 何でも、邪見殿は、りん様共々、犬夜叉殿が、世話になっている巫女の楓殿の許に、暫く、身を寄せられていた事があったそうで。 殺生丸様が、その頃、後程、話に出て参ります曲霊(まがつひ)を追跡して、お出掛けだったせいもあって、その逗留期間中、それまでの積もる話を、散々、犬夜叉殿のお仲間衆と交わされたそうに御座いますな。 そのおかげで、様々な疑問点が、一挙に解消したのだと教えて下さいましたぞ。 神楽の最後についても、犬夜叉殿や、お仲間の法師に教えて貰ったとお聞きしてます。 アッと失礼しました。 話を元に戻しまして、神楽は、元々、奈落の分身です。 当然、臭いも、奈落と殆ど同じでしょう。 しかし、我らは、犬妖です。 況して、殺生丸様の嗅覚の鋭さは、一族の中でも、特に、ズバ抜けていらっしゃいます。 極々、微かな臭いの違いに気付き、神楽の居る処に出向かれたのでしょう。 それに、鉄錆のような血の臭いも嗅ぎ取られていた筈です。 多分、臭いだけで、神楽の状況も、ほぼ予測が付いたのではありますまいか。 そして、恐らくは、天生牙で、救ってやろうとなさったのでしょう。 しかし、天生牙は、反応しなかった筈です。 先にも申しましたが、天生牙は、亡き大殿の御意思を体現する刀に御座います。 天生牙は、弱き者、救うべき者を救う刀です。 その天生牙が、全く、何の反応も示さなかった。 それは、つまり、神楽が、救われるべき存在ではなかったからに相違御座いません。 神楽が、奈落の分身として生み出された短い生涯、その間に、神楽に殺された人間、妖怪が、どれ程、居たでしょう。 恐らく、百や二百ではありますまい。 如何に奈落に命令されたからとは云え、殺し過ぎております。 それに、神楽自身、嬉々として、殺しを楽しんでいる場合が、多々あったようです。 まるで、奈落から自由になれない憂さを晴らすかのように。 そのように、散々、他者を嬲り殺して来た者を救う事を、天生牙が、断固として拒んだので御座いましょう。 それにしても、絶望に覆い尽くされて終わる筈だった神楽の最後。 そんな神楽に示された殺生丸様の一片の情、憐憫。 いまわの際に在った神楽にとって、それは、救いだったろうと拙者には、思えるのですが、穿って考え過ぎでしょうか。 多分、殺生丸様は、少なからず神楽に、恩義を感じておられたのだろうと思うのです。 以前、あの世とこの世の境にある、父君の墓場へ赴く為、火の国にある道を教えてくれた事、又、奈落が手に入れた、妖気を隠す不妖璧を捜す為、岳山人の妖気の結晶を渡された事など。 煎じ詰めて考えれば、自分の為にした事でしょうが、それでも、もし、奈落に知れたら、唯では済まないような貴重な情報ばかりでした。 ですから、息耐える寸前の神楽の許に出向かれたのでしょう。 それは、神楽自身、自覚もせずに望んでいた恋愛感情では無かったでしょうが、それでも、少しは、自分の事を思い遣ってくれた証に相違御座いません。 だからこそ、最後に微笑んで逝けたのでしょう。 まだ、父君が、ご存命の頃でしたら、イエ、りん様に出会われる前の殺生丸様でしたら、きっと、神楽の事も、一顧だにされなかったでしょう。 傷ついた神楽を見ても、眉ひとつ動かされず、ソヨとも感情を動かされなかった筈で御座います。 何しろ、犬夜叉殿の想い人、かごめでさえ、以前、毒華爪で溶かしてしまおうとなさった御方で御座いましたから。 やはり、長らく眠っていた、かの君の情を呼び覚ましたのは、りん様で御座いますな。 思えば、神楽は、既に、りん様を庇護し、連れ歩いておられた殺生丸様を、初めて見たのです。 りん様によって目覚め始めていた血も涙もある殺生丸様。 そうした殺生丸様だからこそ、取引を持ちかけてみようと思ったに違いないと、拙者は、考えます。 それに、自分の女としての魅力にも自信が有ったので御座いましょうな。 イザとなれば、色仕掛けくらい平気でやってみせたでしょう。 何でも、邪見殿にお聞きした話では、殺生丸様の面前で、胸を曝(さら)け出した事もあったそうですから。 尤も、その時は、りん様や邪見殿も、その場に居合わせたそうですが。 確か、その時は、何処ぞの妖怪に、胸を撃ち抜かれて、川に落ちたのでしたっけ。 本来なら命取りの筈の部分ですが、奈落に、心臓を握られていた神楽です。 致命傷とはならず、命拾いしております。 川に落ち、流されかけている神楽を見ても、殺生丸様は、関与せず、捨て置けと仰ったそうですが、心優しいりん様が、そんな事をなさる筈もなく。 神楽を助けようと、川の中に入られました。 しかし、背も立たない上に、流れも早い。 足を滑らせて溺れかけてしまわれました。 おまけに、溺れかけた、りん様を助けようとした邪見殿までが、川に流され、結果的に、殺生丸様が、全員、助け上げられたのでしたな。 そうそう、この時の失態で、邪見殿は、殺生丸様から、特大のタンコブを頂戴されたそうです。 イヤイヤ、それにしても、邪見殿は、何かに付けて、殺生丸様から、お仕置きされておいでですな。 白霊山への道行きの途中でも、余計な事を喋ったせいで、タンコブを頂いたと、りん様が、相模殿に話しておられましたぞ。 お仕置きの方法も、水の中に落とされる、踏んづけられる、石をぶつけられる、殴られる、又は、蹴り飛ばされるなどと、実に様々ですな。 それでも、邪見殿にとって、一番、辛いお仕置きは、殺生丸様から、完全に無視される事でしょうから、殺生丸様が、何らかの反応を示される、お仕置きは、寧ろ、嬉しいのではないのですか。 まあまあ、そう熱(いき)り立たれずに、邪見殿。 お手前の、大殿に対する崇拝ぶり、一身を捧げての傾倒ぶりは、この西国でも夙(つと)に有名なのですから。 それに、邪見殿(当たられ役)が、いらっしゃって下さらないと、どんなに、我ら西国の者が困るか、重々、身に沁みております。 何しろ、邪見殿が、りん様に付き添う為に、暫く、相模殿と一緒に、この西国城を留守にされていた間、大殿が、大荒れに荒れられまして。 生きた心地がしないとは、正に、あの事を云うので御座いましょうな。 城勤めの者全員が、それは、それは、大層、難儀致しました。 やはり、大殿の御側には、常に、邪見殿が、控えていて下さらないと。 ハイ、家中の者一同、とっても、邪見殿に感謝しているので御座いますよ。 エエ、それは、もう! 感謝感激、雨霰(あめあられ)とでも表現したいくらいです。 今回、邪見殿が、西国城に戻って来て下さって、本当に有難いと、皆、心の底から思っております。 さてさて、お待たせ致しました。 それでは、如何にして、殺生丸様が、爆砕牙を入手なさったか、そして、喪った左腕が再生したのかを、お話するとしましょう。 それには、まず、闘鬼神の事から順を追って話す必要が御座います。 神楽が、奈落に殺される少し前に、白童子の片割れ、赤子が、操る魍魎丸なる新たな敵が、出現します。 この赤子、こ奴こそ、奈落の心臓その物で御座います。 奈落が、体を、どんなに打ち砕かれようが、斬り刻まれようが、死なないのは、この心臓が、外部に在るせいでした。 ですから、この大切な心臓の在りかを隠す為、奈落は、妖気を隠す不妖璧という代物を、ワザワザ、岳山人から、手に入れたのです。 そして、その不妖璧を、赤子に持たせ、妖気を、他の者に感知されないようにしました。 この赤子、奈落の心臓だけあって、奈落の支配下から逃れ、いずれは、奈落に取って代わろうなどと不穏な企てを目論んでいました。 その為に、自分の鎧代わりになる器を、片割れの白童子と供に、密かに、創り出していたのです。 それが、魍魎丸です。 この魍魎丸、人間の魄(はく)を、材料にして作られた妖怪でして、一旦、破壊されても、再び、元に戻るという厄介な性質を持っておりました。 そして、その体内に、赤子が入った時から、魍魎丸は、赤子の意のままに動く生きた鎧となったのです。 赤子が奈落の心臓、分身なら、当然、魍魎丸とて殺生丸様の敵で御座います。 神楽に手渡された妖気の結晶を手掛かりに来てみれば、丁度、犬夜叉殿達が、魍魎丸と交戦中で御座いました。 運の悪い事に、その夜は、半妖の犬夜叉殿が、妖力を失い、唯の人間になってしまう朔の日で、魍魎丸を相手に、非常に苦戦している最中で御座いました。 そんな時、兄君である殺生丸様が、参戦なさったのです。 武器は、勿論、鬼の牙、闘鬼神に御座います。 魍魎丸も奈落と同じく、敵の妖力を喰って、より力を高めるという特性を持つ妖怪でした。 一時は、闘鬼神の発する妖力を全て吸い尽くすか?と思われたのですが、この時は、殺生丸様の膨大な妖力を、魍魎丸め、納めきれず、左腕が、もげ落ちました。 それと同時に、半妖に戻った犬夜叉殿が、内部から、鉄砕牙で攻撃を仕掛けられました。 御兄弟の猛攻に耐え切れず、魍魎丸は、一旦、神楽を連れて逃亡しました。 この後です。白童子も神楽も死ぬのは。 結果的には、全て、奈落の仕組んだ計画のままに動いたと見るべきでしょうか。 自分から離反を目論んだ白童子は、法師の手によって風穴に吸い込まれ、神楽は、奈落自らが手を下しました。 奈落が、始末すべき分身で、残るは、赤子の操る魍魎丸のみ。 その後、奈落は、新たに、夢幻の白夜なる分身を生み出し、主に、偵察の任を任せるようになります。 夢幻の白夜、こ奴に関しては、ウムム~~・・・実に、掴み処が無いのです。 これまでの分身のように、奈落に取って代わろうと野心満々と言う訳でなし、神楽のように自由に憧れる風でもなし、全く、何を考えているのやら。 とりあえず、こ奴については、保留に致します。 話を続けます。 殺生丸様の妖気を吸うだけの力が、まだ無いと気付いた赤子の操る魍魎丸が、次に目を付けたのは、妖怪の中で最も堅いと言われている冥王獣の甲羅、鎧甲でした。 それと犬夜叉殿の金剛槍破。 この二つを同時に手に入れようと、策を弄し、両者が、闘うように仕向けたのです。 そして、遂に、最強の鎧甲と強力な武器を手中にしてしまったのです。 これ程、強力な防御と攻撃の力を身に付けた魍魎丸。 そんな強敵と殺生丸様は、闘われたのです。 息詰まるような、激しい一進一退の攻防の果て、遂に、闘鬼神が、折れてしまいました。 殺生丸様も、魍魎丸が取り込んだ金剛槍破の腕に握り潰され、あわや一巻の終わりかと思われましたが、天生牙が結界を張り、主人を守り抜きました。 この場面については、邪見殿が、何度も、熱弁を振るって下さったおかげで、耳にタコが出来ております。 犬夜叉殿の奮闘と巫女、桔梗の加勢もあり、相当、魍魎丸を追い詰める処まで行ったのですが、状況が著しく不利と判断した魍魎丸が、瘴気を吐き出し、その場を逃亡。 又しても、魍魎丸を取り逃がした挙句、闘鬼神まで失う結果になってしまいました。 殺生丸様自身、お命に別状は御座いませんでしたが、アチコチ負傷されてました。 尤も、御自分の怪我よりも、武器を失われた事の方が、一層、堪(こた)えてらっしゃったでしょうが。 ですから、刀々斎殿の訪問は、実は、渡りに船だったのではないかと思います。 驚くべき事に、刀々斎殿は、天生牙を、武器として鍛え直すと申し出たのですから。 鍛え直された天性牙が繰り出す技は、その名も、冥道残月破。 冥道を斬り開き、其処から、敵を、文字通り、冥界に送る。 必殺にして滅却の技。 何しろ、冥道が完成した暁には、敵の骸(むくろ)さえ残さないのです。 何とも非情にして危険極まりない技と申せましょう。 新しい技を手中になさった殺生丸様は、早速、技の完成に向けて猛特訓を始められました。 矜持が、非常に高いと云う事は、裏返せば、他者に負ける事に我慢ならない性分でいらっしゃる。 即ち、トンデモナイ負けず嫌いであられると云う事。 そして、その為の努力は惜しまない御方に御座います。 連日、山に籠って、鬼どもを相手に冥道残月破の習得に励まれました。 その甲斐あって、冥道が、完全な円では御座いませんが、まず、巨大な三日月を描くようになりました。 修行の途中に、弟の犬夜叉殿が、雑魚妖怪の沼渡りに苦労している処に出会われ、アッサリ、片付けてしまわれた事もあったとお聞きしてます。 そして、どういう経過による物か、夢幻の白夜に追われる琥珀を助ける事になったのです。 そう云えば、邪見殿、この時、貴殿は、琥珀と同じように、白夜の放った瘴気の毒蛇に咬まれたので御座いましたな。 相模殿からお聞きしましたぞ。 毒消しの薬草を貰いに、りん様が、半妖の地念児の許へ行った際の話を。 もう、これは、思い出すだけで、ウププッ・・・笑いが、こみ上げてくるようなお話ですな。 半妖の地念児の母御、若い頃に、自分も、地念児の父親と恋に落ちたせいか“惚れる”という言葉に異様に執着しているらしく、りん様に、しつこく問い質したそうで御座いますな。 その際、気絶している琥珀に、どうやって薬草を飲ませたら良いのか、その方法を詳しく伝授したそうで。 おまけに、その方法が、選りにも選って、『口移し』で御座いますからな。 クククッ・・・殺生丸様が、烈火の如く怒られる筈で御座います。 そのせいで、回復されてからの邪見殿は、お仕置きの嵐だったそうで。 アイヤ、失礼しました。話を進めましょう。 こうして、成り行きで、殺生丸様が拾った琥珀。 りん様の嘆願もあったので御座いましょう。 何時の間にか、御供に加わっておりました。 まあ、あのまま、放っておけば、間違いなく、白夜か、奈落に狙われるでしょうし。 この際、仕方ないと云った処でしょうか。 琥珀が付き従っていた巫女の桔梗は、再び、この世を去りましたそうです。 何でも、奈落の瘴気に蝕まれ、遂に、魂を、現世に留めておけなくなったらしいのです。 アッ! その前に、魍魎丸は、赤子は、奈落に吸収されました。 奈落が、巫女を、桔梗を、罠に掛けて殺すホンの少し前の事だったそうです。 例によって、奈落らしい策略に満ちた方法で。 やはり、策を練る事にかけては、奈落が、一枚上手、本家本元と云った処でしょうか。 ハイ、もう一度、話を戻しまして。 元々、桔梗なる巫女は、死人です。 魂を納める器を壊されては、どうしようもなかったのでしょう。 そうして、益々、力を増しつつある奈落、彼奴に対抗するには、どうしても冥道残月破を完成させておく必要があります。 遂に、決断された殺生丸様。 ご生母の“狗姫の御方様”のおわす天空の城を訪ねられ、その方法について尋ねられたのです。 さあ、此処からが、この話の真骨頂で御座います。 皆様、心して聞いて下さいますよう。 冥道を拡げる為に“狗姫の御方”様が、冥道石を使い、冥界の犬を呼び出されました。 殺生丸様が、天生牙で、冥道残月破を打ち放っても、消える処か、何の損傷も受けておりません。 それどころか、りん様と琥珀を体内に呑み込んで、冥道へと逃げて行ってしまうではありませんか。 冥界の犬に拉致された二人を追って、殺生丸様も、母君の制止にも拘らず、冥道に入られました。 この後の状況は、冥界から、戻って参りました琥珀を、邪見殿が、逐一、問い詰めて聞き出した事に基づいて話しております。 冥道に逃げ込んだ犬を天生牙で斬り、二人を助け出した殺生丸様。 琥珀は、程なく気が付いたのですが、りん様は、息は在るものの、目を覚ましません。 その後も、矢継ぎ早に襲いかかって来る冥界の鳥に竜。 それらを爪で、天生牙で、斬り伏せる殺生丸様。 更に、冥界へと続く道を辿られます。 しかし、此処で、ある異変が生じます。 りん様が、息をしておられないのです。 殺生丸様が、天生牙を振るおうにも、あの世の使い、冥界の餓鬼どもが見えません。 戸惑う殺生丸様。 そんな状況の中、闇が覆い被さってきました。 ドオン、ド―――ンと太鼓を打ち鳴らすような大音響、ゴッ・・ゴオォと凄まじい風が吹き過ぎた後には、りん様の姿は、掻き消えたかのように、何処にも見当たらなかったので御座います。 その時で御座いました。 母君が、“狗姫の御方”様が、救いの手を差し伸べられたのは。 冥道石を使って現世への道を開き、殺生丸様に戻って来るように促されたのです。 そんな御母堂様の申し出を一蹴され、更に、冥界への道を進まれる殺生丸様と琥珀。 その前に出現したのは、不気味な冥界の主の姿。 そして、その、おぞましい巨体が掴んでいるのは、りん様では、ありませんか! 周囲に広がるのは夥しい死人の山。 即座に飛び出して行かれる殺生丸様。 天生牙を抜き放ち、りん様を掴んでいる、冥界の主の右腕を斬り落としました。 斬り落とすと同時に、霞の如く消え失せていく腕。 落ちて来る、りん様を、殺生丸様が、天生牙を持ったままの右腕で抱き留められました。 冥界の主を斬った以上、これで、りん様が生き返ると思っていらした殺生丸様。 にも関わらず、りん様は、息を吹き返されません。目を開けられません。 その瞬間の殺生丸様の衝撃が、どれ程の物だったか。 琥珀の証言によると、何と・・・天生牙を取り落とされたそうです。 殺生丸様にとって、刀は、力の象徴その物で御座います。 その刀を、大切な天生牙を取り落とされる程の激しい動揺を感じておられたのです! あれ程に、力に、冥道残月破に執着してこられた御方が! 拙者自身、この目で見ても、果たして、信じられましたかどうか。 先代の闘牙王様、豪放磊落、自由闊達な気性の御父君に比べれば、普段から表情の乏しい御方です。 その殺生丸様が、刀を取り落とされるまでに衝撃を受けられた。 それは取りも直さず、殺生丸様が、如何に、りん様を愛しておられるのかを、痛烈に自覚された瞬間でも御座いましたでしょう。 我らには、唯々、想像するしか御座いませんが、恐らく、殺生丸様の御心は、その時、絶望と恐怖に覆い尽くされていたのだろうと推察致します。 神楽に感じた、ほのかな情が、広義の愛、憐憫もしくは慈悲ならば、りん様に感じておられる、強く激しい情こそは、愛その物に御座いましょう。 喪ってはならぬ存在を喪った者が、感じる真の絶望と恐怖。その悲痛。 その時、殺生丸様が、取り落とした天生牙に、死人の山が、縋るかのように雪崩れ込んできました。 まるで、救ってくれと懇願しているかのように。 それを見た殺生丸様が、懐に、りん様を抱いたまま、天性牙を手に取り、天に向かって祈るように翳(かざ)されたのです。 眩しい光が、辺り一面に拡がり、その光によって、死人達が、次々と浄化されていったそうです。 その神々しい様。 正しく神か仏の如き御業(みわざ)に御座います。 それと同時に、冥道が大きく開き、現世への道を開きました。 こうして、殺生丸様と、りん様、そして、琥珀は、冥界からの帰還を果たしたのでありました。 しかし、冥道は大きく拡がりはしたものの、りん様は、息絶えたままです。 そうなった原因の母君に、今しも喰ってかからんとする勢いの殺生丸様。 しかし、其処は、流石に御生母様です。 そんな怒れる御方を、怖れる処か、諄々と諭される“狗姫の御方”様で御座いました。 その御母堂様の話の中で、殺生丸様に、最も、激しく衝撃を与えたのは、天生牙による蘇生が、唯、“一度きり”という事実でした。 それまでは、天生牙さえ有れば、何か有っても、何度でも、りん様を蘇生させる事が出来ると高を括っておられたので御座いましょう。 母君の口を通して語られる亡き御父上の言葉が、殺生丸様の御心に、深く沁み込んでいきます。 殺生丸様が、どうしても知らねばならなかった、愛しい命を救おうとする心、それと同時に、愛しい者を失う恐れと悲しみ。 天生牙を所有する者としての真の心得。 しかし、それを納得したからと云って、りん様が、息を吹き返される訳では御座いません。 悲しみに暮れる殺生丸様の御心を察したかのように、邪見殿が、堪えきれず、さめざめと涙を流されました。 この時の邪見殿の態度は、『下僕とは、斯くあるべし』と他の者に知らしめたいような素晴らしい物で御座いました。 妖怪は、滅多に泣きません。 人間のように感情の塊のような生き物では御座いませんから。 ですから、涙を流す事自体、非常に珍しいのです。 そうした邪見殿の涙の理由を了解された母君様が、殺生丸様に、静かに訊ねられます。 「悲しいか、殺生丸。」と。 その問い掛けに、言葉でこそ答えられなかった殺生丸様ですが、一見、無表情な御尊顔に滲む、どうしようもない悲痛な思いは、隠し様もありません。 それを見て取られた“狗姫の御方”様。 徐(おもむろ)に、首から冥道石の首飾りを外され、りん様の首に、掛けられました。 母君の行動に訝しげな表情をされる殺生丸様。 なっ、何と・・・冥道石から光が! ボウ・・・と微かな光が、灯り、それが、ドンドン、大きくなり、周囲を明るく照らし出すまでに強く美しい光が! その光こそ、冥界に置き去られていた、りん様の命の耀きその物。 眩しい光が、消えた後、殺生丸様の聡い妖耳が、捉えたのは、小さな心臓が、確かに、脈打つ音、鼓動。 トクン・・トクン・・トクン・・りん様が、お目を開けられました! こっ、この瞬間を想像しただけで、拙者、なっ、涙が、零れそうになります。 どっ、どんなに、殺生丸様が、お喜びだったかと思うと。 ウウッ・・かっ、感動で御座います。 暫く、呼吸を停止していた器官が、急に、動き出したせいで御座いましょう。 りん様が、咽(むせ)て咳き込まれました。 ゴホッ、ゴホ、ゴホ・・そうした音さえも、殺生丸様にとっては、りん様の命が、間違いなく、此の世に戻って来た『証』に他なりません。 ソッと手を差し伸べて、りん様を、優しく撫でられました。 どうしても、御自分の手で、確かめずにはいられなかったので御座いましょうな。 御手に感じる、りん様の柔らかな頬の感触、熱を取り戻した体温、流れる血流、少し癖のある細く柔らかい髪、心地よい匂い、暖かく柔らかなりん様の存在その物を。 こうして、冥道を拡げる為の冥界への道行きは、殺生丸様の、りん様への愛情を確認する結果となって終わりました。 唯、冥道は、拡がりはしたものの、何故か、完全な円を描くには至らなかったので御座います。 その事に思い悩む殺生丸様。そんな煩悶する御方の前に、怪しげな童子が、その疑問を見透かしたかのように現れます。 その童子の主こそは、死神鬼。嘗て、殺生丸様の父君と闘った事もある妖怪。 そして、冥道残月破の元々の持ち主でもあります。 その死神鬼、何と、顔が、頭部の左半分が・・・欠けて無いのです! そして、それを隠す為に、不気味な仮面を付けております。 然も、それは、全て、殺生丸様の父君、闘牙王様の仕業だと云うのです。 死神鬼との闘いの最中、次第に明らかになっていく天生牙と鉄砕牙の秘密。 弟御の犬夜叉殿も、お仲間と一緒に現場に駆け付けて来られました。 それに、先代様の従者であったノミ妖怪の冥加殿も、ご一緒でした。 死神鬼が、殺生丸様を嘲るように、鉄砕牙から切り離された不要の部分が、天生牙だと教えます。 我らが主は、先にも申し上げましたが、非常に矜持の高い御方です。 それを知った瞬間の殺生丸様の屈辱。 察して余り有ります。 弟君の加勢さえ、その時の殺生丸様にとっては、更に、屈辱の上塗りだった事で御座いましょう。 冥加殿から聞かされる御父上の真意。 殺生丸様ならば、冥道残月破を必ずや物にし、正しく使いこなすだろうとの目論見。 しかし、聡明な殺生丸様は、その先の考えを読んでしまわれた。 完成した冥道残月破を、天生牙を、再度、鉄砕牙に吸収させようと考えておられた父君の思惑を。 こんな業腹な事は御座いません。 殺生丸様が、あれ程、苦労して育てた技を、冥道残月破を、半妖の弟御の持つ鉄砕牙に渡せだなどと! それを聞いた時、拙者も、如何に何でも、余りにも酷(むご)いと感じた程で御座いました。 尤も、それ以後の展開を知った後では、成る程と納得も致しますが。 ともかく、話を先に進めましょう。 もう、完全に我慢の限界に来た殺生丸様。 死神鬼の冥道に吸収されてしまう天生牙の冥道を見限り、御自分の爪で、闘おうとなさいます。 死神鬼が連発する冥道を掻い潜り、怒りの鉄拳を、不気味な顔面に、直接、叩き込みます。 その激しい衝撃に吹っ飛ばされる死神鬼。 元々、壊れている顔が、更に、ひび割れて、まるで人形のようです。 とても、生き物とは思えません。 死神鬼の身体は、陶器で出来ているのでしょうか。 何とも面妖な奴に御座います。 そして、殺生丸様が、近付いたのを幸い、弟御の犬夜叉殿もろ共、自分の冥道残月破の餌食にせんと、冥道を何個も固め打ちしたのです。 ご兄弟に襲い掛かる何個もの冥道。 犬夜叉殿が、金剛槍破を放たれましたが、焼け石に水、効果は全く有りません。 そのまま、冥道に飲み込まれてしまいました。 最早、これまでか?と思われた時、ドクン!ドクン!ご兄弟の持つ、それぞれの刀が、共鳴しているではありませんか。 勝利を確信し、嘲り笑う死神鬼に向かって、殺生丸様が、天生牙を抜き放ち、渾身の力で冥道残月破を。 オオッ! その冥道は、完全な円を描いているでは御座いませんか。 死神鬼も、死神鬼の放った冥道をも、飲み込む巨大にして完璧な冥道。 冥道に吸い込まれながらも、死神鬼は最後の憎まれ口を叩きます。 最後の最後まで憎々しい奴に御座いました。 トコトン、殺生丸様を痛め付けたかったようです。 こうして、死神鬼を、冥界に送ったものの、依然として、問題は、片付いた訳では御座いません。 寧ろ、厄介な問題だけが、残ったとでも云いましょうか。 その場を後にされた殺生丸様が、向かわれたのは、天生牙を打ち直した刀鍛冶、刀々斎殿の許で御座いました。 この件も、やはり、邪見殿が、巫女の楓殿の許に逗留されていた間に、たまたま、冥加殿が、主人の犬夜叉殿に会いに来られましてな。 その時、これ幸いとばかりに、冥加殿から、アレコレと聞き出されたのです。 冥加殿と云い、邪見殿と云い、元々、お喋りな方々ですからな。 随分と話が弾んだそうです。 さて、万年、火を吹く活火山に居を構える刀々斎殿。 殺生丸様の事を、冥加殿にでも聞いたのか、商売道具を背負い込み、今にも、何処ぞへ出掛けようとしておりました。 まあ、有体に云えば、夜逃げと云う奴でしょうかな。 ご丁寧にも『引っ越しました』などと札を打ち付けて、さて出掛けようとした、その矢先、襲い掛かる冥道残月破。 冥道が、刀々斎殿の家、大昔の恐竜の化石の鼻先を掠めて、その部分を、綺麗サッパリ、冥界に持ち去ってしまいました。 瞋恚(しんい)に燃える殺生丸様。 その怒りの矛先は、当然、天生牙を鍛え直した刀々斎殿に向かっております。 いつもながら、惚(とぼ)けた風貌、物言いの刀々斎殿と、殺生丸様との遣り取り。 そして、最後は、やはり、いつも通りでした。 殺生丸様が、剣を抜き放ち、置き土産とばかりに、冥道残月破を放って帰っていかれました。 おかげで、刀々斎殿の家は、完全に消滅してしまったらしいです。 マア、我が君のお怒りの激しさを思えば、仕方無いでしょうな。 [5回]PR