小説第四十三作目『或る祐筆の述懐』 ① 拙者、西国城にて祐筆頭を務めております聡周(そうしゅう)と申します。 本来の読みは(としちか)なのですが、どうも(そうしゅう)の方が呼びやすいらしく、朋輩が、そう呼び出してからはそれで定着してしまい、今では、その読みで通しております。 それに、祐筆という職業柄、(そうしゅう)の方が語感に重みがあって、相応しかろうと思いまして。 オッと、失礼致しました。 祐筆とは、貴人に侍して文書を作成する事を司る職分で御座います。 幼少の頃より能筆で、文章を認(したた)める事に長(た)けておりましたので、城勤めに上がった時より、この職に任じられました。 それ以来、かれこれ三百年ほど、この西国城で様々な文書の作成に携わって参りました。 御存知のように、先頃、我が西国は、正当なる国主、先代様の御嫡男、殺生丸様が、御帰還遊ばされたばかりで御座います。 先代、闘牙王様が、宿敵の竜骨精との闘いで深手を負ったまま、人間の愛妾の許に駆け付けられ、そのまま亡くなられた後、長らく空位であった国主の座が、ようやっと、埋まったので御座います。 如何に、国母であらせられる先の王妃、“狗姫(いぬき)の御方”様や、亡き大殿の“両懐刀”と謳われた尾洲殿や万丈殿が、周辺諸国に睨みを利かせて、西国の安泰が、一応、保たれていたとは云え、国主が国元においでにならないという異常な事態その物が、どうにも領民の心を、今ひとつ落ち着かさせない気分にさせるようで御座いました。 そんな不安定な状態が二百年ぶりに解消されたので御座います。 それは、もう喜ばしい事で、我ら臣民一同は、長年、待ちわびた国主の御帰還を諸手(もろて)を挙げて歓迎したので御座いました。 勿論、中には、それを喜ばない輩も、一部、居りはしましたが・・・・。 西国王、殺生丸様。絶大な妖力の持ち主として、その名が、妖怪世界に遍(あまね)く知れ渡っている御方。 最強の大妖怪、それと同時に、結果的に、父君ご逝去の原因となりました人間の愛妾のせいで極端なまでの人間嫌いであった事も、妖界では、余りにも有名な既成事実で御座いました。 それなのに、そんな御方が、何故か、“りん”と云う人間の童女を伴って西国に御帰還されたのです。 その場に居合わせた我ら家臣団は、誰も彼も腰を抜かさんばかりに驚いた物で御座いました。 ハイ、実は、拙者も、みっともなくアングリと口を開けてしまい、慌てて袂で口許を隠した次第で御座いました。何しろ、二百年もの放浪の旅の間に伝わって来た、かの君の風評は、残忍酷薄、唯我独尊、独立不羈、冷酷無慈悲、と云った物ばかりで、とても、人間を、況してや、幼子を保護するなどと云う行為からは、程遠い物で御座いましたから。 ところが、正式に国主の座に就かれた殺生丸様は、その童女を殺すどころか、掌中の珠の如く慈しみ、それはそれは大切に養育され始めたのです。 その御寵愛ぶりと云ったら、我ら西国城にお仕えする者が、皆、呆気に取られるような厚遇から始まりました。まず、その、りんなる童女を、幾重にも厳重に張り巡らした結界で守られた『男子禁制』の奥御殿に住まわせました。 更に、殺生丸様ご自身の乳母(めのと)でもあった女官長、相模殿が、専任の世話係という破格の扱いで御座います。 最初の頃は、新国主のほんの気紛れ、その内、飽きるだろうと高を括っておりました者共も、次第に、これは、本気も本気、あの人間の童女を、我らが主は、心底、大切に思っておられるのだと嫌でも気付かされました。以前、人界を放浪されていた頃は、情け容赦なく人間どもを殺しまくっていたと云う風聞が、妖界に洩れ聞こえてくる程、人間嫌いが徹底していた筈の御方が!で御座います。 一体、何が、かの大妖を、そこまで変えたのか? 長年の放浪を終えられ、かの君が、生国に帰還されて暫くの間、妖怪達は、寄ると触ると、その噂で持ちきりだった程で御座いました。 おまけに、我らが国主は、絶世の美女として世に名高い御生母の“狗姫の御方”様に、生き写しの美貌の主であらせられます。 西国の王という肩書きだけでも、巷の女どもが黄色い声で騒ぐに充分な物を、その上に“玲瓏なる事、玉の如し”とまで形容される、月の化身の如き麗容の持ち主に御座います。 おかげで、かの君が国元に帰還されてから、西国城に持ち込まれた縁談の数と云ったら、それこそ、自薦、他薦、取り混ぜて天空に輝く星の数ほどもあったと云えば、ご想像頂けるでしょうか。 丁度、その頃、先の祐筆頭が、老齢により引退されまして、拙者が、新しい祐筆頭に任命されました。 毎日、部下達を叱咤激励して、残業に次ぐ残業をしても、後から後から、津波の如く押し寄せて来る釣り書きの数々。 余りにも、釣り書きの数が多過ぎて、従来の祐筆の人数では、到底、対処しきれず、重役の方々に直訴して、臨時に各部署から人出を回して貰った程で御座いました。 尤も、当の御本人、国主の殺生丸様は、そんな事には全く興味を示されず、一切、頓着なさいませんでしたが。 しかし、主が、頓着されない分、配下の者共、特に我ら祐筆を務める者達は大変な思いをして断りの書状を認(したた)めていたので御座います。 何しろ、それぞれ、御身分の高い姫君達ばかりで御座います。 下手な断り文でも書いて、相手方の気持ちを傷つけよう物なら戦争さえ起きかねません。 気配りの上にも気配り、それこそ、一字一句に到るまで神経を使って、丁重に、丁重に、お断りせねばならないのです。 その気苦労と云ったら、筆舌に尽くし難い物が御座いました。 ウウッ、思い出すだに涙が・・・。 ア、イヤイヤ、邪見殿、お気遣い有難うございます。 ほんにお互い苦労致しますなあ。これが宮仕えの辛さという奴で御座いましょうか。 オットット、話が脱線致しましたな。 元に戻すと致しましょう。 そんな大抵の俗事に無頓着な我らが主、殺生丸様にも、流石に無視出来ない事態が起こりました。 先代、闘牙王様の母方の従兄弟に当たる犲牙(さいが)殿から重陽の節句の宴への御招待が参ったので御座います。 表向きは九月九日の重陽を祝う宴でありましたが、裏を返せば、体(てい)の良い見合いの席で御座います。犲牙殿には、由羅姫という自慢の一人娘が居られまして。 己が娘と殺生丸様を結び付け、外戚として、西国の実権を握ろうと云う魂胆が、我ら家臣の者達にも垣間(かいま)見える程、露骨で御座いました。 それに、犲牙殿には、殺生丸様が、西国を留守にしておられた間、国主が不在なのを良い事に領民から重税を取り立て暴利を貪っていたとの黒い噂も御座いました。 しかし、かの御仁は、曲がりなりにも国主の縁戚に連なる者。 妄(みだ)りに探索の手を伸ばす訳にも参りませんでした。 こうした犲牙殿を筆頭とする、西国に巣喰う専横な古狸どもに釘を刺すには、どうしたら良いか。 一計を案じられた殺生丸様は、重陽の宴に、りん様を連れて、ご出席なさったのです。 案の定、犲牙殿は、自分の娘、由羅殿と殺生丸様とが、既に言い交わした婚約者でもあるかのように振舞おうとしたのでありますが。 そんな見え透いた計略を、事前に察知した殺生丸様により、完膚無きまでに面目を失う羽目に陥ったのでありました。 そう、西国に「その妖(ひと)在り」と謳われる伝説的機織り名人、“白妙のお婆”殿の手に成る、“虹織り”の羽織と打ち掛けによって。 殺生丸様とりん様、御二方が、お召しになった、お揃いの“虹織り”の衣装だけでも、充分、効果は高かったのでしょうが、更に、織り出された紋様が、又、凄かったのです。 曇天の中、俄(にわ)かに差し込んで来た陽射しに煌めき浮き出てきた文様は・・・“比翼連理”。 これは、漢文を学んだ者ならば、誰一人知らぬ者は無い有名な故事に基づいた言葉に御座います。 嘗て、広大な大陸を支配した大唐帝国の六代目の玄宗皇帝と愛妾の楊貴妃との熱愛を詠(うた)った言葉。 『地にありては連理の枝にならん 天にありては比翼の鳥にならん』、男女相愛の理想を詠いし、こよなく美しい言葉。 これを初めて習った時、拙者、甚(いた)く感動し、白楽天なる詩人の書いた『長恨歌』を一気に読みきった覚えが御座います。 エッ、何ですか! 妖怪に、そんな情緒が理解出来るのか?ですと、失礼な! 我ら犬妖族を、そんじょそこらの本能しか無い下等妖怪と一緒にしないで頂きたい! 犬妖族は、妖怪の中でも、非常に高等で複雑な感情を充分に理解出来る種族なのです。 妖界は、天界、特に、神仙界との関係が深い。 そして、天界と人界は、密接不可分な関係にあります。 人界、即ち地。地が乱れれば、天も乱れる。逆も、また、然り。 ですから、天界に著しく影響を与える人界についての知識を、妖界は、ある程度、持っている必要があるのです。 特に拙者などは、情感豊かで、様々な書物を人界から数多(あまた)取り寄せ、人間の感情について、日夜、研究している程なのです。 コホン、失礼しました。 話を元に戻しまして。 つまり、それくらい“比翼連理”とは有名な故事なのです。 殺生丸様は、この故事を“虹織り”で織らせる事によって、犲牙殿を始めとする己が娘や親族を、西国王妃にせんとする野心家どもの機先を制したので御座います。 実に、鮮やかな先制攻撃です。 それまで年若な国主と、内心、殺生丸様を侮っていた古狸共も、こうまで見事な政治的手腕を見せ付けられては、迂闊(うかつ)に動く事は出来ません。 暫くは、鳴りを潜めていたのですが、大事件が起こりました。 西国城が、長年の宿敵、妖猿族に襲撃されたのです。 丁度、その時、拙者は、書庫の整理の為、大量の書類を抱えて、中庭に接した廊下を歩いている最中で御座いました。 バリバリッ・・・と大音響が鳴り響き、何事?と周囲を窺おうとした次の瞬間、突然、背後から衝撃を受けました。 その後の記憶が、全く途切れているので御座います。 気が付いた時は、城内の大広間に寝かされておりました。 目を開ければ、母と妻、子供達が大泣きしているではありませんか。 何でも、拙者は、背後から忍び寄った襲撃者によって一撃のもとに斬り殺されていたとか。 事実、右肩から袈裟懸けに着物が切られ、夥(おびただ)しい血痕が付着しておりました。 しかし、それ程の重傷にも拘らず、何処にも傷跡が見当たりません。 周囲にも同じような様子の者が、多数、寝かされており、拙者と同様、次々と目を開け、起き上がり始めていました。 家族の話によると、殺生丸様が天生牙を振るって妖猿族の襲撃で殺された者達を、全員、救って下さったとの事。 何と言う、奇跡! 我らが主に対する敬意は、最早、畏敬を通り越して、神に対する信仰にも等しい物になりました。 このような御方を、国主に戴く西国の幸運に感謝の念を抱かずにはおれませんでした。 そして、今回の襲撃の目的が、殺生丸様が寵愛する人間の幼子、りん様を狙った物である事を知りました。 己が野心の為に、犬妖族の宿敵、妖猿族と手を結び、同胞の命までも平気で犠牲にする犲牙殿、イエ、謀反人、犲牙めの汚いやり口に、心底、嫌気が差しました。 それに引き換え、自分の命を狙われながら、その敵の命乞いをした、りん様の純真にして慈悲深い心根に、拙者、大層、感動致しました。 事実、りん様とて危機一髪の処だったそうです。 もう、後、僅か一瞬でも、殺生丸様が駆け付けるのが遅れていたら、りん様は、命を落とされていたでしょう。 りん様の命が狙われた事に激怒された殺生丸様は、犲牙の一族を最後の一名に至るまで、自ら、手打ちにされる御積もりだったそうです。 もし、この時、りん様が、大殿を諌(いさ)めて下さらなかったら、犲牙の一族は、女も子供も、それこそ、赤子に至るまで悉(ことごと)く皆殺しにされていたでしょう。 この西国城襲撃事件によって、殺生丸様の、りん様に対する寵愛の深さが広く世に知れ渡りました。 その後、他国は、どうか知りませんが、西国内において、りん様を軽んずるような馬鹿な真似をする者は誰も居なくなりました。 拙者も、りん様に対する見方が、それまでとは一変致しました。 そうした情勢が、めまぐるしく変化する中、次の年の正月、りん様は、殺生丸様の御生母であらせられる“狗姫の御方”様の正式なる養女となられたので御座います。 西国の、イエ、妖界でも屈指の実力者である殺生丸様と、その母君“狗姫の御方”様。 この御二方から後見される身となった、りん様は、今や、押しも押されぬ西国の姫君で御座います。 斯くして、りん様を護る為の、磐石(ばんじゃく)の態勢が整い、もう滅多な事は起きまいと思っておりましたが、又しても、事件が発生しました。 そう、あれは、もう、今から三年ほど前の出来事になりますか。 早咲きの緋桜の宴に端を発した事件なので、後に『桜騒動』と西国史に記載される事になる“御落胤騒動”で御座います。 事の発端は、五十年前、殺生丸様が人界を放浪されていた頃に遡(さかのぼ)ります。 当時、殺生丸様は、豹猫一族の残党と、父君、闘牙王様の過去の因縁による戦いをなさっておられました。 一応、戦に勝利されたものの、肝心の豹猫一族は取り逃がすわ、味方は大損害を受けるわ、という散々な結果だったそうで御座います。 邪見殿から聞いた処によると、何でも、殺生丸様の半妖の異母弟、犬夜叉殿は、その頃、人間の巫女に封印され、その戦闘には参加しなかったそうで御座います。 半妖とは云え、最強の大妖怪であられた先代様、闘牙王様の血を受け継いだ御方です。 並みの妖怪などに比べたら、遥かに力がある弟御で御座います。 兄君として、内心、少なからず頼みにしておられましたのでしょうな。 それに、父君が残された筈の形見の名刀、鉄砕牙も、その所在が、杳(よう)として知れませんでした。 鉄砕牙さえ有れば、豹猫一族の残党との戦いも、かように苦戦せずに済みましたでしょうに。 何しろ、かの刀は、一振りで百の妖怪を薙ぎ払うという豪刀に御座います。 その形見を手に入れんが為に、殺生丸様は、二百年もの間、人界を放浪されていたので御座いますから。 結局、その鉄砕牙は、様々な経緯(いきさつ)の果てに、御舎弟の犬夜叉殿の物になりました。 しかし、その代わりと云っては何ですが、殺生丸様は、その鉄砕牙さえ足元にも及ばない驚異的な破壊力を秘めた爆砕牙を手中になさいました。 その威力ときたら、正に、神の雷(いかずち)と呼ぶに相応しい神剣で御座います。 唯の一振りで千の妖怪を薙ぎ払い破壊し尽す爆砕牙。 対するに、一振りで百の命を救う天生牙。 “癒し”と“破壊”相反する二振りの名刀を所有される西国王、殺生丸様。 我が主君は、今や、名実ともに最強の大妖怪でいらっしゃいます。 アットット、そうそう、五十年前の事情に戻りましょう。 豹猫一族との戦いに苦戦された殺生丸様、我らが国主は、これまた周知の事実でありますが、非常に矜持の高い御方に御座います。 それは、もう、海よりも深く山よりも高く、他に、比肩しうる者が見当たらない程に。 鉄砕牙さえ有れば、楽勝であった筈の戦に苦戦された憂さを晴らそうにも、その怒りを、ぶつける当の相手が居りません。 父君は、とうの昔に泉下に降(くだ)られ、弟君は、巫女に封印された身。 そうした憤懣(ふんまん)やるかたない気持ちが、女性(にょしょう)との無節操な関わりへと殺生丸様を駆り立てたので御座いましょう。 下世話な表現をするなら、相当、“自棄(やけ)のやんぱち”になっておられた訳で御座いますな。 妖力甚大であると云う事は、そのまま、絶大な精力の持ち主と言い換える事が出来ます。 邪見殿に伺った処では、何でも、多い時は一晩に、五名もの女性(にょしょう)と同衾(どうきん)なさった事もあったとか。 イヤハヤ、実に、羨ましいですなあ。 アッ、アイヤ、失礼致しました。 どうか、この事は、妻には内緒にして下さい。 あれで、相当な焼餅焼きなのです。 さてさて、話を戻しまして、その頃の殺生丸様と関係して子供が出来たと訴え出て来た女が居たので御座います。 女の名は、阿娜(あだ)、子供の名は、祖牙丸。 もう、花見の宴どころでは御座いません。 蜂の巣を突付いたような大騒ぎになりました。 殺生丸様は、西国に戻って以来、浮いた噂ひとつ無い朴念仁、又は、唐変木との専(もっぱ)らの噂で。 イエイエ、これは、拙者が申した訳では御座いません。 御生母である“狗姫の御方”様が、常々、そう仰っているのです。 『堅物の中の堅物』と評判の我らが主に、そんな時期が在ったのか、と正直、拙者、親近感さえ感じました。 何しろ、我らが主君は、いつも完璧で、僅かな隙すら見つけられない御方で御座いますから。 この騒動は、結局、祖牙丸なる子供が、真っ赤な偽物であると露見し事無きを得ましたが、一時は国内どころか国外でさえも騒然とした状況を呈しておりました。 全く呆れた事に、阿娜なる女は、謀反人、犲牙の長男、雷牙の愛人で、彼奴との間に出来た子を殺生丸様の“御落胤”と偽っていたので御座います。 そして、いずれは、祖牙丸を、お世継ぎに、阿娜を、お部屋様にさせ、この西国を、己が思うままに私(わたくし)せんとする雷牙めの悪巧みだったので御座います。 その為に、殺生丸様とは似ても似つかぬ我が子の容貌を、妖術を使って変容させていたのです。 逸早く、奴らの計略を見破った“狗姫の御方”様が、幻術返し、破邪の呪(しゅ)を掛けて祖牙丸の真の容貌を満座の面前で暴かれました。 白日の下に曝(さら)け出された祖牙丸の容貌は、朱色の縮れた髪、赤い瞳。 我らが麗しき主君、殺生丸様の、陽に透ける白銀の髪、金の瞳とは、どう頑張っても似ておりません。 ご丁寧にも、殺生丸様の有名な額の月の徴は、札を貼って似せていたらしく、その残骸が、シュウシュウと焼け焦げておりました。 流石に、頬の妖線までは似せる勇気が無かった物と見えます。 犲牙といい、雷牙といい、親が親なら子も子で御座います。 再三再四、飽きもせずに西国の実権を握ろうと姦計を企てるとは。 何とも諦めの悪い一族です。 親子共々、三名とも極刑と、その場で決定したのですが、その三日後、養母の“狗姫の御方”に連れられた、りん様が、直接、刑場に赴かれ、又も、犲牙の時と同様、国主に、彼奴らの命乞いをなさったのです。 何という優しさでありましょうか。 寵愛する姫君のたっての願いに、さしもの殺生丸様も折れざるを得ませんでした。 拙者、一度ならず二度までも示された、りん様の真の慈悲深さに、心より感服致しました。 我らが主、西国王、殺生丸様、気難しい事この上ない性情の御方が、何故、りん様を愛して止まぬのか、その理由が判るような気が致します。 あのように純真無垢な心の持ち主は、人界は勿論の事、神仙界でも、極々、稀で御座いましょう。 これも、邪見殿から、お聞きした事ですが、何でも、殺生丸様とりん様との出会いには天生牙が深く関係しているとか。 鉄砕牙を巡る争いで、御舎弟の犬夜叉殿に、“風の傷”を、お見舞いされた殺生丸様を、天生牙が、初めて結界を張り、お守りしたそうですな。 二百年もの間、沈黙を守って来た、かの名刀が、遂に、その意思を明らかにした瞬間で御座いました。 鉄砕牙、天生牙、共に、御二方の父君である闘牙王の牙から打ち起こされた刀と聞き及んでおります。 即ち、二振りの刀の意思は亡き大殿の御意思と考えて宜しいかと。 嘗て、殺生丸様が、弟の犬夜叉殿に、鉄砕牙で左腕を斬り落とされた事も、父を同じくする半妖の弟を、冷酷にも殺そうとする兄君に対する父君の制裁と拙者には思えてならないのです。 そして、“風の傷”から、殺生丸様を護ったのも同じく父君の御意思に御座いましょう。 深手を負い、半死半生の状態の殺生丸様を、りん様が住んでいた村の近くに運んだのも単なる偶然とは思えません。 それも、天生牙の導きで御座いましょう。 この世に偶然は無いそうです。 一見、偶然のように見えながら、全ては必然であるのだと。 そう考えて行くと、御二方は見えざる運命の糸に導かれ、出会うべくして出会われたとしか思えないので御座います。 アッ、これは、相模殿。 オオッ、これは、実に有り難い! お茶と菓子で御座いますな。 いやはや、忝(かたじけな)い。 馳走になります。 そう云えば、以前、この話を邪見殿に伺った際、相模殿も同席しておられたので御座いましたな。 邪見殿でさえ御存知なかった当時の詳しい状況を、相模殿が、りん様から色々と聞いておられたおかげで、随分と助かりました。 それにしても、驚くべき事実で御座いますな。 まさか、あの大殿に、瀕死の重傷を負うような過去が有ったとは。 拙者には想像も出来ませんでしたぞ。 それで、犬夜叉殿から“風の傷”を喰らい、瀕死の状態で、動く事さえ儘(まま)ならぬ殺生丸様を、りん様が、助けようとなさった訳でしたな。 イヤハヤ、何と勇気があられる事か! まかり間違えば、大殿の爪で瞬時に引き裂かれておられたやも知れませんぞ。 相模殿にお聞きした処では、りん様は、家族を、夜盗どもに殺され、天涯孤独の孤児の身であられたとか。 而も、目の前で家族を殺されたせいで口を利く事さえ出来なかったと。 おまけに、そんな、お気の毒な境遇のりん様を、村人どもは哀れむどころか、事ある毎に虐待していたそうですな。 実に、許し難い仕打ちに御座います。 まあ、その後、妖狼族の狼どもに村中の人間が喰い殺されたそうですが。 その時、りん様も、村人同様、狼どもに噛み殺されたのでしたな。 その場に居合わせた邪見殿の言葉を、ソックリそのまま拝借すると、りん様は、血の海の中にボロ雑巾のように倒れ付しておられたそうで御座います。 無惨にも喉を噛み切られ、絶命した、りん様。 そんな、りん様を、殺生丸様が、初めて自らの御意思で天生牙を使って冥界から呼び戻されたので御座いましたな。 それ以後、常に、りん様を、連れ歩かれ、それは、大切に庇護しておられたそうで。 奈落なる半妖に、りん様が目を付けられ、拉致された事も一度や二度では無いとお聞きしましたぞ。 その度に、殺生丸様が直々に乗り込まれ無事に取り戻されたそうですな。 それにしても、りん様が二度も冥界から呼び戻された事は尋常では御座いません。 一度目は、天生牙で、二度目は“狗姫の御方”様が、いつも首から下げておられる冥道石で蘇生なさったとか。 アッ、そう云えば、拙者も一度は天生牙で救って頂いたのでした。 それに、邪見殿も、拙者同様、天生牙で蘇生した身で御座いましたな。 拙者や邪見殿のように、天生牙で蘇生した者は多くはありませんが、全く存在しない訳ではありません。 しかし、二度もの冥界からの蘇生となると、これは、りん様以外、居られません。 そうした事を色々と考え合わせると、益々、りん様は、唯の人間とは思われません。 りん様ご自身は、何の力も持ち合わせておいでではないのに、あの御方が、絡むと、次から次へと、驚くべき事が起きているのです。 不思議な御方だ。 まるで、殺生丸様を導く為に天から遣わされた使者のような気さえ致します。 もし、殺生丸様が、りん様に出会わなければ、天生牙は目覚める事なく、今も大殿は人界を放浪されていた事で御座いましょう。 勿論、爆砕牙も出現しなかったでしょうし、失われた左腕も再生しなかったでしょうな。 そうそう、大殿の左腕再生と爆砕牙の出現。 これも、実に信じ難い、正に奇跡のような出来事で御座いますな。 この事については、後程、詳しくお話せねば。 では、此処らで、お茶を一服。 チョット失礼致します。 フゥ~~美味い。 一息吐けました。 何しろ、長い長い物語で御座いますからな。 何と云っても、殺生丸様が人界を放浪なさっていた期間が二百年。 如何に、我ら、妖怪の寿命が長いと申しましても、これは、かなりの年数に相当します。 この二百年の内、邪見殿が、供をするようになったのが、ここ百五十年程の事。 何でも、殺生丸様の強さ、美しさに、惚れ込んで、押しかけ女房ならぬ押しかけ御供だったそうで。 まあ、その心情に免じて、あれ程に気難しい御方が、お供を許されたのでしょう。 人頭杖を邪見殿に託された事、それ自体が、殺生丸様が相当に信頼を寄せておられる証だと思います。 エッ、御存知なかったのですか? 邪見殿、あれも、西国の宝物なので御座いますよ。 それを、殺生丸様ご自身が、直々に邪見殿にお預けになったのです。 並々ならぬ信頼だと考えて宜しいか・・・と。 (それを聞いて嬉し泣きする邪見、人頭杖を抱き締め、もう、オイオイと号泣状態・・・) コホン、とっ、とにかく、我らが主、殺生丸様は、御自分が、お気に召さない事は、絶対になさらない御方である事は間違い御座いません。 そして、一度、執着されたが最後、容易な事では、まず諦めようとはなさいません。 鉄砕牙に対する飽くなき執着が、その良い例で御座います。 二百年、二百年ですぞ! 如何に敬愛する父君の形見の宝刀とは云え、鉄砕牙を捜し求めて人界を延々と彷徨うなど、普通の者には、到底、真似出来る業では御座いません。 大殿の諦める事を知らぬ、その粘り強さが、遂に、鉄砕牙の在り処を突き止められました。 半妖の弟御、犬夜叉殿の右目の黒真珠に封じられていたのです。 黒真珠を、無理矢理、犬夜叉殿の右目から取り出し、異界への道を開き、とうとう、父君の骸(むくろ)に封じられし鉄砕牙を発見なさいました。 しかし、イザ、我が手にせんとなさったものの、当の鉄砕牙には、結界が張られ、殺生丸様には触れる事さえ出来なかったので御座います。 挙句、激しい兄弟喧嘩の果てに、ご自身が熱望なさった鉄砕牙で、己が左腕を、斬り落とされてしまわれたのです。 通常の者なら其処で諦めるのが普通でしょうが、我らが主は非常に強情な御方でも御座います。 そんな目に遭いながら、諦めるどころか、二度三度と、弟君から、執念深く鉄砕牙を奪おうとなさったのです。そんな狷介孤高な御方が、漸く、鉄砕牙を諦めざるを得ない羽目に陥られたのが、例の“風の傷”を受けられた一件で御座いました。 その後、りん様を、天生牙で冥界から呼び戻され、天生牙の真の所有者となられた殺生丸様ですが。 あれ程、頑固に、覇道、即ち、力に固執なさっておられた御方です。 どうしても、鉄砕牙に対抗し得る武器が必要でした。 そんな時、新しい剣に格好の素材を見つけられました。 然も、それは、鉄砕牙を噛み砕いた悟心鬼なる鬼の牙でした。 この悟心鬼、宿敵の半妖、奈落から生れた分身で、敵の心を読むという特異な能力の持ち主で御座いました。 奈落の瘴気に満ちた鬼の牙から打ち起こされた刀剣です。 案の定、『闘鬼神』と名付けられた、その剣は、邪気塗れの妖剣で御座いました。 事実、剣を打ち起こした刀鍛冶自身、闘鬼神の凄まじい怨念に支配され命を落とす羽目になったそうです。 アッ、この時です。邪見殿が、天生牙で蘇生したのはっ! たまたま、運悪く、闘鬼神に操られた刀鍛冶に斬り殺されてしまったそうです。 それを、殺生丸様が、天生牙を振るって蘇生させたのだと、お聞きしてます。 さて、話を戻しまして、とにかく、通常の妖力しか持たない妖怪なら、悟心鬼の怨念に取り憑かれ、闘鬼神の意思のままに操られてしまうのでしょうが、殺生丸様は、驚くべき事に何の造作もなく闘鬼神を御(ぎょ)してしまわれたのです。 御舎弟の犬夜叉殿でさえ、手に取る事は愚か、近付く事も出来なかったと云う途方も無い怨念を発する妖剣を!です。 この事実一つ取りましても、我らが主君の妖力が、如何に、桁外れであるのかが判ろうという物です。 斯くして、殺生丸様は、闘鬼神を手中になさいました。 鬼の怨念が渦巻く闘鬼神ではありますが、その威力は本物で御座いました。 早速、ご自身が、疑問に感じておられた点を解明すべく弟の犬夜叉殿と刃(やいば)を交(まじ)えられました。 何故、半妖の犬夜叉殿の血の匂いが急に変化したのかを知る為に。 疑問点は、即座に解消せねば気に入らぬ性分の御方でも御座いますので。 まあ、総じて気が短い御方と申せましょうな。 この時は、鉄砕牙と天生牙の生みの親である刀鍛冶の刀々斎殿が犬夜叉殿を庇(かば)われて事無きを得ましたが。 その後、父君のお知り合いである二千年の樹齢を保つ朴の木の樹仙、朴仙翁様の許に赴かれ、直接、御自分の疑問を問い質(ただ)されたそうです。 朴仙翁様との問答から、御自分なりの結論を引き出されたのでしょう。 鉄砕牙の守護を失い、妖怪化した弟御を止める為に駆け付けられたそうです。 兄君としての義務と思われたのでしょうな。 口では、どんなに半妖の弟御を蔑まれようと、殺生丸様の行動には、兄としての、ほのかな情が通っております。 そして、殺生丸様の中に眠っていた情、慈悲心を呼び覚ましたのは、紛れも無く、りん様なのです。 ※『ある祐筆の述懐②』に続く [5回]PR