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西国城の奥御殿で、この二百年絶えて久しい上巳(じょうし)の節句の宴が、開かれる事になった。
旧暦(太陰暦、即ち月の満ち欠けを基準として作られた暦の為、時として太陽暦とは一月以上のズレが生じる。今年は四月十九日が旧暦の三月三日に相当する)の三月三日に催される男子禁制の女子(おなご)の祭りである。
主催者は妖怪世界でも最大領土を誇る西国の当代の国王の生母、前西国王妃の『狗姫(いぬき)の御方』である。
絶世の美貌と共に男顔負けの豪気な気性で世に名高い当代国主の母君は、その容姿と性格そのままに慎ましさなど爪の垢程も持ち合わせていらっしゃらない。
総じて豪華で派手派手しい事が大好きな御方なのである。
それ故、此度(こたび)の宴についても一月も前から下準備が始められ、総責任者の相模は、今も入念な検分に追われている。
各地から取り寄せた宴のご馳走用の大量の食材に、これまた蔵から持ち出された大量の食器類、更に、酒豪の“狗姫の御方”の為に持ち込まれた大量の酒類。
極上の火酒から清酒、蜜酒、果実酒、練酒、濁り酒、白酒、甘酒、ありとあらゆる種類の酒類が樽ごと宴の会場に運ばれ今や遅しと封を切られるのを待っている。
雛人形が飾られた“りんの部屋”を中心に奥御殿の庭全体を紅白の幕で覆うように囲い、地面には赤い毛氈(もうせん)を敷き詰め、西国城で働く下働きから奥勤めの者まで女子(おなご)という女子(おなご)全てが参加できるように、配慮されている。
明日は、いよいよ三月三日、“狗姫の御方”が御自分の城から宴の為に、この西国城に御出座(おでま)しになる。
何一つ、粗相(そそう)の無いように致さねば、と相模は、総責任者の立場から気を引き締めて、あらゆる事に目を光らせて明日の宴に備えている。
しかし、相模が、どれほど水も洩らさぬ構えで事に臨もうと不測の事態が起きる時は起きる。
寧ろ、予想外の事態に如何に対処するかで責任者の有能さが測れると言っても過言ではない。
況(ま)して今回の上巳(じょうし)の節句の宴は、二百年振りに開かれる女子(おなご)による女子(おなご)の為の女子(おなご)だけの祭りであり、最初から身分や地位の上下に拘らない“無礼講“との御達(おたっ)しが出されている。
何も起きないと楽観視する方が間抜けと言う物であろう。
この宴が催されると聞いた城内の女子(おなご)達は、数日前からソワソワと落ち着き無く何処か上っ調子(うわっちょうし)な有様が目に付く。
それに対して男どもはと云えば今回の宴に関してだけは完全に蚊帳の外に置かれ、ほったらかしにされている。
基本的に大抵の男には大なり小なり我が儘(わがまま)な傾向がある。
そうした男どもの中でも、この西国城の主、殺生丸は、特に、その傾向が強い。
いや、強いどころでは無い。
並外れていると言っても良い。
更に独占欲についても以下同文である。
同じく嫉妬心についても完全に以下同文。
元々、心の広さなど禄(ろく)に持ち合わせていない殺生丸である。
当然、今回の母君の独断で決められた上巳の節句の宴が面白かろう筈が無い。
特に、りんが殺生丸の事をそっちのけにして宴の準備にかまけているのだから尚更であった。
いつもならば、常に最優先で殺生丸の意向を気にする、あの、りんが、である。
日に日に殺生丸の御機嫌は悪化の一途を辿り、宴を明日に控えた今、最高潮に達しかけている。
不満はブスブスと燻(くすぶ)り今にも爆発しそうな程に膨れ上がっている。
側近達は、皆、腫れ物に触(さわ)るように処して主の怒りを煽らぬように気を遣っているのだが、如何せん、邪見だけは、その失言癖から、諸(もろ)に標的にされている。
誰もが主の前では一言も宴について触(ふ)れないように貝の如く堅く口を閉ざしていると云うのに、邪見は、いつもの迂闊(うかつ)さから、ついポロッと宴の様子について洩らしてしまったのである。
火に油を注ぐとは当(まさ)にこの事だろうか。
怒り心頭の殺生丸が書き物をしていた筆を握り潰した。
ついでに螺鈿(らでん)細工の書き物机まで破壊してくれた。
(螺鈿細工とは、貝殻の光沢のある美しい部分を薄く切り取り、器物にはめ込んで装飾とする物で大変に美しい細工物なのである。)
国宝級とまではいかないが、かなりの値打ち物である。いや・・・あった。
上巳の節句の宴が近付くに従い、殺生丸の周辺では、そうした損害が後を絶たず木賊(とくさ)や藍生(あいおい)が、その被害額の大きさに溜め息を吐かない日は無い。
そんなこんなのアレやコレやで、ここ数日の殺生丸のご機嫌の悪さと来たら大型台風も顔負けの荒れ様で、お側に仕える者達が堪りかねて悲鳴を上げる程の険悪さなのである。
誰も彼もが超低気圧の主の御機嫌に振り回されて目を回すという惨状を呈している。
特に邪見などは主の八つ当たりのせいで四六時中、折檻され生傷が絶えない悲惨な状況となっている。
このままで、殺される!と半ば本気で邪見が我が身の心配をする程である。
失言した罰に殴られるわ、踏ん付けられるわ、仕事が面白くないと硯(すずり)は投げ付けられるわ、庭のお池に蹴り飛ばされて危うくお魚の餌になりかかるわ、イヤハヤ、もう散々な目に遭っているのだ。
殺生丸様に御仕えする事、百うん十年の邪見の下僕生活においても、これほどキツイお仕置きが連続したのは今回が初めてであった。
つまり、主の御機嫌の悪さも此処に極まれり!という訳で・・・。
とにかく上巳の節句の宴が一刻も早く終わらん事には、儂(わし)・・・生きた心地がせん!
今!この瞬間にも荒れ狂う暴風雨のような御機嫌の主が心の臓が止まりそうな程、怖ろしい目付きで儂(わし)を睨んでおられるではないか!
ヒイィィィィ・・・せっ・・殺生丸様っ・・・こっ、これ以上のお仕置きは、何卒(なにとぞ)ごっ、ご勘弁を・・・。
冗談抜きで、儂(わし)・・・死にそうじゃわい・・・。
(青息吐息、虫の息の邪見)
明けて旧暦(太陰暦)の三月三日、上巳の節句の当日、空は青く澄み雲ひとつ無く晴れ渡った。
楽しげな小鳥達の囀(さえず)りが、アチコチから聞こえる。
お雛様に相応しく桃の花が艶やかに咲き誇り、幕を張り巡らし急拵(きゅうごしら)えの宴会場に仕立てた奥御殿の庭に一方ならぬ興趣(きょうしゅ)を添える。
前日まで天気の心配をしていた総責任者の相模はホッと胸を撫で下ろした。
庭を宴の会場にしている関係上、何が何でも晴れてもらわねばならなかったからだ。
ここ二・三日の天候の様子から見て、まず雨の降る気配は無いと思ってはいたが、念の為、風神に頼み込み、雨雲を遥か彼方へ吹き飛ばしておいてもらったのだ。
謝礼は、勿論、極上の酒樽十本である。
りんと相模を筆頭に西国城内の女子(おなご)達が並んで待ち受ける中、空から賑々(にぎにぎ)しく御母堂様が女官衆を引き連れて御来駕(ごらいが)遊ばした。
豪奢な宝尽くしの紋様の内掛けをお召しになっておられる。
勿論、冥道石が胸元を飾っている。
お付きの女官連中も、それぞれ思い思いに意匠を凝らした内掛けを纏い華やかさを振り撒いている。
お出迎えする西国城内の女子(おなご)連中も負けてはいない。
皆、今日の宴の為に晴れ着を新調して思いっきりお洒落してめかし込んでいる。
その煌(きら)びやかな様子といったら、あらゆる花が一斉に咲き誇る“百花繚乱”の形容が最も相応しいだろう。
“狗姫の御方”の養女になり、事実上、西国城内の女子(おなご)達の中でも筆頭の地位にある、りんは、この日の為に拵(こしら)えた桃の花と貝桶、御所車をあしらった紋様の内掛けを羽織っている。
上巳の節句に因んだ紋様である。
西国女官長の相模の内掛けは季節を表す流水に桜吹雪の紋様で、落ち着いた藍の色合いが、りんの愛らしさを引き立てて好一対(こういっつい)を成している。
いつもは右側だけ髪を一房結わえる髪型が“御侠(おきゃん)”な雰囲気のりんであるが、今日は相模の勧めで両耳の脇で一房ずつ紅白の錦の組紐で黒髪を結び流している。
それだけで深窓の姫君らしい雅(みやび)な印象が醸し出されるのだから不思議な物である。
組紐の先には、小さな金の鈴が付けられ、りんが身動きする度にチリンチリンと可愛らしく鳴り響く。
何処から、どう眺めても愛らしい事この上なしの姫君である。
御母堂様をお出迎えした一同は、そのまま、宴の会場である奥御殿の庭に移動した。
御母堂様の挨拶と乾杯の音頭を皮切りに、此処に華々しく女子(おなご)の為の宴の幕が切って落とされた。
宴に付き物の歌舞音曲(かぶおんぎょく)が奥御殿から流れて来る。
聞こうとしなくても楽しげな響きが勝手に耳に飛び込んでくる。
西国城の主の本性は犬の大妖怪である。
その為、耳の性能の良さは“超一級品”の折り紙付きである。
嗅覚ときたら、尚一層、凄い。
遥か彼方の出来事さえも匂いだけで難無く嗅ぎ当てる事が出来る。
その為、今も、別段、意識しなくても宴に浮かれ騒ぐ女子(おなご)どもの様子が手に取るように判る。
しかし、余りにも多くの女子(おなご)どもが入り乱れている為に、りんの匂いが特定しずらい。
それだけではない、大量の酒の匂いと料理の匂いが混ざり合っている上に、更に、女子(おなご)どもの化粧の噎(む)せ返るような脂粉の匂いまでもが入り混じり、りんの淡い優しい匂いを掻き消してしまう。
普段なら目を瞑っていても掴める、りんの動向が、今日は数多(あまた)の匂いに邪魔されて全くと言って良いほど掴みきれない。
時折、りんの匂いを嗅いだかと思うとフッと途切れる、その繰り返しである。
能面のように無表情な顔の下で殺生丸の意識は、ひたすら、りんの匂いを捉えようとしたが、摑まえたかと思うとスルッと擦り抜けられて、どうしても捉えきれない。
あれは、今・・・・何をしているのか。
次第に苛立ちが募り仕事をする手までもが勢い止まり気味になってしまう。
むしゃくしゃする気分のままに視線を周囲に彷徨(さまよ)わせれば邪見が、ビクッと身を竦(すく)ませる。
その態度が余計に癇に障る。
そんなに怯えるのならば、わざわざ、側に控えずとも良い物を。
今は貴様の顔など見たくもない。
その辛気臭い面を何処ぞへ・・・何処ぞ・・・何処・・ぞ・・フン!
そうだな・・あそこへやって様子を探らせるか。
「・・・邪見。」
「ハッ・・ハイィッ!・・せっ、殺生丸様! なっ、何でございましょうかっ!」
「・・・行って来い。」
「ハァッ!? 行って来いと仰っても・・・どちらへ。」
「・・・見て・・来い。」
「見て・・来い? 何処で・・何を見て来るので? 」
「・・宴・・」
「アァッ! ハハァッ! あっ、あの女子(おなご)どもの宴で御座いますか。しっ、しかし・・あれは、御母堂さまの命により・・男子禁制と聞き及んでおりますが・・・。」
「・・・つべこべ抜かす暇があったら、とっとと行け!」
ピシッと額に青筋が立つのが己にさえ感じ取れる。
余程、怖れを成したのか、従僕は、慌てに慌てて、倒(こ)けつ転(まろ)びつ我(わ)が指示に従うべくアタフタと退出していった。
さざめく宴の中心に座を占めておられるのは、勿論、先代西国王妃の“狗姫の御方”その横には養女の“りん”。
その周囲を松尾や相模のような“側近中の側近”とも言うべき女官衆が固めている。
無礼講とは云え、其処はそれ、やはり、ある程度の秩序が保たれている。
開け放たれた部屋に飾られた見事な雛人形を酒の肴に眺めつつ、母君がりんに徐(おもむろ)に訊ねた。
「りん、最初に贈った内裏雛の片割れ、男雛(おびな)の方は、紛失したそうだな」
「ごっ、ご免なさい・・・おっ、お母さま」
りんが、その時の事を思い出したのか、申し訳なさそうに、みるみる目を潤ませる。
「ああ、良い、良い、そなたを責めているのではない。今は、代わりの男雛が、あるのだから。唯、どうやって、あれが失われたのか・・・ちと、興味が、あってな」
「それについては、御方様、私が、りん様の代わりにお話させて頂きます。丁度、その時、私も、その場に居合わせておりましたので」
相模が、涙ぐむ、りんの代わりに当時の状況を、逐一、詳細に説明する。
「フム・・・成る程な。それにしても、あ奴め、随分、姑息な手を使いおったな。大方、りんに嫌われぬように智恵を絞ったのであろうが」
りんに聞こえぬように母君がボソッと呟く。
傍らの松尾が小さな溜め息をソッと吐いた。
相模も、松尾の様子から一脈、相通ずる物を感じたのか、同情するような眼差しを送る。
何事か騒ぎが起きたらしい。
騒々しく女子(おなご)連中が、誰かを引き立ててきた。
「マアッ! 邪見殿では御座いませんか。 皆も、どうしたのです」
「相模様、今日は女子(おなご)の祭りにて男は誰であろうと御法度(ごはっと)の筈。その男子禁制の“女の宴”を大胆不敵にも覗こうとした輩(やから)を捕まえただけで御座います。」
邪見を摑まえた女子(おなご)どもの内、年嵩(としかさ)の者が皆を代表して答える。
「確かに・・・。御方様のご意向で、その様に通達しましたが・・・」
相模が困り果てて邪見の処遇をどうしようかと考えあぐねていると“男子禁制”を決めた当の御本人である御母堂様から助け舟が出された。
「男ならばな。男でなければ良いのじゃ。相模、りんの普段着用の小袖があろう。それを持ってまいれ。ついでに鬘(かつら)と化粧道具もな」
「まさか? ・・・御方様。」
「その、まさかじゃ。この宴に参加する以上、男の格好はならぬ。女装してもらうぞ、小妖怪。皆の者も手伝ってやれ」
「エエッ! こっ、この儂(わし)が、ですか!?!」
「エ~~~ッ! 邪見さま、女の人の格好するの? 面白そうだねぇ。りんにも見せてね」
「ばっ、馬鹿者っ! 阿呆な事を喜ぶでないっ!」
御母堂様の鶴の一言に女子(おなご)連中も面白い余興だと手を打って賛成し、一人(=妖)憤慨する邪見を尻目に大はしゃぎで支度にかかった。
人頭杖を振りかざして何とか女装させられるのを阻止しようとした邪見であるが、多勢に無勢、あっと言う間に取り押さえられ手際良く、身包(みぐる)み剥(は)がされ着替えさせられてしまった。
斯(か)くして、何とも珍妙な女装姿の邪見が出来上がった。
りんの小袖を着せられ烏帽子(えぼし)の代わりに鬘(かつら)を被せられ、緑色の肌の上にはタップリと白粉(おしろい)が塗られた。
鳥の嘴(くちばし)のような口元には赤々とした紅まで差されているではないか。
その道化染みた姿を見た御母堂様を始めとする女子(おなご)衆一同は、皆、一斉にドッと吹き出し、やんや、やんやの大喝采。
宴は弥(いや)が上にも最高の盛り上がりを見せた。
女子(おなご)連中の良い見世物にされた邪見は、最初の内こそ白粉(おしろい)を塗りたくられた顔を赤くしたり青くしたりと忙しかったが、もう自棄糞(やけくそ)になったのか、勧められた酒を片っ端からグビグビと飲み干し始めた。
それどころか、酔っ払った勢いでフラフラと女装姿のまま踊りだし始めたのである。
それを見て、又、女どもが調子に乗って囃(はや)し立てる。
普段は、男達の手前、中々、羽目を外す事の出来ない女達も、今日ばかりは此処ぞとばかりに好きなだけ酒を飲み且つ喰らい歌い踊る。
さしずめ、どんちゃん騒ぎの女版と云った処か。
流石に男どものように諸肌脱(もろはだぬ)ぎになったり裸踊りをする者こそ出ないが、それ以外は“無礼講”の名に恥じぬ破茶滅茶(はちゃめちゃ)な騒ぎっぷりである。
春の饗宴ならぬ狂宴とでも云うべきだろうか。
りん自身は、以前、御母堂様の天空の城を訪問した際、酒に極端に弱い事が判明しているので酒精分が殆ど無い甘酒を美味しそうに啜(すす)っていた。
だが、ありとあらゆる酒類が此処には樽(たる)ごと持ち込まれている。
甘酒と白酒、どちらも甘味が強く見た目もトロリと白い。
それを思い合わせると此の二つの酒を取り違えた者を責めるのは、ちと酷だろう。
甘酒と違い、白酒は、弱いながらも酒精分を含んだ立派な酒である。
その酒精分の強さは果実酒に相当する。
甘い物が大好きなりんが甘酒のお代わりを貰ったのは当然と云えば当然。
りんの小さ目の朱塗りの盃に注がれた白い液体が甘酒でないと誰が看破(かんぱ)できただろう。
そう、正月に御母堂様の城で邪見に酒を引っかけられて酔い潰れた時のように、又しても、りんは酒に酔っぱらう羽目になったのである。
今回の酒は前回と違い酒精分が、かなり低い為、意識を失うとまではいかなかったが、ほろ酔い程度には酔っている。
白桃のような、りんの白い頬にはポッと赤味が差し大きな黒目がちの瞳は潤み、眠そうに瞼(まぶた)が半分下がっている。
トロンとした眼差しには、とても童女とは思えぬような危ない色香が・・・。
同じ様に邪見も酔っ払っているが此方の酔い方は完全に悪酔いの部類に入る。
日頃の溜りに溜まった鬱憤(うっぷん)を晴らそうとするのか、女装姿のまま聞き苦しいだみ声で高歌放吟(こうかほうぎん)、踊るわ、歌いまくるわ、やりたい放題、したい放題である。
後で殺生丸が、この事を知ったら、到底、只で済むとは思えない。
「マアッ! りん様! 酔っておられるのですか! 確か甘酒を召し上がってらっしゃった・・筈では」
相模が、りんの只ならぬ様子に気が付き、慌てて盃を取り上げ、匂いを嗅いでみれば、何と!
「これは・・・白酒。まあまあ、どうしましょう。御方様、りん様が、白酒に酔ってしまわれました。如何(いかが)
致しましょう?」
「りん、気分は、どうだ?」
「おっ・・お母さ・・ま、りん・・平気だよぉ~~何だか・・・少~~しフラフ・・ラして・・・熱いけど・・気持ち良いねぇ~~」
「そうか、それを、“ほろ酔い”と言うのだ。だが、りん、酒は、もう、それ位にしておけ。相模、何処か静かな部屋に床を用意してやってくれ。休ませた方が良いだろう」
「はい、承知しました。さあ、りん様、参りましょう」
「ふぁ~~~い、相模・さ・・まぁ~~」
りんの世話を相模に任せると母君は女装姿のまま酔っ払っている邪見に声をかけた。
「これっ、何と言ったかな、其処(そこ)な・・小妖怪。」
「じゃっ・・・ヒック・・邪見・・・でございましゅぅ・・ウイック・・ヒック・・」
「ウムッ、そうであったな、では、邪見。此方に来て妾(わらわ)と一緒にゆっくり酒でも飲みながら話をせぬか。そちには色々と訊きたい事があってな。」
「ウイッ・・ク・・何・・でございましゅるぅ・・ヒッ・・ヒック・・ウイッ・・・ク・・」
「何、別段、大した事ではない。殺生丸が、りんを拾った経緯(いきさつ)やら何やら、先の元旦に聞き漏らした事をじっくりと聞かせてもらおうと思ってな。」
御母堂様がニンマリと人(=妖)の悪い笑みを艶麗な美貌に浮かべ、酔っ払って半ば正気を失っている邪見に話の水を向けた。
元々、お喋りな性分の邪見である。
その上、酒で理性の箍(たが)が殆ど緩んでしまっている。
斯(か)くして、邪見は、御母堂様に聞かれるままに自分の知る限りの事を良い事も悪い事も含めて何もかも、洗い浚(ざら)い喋ってしまったのである。
後日、この事が、殺生丸にばれて新たな折檻のネタになるが、それは、又、別の話である。
執務室には依然として尋常ではない妖気が大荒れの主から大量に放出されて御付きの者達の神経をビリビリと刺激していた。
その異様なまでの妖気が、急にパタッと収束した。
主の鋭敏な嗅覚には、若干、劣るものの木賊(とくさ)や藍生(あいおい)も犬妖である。
廊下にパタパタと可愛らしい足音が響く前に、その原因が知れた。
気難しく扱いづらい西国王の御機嫌を、僅か一瞬で変える事の出来る奇跡の匂いの持ち主が現れたのだ。
つい先程まで、あれほど険悪だった妖気が見る見る穏やかな物へと変化していく。
主が溺愛する幼い人間の養い仔、今では主の母君の養女になられた“りん様”が、此方に向かっているのだ。(やれ、助かった・・・)
御付きの誰もが心の中でそう思い安堵の溜め息を吐いたに違いない。
気のせいか、無表情な主の顔までもが心なし穏やかな物に変化したように見える。
待つほども無く廊下に子供と大人の足音が聞こえて来た。
気を利かせて木賊(とくさ)と藍生(あいおい)が左右に障子を開けたと同時に、りんと相模がやって来た。
いつもは、お転婆な印象の強いりんが今日は妙に大人びて見える。
晴れ着を着て髪型を変えているせいか・・。
それだけではない、この、妖しい目付きは何とした事だ。
目元も頬も、うっすらと赤味を帯びて童女とは思えないような色香を漂わせている。
「殺・・生丸・さ・・まぁ~~~」
りんが両手を広げて嬉しそうに殺生丸の胸元に抱き付いてきた。
フワリと酒気が漂う。
「りん・・・?」
訝(いぶか)しげに腕の中の童女を覗き込んでみれば、殺生丸の長い白銀の髪を鷲掴みにしてコロコロと笑い転げている。
側に控えている相模に、何があった、と視線を遣れば申し訳なさそうに事の次第を説明し出した。
「申し訳御座いません。最初は、甘酒を飲んでいらっしゃったのですが、途中から係りの者が間違って白酒を盃にお注ぎしてしまったようで・・・。御方様の御云いつけで、すぐさま横になって頂こうとしたのですが、りん様が、どうしても殺生丸様に逢いたいと仰って・・・」
腕の中のりんは、たわいない事を口走りながら相変わらず上機嫌である。
酒気を帯びているせいか体温が少々、高い。
その為か、りんの甘い柔らかな匂いが、いつもより一際、鮮やかに香る。
「・・良い。私が寝かし付ける。木賊(とくさ)、藍生(あいおい)、隣の部屋に床の用意を」
「ハッ!」「只今!」
手際良く隣室に床の用意をすると相模と側近達は主の邪魔をせぬように静かに退出していった。
奥御殿の宴の喧騒も、この執務室には、ごく微かにしか聞こえてこない。
昼下がりの穏やかな陽光が障子を通して柔らかく部屋の中に差し込んでいる。
腕の中でモゾモゾ動いていたりんが何時の間にかスヤスヤと寝息を立てている。
ごく僅かに開いた口元は眠りながらも微笑んでいるかのように安らかで微かに上気した白い頬に長い睫毛が、影を落とし何とも愛らしい。
旅をしていた頃に比べ、りんの髪が伸びた。
女官達に、毎日、丁寧に梳(くしけず)られ手入れされた黒髪は艶を増し今では、肩を覆う程に。
以前は肩に付くか付かないかの長さしか無かった。
手に取ればサラリと流れる黒髪は、僅かに癖を残すが細く柔らかい。
何時か、お前の髪が腰を覆う程に丈なす時が来たら・・その時こそは。
今、お前の部屋に飾られた男雛と女雛のように並び立つ日が来るだろう。
大妖は幼い想い人の成長をジッと待ち焦がれる。
近い将来の在るべき日のりんの姿を、垣間(かいま)見せたかのような先程の一瞬。
その艶やかな残像を思い浮かべながら、殺生丸はソッとりんの頬に口付けた。
時、恰(あたか)も芳春、花盛りの頃、りん、八歳の雛祭りであった。
了
2007.3月9日(金)作成 ◆◆猫目石
《第二十八作目『雛騒動』につてのコメント》
初めての連作物で特に最後の(その参)には手こずりました。
ドンドン長くなる一方で、結果的に(その壱)と(その弐)を合わせたよりも長くなりました。
少しずつ段階的に殺生丸とりんの関係も深みを増していきます。
徐々に徐々に物語を盛り上げていきたいと考えています。
一気にラブラブモードに持っていかせたい考えの方には物足りないかもしれません。
しかし、これが、私の殺りんの書き方です。
焦らずユックリと、その過程を追っていきつつ楽しみたいと考えております。
ご訪問、有り難う御座いました。心より感謝致します。
2007年3月10日(金) ★★猫目石