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第二十二作目『妖雲』

重陽の節句から一週間ほど経つと“立冬”になる。
万物が冷ゆる季節『冬』の訪れ。
木枯らしが吹き荒れ、上空では、強い寒気を孕んだ雪雲が、季節風に飛ばされ、足早に棚引くように流れて行く。
秋の穏やかさから一変してピンと張り詰めた物を感じさせる初冬の大気を、切り裂くように樹海の中を急ぐ影が、一つ、いや二つ。
先頃、二百年振りに当主が帰還した犬妖族の大国、西国の北東、艮(うしとら)の方角に位置する万古(ばんこ)山脈。
太古の昔から変わらぬ深い樹海が広がる森に覆われた万古不易(ばんこふえき)の山々。
故にこそ『万古』山脈と呼ばれる。
昼なお暗い鬱蒼とした森、太陽光線さえも微かにしか通さない生い茂る樹木の密度、これでは、到底、夜間には動けない。
いや、昼間でさえ、迷う可能性は、高い・・・人間ならば。
しかし、影は、人型をとりつつも人間ではなかった。
人間のお粗末な嗅覚では、感じ取る事さえも出来ない僅かな匂いを嗅ぎ取り、膨大な情報を読み取る能力を持つ犬妖族である。
この深い樹海の中を、微かに感じる匂いを頼りに目的地に向かっている。
ザザッ―――ザァ―――先頭の影が懐(ふところ)に忍ばせているのは密書、これを無事に目指す相手に届けねばならない。
ふと感じる気配、どうやら探していた相手が、自ら、出向いてきてくれたようである。
いつの間にか、周囲を完全に取り囲まれている。
この万古山脈一帯を根城にしている妖猿一族の許に、何故か“犬猿の仲”で世に知られる犬妖族の密偵が一通の密書を携えて現れた・・・・何やら不穏な気配と共に。
低く垂れ込めた鈍色(にびいろ)の雪雲から遂に雪が降り始めた。
今年、初めての雪、初雪である。音も無く静かに空から舞い降りる雪に、りんが、はしゃいで歓声を上げる。


「見て! 相模さま、雪が降ってきたよっ!!」


暖かい綿入りの内掛けを、りんに着せかけながら、相模も、降りしきる雪を眺めて応える。


「遂に降り始めましたか。ここ二・三日、急に冷え込んできましたから、今日辺りにでもと思っておりましたが・・・。りん様、お庭に出てはいけません! お風邪を召されます!!」


「はぁい、でも、此処で見てる分には良いでしょ?」


「仕方ございませんね。今日は、殺生丸様も邪見様も、領内の急な御用で、お出かけになっておられますから、退屈なさっておられますものね。」


りんを娘のように可愛がっている相模が、母親のように甘く嗜(たしな)めつつも雪見を許可する。
殺生丸が、りんの為に張り巡らせた強力な結界の内では、外部ほどの寒さは感じられないが、もし万が一にも、りんに風邪など引かせたら、主君である殺生丸に申し訳が立たない。
殺生丸の、りんに対する過保護ぶりを誰よりも良く承知している相模は、主の大切な養い仔に、何かあっては大変と防寒用の打ち掛けを着せた上で、縁側での雪見に付き合った。
冬の夕暮れは、早い。
夜目の利かないりんの為に室内の灯りを点(とも)し、庭に積もり出した雪に見入っていた次の瞬間、激しい衝撃音とともに結界が破られた。
バシッ! バリバリッ! 
殺生丸が張った結界である。雑魚妖怪の妖力如きでは、触れる事さえも出来ない筈。
その結界を、こうまで容易(たやす)く突破したという事は、侵入してきた何者かは、並大抵の妖力の持ち主ではない。
相模は、咄嗟に、りんを庇い奥座敷へと逃げ込んだ。
城内の彼方此方(あちこち)で、狼藉者との小競り合いが、始まっている。
曲者達の風貌は、異様な赤ら顔の猿どもの集団。その中でも、一際、大きな身体の赤猿が首領なのだろう。
矢継ぎ早に仲間達に命令を下し、向かってくる城内の家臣を太い棍棒で次々と殴り倒している。
降り積もった雪に血が、点々と飛び散り、まるで雪の上にこぼれ落ちた寒椿の花を思わせる。
雪上に咲く真っ赤な・・・・真紅の花。 命と言う名の花が、其処彼処(そこかしこ)に乱れ散る。
風流な雪景色が、あっと言う間に阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わってしまった。
必死に防戦する城内の家臣達ではあったが、突然の襲撃に隙を突かれ、徐々に追い詰められつつあった。
その頃、殺生丸も、西国城から遠く離れた場所で、異変に気付いていた。
風が運んできた雪とともに微かな血の匂いを鋭敏な嗅覚が捉えたのだ。
・・・然も!その匂いは、西国城のある方角から!
りんが危ない!


「阿吽! 全速力で城に戻れ! 」


グルルル~~~ッ! 主の命令に双頭竜が吠える。


阿吽に跨り、即座に西国城に向かおうとする主の毛皮に、邪見が必死にしがみ付く。


「木賊(とくさ)! 藍生(あいおい)! お前達は、他の者を連れて城に戻ってこい!」


「ははっ!」「御意!」


灰色の髪に緑の瞳が木賊(とくさ)、栗色の髪に水色の瞳が藍生(あいおい)である。
側近として最近、目をかけている二人の若者に命令を下すが早いか、殺生丸は疾風のように阿吽を駆り城へと急いだ。
雪交じりの風の為、視界が悪い。匂いを頼りに城への道を辿る。
逸(はや)る気持ちを抑えつつ、忙しく思考を巡らす。重陽の節句で、古狸どもには、充分、釘を刺しておいた積りだったが・・・まだ、足りなかったか!? 
この殺生丸が張った結界を破るとは・・・一体、何者だ!? 
りん! 間に合ってくれっ!
・・・・それにしても、私が火急の用で城を留守にした、この時を計ったように狙うとは・・・・内通者が居るという事か!? 
城に近付くに従い、強くなる鉄錆のような血の匂い、それに入り混じる強い獣臭。
この臭いは・・・妖猿一族の物! 
その中でも、容易に識別できる、この、一際、強く漂う、酒気を帯びた、胸が悪くなるような臭いは・・・・・猩々(しょうじょう)! 
妖猿一族の長、曾(かつ)て、父の闘牙王と闘った事もある赤毛の大猿! 
全身を覆う濃い赤味を帯びた毛色から、何時しか猩々(しょうじょう)と呼ばれ始め、遂には、それが通り名となった。
酷く獰猛な性情で、その強力な膂力(りょりょく)でもって敵を引き裂き、殴り殺す事を楽しむ好戦的な妖猿。
上空から俯瞰的に眺めると、侵入者どもが、西国城の最奥、奥御殿を標的にしてきた事がハッキリと見て取れる。
つまり・・・奴らの狙いは、初めから殺生丸が奥御殿に住まわせている“りん”


「おのれっ! 自分達の手は汚さずに、りんを亡き者にする積りか! 古狸ども!」


相模に連れられ、奥座敷に逃げ込んだりんを、猩々が追ってきた。
今回の襲撃の目的は、西国王殺生丸の寵愛する、りんとか言う人間の小娘。
その小娘を殺して、闘牙の小倅(こせがれ)に一泡吹かせてやろうか? 
それとも・・・このまま、攫って身代金をタンマリせしめてくれようか?
どちらに転ぶにせよ、積年の恨み重なる犬妖族どもに思い知らせてくれるわっ!
獲物を追い詰める残忍な喜びに鋭い牙を剥き出しにして口元を歪める猩々。
刀で斬り付けられたのだろうか?
左の片目は潰れて無い。
それが、獰猛な表情に、より一層の凄みを与えている。
凶暴な野生のままに殺戮の本能を全開にして威嚇の雄叫(おたけ)びを上げる。 
グフフッ・・・精々、逃げ回るがいい。
何処に隠れようとも必ず見つけ出してやるぞ! 
美味そうな匂いだ・・・久々に人間を喰らうのも良いかも知れん。
ジュルッ・・・ポタッ・・ポタッ・・冷気に曝(さら)されて白くなった息とともに涎(よだれ)が口の端から伝い落ちる。
犬妖族とは明らかに違う、人間の幼子特有の乳臭いような柔らかい匂いを頼りに、猩々は、奥へ、奥へと、逃げ惑うりん達を追い詰めていった。
追跡の途中に出会った不運な家臣や女中衆は、悉(ことごと)く棍棒で薙(な)ぎ倒され、累々(るいるい)たる死屍となって、廊下に無残な骸(むくろ)を曝(さら)している。
遂に最奥の奥座敷まで猩々が追い付いて来た。相模が、りんを後ろに庇い、妖力を使って、必死に猩々の攻撃を阻もうとする。
相模自身、女妖としては、かなりの実力者である。
しかし、相手は、妖猿族の長、猩々。
これまでにも数え切れない程の敵を、その手に掛けてきた百戦練磨の兵(つわもの)。
豪腕から繰り出される太い棍棒の一撃を肩に受け、その場に倒れ付してしまう。


「相模さまっ!」


目の前で母のように慕う相模が、りんを庇い、化け物のように大きな猿に殴り倒されてしまった。
りんは、思わず、床の間の刀掛けに掛けてあった天生牙を手に取り、更に振り下ろされようとした棍棒の前に飛び出した。
バシッ!バババッ! 
天生牙が結界を張り、りんと相模を覆った。
猩々の棍棒は、天生牙の結界に弾かれ、粉々に砕け散ってしまった。


「グワッ!・・・・くそっ! 一体、どうなってやがる!?」


痺れる右腕を擦りながら、猩々が、呻く。殺生丸が、神速とも言える早さで駆け付けてきたのは、正にその時だった。
一目で、その場の状況を見て取った殺生丸は、無言で腰の闘鬼神を鞘から抜き放ち、赤毛の大猿に剣先を向けた。
殺生丸の凄まじい怒りの妖気に、闘鬼神の闘気が鋭く反応して剣圧が周囲の空気を激しく震わせる
ビリビリッ・・・・ビッ・・・・ビビッ・・・ビリッ・・・


「ググッ、闘牙の小童(こわっぱ)か!」


長年の度を過ぎた飲酒のせいで、黄色く濁った眼球に血走った隻眼が、殺生丸を見据える。


「・・・・殺してやる。」


抑えた声音が、寧ろ、怒鳴り声よりも、殺生丸の恐ろしいまでに白熱した怒りを表している。


「フンッ! 貴様のような青二才に、むざむざ殺される猩々様ではないわっ!!」


猩々も腰に佩いた大太刀を抜き、殺生丸と対峙する。


「この妖刀、雲切り丸の餌食にしてくれる!」


刀身が薙刀(なぎなた)状に反り、幅が広い。
柄に青い竜の装飾が施された青竜刀と呼ばれる形状の刀。
恐らくは、海の彼方の国から伝わった物だろう。
これまでに倒してきた敵の妖力を吸い込み、その分、力を溜め込んできたらしい。
ブウゥ・・・・ン! 
闘鬼神と同じように、雲切り丸も、又猩々の妖気に反応し始めたではないか。


「貴様の親父に潰された、この左目の仇を取ってやるっ!」


無残にも左目に走る傷跡は、紛れも無く刀傷である。
では、この傷跡は、闘牙王に付けられた物なのか!? 
ギリギリと歯を喰いしばり、猩々が、隻腕の殺生丸の左側を狙って、大太刀を振り回してきた。
ビシュッ! 大太刀の雲切り丸が空を切る。
豪腕が風切り音を発して、殺生丸に、襲い掛かる。
僅かに歩幅を変えるだけで、猩々の力任せの斬撃を躱(かわ)す殺生丸。
身の熟(こな)しは、大猿に比べ、数段、早い。
大太刀の一撃でも浴びれば相当の大怪我を負うであろうが、当たらなければ何の効果も無い。
ビュッ! ビュッ! ビシュッ! 
雲切り丸を振り回す猩々の隙を突いて、殺生丸は闘鬼神で確実に相手に傷を負わせていく。
肩、胸、腕、と傷口から血が滲み、大猿の赤い毛並みを更に赤く染め上げていく。
殺生丸の変幻自在の攻撃に翻弄され、次第に、猩々の息が荒くなってきた。
ゼイ・・・ゼイ・・・ハァッ・・・ハア・・・・如何に身体が大きかろうとジワジワと流れ出る血が、時間が経てば経つ程、大猿の体力を徐々に奪っていく。
対する殺生丸は、息一つ乱さず、猩々を追い詰めていく。
疲労が焦りを呼び、更に、猩々の判断力を鈍らせる。
一見、優男風に見える殺生丸を侮って懸かったのが最大の誤算であった。
“戦国最強の大妖”と謳われ怖れられた犬妖、殺生丸。
その隻腕が握るのは、鉄砕牙をも噛み砕いた鬼“悟心鬼”の牙から打ち起こされた剣、闘鬼神。
それだけではない、 一度は、宿敵、奈落の分身、魍魎丸に叩き折られながらも稀代の名工、刀々斎によって打ち直され、再生した刀。 
而も、繫ぎに使われたのは、殺生丸の父、先代の西国王、闘牙王の爪。
世に名刀、数々あれど、これ程の破壊力を持つ刀は、鉄砕牙と天生牙を除けば、まず見当たらない。
猩々の持つ雲切り丸とて、これまで倒してきた敵の妖力を吸い取って成長してきたのであろうが、如何せん、持ち主の力量が、違い過ぎる。 
苦し紛れに、倒れた相模に寄り添い、闘いを見守っていた、りんに襲い掛かろうとする猩々。
その意図に逸早く気付いた殺生丸が、素早く、りんの前に立ちはだかり、大猿の間隙を縫って、闘鬼神で相手の心臓を深々と刺し貫いた。 
ズバッ!鮮血が辺りに飛び散る。
殺生丸の着物にも返り血が!


「ガハッ!・・・くっ・・くそっ・・・こんな筈ではなかったのに・・・豹牙・・め!」


口から血を吐いて、猩々の巨体が沈む。 ズズゥ・・・ン!


「大殿っ!」「お館様っ!」


木賊(とくさ)と藍生(あいおい)が、他の家臣達を引き連れて、駆け付けて来た。
大猿の返り血を浴びた殺生丸の姿を見て一様に驚き、両名ともに口々に主君に様子を尋ねる。


「お怪我はっ!?」「大事ございませんか!?」


闘鬼神に付いた猩々の血を拭い取り、鞘に収める殺生丸。 
パチリ!

「・・・大事ない。りん・・・怪我は無いか?」


「りんは、大丈夫。でも・・・相模さまが・・・りんを庇って・・・お怪我を」


必死に握り締めていたのだろう、力の抜けた、りんの腕から天生牙が床に落ちる。
パタッ・・・殺生丸の左の袂を、りんがギュッと握り、大きな瞳からポロリと涙を零す。
怖かったのだろう、りんの頭をソッと撫でて安心させてやる。
いや・・・安心したのは私か、りんの無事を確かめて。


「相模! 大丈夫か!?」


猩々に殴られた肩を手で庇いながらも、気丈に相模が返答してくる。


「大丈夫でございます。少々、痛みますが、骨に異常は無いようでございます。」


「・・・そうか。」


自分の乳母でもあった相模は、殺生丸にとって育ての母とも言える存在である。
りんの無事と相模の軽傷を確かめ、ホッと安堵したのも束の間、西国中を一気に震撼させる事実が判明した。
死んだ猩々の懐中から出てきたのは、血に染まった一通の書状。
其処に記されていたのは・・・豺牙と猩々の間で結ばれた密約の内容。
西国の北東に飛び地領を持つ豺牙が今回の妖猿族の襲撃に際し領地を通り抜ける事を黙認するだけではない。 
西国城の詳細な見取り図までが書き記されているではないか! 
それは、動かし難い『裏切り』の証拠であった。
それに対する殺生丸の措置は迅速を極めた。
即座に、豺牙の屋敷に一団の家臣群を向かわせ張本人の豺牙を捕らえさせると同時に、残った家臣は妖猿族の襲撃で負傷した者達の介護救援に当たらせ亡くなった者達を大広間に運ばせたのだ。
何時の間にか雪が止み、凍て付いた空に冬の星が冴え冴えとした鋭い光を投げかけていた。
惨劇の跡が生々しく残る西国城の中庭に引き立てられてきた豺牙は、まだ太々(ふてぶて)しい態度を崩さない。


「一体、どういう事で御座いますかな!? 殺生丸様、この乱暴な所業は!」


「・・・覚えが無いと申すか? 豺牙」


「御座いません!! 何故(なにゆえ)このような場所に引き立てられねばならんのかっ!」


殺生丸は懐から布に包(くる)んだ書状を取り出し豺牙の前に放り投げた。


「それにも、見覚えが無いと言うか!?」


血の滲んだ書状に、顔色を変える豺牙。
しかし、老獪な犬妖は、それでも、尚、白を切ろうとした。


「知りませんな、そのような物。大方、この儂を陥れる為に捏造されたに違いない」


その返答が、殺生丸の堪忍袋の緒を切った。
闘鬼神を一気に鞘から抜き放ち、豺牙の首許にピタリと宛(あて)がう。
目に見える程、ガタガタと震えだし顔から脂汗(あぶらあせ)を流す豺牙。


「我らが犬妖である事を忘れたのか? 貴様が、どんなに否定しようが、書状に残っていた残り香は、間違いなく貴様の物。況(ま)してや、貴様の血判(けつばん)まで押されている。最早、言い逃れは出来ぬぞ」

言うが早いか、闘鬼神を一閃させた。
ビシュッ!・・・ゴトリ、豺牙の首が胴体から切り離された。


「木賊(とくさ)! 藍生(あいおい)! 豺牙の一族の者を残らず引っ立ててまいれ!」


「裏切り者の一族、全て、この殺生丸が、直々(じきじき)に手討ちにしてくれるっ!」


「やめてっ! 殺生丸さまっ!」


「待つのじゃっ! りんっ!」「りん様っ!」


りんが邪見と相模の制止を振り切って駆け込んできた。


「りん! 何故、此処に!?」


「邪見!」「相模!」


「申し訳御座いません。りんが、どうしても、と言いまして」


「このような仕置きの場に出向いてはなりません、とお留めしたのですが・・・」


「お願い、殺生丸さまっ! そんな事しないでっ!」


りんが、殺生丸に縋って、必死に懇願する。


「・・・お前を殺そうとした輩を許す訳にはいかぬ」


「でも、りんは生きてるよっ!」


「・・・もう少し、僅かでも私が遅かったら・・・間に合わなかったかもしれぬ。」


縋りつく、りんの小さな身体を殺生丸はギュッと隻腕で抱き締めた。
伝わってくる暖かな温もり。
もし・・・あの時、私が駆けつけるのが・・・ほんの一瞬でも遅かったら・・・お前は・・・お前の命は。
否応なく脳裏に甦ってくる冥界での・・・あの出来事。
次第に熱を失い冷たくなっていく・・・小さな身体。
りんの命が・・・この手を擦り抜けていく恐怖。
思い出す度に未だに私を苛む、あの苦痛。
最早・・・天生牙でさえ、お前を救う事は・・・出来ないのだ!


「お願い! それでも・・・もう、これ以上、誰かが死ぬのは・・・嫌」


「・・・・・」


「木賊、 藍生、先程の命令は・・・撤回だ。」


「・・・はっ!」「確(しか)と・・・」


側近達は、驚きの表情を隠しきれない。
無理もない、この主の苛烈果断な処置に、異議を申し立てる事が出来る者が存在しようなどと想像した事さえ無かったのだ。
況(ま)して、その気難しさにおいて右に出る者が居ないとまで噂される主に、一旦、下した命令まで撤回させたのが人間の童女であるなどと、一体、誰が信じられようか。


「・・・・天生牙を」


木賊が、捧げ持っていた天生牙を、殺生丸に手渡す。
ドクンッ、天生牙が生き物のように脈打つ。 
シュッ・・・腰に天生牙を佩き、朱塗りの鞘からスラリと抜き放つ。
皓々と天に懸かる月の光に照り映える細身の剣、その刀身に映るのは月の化身の如き大妖の姿。
ビシュッ! 殺生丸が、豺牙の死体に向かって天生牙を振り下ろした。
余人には窺い知る事も出来ない、あの世からの使いが、天生牙によって斬り捨てられた。
声にならぬ声を発して、虚空に消え失せていく冥府からの使い、餓鬼ども。


「・・・ウゥッ・・」


呻き声を上げて豺牙が目を見開いた。
目の前には、首の無い己の身体!


「ヒイィッ・・・」


豺牙の紅い髪が、見る見る内に白髪に変わる。
大兵(だいひょう)の身体まで心做(こころな)し縮んで見える。


「見苦しい。・・・早く、身体をくっつけろ」


頭上には無慈悲なまでに無表情な殺生丸の顔。


「領地は没収。・・・貴様には、堅く、蟄居(ちっきょ)を申し付ける。もし・・・この言付けを守れぬとあらば・・・・次こそは命が無いと思え」


もう用は無いとばかりに、その場を立ち去る殺生丸。
次に向かったのは今回の妖猿族の襲撃で命を落とした者達を収容した千畳敷きの大広間。
その数、ザッと数えて百名を僅かに切る程度。
中でも猩々の棍棒にやられたのだろう。
一撃で殴り殺されている者が多い。
既に身内の者に連絡が行ったのであろう。
彼方此方(あちこち)で遺体に取り縋って泣いている遺族の姿が殊更に哀れを誘う。
国主が、直接、足を運んできた事を知り大広間の遺体の扱いを取り仕切っていた家臣が急いで報告にやってきた。


「・・・・遺体の数は?」


「はい、現在の処、九十八体でございます。他の者は、比較的、軽傷でございますので、もう・・これ以上、増える事は無いか、と」


「そうか・・・では、遺族の者達に、暫く、遺体から離れるように指示を出せ」


「はっ? 何故で御座いますか?」


「直ぐに判る。・・・ほんの一瞬で終わる筈だ」


ドクンッ! ドクンッ! 
先程から、天性牙が、今迄に無く大きく脈打っている。
国主の命令に従い遺族達が遺体から離れる。
それを見計らって殺生丸が天生牙を抜き放ち大上段に大きく振りかぶる。
ビュウッ! 
眩しい閃光を発すると同時に鋭い風切り音が大広間全体に響き渡る。
何事か?と事の次第を見守っていた遺族や家臣達は、次の瞬間、自分達の目を疑った。
無残にも変わり果て物言わぬ骸(むくろ)と化していた筈の目の前の遺体が・・・息を吹き返したではないか。
それも、損傷は全て消え失せ襲撃前の元気なままの姿で。
悲嘆の場は一転して歓喜の声に満ち溢れる。
遺族達は、勿論、生き返った者達も、皆、驚嘆の思いで自分達の主君を仰ぎ見る。
―――“我らが国主、殺生丸様は、神にも等しき御方”――― 
死さえも覆す信じ難いような奇跡の業(わざ)を前に、一同は、その場に自然に跪き西国王への畏敬の念を新たにした。
そして、その後、仕置きの場において一部始終を見ていた側近達の話から豺牙の裏切りの全貌と、それに対する殺生丸の容赦のない措置、りんによる助命嘆願の経緯(いきさつ)を事細かに知らされ、又しても、驚愕せざるを得なかった。
人界を放浪していた頃は、冷酷、無慈悲、無情と怖れられ、一切、他者を顧みる事の無かった西国王、殺生丸が、あの小さな人間の幼子、“りんの願い”だけは、無下に出来ない事に。
妖猿族の襲撃は、西国王、殺生丸の、りんに対する執着の強さを、広く世に知らしめる切っ掛けとなった。
それ以後、人間である、りんを軽んじるような真似をする愚か者は西国に存在しない。
いや、存在出来なくなったと云うべきか・・・・。
妖怪世界において、最大の領土を誇る西国の王、殺生丸。
絶大なる妖力と天下無双の名刀、“癒しの刀”天生牙と“破壊の剣”闘鬼神の二振りを所有する最強の犬妖。その絶対権力者とも云うべき大妖怪が、唯一、愛して止(や)まぬ存在、小さな人間の童女“りん”。
殺生丸が、嘗て、あれほど忌み嫌った人間の、しかも年端も行かぬ童女。
西国中が、いや、妖怪という妖怪全てが、驚き、尚且つ、唖然とさせられた、その事実。
それは妖怪と人間という種族の違いによる垣根さえも乗り越えて結ばれる“奇跡の愛”の長い長い物語の序章の始まりであった。
                             

2006.11/18.(土)作成◆◆猫目石

《第二十二作目『妖雲』についてのコメント》

とにかく苦労させられました。
オリキャラを使用しての第ニ作目でしたが◆もう◆途中でどうしたら良いのか判らなくなって呻吟(しんぎん=呻き苦しむ)させられました。 
何とか完成できて本当にホッとしてます。
 一応◆九千打のお祝い作品です。
本人はコロッと忘れてたんですが
イヤ、その・・・・今回は余りに苦心惨憺したので◆何の為の作品かと云う事も忘却の彼方に。
とにかく遅くなりましたが此処に御礼の気持ちを込めてご披露させて頂きます。

2006.11/18.(土)★★★猫目石

拍手[13回]

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