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第十九作目『余波(冥界編その後)』

         

大きな水盤に張った一杯の水に向かい呪文を唱える。
透き通った水面が鏡のような表面に変化する。
水鏡に次第に一つの像が結ばれる。
映し出されたのは奇妙な一行の面々の姿。
双頭の竜に跨る小さな人間の童女に、緑色の肌をした珍妙な小妖怪と、まだ大人とは言い切れない人間の少年、更に一行の主人らしい長い白銀の髪を背に流した長身の青年。
年も恰好も種族さえもバラバラな一団の姿が、水鏡と化した水盤の鏡のような水面に映し出されている。
天空の城に住まう殺生丸の母君は、久方振りに会った一人息子の様子を窺う為にコッソリと水鏡を覗いていた。
気配に敏感な息子の事である。
僅かでも物音などさせたら、即座に覗き見をされていると察知する事だろう。
慎重な上にも慎重にせねばならない。
それでなくとも、あの息子は、亡くなった父親には、あれ程、懐いていたと云うのに、この母を毛嫌いする傾向がある。 
全く、誰に産んでもらったと思っているのか。

「可愛くない・・・尤も、仕方ない処も多分にあるかのお。昔、あ奴を、随分、からかって遊んだからな。

 フフッ、それにしても、あの殺生丸が、あれ程の執着を示すとは・・・・それも年端もいかぬ人間の童女になぁ。我が子ながら、情の強い(こわい)可愛気の無い奴だと思ってきたが、あの小娘にだけは妙に優しいと見える。やはり、父親の血が流れているせいなのか? あの様子では、到底、あ奴が、小娘を手放すとも思えんし・・・。そうだな・・・いずれ、又、逢う機会が巡ってこよう。あと数年もしたら必ずや、逢う事になるだろうな。イヤ・・・もしかしたら、もっと早いかも知れぬ。まあ、あの息子が、どう出るかにかかっているがな」

 母君は、水盤を覗き終えると呪文を唱えて術を解いた。
水面に映し出されていた一行の像も消える。

「ねえ、殺生丸さまは、おっ母と良く似てるね。お月さまの印も一緒だし、お顔もソックリ!」

ギラギラした夏の太陽が影を潜め、木陰から漏れる日差しも、何処となく穏やかさを感じさせるようになった初秋の頃。
太陽も中天から降り始めた昼下がり、りんが阿吽に乗ったまま、邪見に嬉しそうに話しかけている。
最初は、狼に噛み殺された命を、殺生丸の天生牙によって、冥府から呼び戻され、二度目は、殺生丸の母が持つ冥道石によって、又しても冥界から連れ戻された人間の童女。
紅白の格子柄に重なる緑の輪の模様の着物を同じ緑の帯で締めている。
柔らかな少し癖のある黒髪を右側でチョコンと一房、結わえて飾りにしている。
年齢は五・六歳くらいであろうか。
何とも可愛らしい女の子である。
対する邪見は、緑色の肌をした珍妙な姿の小妖怪。
果たして何の化身なのか?鳥であろうか??蛙であろうか??
はたまた、河童であろうか??? 
既に百年以上、殺生丸に仕えている下僕である。
珍妙な一行が、天空の殺生丸の母君の城を辞去してから、既に数日が経っている。 
初めて見た殺生丸の母に驚いたのは、りんだけではない。
邪見も同様であった。
百年以上、殺生丸に仕えてきたが、御生母様に御目文字(おめもじ)したのは、実に今回が初めてだったのだから。 
父君が疾に(とうに)身罷(みまか)られた事は存じ上げていたが、まさか、母君が御存命とは一言も聞かされていなかった邪見であった。 
何も話されない事から母君も父君同様、既に他界されているのだろうと勝手に推測していたのである。 
それが、イキナリのご登場である。
この事一つ取っても、如何に己の主が、無口かの証明になるだろう。
それにしても、ご自分の母上の事である。 
一言くらい、長年、忠実にお仕えしている下僕の自分に話して下さっても良かろうに、と思わずにはいられない。
( 冷たいですぞ・・・・・殺生丸様 )

「確かに良く似ておられたな。お二人が並ばれると、そのまま生き写し、鏡のようじゃった。」

邪見の何気ない、その一言に、殺生丸が振り返り、氷のような鋭い視線と共に吐き出した一言。

「・・・・今後、私の前で、あの女の事を口にするな。」

 

「エエッ!? それは、又、何故でございますか!?!」

邪見が、尤もな事を質問する。 
りんも同じように殺生丸に尋ねる。 
つい最近、一行に合流したばかりの退治屋の少年、琥珀は、沈黙している。
琥珀自身は、一旦は、死んだ身であるが、奈落と云う半妖によって仕込まれた四魂の欠片で命を繋いでいる。奈落に操られて自分の父親や退治屋の仲間を殺してしまった辛い過去を持ち、今は、奈落を敵(かたき)として狙っている。
妖怪退治を専門に請け負う一族の生き残りで鋭利な鎖鎌の使い手でもある。
りんの護衛としては、かなり頼りない邪見に比べれば、ズット役に立つであろうし、食料調達も上手そうである。
それに、りんの護衛は、彼ら以外にも、空を飛び雷撃を吐く頼もしい双頭の竜、阿吽が付いているのであった。

「どうして? どうして殺生丸さまのおっ母の事を話しちゃいけないの!?!」

 

「そうでございます! 仮にも殺生丸様の御生母様ですぞっ! あの女とは、如何に何でも・・」

邪見が、そう言い終わるか終わらない内に、例の如く殺生丸の蹴りが命中し、邪見は、遥か彼方に蹴り飛ばされていた。 
りんが流石に今回は酷いと思ったのか、殺生丸をジッと睨んでいる。

「殺生丸さま、あんまりだよっ! 邪見さまは悪くないっ! 自分のおっ母の事を、そんな風に云うなんて!」

「・・・フン、確かに、あの女は、私を産んだらしいが、母親らしい事は何もしていない。 それどころか・・・」

  殺生丸が、何かを思い出したのか、口籠もる。
眉間には、強烈な不機嫌の徴である皺までもが!!

「それどころかって???」

りんが、殺生丸に聞き返すが、これ以上は問答無用とばかりに殺生丸に言い渡されてしまった。

「・・・とにかく、私の前では、今後、あの女の事について、一切、喋るなっ!」

  いつも、りんと邪見のお喋りについて何も云わない殺生丸にしては、珍しく厳しく命じた。
思わず顔を  
見合わせる、りんと琥珀であった。 
一体、何が、それほど殺生丸を怒らせるのだろう。

  途轍もなく不愉快な思い出が、意識の底からユルユルと浮上してこようとしている。 
殺生丸は、
ギリッと牙を喰い縛った。 
思い出すまいと意識を集中すればする程、その不快な思い出が、一層、
鮮明に脳裏に甦ってくるではないか! 
それは、殺生丸が、まだ幼い頃の事。 
西国に両親と
共に住んでいた頃の事であった。 
西国王である父、大妖怪、闘牙王の嫡男として生まれた殺生丸
は、云わずと知れた大切な大切なお世継ぎである。
当時、上流階級では丈夫に育つようにと、男児
に女児の装いをさせて育てる風習があった。
概して、男子よりも女子のほうが健やかに育つ事から
縁起を担いで、そのような風習が出来たのであろう。そう、つまり、殺生丸も御多分に洩れず、女児の格好で育てられたのである。
想像してみて欲しい。
今でさえ麗しい事この上ない殺生丸の幼い
頃の可愛らしい姿を。
尤も、一度としてニコリとも笑わない子供であっただろうが。
その幼い殺生
丸が女児の装いをするのである。
どれほど綺麗で愛らしい事か。まる
で、お人形さんのようであっただろうに。
殺生丸の脳裏に、否応無く幼い頃の記憶が、回想シーンとなって甦ってきた。

眼にも綾な色取り取りの絹織物、金、銀、朱色、臙脂(えんじ)、紅(くれない)、青、空色、紺色(こんいろ)、水色、浅葱色(あさぎいろ)、橙色(だいだいいろ)、山吹色(やまぶきいろ)若草色(わかくさいろ)に深緑(ふかみどり)、紫色と、部屋の中に氾濫する色と言う色全てが、眩しいほどに煌びやかな房室。
今日も今日とて殺生丸は、母君のお召しでアレコレと着る物を矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)品定めされては着せ替えられている。
当の本人は退屈極まりないのであるが、母の御付きの女房達は、大はしゃぎで幼い殺生丸の着替えを手伝っている。
無表情でニコリともしない殺生丸ではあるが、母君譲りの美貌は輝くようで、実に飾りがいのある子供である。日に透けて輝く白銀の髪、秀麗な眉、完璧なまでに整った面差しには、母君と同じく細い月のような紋様、頬には二筋の朱の妖線が。
両親とも妖線は一筋のみ、それでさえ、その妖力は比肩し得る者が見当たらないというのに、二人の子供である殺生丸には二筋もの妖線が! 
即ち、両親の絶大な妖力を、更に、色濃く強く受け継いでいるという証であった。
成長すれば、恐らくは、両親すらも凌ぐ妖力の持ち主になる事であろう。
幼いながらも既に、その強い妖力は、並の妖怪では、到底、歯が立たぬ程である。
先程から延々と続く衣装選びに、飽き飽きした殺生丸は、誰にも気付かれぬように一人コッソリと部屋から抜け出し、妖力を使って城の外へ飛んでみた。
薫風の中、殺生丸の白銀の髪が光を弾いて煌めく。
父である闘牙王が築いた西国城は、人界には同じ規模の城が見当たらない程の巨城で、その周囲に張り巡らされた結界も城同様、非常に規模が大きい。
その結界を抜け出し、周囲を見回すと、城から少し離れた辺りに川が流れていて、自分と同じくらいの人型の妖の子供達が、水遊びを楽しんでいる。
折しも季節は初夏の頃である。
日増しに太陽の光は、ジリジリと焼けるように熱くなり始めていた。
子供達が飛び散らす水飛沫が日差しを受けてキラキラと輝く。
その様子を面白そうだなと手頃な樹に留まりジッと眺めている内に、殺生丸に気付いた子供達が、一緒に遊ばないかと声を掛けてきた。
内心、遊びたくてウズウズしていた幼い殺生丸は、その誘いに乗り、川縁に降り立った。
子供達は、殆どが裸同然である。
即座に自分も着ていた衣装を脱ぎ、裸になった途端、子供達から驚きの声が!

「男だ!」

「男だっ!」

「男の癖に女の格好してるぜっ!」

その時、初めて殺生丸は、自分が、女の格好をさせられてきた事に気付いたのであった。
幼いながらも非常に気位の高い殺生丸にとって、それは、屈辱的とも云うべき体験であった。
城に戻った殺生丸が、自分の部屋に戻って、まず、した事は・・・・今まで着せられてきた女の子が着るべき衣装を全て引き裂き、毒華爪で溶かす事だった。
ビリッ!ビリッ!ビリビリッ!ジュッ!ジュワ~~
部屋を覗き、惨状に気付いた母付きの女房達が、悲鳴を上げて止めにかかったが、怒り心頭に発している殺生丸が聞く筈もない。
そうこうしている内に大騒ぎになり、父と母も駆けつけて来た。
引き裂かれた女物の衣装の数々が、毒で溶け掛かっている中に立つ、怒りで眼を紅く染めた我が子、殺生丸の姿に、父の闘牙王が、驚いて声を掛ける。

「殺生丸!この有り様は、一体、どうしたと云うのだ!?」

「・・・二度と・・・・二度と女の格好など・・・致しませぬっ!」

父の言葉に殺生丸が、唇を噛み締めて答える。
女の格好をさせられてきた事が、余程、悔しかったのであろう。
意地っ張りな殺生丸の瞳が潤み、今にも大粒の涙が溢れそうではないか。

「父上~~~っ!」

大好きな父の胸に飛び込んだ殺生丸が、我慢出来ずに盛大に泣き出した。

「奥よ・・・・流石に、もう女の格好をさせる訳にもいくまい。」

闘牙王は、腕の中で泣きじゃくる殺生丸に、溜め息を吐きつつ奥方に話し掛けた。

「仕方ありませぬな・・・・折角、誂えたばかりの桂(うちぎ)と帯がありましたのに。」

こうして、殺生丸の女装姿は、終わりを告げたのであった。
後にも先にも、殺生丸が、人前で泣いたのは、それが最初で最後であった。
そして、幼心に固く心に誓ったのであった。

『私は男だ! 絶対に女装などしない!』と。

その当時、殺生丸は、母君と同じ髪型にされていた。
そう、お馴染みのツインテール。
唯でさえ瓜二つの母子が、髪型まで同じにすると一層、良く似てくる。
そのまま母君のミニチュア版である。

何の事はない。
母君は、人形代わりに着飾れる可愛い娘が欲しかったのであった。
しかしながら、生まれてきたのは、自分にソックリの息子。
当時の男児を女装させる風習は、もっけの幸い、何も知らぬ息子を好きなように着飾り楽しんでいたのである。
さしずめ殺生丸は、生きたお人形さん、と言った処であろうか。
殺生丸は、それも気に入らず、女装をやめると同時に、キッパリ同じ髪型も、やめたのであった。 
それ以後、女と間違えられるような格好は、金輪際、しなくなったし、女々しいと云われるような事も死んでもするまい!と決意。
その為に、男らしいと云われる習い事、剣術など武術一般に励んだのである。
それでも、まだ、その女と見紛うほどの美貌に惹かれて寄ってくる、有象無象の妖怪、人間に限らず、男という男どもは、容赦なく爪で引き裂かれるか、毒華爪で溶かされるか、ドチラかの選択を迫られたのであった。
そうした経過もあってか、殺生丸は、自分以外の男は、父親を除いて嫌う傾向が“大”であった。
例え、それが、まだ一人前の男とは、到底、云えない少年であろうともだ。
では、女が好きなのか?と問われれば、そうとばかりも言い切れない。
男に比べれば、若干、マシという程度である。
とにかく、殺生丸は、恐ろしく気難しい。
己の好みに適うような者が、殆ど居ないのである。
そんな殺生丸が、唯一、大切に保護している、人間の童女、りん。
鉄砕牙の件でも判るように、一度、執着した物に関しては、中々、諦めようとはしない性格である。
独占欲の塊りと云っても良いような殺生丸である。
当然、今も、琥珀が、りんの側に付いているのが気に喰わない。
しかし、琥珀の背中に仕込まれた最後の四魂の欠片がある限り、必ずや、奈落が、それを狙って、やって来るだろう事は明白。
事実、琥珀の欠片を狙って夢幻の白夜が瘴気のヘビを放ったことがあった。
(邪見めが、あの時は、巻き添えを喰いおったが・・・馬鹿め!!)
それを考慮すると、琥珀を、このまま、自分達と一緒に行動させる事が、奈落を誘(おび)き寄せる最良の策。大切なりんに小僧が親しげに接するのは気に入らないが、暫くは大目に見てやろう。
但し、目に余るようであれば、何時でも爪で引き裂くなり、毒華爪で溶かすなりしてくれよう!
 バキバキッ!(爪を鳴らす音)
『・・・・りん』この殺生丸にとって、取るに足らぬ人間の小娘が、これほど掛け替えの無い存在になろうとは! 
無残にも妖狼どもに噛み殺された童女の命を、天生牙で、冥府から呼び戻したのは何故だったのか・・・? 一度は見捨てようとしながら、ふと、己の脳裏に甦ったのは、りんの笑顔だった。
様々な媚び諂い(こびへつらい)、阿諛追従(あゆついしょう)、ありとあらゆる醜い感情を見続けてきた私にとって、りんの何ひとつ作為の無い純粋な笑顔は、衝撃的なまでに新鮮で、あの笑顔が失われる事が許せなかったのかも知れない。
それ以来、共に連れ歩き、攫われる度ごとに、必ず取り戻してきた。
何故?と問われれば、こう答えていただろう。
『・・・アレは、私の所有物だから。』と。
単なる所有物、だが、己の物である以上、奪われれば、取り戻す、そう位置づけてきたが・・・。
今回、母上の城で、己にとって、りんが、どんなに大切な存在であるのかを、嫌という程、それこそ、骨身に沁みる程、思い知らされる事になった。
冥道残月破の完成の為に訪れた天空の母の城。
母上が父上から託された冥道石から出てきた冥界の犬。
その犬に連れ去られたりんと(琥珀)を追って踏み込んだ冥道。
冥界の犬を斬り捨て、りんと(琥珀を)助け出したものの、生身のりんは冥界の中で息絶え、その上、冥界の主らしき者に攫われてしまった。
その冥界の主さえ倒せば、りんは目覚めると思っていたのに・・・。
りんが目を開ける事はなかった。
あの時、己の心の中を瞬時に覆い尽くした、どす黒い絶望。
天生牙で命を繋ぎ止めた最初の時のように、私を見て、笑顔を見せると、そう信じていたのに・・・。
その瞬間、私は知ったのだ。
りんの命に比べれば天生牙など何の価値もない事を。
怖ろしい程の暗い絶望に捉われた私の周囲には、天生牙に縋り寄る亡者どもの群れ。
腕の中にりんを抱いたまま、天生牙を握り、救ってやろうという意識も無いままに亡者どもを浄化していった。死人どもを浄化すると同時に、冥道が今迄に無く大きく拡がり現世への道が開けた。
りんの亡骸を腕に、母の城に戻ってみれば、いつも通りに澄ました母の顔が。
私の中からフツフツと湧き出してくる激しい怒りの感情、事と次第によっては、例え己の母親と言えども容赦せぬ!
そんな私に告げられた母の言葉に、己は愕然とせざるを得なかった。
“天生牙で死人を呼び戻せるのは一度きり”という衝撃的な事実!!

では・・・もう、りんを生き返らせる事は出来ないのか。
今の今まで、何があっても、天生牙さえ有れば、大丈夫だと、りんを蘇生させる事が出来ると。
何処かで高を括っていた。

そんな思い上がった己を諌めるかのように続く母の言葉。

「殺生丸、そなたは知らねばならなかった。愛しき命を救おうとする心と同時に、それを失う悲しみと恐れを。」


“悲しみと恐れ”・・・・私の心に母の言葉が重く響く。

 

「天生牙は癒しの刀、たとえ武器として振るう時も、命の重さを知り、慈悲の心を持って敵を葬らねばならぬと。」

 

今は亡き父上の言葉が、母によって語られる。

「それが百の命を救い、敵を冥道に送る天生牙を持つ者の資格だと。」

・・・己は言葉もなく、唯、立ち尽くすしかない。
邪見が泣きじゃくり袖で涙を拭っている。

出来るものなら・・・・私も泣き叫びたいくらいの気持ちだ。
そんな私を見て、母が訊ねる。


「悲しいか、殺生丸?」

「・・・・二度目はないと思え。」

母上・・・一体、何を・・・・。
おもむろに母が、冥道石の首飾りを外し、息絶えた小さなりんの首許に掛ける。
冥道石から光が溢れ出し周囲に眩しいほどの光を放つ。冥界に置き去られていた、りんの命の輝き。

トクン・・・トクン・・・トクン・・・

妖(あやかし)の聡い耳が捉えた小さな心臓の鼓動。確かな命の証。
ユックリとりんが目を開けた、あの瞬間を、私は決して忘れないだろう。
あの驚き、胸の中に拡がる喜び、目の前の小さな童女が、この上なく“愛しい”と痛感させられた瞬間だった。蘇生の苦しさに咳き込むりんに、思わず、手を差し伸べずにはいられなかった。
・・・りんが、今、確かに生きているという事を確かめる為にも。


「殺生丸・・・さま・・・」


りんの愛らしい声が私を呼ぶ。

「もう・・・・大丈夫だ。」


りんにも、己自身にも言い聞かせるように呟いた言葉。
私の隻腕に伝わってきた柔らかな頬の感触、その下に流れる血流、癖のある黒髪は少しもつれて。

もう二度と光が宿る事は無いのかと私を絶望させた、りんの澄んだ夜空の星を思わせる黒い瞳が、私を見て安心したように和(やわ)らぐ。
何と小さな、何と愛しい存在である事か。

あれ以来、母の言葉が、折りに触れては思い出される。

『二度目は無いと思え』
 

もう・・・二度と喪う訳にはいかないのだ。
天生牙の効力が一度きりである以上。その為には守りきらねばならぬ。
この小さな限りなく愛しいぬくもりを。
・・・・何が、あろうと、何が、起ころうと!
例え、この大地が裂け、海が割れようとも。 
以前も、りんの気配には常に気を配ってきたが、今は、これまで以上に、その匂いと気配を確かめている己が居る。
気が付けば、りんの姿を目で追っている自分がいる。
りんを喪う事が、あれ程、怖ろしいとは・・・。

それにしても・・・冥道は拡がったが、真円になった訳ではない。
まだ、次なる段階があると云うのか? 
奈落を滅する為に、天生牙の覚醒を急いだが、これ以上、何を悟れと云うのか?

判らぬ! 
父上は、慈悲の心を持って敵を冥道に送れと言われたそうだが、この私に奈落に対して慈悲の心を持て、などと・・・戯言(たわごと)としか思えぬ。
己にとって何よりも大切なりんを二度までも害そうとした奈落を、何度、殺しても飽き足らぬ、あの卑劣極まりない奈落に慈悲の心だと!
馬鹿も休み休み言え!
                     了

 

2006.10/4.(水)◆◆作成

 

 《第十九作目『余波(冥界編その後)』についてのコメント》

この作品は◆途中から改題するという羽目になりました。
当初の題名『私は男だ!』(まるで青春映画みたいな題)に比べ内容がドンドン膨らんでいってしまって。
否応(いやおう)無く改題せざるを得なくなった物です。 
落とし処にも随分困らされた作品でした。
六千打◆◆お祝い作品とお見舞いも兼ねた作品でもあります。
重ね重ね御礼申し上げます。
これからも更新を怠りなく頑張ろうと思っています。

 

2006.10/4.(水)★★★猫目石

 

                           

 

 

 

 

 

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