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小説第三十七作目『白妙異聞(しろたえいぶん)』

トン・・パタン・・カラリ・・トン・・パタン・・カラリ・・小気味の良い音が今日も機屋に響く。
滝の白糸、虹の糸、流れる縦糸、滑る横糸、シュルッ・・シュルリシュルシュル・・・杼(ひ)が踊る。
金の光沢、銀の輝き、七色の光を弾いて世にも希少な布が織り出されていく。
ざんばら髪を振り乱し、白蜘蛛の精“白妙のお婆”は、一心不乱に機を織る。
四対の脚を自在に操り、一対の手しか持たない人間には、到底、為し得ない神の如き早業(はやわざ)で、奇跡のような織物を仕上げていく。
お婆の織り出す“虹織り”は、その名の通り、光を浴びれば、千変万化する虹のような輝きと光沢を有する不思議な織布。
肌に纏(まと)えば身に着けている事さえ忘れさせるような、薄さ、しなやかさ、その癖、とてつもなく丈夫で頑丈。
万が一、損傷しようとも自動的に修復するという妖力が宿る勝物(すぐれもの)。
炎天下の夏に着れば涼風のような涼しさを、極寒の冬であれば常春(とこはる)の暖かさを、身に着けた者に保証する。
この上も無く貴重で美しい織物“虹織り”、この稀少極まりない職布を織り出す事が出来るのは、この妖怪世界広しと云えども“白妙のお婆”の異名を持つ、白蜘蛛の精、その妖(ひと)、唯独りのみ。
西国の至宝とまで讃(たた)えられる、お婆の超絶的な技巧は、精緻で大胆、尚且つ、華麗。
織り出された紋様は、綺羅の輝きを有し、それが、動物、植物であれば、命を吹き込まれたかのような精彩を放つ。
当然、各国の国王、貴族、お大尽方の垂涎(すいぜん)の的。
誰もが、こぞって、千金、万金を積んででも手に入れたいと願う代物。
それ故にこそ、注文は、西国のみに限らず、遠方、近傍を問わず、あらゆる国々から、引きも切らず。
仮に運良く注文を受けて貰ったとしても、実際に手に入れられるのは、何年先、いや、下手をすると、十数年、何十年と待たされるのは当たり前。
それでも構わぬと順番待ちの客が列を成している。
“虹織り”とは、それ程までに極上且つ貴重な織物なのである。
それと同時に、その作者である“白妙のお婆”も又、格別の難物として、世に知られている。
相手が、如何な王侯貴族であろうが、どれ程の大富豪であろうが、自分の意に添わぬ人物(=妖怪)であれば、一切、首を縦に振らぬ。一顧だにせぬ。
それは、もう、どんなに金銀財宝を目の前に突き付けられようとも変わらない。
かと思えば、充分な代価を支払う事など、まず出来よう筈もない貧しき者であろうと、己が目に適いさえすれば、只同然の値段で、気前良く織ってやったりもする。
頑固な職人気質を、そっくりそのまま具現化したような気性の持ち主、それが、西国きっての、いや、当代随一の機織り名人“白妙のお婆”である。

此処は、犬妖族の大国、西国の国主、殺生丸の母君にあらせられる“狗姫の御方”の住まう天空の城。
文字通り、空中に浮かぶ雲の中に聳(そび)え立つ巨城である。
その城に呼び付けられたのは、御存じ、西国王の殺生丸。
先頃、ご自身が西国に連れ帰った人間の養い仔、今は母君の養女となった姫君、りんとの婚約を正式に発表したばかりの御仁である。
何年も意中の姫の成長を待ち続けた殿方としては、さぞかし晴れやかな御気分の筈であろうと、ご推察申し上げるのだが、当の御本人様は、至って、御機嫌斜めのようである。
その証拠に、眉間には剣呑(けんのん)な皺(しわ)が。
一体、何故、こんなにも、しかめっ面であらせられるのか。
その理由は、婚約者である姫君、りんが、西国城に居られないからである。
婚約した以上、もう、サッサと自分の物にしてしまえると心密かに目論んでおられたらしい。
ところが、どっこい、其処で、御母堂様“狗姫の御方”に待ったを掛けられたのである。
ようやっと、大人への仲間入りを果たされたばかりの姫君、りんを、そのまま意気揚々と御自分の居城、西国城に連れ帰ろうとされた西国王に、母君が下された宣告。
それは「りんは、婚儀の日まで妾(わらわ(の許に留(とど)め置く」という爆弾宣言。
文字通り、御子息の目論見を木っ端微塵に吹き飛ばしてしまう内容の御言葉。
それは、もう完膚なきまでの見事さで。
勿論、そのような御母堂様からの通達を唯々諾々と受けられるような御方ではない。
猛然と反駁(はんばく)されたのであるが、如何せん、相手が、悪い。
何と云っても、ご自身の御生母様、かてて加えて、その器量も、知略も、一筋縄では行かぬ御方。
ぐうの音も出ない程に論破(ろんぱ)されてしまったのである。
「殺生丸、そなた、西国にりんを連れ帰って手を出さずに居れると断言できるのか?」
この一点において、どう足掻こうとも、完全に、西国王の負けであった。
どのように言葉を取り繕おうとも、殺生丸には、絶対に、守れる筈もない約束である。
斯くして、西国城に、婚約者の姫、りんの姿は無いのであった。
いやいや、りんだけではない、邪見も、相模の姿も見当たらない。
両名とも、御母堂様の御達しにより、りんの付き添いとして、婚儀の日まで、天空の城に滞在する事になったのである。
そのような諸事情から、只今、西国王、殺生丸様の御機嫌は、頗(すこぶ)る悪い。
天空の城から戻ってこられた城主の御機嫌の悪さと云ったら、今回は極め付けで、側近の木賊や藍生、尾洲に万丈といった守り役衆でさえ持て余す程であった。
これまでにも御機嫌の悪い事態は、何度か生じたが、今回に限っては非常事態である。
何故なら、当たられ役の邪見が不在なのである。
殺生丸という雷(いかずち)に対する避雷針とも云うべき存在の邪見。
つまり、唯でさえ、気難しい御方の鬱憤(うっぷん)を晴らす相手が、誰も存在しないのである。
おかげで、家臣一同、毎日、それこそ薄氷を踏むような思いで過ごしている次第であった。
殺生丸という御仁、元々、表情の乏しい御方ではあるのだが、そんな無言無表情のままに発される、重圧感溢れる強すぎる妖気。それは、もう怖気(おぞけ)をふるう程の。
そうした妖気は、ややもすると瘴気と同等の効果を発揮する。
更に、西国王自身、猛毒の保持者でもあらせられる。
普段、その毒を体外に放出されるような事は、まず無いのだが、此度の憤懣(ふんまん)やる方ない境遇に、さしもの鉄壁の理性を誇る大妖怪の自制心にも、些(いささ)か、軋(きし)みによる罅(ひび)が、生じていたらしい。
極々、僅かながら、体内の毒が気化して空中に洩れ出たようで、西国城の家中には、バタバタと倒れる者が、続出する羽目になったのである。
特に妖力の弱い下働きの小者達から、真っ先に、倒れ始めた。
精々、気分が悪くなるか、気絶する程度で、絶命するまでには至らないのであるが、殆どの小者どもが、怯え出し、城へ出仕する事を嫌がり始めた。
その数の多い事、多い事。
巨大な城を維持するには、数多くの下働きを要する。
おかげで、様々な雑用が、あちこち到る処で滞り、重臣達は、その対応に苦慮する有様である。
今や、西国城は、殆ど“伏魔殿”といった様相を呈し始めている。
そうした“笑うに笑えない”経緯もあって、西国では、家臣一同を始めとして、民草 に至るまで“りん”という小さな人間の姫が、偉大なる国主、大妖怪、殺生丸に及ぼす影響力の大きさ、強さを、改めて、再認識させられたのであった。
ついでに、これまで、見逃しがちだった当たられ役の邪見の有難みも。
この期(ご)に及んでは、もう、りんが、人間であろうが、妖怪であろうが、四の五の言ってはいられない。
最早、そんな事にかかずらわっている余裕は無いのだ。それ程までに、事態は、切迫している。
こうなった以上、西国の家臣達に出来る事は、唯一つ。
りんが、西国城に戻って来てくれる“その日”婚儀が執り行われる日を、指折り数えて待つ以外、他に方法が無い。
嘗ては、りんが人間である事に、反感を抱く者が居ないでも無かったが、今では、城内一丸となって、一日も早く、正式に、りんが西国王妃となる日を、待ち侘びている有様である。
中には、真剣に祈り始める者まで出てきた。
そんな殺伐とした雰囲気の西国城に、或る日、ひょっこり天空の城から御母堂様の書状が届いた。
薫香を焚き染めた書状を携えて西国城に現れたのは、“狗姫の御方”の筆頭女房、松尾。
配下の女房達を従えて秋のさやけし空から静々と降り立ってきた。
殺生丸にとっては、御生母様に次ぐ苦手な相手である。
何しろ、己の母親の乳母(めのと)であった者、つまり、殺生丸にとっては、義理の祖母に匹敵する存在。
その長い生が蓄えた知識と経験に肩を並べる事が出来る者は、西国でも片手に余ると云われる程の老練な切れ者。
有能なる事、正に、折り紙付きの“女房の中の女房”。
この筆頭女房の慧眼にかかれば、今の西国城のどうしようもない状態など、一目で看破(かんぱ)されてしまうだろう。苦虫を噛み潰したような殺生丸に、これまた何喰わぬ澄まし顔で、書状を入れた文箱を手渡す松尾。

「西国王、殺生丸様におかれましては、此度(こたび)の御婚約の儀、誠に祝着(しゅうちゃく)至極に存じます。付きましては、御婚儀に拘る、折り入って御相談したき火急の用が発生致しました。御足労には御座いますが、大至急、母君様の居城まで、お越し願いたいとの由(よし)に御座います。仔細は、これにて。」

「・・・・・」

仏頂面のまま、隻腕で文箱を受け取った殺生丸。
傍らの木賊が、気を利かして、早速、文箱を受け取り、結わえられた錦の飾り紐を解く。
中に収められた床しき香の薫る書状を取り出し、主に、恭(うやうや)しく、お渡しする。
パラッ・・・折り畳まれた書状が拡がる。上品な料紙に、流麗な文字が踊る書状に目を通した殺生丸が、ボソッと呟く。

「・・・・急ぐのか?」

「はい、婚儀に拘ります事なれば。」

そのまま踵を返した殺生丸が向かった先は、城の中庭にある厩舎。
主の匂いを嗅ぎ付けた双頭竜が、二つ頭を乗り出して嬉しそうに嘶(いなな)く。
グルルルゥ~~~~
「・・・・出掛けるぞ、阿吽。」

阿吽に轡と鞍を付け、向かった先は、云わずと知れた御母堂様の居城。
いわし雲が棚引くように浮かぶ中、双頭竜の脚を急がせる。
りんとの婚約を決めた中秋の名月の日より、かれこれ二週間。
もう夏の気配は、すっかり消え失せ、深まり行く秋の風情が、風の匂いとなって犬妖の鋭敏な嗅覚を擽る。それだけで、膨大な情報が、殺生丸の脳裏に流れ込んでくる。
二十四節季によれば、今は寒露。
日毎に、大気も水も澄み、冷涼さを増す。
菊の花が咲き始め、山々は紅葉の錦繍(きんしゅう)を纏い装いを変える頃。
豊かな秋の実りが収穫され、冬に備えて蓄えられるのだろう。

「秋・・・・」

風の中に嗅ぎ取った秋特有の匂いが、殺生丸に、改めて季節を感じさせる。
秋が終われば、雪と氷に閉ざされる冬が。
そして、厳しい冬が終わりを告げる時、やっと・・・春が来る。
りんとの婚儀の日取りは、春たけなわの陽春、百花繚乱の清明の頃、如月(陰暦)の十九日と決定した。
つまり、丸々、半年近くもの間、りんは、母君の天空の城に滞在する事になる。
殺生丸にとっては、長い、長過ぎる不在の日々となる訳であった。
それを思う時、らしくもない溜め息が洩れ出そうになる。
忌々しさに舌打ちしたい気分も募る。
こんな時、邪見でも居れば、あ奴を蹴り飛ばすなり殴るなりして、塞ぎの虫を追い払ってくれよう物を。
だが、生憎、彼奴めは、相模と一緒に、りんに付き添って母の城に居る。
それも、又、癪に障ってならん。
そんな悶々とした西国王の気分とは、裏腹に、秋の空は、何処までも高く、清澄で、爽やかに澄み渡っていた。
秋の風物詩とも云える渡り鳥の雁(がん)が、整然と隊列をなし、優美に“く”の字を描いて飛んでいく。
雁(がん)、秋に北方から渡って来て春に帰る鳥。
即ち、あの鳥が、この地を去る頃、りんが、殺生丸の許に帰ってくる訳だ。
秋が深まる毎に日も短くなる。
“秋の釣る瓶落(つるべお)とし”とは、良く云った物で、夏と違い、それこそ、アッと云う間に日が落ちてきた。
朱色に金を溶かし込んだような夕陽が、辺り一面を黄金色に染め上げる。
阿吽に騎乗する殺生丸も夕映えの色に染まる。
完全に日が落ちる前に、母の城に辿り着くには、急がねばならない。
夕暮れの空の中、騎竜と一体になり、矢のように天空の城を目指す殺生丸。
もし、その光景を眺める幸運な者が居たのなら、さしずめ一羽の巨大な黄金の鳥のように見えただろう。
結局、天空の母の城に辿り着いたのは、日も、とっぷりと暮れてからとなった。
夏場なら、まだ充分に明るい時分の筈。
妖火の篝火が明々と燃える中、阿吽の手綱を厩番(うまやばん)の者に手渡し、そのまま、母の御座所へと脚を向ける。勿論、りんも、相模や邪見と共に其処に居るのだろう。
一陣の風が、懐かしい匂いを運んできた。
苛立つ己の気持ちを瞬時に和ませる甘く優しい匂い。
数年前から、常に己の側に在るのが当然と思ってきた、りんの匂い。
幼い頃から殺生丸を惹き付けて止まなかった、その匂いは、初潮を迎えて、一層、甘美にして清雅な趣きを強めた。
匂いは、又、健康状態も反映する。
りんの健康は、今の処、申し分ないようだ。
軽い足音が、聞こえる。
りんが駆け付けてくる音。
軽やかにして弾むような足取りが、余す所なく、りんの気持ちを代弁している。

「殺生丸さまっ!」

「りん・・・」

嬉しくて堪らないと、その想いのままに、愛らしい顔が、己を見て咲き初めた花のように綻ぶ。
りんは、鈍(にび)色の生地に、撫子(なでしこ)を主体にした秋の七草を彩り良く配した内掛けを身に纏っている。
一見、地味と思われる鈍色(にびいろ)が、寧ろ、ちりばめられた秋草を、艶やかに際立たせる心憎いばかりの配色となっている。
今迄、りんが身に着けていた愛らしくはあるが、子供っぽい衣装とは、明らかに違う。
何処となく大人びた風情に、我知らず胸がざわめいた。
顔にこそ出さなかったが。

「お久し振りで御座います、殺生丸様。」

「殺生丸様ぁ~~~、お逢いしとう御座いましたっ! 邪見、中秋の名月の日にお別れして以来、殺生丸様の事を思わぬ日は一日も御座いませんでしたぞぉ~~~。」

邪見と相模も、やって来た。
相模の打ち掛けは、常盤色(ときわいろ)の地に今の時期に相応しい雁と水辺の葦(あし)を組み合わせた洒脱な紋様を浮き上がらせている。
りんを引き立たせつつも地味になり過ぎないようにとの女官らしい心配りが、汲み取れる。
邪見・・・こ奴については、取り立てて何も云う必要は無かろう。
いつも通りの水干に頭にちょこんと載った烏帽子、手には、お決まりの人頭杖。
プ~ンと匂ってきた、これは酒気ではないか?! 
よくよく見れば、緑色の顔も何処となく赤い。

「・・・邪見、貴様、その言葉に嘘は無かろうな。」

「なっ、何を仰いますかっ! 殺生丸様、この邪見、誓って嘘など申しませんっ!」

「・・・それほど、この殺生丸に逢いたかったと喚く割には、酒臭いな。」

「!!!」

「アァ~~、本当だ。そう云えば、邪見さま、おっ、お母さまに誘われて、昨日も、一緒に、お酒飲んでたよね。」

「ばっ、馬鹿! りん、余計な事を・・・」

「ドワ~~~ッ!」

邪見が、必死に言い訳をしようとする前に、主の足蹴りが、見事に決まった。
それでも、流石に、雲の上の城なので、多少の手加減はしていたのだろう。
ギリギリ、城の欄干(らんかん)の端っこに引っ掛かる程度の飛距離に止(とど)められていた。

「邪見さま、飛んでっちゃったけど、落っこちないかな、大丈夫? 殺生丸さま。」

「・・・心配せずとも良い。その内、戻ってくる。」

フン、お喋り雀が!
どうせ、母上に言葉巧みに誘導されて、ピーチクパーチク有ること無い事、吹聴していたに違いない。
相模が、自分の差配する奥御殿の様子について訊ねてきた。

「西国城の奥向きの方は、滞りなく運んでおりましょうか。」

奥御殿は、西国城の中でも、一番、奥まった場所にあり、今回の殺生丸の鬱憤騒動の被害を被っていない唯一の場所と云って良い。

「日向(ひゅうが)と石見(いわみ)は、恙(つつが)無く奥を取り仕切っておりますでしょうか。 何ぞ、差し障りは、御座いませんか。」

相模の口から出てきた日向と石見と云う名前は、相模の従姉妹たちで、日向が姉、石見が妹である。
姉妹揃って、中々のしっかり者で、今回、西国城を留守にするに当たり、予(か)ねてより自分の補佐として使ってきた彼女達に、後を託してきたのであった。

「・・・案ずるには及ばぬ。そなた程ではないが、あの二人は、良くやっておる。」

「左様で御座いますか。それを聞いて安堵致しました。」

「・・・それは、さて置き、火急の用と書状をもらい、駆けつけたが、今ひとつ、どういった用件なのかが、良く判らぬ。相模、その方、母上から何か、聞いておらぬか?」

「さあ、今回の件については、何も聞かされておりませぬ故・・・」

「・・・そうか、まあ良い。直接、母上から聞きだせば済む事だ。」

そのまま、りんと相模を連れて母君の御座所に向かう殺生丸であった。
西国王ご自身は、気付いていらっしゃらないようであるが、つい先程までの剣呑な、殺気にも似た妖気は、すっかり雲散霧消していた。
周囲に漂っていた不穏な空気は、綺麗さっぱり一掃されている。
やはり、西国王の御機嫌を取り結ぶには、婚約したばかりの姫君、りん様に逢わせるのが一番、効果的といった処だろうか。
目を見張るような劇的な変化である。
そして、恐らくは、それを百も承知の上で、りんを、いの一番、殺生丸の出迎えに行かせた御方が室内で待っておられた。
如何にも豪華な室内に相応しい寝椅子にもなる豪奢な玉座。
その上で優雅にくつろがれた“狗姫の御方”が、一人息子を出迎えられた。
宵の内から、既に酒を嗜8たしな)んでおられたようである。
御前の卓袱(しっぽく)には、珍しい南蛮渡来のギヤマンの器が。
その中には葡萄酒なる外つ国の酒が注がれ紅玉のような輝きを放っていた。

「遅かったではないか、殺生丸。もう、日は、すっかり暮れておるぞ。」

「・・・・秋が深まった分、日も短くなる。」

「そうであったか、まあ良い。今回、そなたを、わざわざ呼び付けたのは、他でもない。婚儀に拘る重要な事なのでな。そなたも知っておろう。白蜘蛛の精“白妙のお婆”なる西国きっての機織り名人を。いや、西国どころではない。その比類ない技量、妖界随一と謳(うた)われるが、その分、気難しい事でも飛び切り有名な、あの、お婆よ。扱いにくい事、この上ないわ。そのせいもあってか、入手困難な“虹織り”の評判と相俟(あいま)って難物中の難物と呼ばれておる。その“白妙のお婆”に来春の婚礼の衣装を依頼したのだが、どう宥(なだ)めすかし謝礼を弾んでも首を縦に振らぬのだ。たかが、衣装如き、他の者に頼んでも良いと思うやも知れぬが、そうは行かん。婚儀には、各国の使者も大勢やってくる。他国にも広くその名の鳴り響いておる“白妙のお婆”の“虹織り”で仕立てた衣装でなければ、この西国の面目が立たぬ。そこでだ、殺生丸、西国王である、そなたが、直々に頼みに行けば、如何な、あの頑固者の“白妙のお婆”と云えども『否』とは云うまいだろうと。そういう訳だ。」

「・・・要は、私に頭を下げに行け、と。」

「まあ、手っ取り早く云えば、そうなるかな。」

「・・・・」

「それに聞いたぞ。そなた、以前、重陽の節句に、りんとお揃いで“虹織り”の比翼連理の紋様の衣装を仕立てさせたそうではないか。“白妙のお婆”と満更(まんざら)、面識が無い訳でもあるまい。」

「・・・・・・・」

確かに、殺生丸は、以前、“白妙のお婆”と会った事が在る。
尤も、あの時は、犲牙(さいが)を始めとする西国の古狸どもの企みを未然に叩き潰す為に、是が非でも、あの“虹織り”を手に入れる必要があったからなのだが。
その為、殆ど、恐喝同然と云っても良い脅しを掛けたのであった。
とはいえ、あれは、もう数年前の出来事。
しかし、だからと云って、あの“白妙のお婆”が、そう簡単に当時の事を忘れよう筈もない。

谷間に響くせせらぎの音、呼応するように機音が重なり合う。
水音サラサラ、機音トン、パタン、カラリ、サラサラ、トン、パタン・カラリ、サラサラ、トン、パタン・カラリ・・・・・・・・
“白妙のお婆”の機屋(はたや)は、山奥の水清き川辺のほとりに在る。
その工房を目指し空から双頭の飛竜が降下してきた。
ゴオッ! ヒラリと身軽く鞍上から降り立ったのは、白銀の貴公子。
続いて飛竜の尻尾から、面妖な緑色の小妖怪がピョンと飛び降り、チョコチョコと後に付いて歩く。
日差しに煌く長い白銀の髪、白皙の美貌、額の三日月の徴は、月の化身を思わせ、頬にある二筋の朱の妖線
が、一層、その麗容を際立たせる。
腰に佩(は)いた細身の刀、厳(いかめ)しい妖鎧、右肩を覆う豪奢極まりない白銀の毛皮、誰もが見惚れるような凛々しい若武者姿。
犬妖族の長にして西国の若き王、『最強』の呼び名も高い大妖怪の殺生丸。
彼の君が、御母堂様の要請に従い、不本意ながら、頑固で偏屈な機織り名人“白妙のお婆”を説得する為に、やってきた。
この場を殺生丸が訪れるのは、これで二度目、前回は、数年前の事だった。
飛竜が着地した轟音は、聞こえている筈だろうに、機の音は、乱れる事も休む事もなく、一定の調子を保って規則正しく辺りに響いてくる。
トン、パタン、カラリ・・トン、パタン、カラリ・・トン、パタン、カラリ・・・・

「殺生丸様、ここは・・・以前、訪れた事のある、あの偏屈お婆の機屋では御座いませんか?!」

「・・・・」

「以前、重陽の節句の為に、殺生丸様が、わざわざ、こんな、むさ苦しい場所に脚を運ばれたのに、それを有り難がる処か、逆に『迷惑千万』とほざいた、あの、白蜘蛛の、くそ婆の工房で御座いますぞ。何故、又、こんな場所に・・・ムギュッ!」

口汚く“白妙のお婆”を扱(こ)き下(お)ろす邪見を、主が踏み潰した。
ギュウゥ~~~ギュッ!ギュッ!
地面にめり込む緑色、半ば、気絶しかかった従者を見捨て、そのまま、殺生丸は、機屋へと脚を向けた。
阿吽と呼ばれる双頭の飛竜は、そんな主従に慣れっこなのか、のんびりと草を食(は)んでいる。
機屋は、小川の畔(ほとり)に建てられている。
清らかな水が柔らかな日を受けてキラキラと輝く。
秋の日差しは、穏やかで優しい。
せせらぎに反射する光も春や夏のように踊るような躍動感は無い。
冬に近付く毎に日は短くなり晴れ間も少なくなっていく。
カサリ・・・踏みしめた落ち葉が音を立てた。
晩秋の物寂しさが周囲に漂い始めている。
一見、粗末な機織り小屋、その心積もりで中を覗いた者の誰もが、瞬時、息を呑む。
妖界にその名が鳴り響く“虹織り”の名称は伊達ではない。
小屋の中には、七色の虹の光が満ち溢れ、その絢爛豪華な色彩に誰もが目を奪われ言葉を失う。
無い色など無い。
色という色の全てが、踊るように煌き存在している。
織機の中央に陣取った白蜘蛛の精“白妙のお婆”が、雪のように白いざんばら髪を振り乱し、四対の脚を自由自在、互い違いに動かし、目にも留まらぬ早業で、精緻に、且つ、大胆に虹の輝きを有する布を仕上げていく。
お婆の動きが、止まった。
工房の中に入ってきた殺生丸をジロリと睨みつけて開口一番、恐れ気もなく言い捨てた。

「フン、忌々(いまいま)しい奴が来おったわ。何の用だえ?」

「・・・・訳など云うまでも無かろう。」

「以前のように、又しても、問答無用の振る舞いをする積もりかえ。」

「・・・・」

「いきなり来るなり、刀を突きつけて、『今から云う注文を期日までに仕上げろ。さもなければ、即刻、殺す』じゃからの、今まで、色々な者から注文を貰ったが、あんなに公然と脅しを受けたのは初めてじゃわえ。それが、事もあろうに西国のお殿様と来てるんだから、呆れて物も云えなんだわ。少しは先代様を見習ったらどうだえ。」

「・・・父上を知っているのか。」

「知らいでか。あの御方から何度、注文を受けた事か。御父上は息子と違って、それは礼儀正しい御方じゃったわえ。いつも、御自ら、この粗末な機屋に脚を運んで、それはそれは、ご親切に、この機織り婆の労を、ねぎらって下さった物じゃ。」

「・・・・・」

「それに引き換え、息子の方と来たら、初対面だというに、挨拶は愚か、無理矢理、注文を仕上げさせておいて礼の一言も云わぬと来ておる。謝礼を置いたと思うたら、もう、用は無いとばかりに、サッサと姿を消して、後は無しのつぶてじゃもの。馬鹿にするにも程が有るぞえ。」

「・・・・・・・・」

「あの時、金輪際、お前様からの注文は受けまいと思うた物じゃわ。さあ、云うべき事は云うたから、トットと帰っておくれ。」

「・・・・どうすれば、注文を受けてくれる?」

「今、云うた事が聞こえなんだのかえ。お前様からの注文は受けぬと。」

「・・・・どうしても受けて貰わねばならんのだ。」

「ホオ~~、よっぽどの事みたいじゃの。そう云えば、今回の注文は、お前様と人間の娘との祝言に使う衣装だとか云うておったの。確か、先代様、御父上も人間の娘に恋をされて命を落とされたんじゃったな。親子揃って妙な処が似ておるのう。フム・・・そうじゃな、お前様の口から一言『頼む』の言葉が聞きたいわえ。いやしくも、この“白妙のお婆”に“虹織り”を織らせたいと真実、思うておるのならな。それ位したって、罰は当たらないんじゃないかえ。」

「・・・・・・・・」

「さあ、さあ、どうしたんだえ。ほんの一言、云うだけで済むんじゃぞ。それとも、お偉い殿様は、そんな言葉は、胸くそ悪うて云う気にならんのかえ。」

「・・・・・・・・」

「もし、そうなら、トットと引き取っておくれ。わたしゃ、そんなに暇ではないのじゃぞえ。ホレ、こなさねばならぬ注文は、これ、この通り、次から次へと来ておるのじゃ。」

お婆が、指し示したように、注文の内容を書き記した書状が、束になって机の上に置かれている。
“名匠の中の名匠”の尊称を欲しいままにする“白妙のお婆”。
その作品を手に入れる為なら魂を売っても構わないとまで思い詰める客も多いと聞く。
欲しい物は、常に、力づくで手に入れてきた殺生丸は相手に頼んだ事など一度も無い。
そんな事をする必要は、今まで一度も無かったのだ。
ギリギリッ・・・握り締めた拳に長い爪が喰いこむ。
どうする? 諦めるか? 
いや、それは出来ぬ!
そのまま、そっぽを向いて機織りに使う杼(ひ)を手に取り、いや、この場合、手ではなく脚と云うべきだろうか? 
機織りに戻ろうとした“白妙のお婆”の背後から聞こえてきた言葉。
ポツリと呟かれた幽(かす)かな、だが、紛れもなく懇願の言葉。

「・・・・・頼む。」

信じられないとばかりに“白妙のお婆”は振り向いて目を剥(む)いた。
倣岸不遜(ごうがんふそん)な事、他に比肩し得る者が見当たらないとまで云われる西国の王が! 
妖界きっての矜持の高さを誇る、あの大妖怪が! 
極々、小さく幽(かす)かにではあるが、確かに『頼む』・・・・と。

「ハア~~、長生きは、するもんじゃの。まさか、お前様から、そんな言葉を聞けようとは。」

「・・・では、此度の注文、間違いなく引き受けて貰ったぞ。万が一、約定を違(たが)えよう物なら。」

「判っておりまするよ、お任せあれ。この“白妙のお婆”一世一代の作品を仕上げてみせましょうぞえ。
篤(とく)と御覧ぜよ、西国王、殺生丸様。」

その言葉に嘘は無かった。
来(きた)る年、陽春の光芒輝かしき如月の十九日、西国王、殺生丸と“狗姫の御方”の養女、りんとの婚礼の儀式が厳かに執り行われた。
西国の国を挙げての盛大な儀式だった。
巨大な西国城の門前には、祝賀の為に大群衆が詰め掛けていた。
その際、民衆の前に、御出ましになった新郎、新婦が身に纏った“虹織り”の婚礼衣装は、後々の語り草にまでなる素晴らしい物だった。
婚儀の儀式を終え、御夫婦となられた御二方が、陽射しの中に一歩、脚を踏み出された。
春の暖かな光に“虹織り”が反応し、七色の光が、周囲に拡がる。
その眩(まばゆ)い光の中に浮き上がった紋様は、鸞鳳(らんぽう)。
鸞(らん)は、鶴に似て羽の色は赤色に五色を交え、声は五音に合うと伝えられる霊鳥。
鳳については、今更、説明する必要もないだろう。鸞と同じく、古代中国から今に伝わる霊鳥。
そして、この霊鳥を組み合わせた鸞鳳(らんぽう)は、夫婦の深い契りを現すと云う。
夫婦になられたばかりの御二方が身動きされる度に、七色の光と共に、鸞鳳(らんぽう)が煌びやかに周囲を飛び交う。正しく“白妙のお婆”が、自身の持ち得る技量の全てを懸けて織り上げた最高傑作、見事の一言に尽きる。
“鸞鳳(らんぽう)”の婚礼衣装は、今も西国城の宝物庫の奥深く“西国の至宝”として大切に保管されている。


※杼(ひ)=機織りの際、横糸を通す為の器具。さい又はシャトルとも云う。

※ギヤマン=ガラスの旧称。ガラス製品。ビードロ。カットグラス。

                               了

《第三十七作目『白妙異聞(しろたえいぶん)』についてのコメント》
とにかく、最後の最後まで、もつれにもつれ込んだ作品です。
いま、コメントを書いている際も、追い込み状態です。
読みながら推敲、書きながら推敲。
もう、詳しく語彙の説明をしている暇など何処も有りません。
ですから、落ち着いたらこのコメントも書き直しますね。 
全然、余裕という物が無いんです。
ハア~~急げ!急げ! 
何とか今日中にupさせたいのよぉ~~~(ToT)/~~~

                  2007.8/8(水)立秋 ◆◆猫目石  
                

《追記のコメント》
当初は、完全に上記のコメントを消して書き直そうと思っていましたが、これは、これで当時の切羽詰った感じが良く現れていて面白いので、そのまま残し、書き加える事にしました。
御存じ、第二十一作目の『重陽(ちょうよう)』に、名前のみ、作品のみの登場だった“虹織り”の“白妙のお婆”その妖(=ひと)が本作品において堂々の登場を果たしました。
『重陽』において、あれだけ重要な小道具振りを発揮した“虹織り”、当然、婚礼に使わずにおける筈が有りません。
個性豊かな白蜘蛛の精“白妙のお婆”と“虹織り”。
書き出す内に自然とイメージが浮かんできました。
嘗て、毛織物生産、日本一と謳われた職都の出身である管理人。
親戚が織物工場を経営していた関係もあり
織機の音は馴染み深い物です。
案外、何処で、何が、役に立つか、判らない物ですね。

                                                            2007.8/12(日) ◆◆猫目石

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