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頂き物小説『夕照(せきしょう)』

『夕照』★★★(月の船のサイトマスター嘉月さまより頂きました)


地面に落ちる、くっきりと濃い影。
しゃがみ込んで頭を垂れているそれは、円とも四角ともつかない不格好な輪郭を描いている。
影が僅かに動いた。
自らを映したその中で、握られた細い枝が砂混じりの土をがりがりと浅く削っていく。
やがて形を成したそれを見つめ、眉根を寄せていたりんはふうっと溜め息をついた。


「――そういえばさ、りんはどうなの?」

 


「へ?」
きっかけは、些細なお喋りだった。
まさか矛先が自分に向かうとは思ってなかったりんは何のことか判らず、間抜けな声を漏らしてしまう。
きょとん、とした顔に少々呆れた様子の少女は、しかしりんとそう変わらない年齢である。
村に預けられて数年。
この年頃の少女が集まれば、上る話題など自ずと絞られてくる。
現に、ついさっきまで標的となっていた子はまだ耳まで真っ赤だ。
「だーかーら、あの人のこと! 確か、犬夜叉の兄さんだっけ。全然似てないけど」
「……殺生丸さまが、何?」
「何って、」
意味ありげに、一呼吸置いてから。
「好きなんでしょ?」
「うん、大好きだよ?」
さらりと期待以上のことを言ってのけたりんに小さな声が上がり、俄然周囲の熱も高まる。
「じゃあさ、ちょくちょく会ってるんでしょ? 何してるの?」
「えーっと……」
話をしている。
昨日の夕餉の内容から始まり、畑の瓜がもう少しで終わりだから残念だとか、面白い形の雲を見たとか、そんなこと。
ただし喋っているのは殆どりんで、殺生丸はそれを聞いているだけ。
視線が重なるのも来た時と帰る時くらいだ。
殺生丸が立ち上がったらそれで終わり。
またね、そう言って手を振り、後姿が空の向こうに消えるまで見送って。
「…………それ、だけ?」
「うん」
「それで満足なの? 何にも思わない?」
「うん」
「信じらんない……」
怪訝な面持ちで問いを重ね、とうとう脱力してしまった友達にりんは首を傾げる。
どこがおかしいのだろう。
「――それって」
口を開いたのは、それまで黙って聞き役に徹していた子だった。
「本当に、《好き》?」


「はぁ……」
何度目とも知れない溜め息を、またひとつ。
投げかけられた問いはその後もりんの頭をぐるぐると回り、やがてしこりのように凝り固まってしまった。
畑仕事をしていても何をしていてもずっとそれが引っかかって、気付いたらじっと同じことばかり考えている。
そんな様子を疲れていると解釈されたのか、楓から半ば強引に休まされた。
急に手持ち無沙汰になってしまうと、どうしたらいいのか判らない。
忙しなく身体を動かしている方が、まだましだった。
手に持った枝が、所在なさげに地面に書いた二つの言葉を行き来する。


すき
きらい


――本当に、好き?

問われ、何故か答えることができなかった。
「うん」と、そう言おうとしたのに喉に貼りついた声はかたちにならなかった。
判りきっているはずなのに。
自分の思っている《好き》は、《好き》ではないのだろうか。
でもそれならこの気持ちに何と名前をつければいいのだろう。
会えなかったら寂しい。
会えたら嬉しい。
言葉を交わせたらもっと嬉しい。
……それでは、いけないのか。
宙に浮いた枝先をもう一度動かす。
示したのは歪な線で書かれた《きらい》の文字。

――じゃあ、嫌い?

黙りこくってしまったりんへの、再度の問い。
頭を千切れそうなくらい振って否定した。
元々のくせっ毛が更に乱れて、くしゃくしゃになるくらいに。
だって、絶対に違う。何があっても、それだけは。
でも、なら皆の言う《好き》かと言われれば自信がない。
結局最後は袋小路に入り込んで抜け出せなくなってしまうのだ。
判らないのは、きっと自分が子供っぽい所為なのだろう。
いつまでもこれでは、殺生丸にも愛想をつかされてしまうかも知れない。
りんが選ぶ余地などないまま嫌われたら。
二度と会いに来てくれなくなったらどうしよう。
「……もう、わかんないよ……」
屈んだ膝に顔を埋め、吐き出した声はひどく弱々しい。
頭も上げず、目も閉じていたらそこは真っ暗で、背中を焼く陽射しの暑ささえ感じなかった。
だから、いつの間にか大きな影が自分を覆っていることにも気付かなくて。
「……新しい遊びか」
「ぅわあっ!?」
他意はないのだろうが、あまりの不意打ちだった。
本当にびっくりして、心臓は痛いぐらいばくばく鳴って、呼吸も儘ならなかった。
それでもやはり、振り向いた先にいたひとは涼しげで何も変わらない。
こっちは作り笑いすらできなくて、その金色に映っている無様な自分を見た途端、耐え切れずに視線を逸らしてしまうのに。
いつもなら全開の笑顔で迎えるりんの予想外の反応に、殺生丸はやや訝しげに口を開いた。
「――どうした」
「…………なんでも、ない」
足元を見ながら答えた声の素っ気無さに、自分でも嫌になる。
怒って帰っちゃったらどうしよう、そう思うのに俯いた顔も上げることができない。
引き止める勇気のない手は自らの裾を握りしめるだけだ。
そんなりんを、殺生丸はどう思ったのだろう。
それ以上は訊かず、ただ黙って腰を下ろした。
りんのいた場所は村外れの細い畦道で、脇のなだらかな斜面を下りると小川が流れている。
無言の背中に促されるように、りんも隣に座った。
いつもより少しだけ、間を空けて。
すると、不思議なことにだんだん気持ちが安らいでゆく。
何を話しているわけでもないのに、傍に殺生丸の気配があるだけで総てが満たされてしまうのだ。
無意識に強張っていた身体から力も抜けて、溜め息とは違う吐息が静かに漏れる。
驚くほど軽く、顔は上がった。


陽が傾くにつれて暑さは和らぎ、空が染まりだす頃にはだいぶ過ごしやすくなっていた。
つい最近まで、夜になっても熱気が残っていたことを考えれば、季節は確実に廻っているのだと感じる。
ほんのり茜が差した風景の中には、長い影がふたつ。
そろそろ戻らなければいけない時間だ。
あの後は、取り留めのない話をりんがして殺生丸がそれを聞くともなく聞いている、という全くの普段どおりだった。
でも、きっとこれでいいのだ。
村に来てから知らなかったことをたくさん学んだ。
だから、今判らないことも判る時が来るだろう。
あんなに悩んでいたのが可笑しくさえあって、自分でも現金だなぁ、と思うけれど。
ふと目を落とすと、さらさら流れる銀髪に小さな葉がついているのに気付いた。
「殺生丸さま、葉っぱが絡んでる」
毛先近くについていたそれは簡単に取れた。
再び見上げて笑おうとしたりんの顔が、そのままの形で固まる。
どくん、と心臓が大きく跳ねて思考が止まる。
捕えられた眼は瞬きすらできなかった。

「……何を呆けている」
「え、あっ、や……な、何でも……ごめんな、さ、い……」
慌てた声は下降していく目線と共に徐々にしぼんで、語尾は消え入りそうなほど。
見蕩れてたことに気付くと一気に血が上って顔が熱い。
絶対、夕陽のせいにできないくらい真っ赤だ。
今すぐ逃げ出したかったのに、足は縫いとめられたように動かなくて居た堪れなくなってくる。
「――もう、暗くなる」
珍しくそんな言葉が聞こえたかと思うと、視界の端に見えていた足元や膚に感じていた気配が消えた。
反射的に振り仰ぐとその姿は既に天高く飛翔して、見る間に小さくなっていく。
なのに、一瞬の像はあまりにも鮮明に焼きついて頭から離れない。
別にどうということはないのだ。
ただ、沈む緋色がすごく綺麗で、それに照らされた殺生丸の、淡い橙の陰翳が差した相貌はもっと綺麗で。
それだけ、だ。
普段よりもちょっと間近で見ただけ。
見慣れているはずだったのにどうしてだろう、何だかすごく恥ずかしい。
鼓動も一向に収まってはくれず、苦しいような、疼くような、とにかく変な感覚だ。

(これも、そのうち判るようになるのかな……)

たとえばそれは、短くなった夕暮れがよりあざやかに澄み渡るように。
知らず傍まで訪れていた、秋の声のように。 


【終】
 

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