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徐(おもむろ)に楓が口を開いた。
「だが、かごめは犬夜叉に助けられ四魂の玉を消滅させた。奈落の、イヤ、四魂の玉の最後の目論見が潰(つい)えたのだ。数百年にわたった四魂の玉の因果は断ち切られた。犬夜叉とかごめは元の世界に戻され骨喰いの井戸も元に戻った。四魂の玉が歪めた“時”が修正され全てが本来の在るべき形に戻ったのだ。天の意思だろうな。後は犬夜叉とかごめ、二人の思いのみに掛かっている。わしは考える。強い思いは時さえも越えるのではなかろうかと」
厳(おごそ)かな託宣のような巫女の言葉に炉端は沈黙に包まれた。
シュン・・・シュン・・・・囲炉裏に掛けられた薬缶(やかん)が立てる音だけが響く。
何時の間にか時が経っていたのだろう。
それぞれの思いに耽(ふけ)る三名を夕焼けの光が赤く照らし出す。
沈黙の中に高く澄んだ声が飛び込んできた。
「ただいま、楓さま!」
楓の養い仔、りんが戻ってきた。
預けられた当初のりんは邪見より僅かに大きい程度だったが、流石に三年の月日が経っている。
背が伸び髪も伸びた。
同年代に比べると、幾分、小柄だが、もう童女ではない。
かと云って、まだ大人でもない。
十四・五歳、または初潮を迎えると大人に見られる戦国時代である。
そうした基準から云っても、りんは、まだまだ子供であった。
「お帰りなさい、りん」
逸早く声をかけたのは弥勒だった。
「アレッ、法師さま。それに邪見さまも」
「ついつい長居をしてしまいました。では、そろそろお暇(いとま)します。邪見殿も急いだほうが宜しいのでは?」
弥勒に指摘され急いで立ち上がった邪見が慌ただしく声を掛ける。
「そっ、そうじゃ!殺生丸さまが待っておられる。じゃあな、楓、りん」
「はぁ~~~い、また来てね、邪見さま、法師さま」
「法師殿も邪見も気を付けてな」
りんと楓の見送りを受けて弥勒と邪見は庵を出た。
セカセカと先を急ごうとする邪見に弥勒が歩きながら話し掛ける。
「それにしても綺麗になりましたな、りんは。殺生丸が三日おきに村まで来る筈です」
「アン? 法師よ、何が云いたいんじゃ?」
「イエ、殺生丸も気が気ではないのだろうと思いまして」
「何でじゃ?」
「だってそうでしょう、邪見殿。先程も申しましたように、りんは、こんな田舎には勿体ないような美少女です。おまけに、益々、綺麗になってます。だからこそ、殺生丸が頻繁に村に来て威嚇と牽制を繰り返しているんでしょう。りんを何処ぞの馬の骨に取られないように。アア、勿論、りんに逢いたい気持ちが一番でしょうが」
「フン、判っておるのなら、いちいち言うな」
道が二股に分かれた部分に出た。
そこで弥勒と邪見は分かれ、それぞれの帰途についた。
邪見は主の許へ、弥勒は珊瑚と子供達の待つ家へと。
薄暗くなりかかった夕暮れの道を歩く弥勒を迎えに来た者がいた。
真紅の童水干が、そのまま赤い夕焼けに溶け込むような青年の姿。
長い白銀の髪が夕日に照らされキラキラ輝いている。
犬夜叉である。
両腕には小さな女の子が二人抱っこされていた。
弥勒の双子の娘達、茜(あかね)と紅(くれない)である。
二人とも遊び疲れたのか犬夜叉の腕の中で気持ち良さそうに寝ている。
「遅えぞ、弥勒。珊瑚に頼まれて迎えにきた」
ぶっきらぼうな物言いが如何にも犬夜叉らしい。
その癖、子供達を抱く手付きは、とても優しい。
「ああ、遅くなって済まない、犬夜叉。一人、こちらに貰おう 」
弥勒が双子の片割れ、茜を左腕に抱きかかえた。
腕に感じる重みが子供の成長を実感させる。
「早いものだな。茜と紅は、もう二歳になる」
「やんちゃで困るぜ。その内、今は赤ん坊のあいつも歩き回るようになる」
弥勒の三人目の子供、長男は、つい先頃、生まれたばかりだ。
何時も、母の珊瑚の背におぶわれている。
祖父が奈落から掛けられた風穴の呪いは三代にわたり弥勒の一族に祟(たた)ってきた。
弥勒の右手にも三年前まで風穴があった。
次第に大きくなる風穴は最後には本人まで呑み込んでしまう。
祖父も父も、そうして死んだ。
骨ひとつ残さずに。
奈落を倒さない限り風穴の呪いは解けない。
過酷な宿命を我が子にまで負わせたくない。
そうした思いと同時に限りない憧れが弥勒の中に存在してきた。
奈落が倒され風穴の呪いが解けた今、弥勒は愛する妻と子供達を得た。
嵐を乗り越え凪(なぎ)の海にたゆたうかのような穏やかな日常。
毎日、弥勒は神仏に感謝する。
こうした何の変哲もない幸せを。
だからこそ、この頑固だが心優しい半妖の友にも幸せになって欲しかった。
陽が完全に落ちた。
一番星が夜空に瞬(またた)く。
空を仰いで弥勒は祈った。
(思いが時を越えるものなら・・・・どうか、この願いを聞き届けてください。お戻り下さい、かごめさま。犬夜叉は今も貴女を待っています。貴女と犬夜叉は運命の一対です。魂と魂が呼び合うはずです。南無八幡大菩薩)
数日後、奇跡は起こった。
ごく当たりまえの晴れて穏やかな春の一日だった。
そよ風に混じった微かな匂い。
それだけで充分だった。
犬夜叉は骨喰いの井戸に走った。
雷鳴のように打ち付ける鼓動を抑え付け井戸の中に手を伸ばす。
握り返す柔らかな温かいかごめの手。
三年にわたる犬夜叉の切なる願いが叶った瞬間だった。 了