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小高い山を背景に周囲に広がる村落。
暁闇(ぎょうあん)の中、異様に緊迫した空気が周囲を覆っている。
松明が焚かれ、人々が忙しく行き交う。
女子供は山の上に避難し男達は戦の準備に忙しい。
いつもなら農作業に従事する村人が手に手に弓矢や竹槍を握っている。
戦国の世である。
普段は長閑(のどか)な農村であっても、一丁、事あれば、即、戦闘集団に化す必要がある。
巫女、楓の村も例外ではない。
村の外に野武士の集団が待機している。
頭数は三十人近い。
全員、馬に騎乗して襲撃の合図を待ち構えている。
落ち武者や流れ者、経歴は様々だが、とどのつまりは性質の悪い野盗集団である。
楓の村は領主の信頼も厚く周囲の村に比べれば比較的豊かだ。
更に半妖の犬夜叉、法師の弥勒、退治屋の珊瑚のおかげで防御力も高い。
七宝の狐妖術もこけおどし程度には、充分、役に立つ。
だが、今は、犬夜叉と法師の弥勒は妖怪退治の為、村に居ない。
更に七宝まで妖術試験のために不在である。
珊瑚は居るが、何しろ身重である。
普通の身体ではない。
しかも、臨月に入っている。
腹が大きい。
何時、生まれても可笑しくない状態だ。
無理はさせられない。
野武士どもは、そうした不利な状況が重なる中を衝いて襲ってきた。
余りにも都合が良過ぎる。
楓は直感的に感じた。
(これは内通者がいるな・・・)
珊瑚は気丈にも得物の飛来骨を持ち出し闘う積もりである。
楓も腕に覚えの弓矢を手に闘う構えを崩さない。
りんは同じように弓を構えて楓の隣に立っている。
当初、野武士どもは脅しを掛けてきた。
村の蓄えた食糧と『りんの宝』を差し出せと。
『りんの宝』、それは、足繁く村に通う大妖怪、殺生丸が、りんに贈り続けた品々を意味する。
一介の村娘など、手に入れるは愚か、一生、目にする事さえ叶わないような豪華絢爛たる衣装と道具の数々。
それもその筈、贈り主の殺生丸は異界の国、西国の王なのだから。
王たる者が意中の娘に贈った品々、それは婚資を意味する。
りんは、事実上、西国王、殺生丸の許嫁(いいなずけ)と云っていい。
大妖から楓に託された大事な大事な預かり仔である。
最初の要求だけなら、まだ渋々ながらも呑めた。
だが、欲を膨らませた頭目は、りんと村の娘達をも差し出せと要求してきたのだ。
鄙には稀な美しい少女、りん。
それに、りんには及ぶべくもないが、中々の器量良しが揃った村の娘達。
遊郭にでも高く売り飛ばす積もりなのだろう。
流石に、この要求には村人達も承諾出来かねた。
それ故の戦支度である。
緊迫した場の均衡を破ったのは夜明けとともに現われた大妖。
白銀の髪は朝日に溶け込み眩しい後光のように人々の目を射抜く。
額にある月の徴、頬に走る二筋の朱の妖線、冴えた美貌は陽光の中、一層、眩しい。
右肩に掛かる純白の毛皮には何時ものように従者の小妖怪がしがみ付いている。
上空から音もなく静かに大妖は舞い降りた。
腰に佩いた二本の大刀のうち一本をスラリと引き抜き、野武士の頭目に向かい軽く一振りする。
刀身に浮き出た雷紋が鮮やかに朝陽に反射する、爆砕牙だ。
次の瞬間、信じられない光景が出現した。
その場に居た者は誰しも己の目を疑った。
りんと珊瑚の二人を除いて。
二人は爆砕牙の驚異的な力を奈落との戦いで目の当たりにしている。
目の前で霞のように人が消え失せていく。
戦国の世である。
死人など見飽きている。
戦(いくさ)で殺され無残に息絶えた死者の骸。
野ざらしになった骨と皮だけの髑髏(しゃれこうべ)。
だが、そうした死体を見慣れた目にさえ異常に映る光景だった。
野武士どもの頭目は、一振り、そう、唯一回、刀を振られただけ。
直接、刃が身体に触れてさえいないのだ。
それなのに、頭目の身体はバチバチと雷が放電するような音と共に崩壊し始め・・・。
最後は塵のようになって完全に消滅した。
骨さえ残っていない。
人間が一人、まるで存在さえしなかったかのように骸(むくろ)も残さず虚空へと消えたのだ。
まるで白昼夢を見ているかのような現実離れした感覚。
そんな浮遊するような空気が一気に破られた。
「ウワアァァァァァァァァァ・・・・」
最初に正気づいた野武士の一人が堪え切れないように叫びだした。
すると、それが合図のように悲鳴が喚き声がアチコチで上がり出した。
恐怖に全身を侵され我先にと逃げ出していく野武士ども。
最早、統制など何処にもない。
頭目を失った集団は単なる烏合の衆と化した。
対照的に刀を振るった大妖は顔色ひとつ変えていない。
爆砕牙は既に鞘に収められ持ち主の腰にある。
大妖の名は殺生丸。
村に住み着いている半妖の犬夜叉の兄である。
兄とは云っても犬夜叉とは母親が違う。
半妖の犬夜叉と違い完全なる妖怪である。
甚大なる妖力から戦国最強の呼び名も高い大妖怪である。
その人知を超えた力、神か魔物か、或いは、その両方か。
圧倒的な力と神秘的な美貌が近付く事さえ躊躇(ためら)わせる。
そんな近寄りがたい雰囲気を持つ大妖に巫女の楓が近付き深々と頭を下げた。
「兄殿、村の者を代表して礼を申し上げます。よくぞ村の危機を救って下さった。」
りんも楓に寄り添い殺生丸に礼を云う。
「殺生丸さま、本当に有難う。」
「・・・・」
大妖は、りんに暫し目をやった後、無言で踵(きびす)を返した。
後を追おうとしたりんの耳に飛び込んできたのは・・・。
ガタッ!
何かが倒れる音。
飛来骨が地面に投げ出されていた。
珊瑚が腹を抱えて蹲(うずくま)っている。
しわがれた呻き声が珊瑚の口から漏れる。
陣痛が始まったのだ。
臨月の身を押して無理に戦おうとしたせいで急に産気づいたのだ。
「珊瑚っ! しっかりせい。村の衆、手を貸してくれ。急ぎ、珊瑚を産屋(うぶや)に!」
楓が矢継ぎ早に指示を出す。
産屋(うぶや)として用意されていた小屋に珊瑚を連れ込んだ。
初産は、どうしても長引くことが多い。
経産婦と違い産道が開くまでに時間が掛かるのだ。
昼過ぎには弥勒と犬夜叉が戻ってきた。
急を聞いて大急ぎで駆け付けてきたのだ。
珊瑚は、ほぼ半日、苦しんだ後、夕刻になってから女の双子を産んだ。
夕日が辺りを真っ赤に染め上げる中、元気な赤子の産声が二つ高らかに響き渡った。
一触即発の事件の後、一人の女が村から消えた。
その女の行方は杳(よう)として知れなかった。了
2008.11/22.(土) ◆◆猫目石