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陰暦の九月九日の節句を“重陽(ちょうよう)の節句”と言う。
平安時代に中国から伝わった。
中国伝来の陰陽説によると奇数は陽の数、偶数が陰の数とされてきた。
九は一桁の奇数として一番大きな数なので「陽の極まった数」として陽数を代表する数と考えられてきた。
その「陽の極まった数の重日」という事で「重陽(ちょうよう)の節句」と呼ばれるようなった。
平安時代の初期に伝来した行事で、同じ頃に伝来したばかりの当時としては珍しい花、菊を眺めながら「観菊の宴」を開き、詩歌を読み長寿を祈ったとの事。
時代が降るにつれ貴族から武士、更に庶民へと伝わった。
陰暦(太陰暦)の九月九日を現在の太陽暦に換算すると、十月の終わりから十一月の初め頃となり、その頃は丁度、菊の見頃と合致(がっち)する。
その為、この節句は、別名を「菊の節句」と呼ばれてきた。
九月は、陰暦では“長月”または、重陽の節句が行われる事から“菊月”とも言う。
殺生丸が、りんを連れ西国に戻ったのは、盂蘭盆会(うらぼんえ)の頃、真夏の暑い盛りであった。
それから、かれこれ二ヶ月近く経とうとしている。
いつの間にか、暑さは和らぎ、風が冷たさを増している。
木の葉は、日々、色づき、鮮やかな紅葉へと変化して深まり行く秋を印象付けている。
当初、人間である、りんを連れ帰った事に対し、家中は、蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
それもその筈、殺生丸の人間嫌いは、つとに有名で、誰一人として知らぬ者は居ない程だったからである。
しかし、当主の殺生丸の威光を怖れ、面と向かって問い質す(といただす)ような度胸のある者は、一人も居なかった。
二百年振りに戻った正統な主の帰還、それを喜ぶ者も喜ばない者も、等しく驚愕させながら、当の張本人は、至って涼しげな顔で、沈黙・無表情を守り通した。
当然、そのつけは、従者である小妖怪、邪見に集中したのであるが、邪見にしても、りんを拾った詳しい経緯(いきさつ)は良く判っていない。
第一、無口な主が、何も話してくれない上に、りんに訊いても、これが、サッパリ要領を得ない。
従って、家中の主だった重役連中にアレコレとしつこく尋ねられても言葉を濁す他ない。
りんの世話は、殺生丸の乳母であった相模(さがみ)に委ねられた。
「・・・・りんだ。世話をしろ。」
「はい、お任せ下さい。それで、りん様の御部屋は、どちらに致しましょうか?」
「・・・・私の部屋の隣で良い。」
「かしこまりました。」
相模は、眉ひとつ動かさず、殺生丸の命に従ったが、それを、後で聞いた家中の者どもは、肝を潰した。
当主の隣の部屋とは、即ち、正室の部屋なのである。
西国王、殺生丸が、幼い人間の小娘に正室に与えられるべき部屋を与えた。
その衝撃は、西国中に、瞬時に、風のように伝わった。
相模は、犬妖族でも黒犬に属しているらしく、瞳は、主と同じ金色だが、髪は、りんと同じく黒髪である。
殺生丸が全幅の信頼を寄せる数少ない内の一人である。
今は、西国城の奥女中を一手に束ねる女中頭で上臈(じょうろう)女房である。
殺生丸の母の友人でもあり、今も、文の遣り取りは続いているらしい。
どうやら母君から、予め(あらかじめ)、りんの事を聞かされていたらしく、驚きもせず、若い主の言葉に唯々諾々(いいだくだく)と従っている。
相模の柔らかな優しい表情が、野盗に殺された母を思い出させるらしく、初めて会った時から、りんは、相模に懐いてしまった。
「相模と申します。これから、りん様のお世話をさせて頂きます。」
「りんです。えっと・・・宜しくお願いします。」
表向きは、平穏な日々が、こうして始まった。
しかし、水面下では、突然の主の帰還に、慌てふためく者も少なくはなかった。
特に、主が、留守を良い事に、その威光を利用し、私腹を肥やしてきた者達ほど、殺生丸の糾弾の目が、何時、自分達に向けられるのか、と怯え、何とか目を逸らす為に事ある毎に集まっては、ヒソヒソと密談を交わすのであった。
その密談の中心的人物が、先代の西国王、殺生丸の父、闘牙王の母方の従兄弟、豺牙(さいが)である。
殺生丸の父と母は、父方の従兄妹同士で婚姻を結んだ為、血縁としては遠縁になるが、一応、西国においては、現当主に最も近い親族として権勢を誇ってきた。
当然、二百年ぶりに戻ってきた従兄の忘れ形見、殺生丸は、目の上のたん瘤(こぶ)、目障りでしょうがない。妖怪としては年若い殺生丸を青二才と侮る気持ちも強い。
出来る物ならば、正統な主が、留守の間に、西国を己の物にしたい気持ちも強かったが、東国方面の天空に城を構える殺生丸の母、先代の妃が、睨みを利かせている。
妖力において、先代と、ほぼ拮抗するとまで言われた狗姫の御方、叛旗を翻(ひるがえ)せば、良くて共倒れ、悪くすれば一族全てが根絶やしにされるであろう。
戦わずして、この西国の実権を握るには、どうすれば良いか?
最も手っ取り早い手段が、婚姻を結ぶ事である。
外戚となり、いずれ生まれてくる子供の後見役となれば良い。
幸い、現当主、殺生丸は独身である。豺牙にも自慢の一人娘が居る。
殺生丸と己の娘を娶(めあ)わせ、西国での実権を揺るぎない物とする為、豺牙は、策を巡らし始めた。
同じような事を考える輩は、西国や他国にもゴロゴロしている。
他の誰かに、先を越されぬ為にも、早急に殺生丸と娘を会わせる必要がある。
それも不自然にではなく、ごくごく自然な形で。
折しも、重陽の節句の時期が、近付いている。
観菊の宴に託(かこ)つけて、殺生丸を屋敷に招き自分の娘と会わせる事にしよう。
勿論、他の者達も大勢、招き寄せ、盛大に宴を催し、現当主との親交振りを大いに見せ付けるのだ。
こうして観菊の宴の招待状が、殺生丸の許に届けられた。
「殺生丸様、豺牙様より菊見の宴のご招待の書状が届いております。」
邪見が、執務中の主の許に、届けられた書状を持ってやって来た。
「・・・・豺牙?」
二百年振りに西国に戻ってきた殺生丸は、親族に関する知識は、朧気(おぼろげ)な記憶しか無い。
「父君、闘牙王様の従弟に当たられる御方だそうでございます。」
「・・・父上の従弟・・・」
この西国に戻ってから、ジッと鳴りを潜め“獅子、心中の虫”を誘(おび)き出さんとしてきたが、どうやら掛かったようだな。
私が留守の間、かなり好き勝手に、やってきたらしいが・・・これからは、そうはいかんぞ。
「・・・菊見の宴とは?」
「はい、長月の九日は、陽数の九が、重なる目出度い日、それ故、重陽の節句と呼ばれております。丁度、菊の咲く時期に当たる為、菊を眺めつつ、詩歌などを読み、管弦を楽しみ、菊に浸した菊酒を飲み交わす行事だそうでございます。」
「どうなさいます? 御出席されますか?」
フム・・・ひとまず敵情視察といくか。
どのような思惑で、この殺生丸を招く気か知らんが。
「・・・・その豺牙とやらに子供は?」
「ははっ、確か、息子が二人に娘が一人居ると聞き及んでおります。」
・・・・娘が一人。
となると多分、これは、態(てい)の良い顔合わせだな。
フン、古狸めが!!
この処、殺生丸の許には、自薦・他薦を問わず、花嫁候補の申し出が大挙して舞い込んでいる。
それは、そうであろう。
何しろ、妖怪世界において最大の領土を有する強国、西国の王の妃の地位。
況(ま)してや、その国主が年若く、容姿端麗ときては、妻になる事を夢見る女性(にょしょう)に不自由はしない。
とにかく、後から後から切りが無い程、申し込みが殺到しているのである。
当の本人は、一切、構わず無視しているが、それを、一つ、一つ、丁重にお断りしなければならない家臣の者共は、連日、気疲れで這う這う(ほうほう)の体(てい)である。
「そうだな。・・・・一応、出席すると伝えておけ。」
「はぁ? 御出席されるのですかっ!!!」
邪見が、驚くのも無理はない。
殺生丸は、豪華絢爛、華麗な容姿とは裏腹に、仰々しい事が大嫌いな性質で、西国に戻って以来、宴会なる物に、まず出席した験し(ためし)が無い御仁なのであった。
形式張らないと言えば、聞こえは良いが、要は、歯の浮くようなお世辞が飛び交う社交辞令が苦手なだけで、単なる面倒臭がりであった。
その殺生丸が、わざわざ、出席すると言うのである。
西国王、御出席の通知を受け取った豺牙の家臣は、吉報を手に喜び勇んで主人の許に駆け戻った。
「豺牙様! お喜び下さい!! 西国王、殺生丸様、此度(こたび)の菊見の宴に御臨席(ごりんせき)賜(たまわ)るとの事でございます!!!」
「フン、そうか。闘牙の小倅(こせがれ)奴(め)が承知したか。」
山のような巨躯に赤い縮れた髪、豺牙は、殺生丸や闘牙王とは違い、朱犬の容貌をしている。
シュッ シュッ 内掛けの衣擦れが、廊下に響く。
お付きの者を従えて、この屋敷の姫君が現れた。
「父上、殺生丸様が、菊見の宴にご出席されるとは、真(まこと)でございますか?」
「おおっ、由羅(ゆら)か、真(まこと)だとも。今迄、どうやっても、西国城から引っ張り出せなんだが、流石に、この父の誘いを断る事は出来んと思ったのであろう。ブワッハッハッ、宴の当日は、西国一の美女の其方(そち)に目を奪われ骨抜きになるであろうよ。」
「まあ、父上ったら、ご冗談ばかり・・・」
「冗談なものか。この西国において儂の愛娘、由羅ほど美しい姫はおらぬ。」
豺牙が、そう豪語するのも、強(あなが)ち無理はなかった。
由羅は、髪の色こそ父親と同じ朱色ではあるが、母親に似たのであろうか、ほっそりとした容姿に琥珀色の瞳、大輪の花のように華やかな雰囲気の美人であった。
「でも、殺生丸様は、人間の小娘を一緒に連れ帰られたとか・・・。その上、その小娘に御自分の部屋の隣に部屋を与えられたと聞いております。」
「ハッ! 単なる気紛れであろう。あれ程、人間嫌いで知られた男が、そうも簡単に趣旨変えをする筈が無かろうが。何しろ、あれの父、闘牙王は、人間の妾と子供を助ける為に命を落としたのだからな。」
(・・・・馬鹿な男だ。人間の女如きの為に、あたら惜しい命を捨ておって、愚か者め!)
「とにかく、お前の夫となるべき男は、殺生丸以外におらん。この西国の王妃となるのに由羅ほど相応しい女子(おなご)はおらんわっ!!!」
(そうとも! そして、いずれ、儂が、この西国の実権を握ってくれるわっ!!!)
西国王、殺生丸が、豺牙の屋敷の菊見の宴に訪れるという噂は、瞬く間に、広まり、その観菊の宴に招待してもらおうと豺牙に阿る(おもねる)者も少なくなかった。
中には、招待されついでに自分の娘も連れて行き、あわよくば、殺生丸に引き合わせようと目論む者も多かったのだ。
数多の思惑が、複雑に錯綜する中、重陽の日が、巡ってきた。
数日前から続いた秋晴れの爽やかな陽気の中、各地から取り寄せた色取り取りの珍しい菊の花で飾られた豺牙の屋敷は、朝から大勢の訪問客で賑わっていた。
広い邸内には、幕が張られ、何処も彼処(かしこ)も美々しく飾り立てられている。
西国の主だった重役、名家の主達が、一族郎党を引き連れ、やって来ている。
誰も彼もが皆、盛装で、特に、華やかに着飾った御令嬢達が妍を競う様は、それは見事で、百花繚乱を思わせるような艶やかさである。
そんな中、一際、艶やかな衣装を身に付け、他の姫君達を霞(かす)ませているのが屋敷の主、豺牙の一人娘、由羅である。
邸内に張り巡らせた純白の幕に映えるように、真紅の内掛けに、秋の紅葉と七草を散らした紋様、季節に合わせた意匠が、取り分け、目を惹く。
幼い頃から蝶よ花よと可愛がられ、大切に育てられてきた由羅にとって、殿方は、自分の望みを叶えてくれて当然の存在であった。
特に、最近は、自分の美貌に惹かれ、求婚してくる相手も引く手数多(あまた)の由羅は、勿論、西国王の殺生丸も、また、一目で自分に夢中になるに違いないと内心、高を括っていた。
太陽に雲が懸かり、日差しが、翳り出した。
ザワッ・・・邸内の空気が、どよめいた。
大勢の人だかりの波が二つに割れる。
本日の主賓、西国国主、殺生丸の一行が、到着したらしい。
急いで、お出迎えに向かう豺牙の家中一同。
由羅も、父親や兄弟とともに揃って庭の入り口で、国主御一行に、御辞儀をして父の挨拶の口上を聞く。
「一同・・・・面(おもて)を上げよ。」
主だった家臣の前に姿を見せるのみで、これまで、全くと言って良い程、人前に出てこなかった西国の国主が、初めて出席する宴。
この観菊の宴に出席している者の殆どが、殺生丸の顔を拝んだ事が無い。
低く涼やかな美声に、一同は、頭を上げて、漸く西国王、殺生丸の麗姿を拝んだのであった。
“玲瓏、玉の如し”国主の際立つ美貌に、その場の、どんな美姫も色褪せて見える程であった。
白銀の長い髪、金色の獣眼、完璧なまでに整った容貌、長身の国主に、思わず頬を染め溜め息を洩らす姫君達。
紛れも無く、この邸内で最も美しいのは西国の国主、殺生丸、その人であった。
先代の国妃を知る古い家臣達は、思わず、(王妃様・・・)と口に出してしまいそうになった程である。
それほどまでに、殺生丸は“絶世の美姫”と讃えられた先代の国妃である母親に似ていた。
絶世の美貌は、そのままに男性の形を取っている。
しかし乍ら、その身に纏う凛冽たる妖気は、間違いなく大妖怪の物であった。
触れれば切れんばかりの鋭さを感じさせる妖気が、周囲に満ち溢れる。
凡百の妖怪如きには、どう逆立ちしても醸し出せない烈々たる妖気が、当代の国主の資質を物語っている。
先代の西国王であった闘牙王と父方の従妹、狗姫(いぬき)の御方との間に生まれた一粒種。
両親の絶大な妖力を、更に色濃く受け継いだ純血の大妖怪。
頬に流れる二筋の妖線、額にある三日月の紋様は、母である狗姫の御方から受け継いだ徴(しるし)。
右肩に掛かるは、父母と同じく純白の豊かな毛皮。
その場に居るだけで、感じ取る事が出来る桁外れの妖力。
(これは・・・・些か若造と侮りすぎたか)
豺牙は、若き国主の力量を量り直した。
「ささっ、本日の菊見の宴は、趣向を凝らしまして庭に席を設けてございます。」
「これなるは、我が娘、由羅と申します。由羅よ、殺生丸様と御付きの方々を御案内いたせ。」
「はい、父上、由羅と申します。宜しくお見知りおき下さいませ。」
広い庭園の一際、大きな楓の大木の下に赤い毛氈が敷かれ、膳が設けられている。
上座には、脇息(きょうそく)と金襴を張った豪奢な座布団が二つ置かれ主賓の着席を待っている。
一つは、殺生丸が座るとして、もう一つには誰が?
何と、片一方には、由羅が座る予定になっているらしい。
大方、殺生丸をもてなす役目を請け負っているとでもヌケヌケと言い抜ける積りなのだろう。
これでは、公然と、西国の次期王妃は、豺牙の娘、由羅であると、満座の者に印象づけるような物である。
気色ばむ御付きの者どもを意に介さず、殺生丸は、傍らに控えている、りんをヒョイと隻腕で抱き上げ、そのまま着座する。
「なっ!・・・殺生丸様、そのような下賤な人間の小娘を抱き上げて御着座なさるなど・・・」
「この殺生丸の連れを下賤と申すか!?」
秀麗な柳眉がピクリと逆立つ。
ビリビリと周囲に殺生丸の怒気が伝わり、大気が振動し始める。
若き国主の激情は、西国中に知れ渡っている。
人界を放浪していた頃の冷酷且つ無慈悲な性情は、西国にも漏れなく伝わっていた。
僅かでも意に添わぬ者は、例え、妖怪であろうが人間であろうが、いや、それどころか、女であったとしても、容赦無く鋭い爪に引き裂かれるか、毒華爪で溶かされるかの、どちらかであると。
「い、いえ・・・失礼致しました。ご無礼をお許し下さい。」
由羅は、慌てて己の失態を詫びた。
父の話から、ちょっと綺麗な位のわがまま放題の殿様と考えていた西国王が、これ程の美丈夫であったとは・・・。
それに、この身が震える程の鋭い妖気。
まるで、剥き出しの氷に触れたかのような冷たさを感じさせる。
ツウッ・・・・冷や汗が、背中を伝って落ちていく。
国主が着座した事を契機に、招待客が、続々と席に着き始めた。
上座の殺生丸を中心に西国の御歴々がズラリと並ぶ。
壮観な顔触れである。
各々(おのおの)自分の家族も連れて来ているので盛装に身を包んだ夫人や令嬢が、宴の場に華を添える。管弦の奏者達が、楽を奏で、宴を盛り上げる。
気不味(きまず)くなりかけた場の雰囲気を吹き飛ばし、国主の機嫌を取り結ばんと、屋敷の主、豺牙が、銅間声で、酒の用意を申しつけた。
「ささっ、菊酒でございます。咲いたばかりの菊の花を酒に浸し、菊の香を移してあります。」
「由羅よ、殺生丸様の盃(さかずき)に、お注ぎせよ。」
「はい、さっ、殺生丸様、盃を・・・・」
ハッと由羅は、口を覆った。
殺生丸は、隻腕なのだ。
それに、人間の小娘を抱き上げている。
これでは・・・と思った次の瞬間、涼やかな国主の言葉が、聞こえてきた。
「邪見・・・盃を頂戴しろ。」
「ははっ。」
殺生丸の左後ろに控えていた、緑色の珍妙な小妖怪が、進み出て盃を取り、由羅が注ごうとしていた菊酒を受けた。
それを、どうするのか?と思いきや、殺生丸は、次に腕の中の童女に命じた。
「りん、邪見の盃を取れ。」
「えっ、は、はいっ。」
邪見が差し出す盃を小さな紅葉のような手で、りんが受け取る。
手に持った盃をどうしよう?と戸惑う童女に、更に国主が命じた言葉は、その場に居合わせた全ての者を驚愕させた。
「・・・・飲ませよ、私に。」
「は、はい。」
怖ず怖ず(おずおず)と小さな人間の童女が、西国王の口元に盃を近づけ、酒を飲ませる。
それは、由羅と豺牙に対しての、あからさまなまでの拒絶であった。
言外に示される殺生丸の西国王としての強烈な意思表示。
『貴様らからの盃は決して受けぬ』。
時恰(あたか)も、雲に覆われ陰っていた日差しが、差し込んできた。
地味な燻(いぶ)し銀一色の羽織と内掛けに見えていた殺生丸とりんの着物が、光を受けて七色に輝き出した。
日光を弾いて現われた眩しい程に煌(きら)びやかな紋様は・・・“比翼連理”。
唐代の詩人、白楽天が読んだ「長恨歌」の中の有名な一節。
『天に在りては願わくば比翼の鳥とならん。地にありては願わくば連理の枝とならん』から主題を得た紋様。
比翼の鳥とは、左右一対ずつの翼と目を共有し、常に雌雄一対となって飛ぶ鳥の事で、連理の枝とは、別々の根を持つ二本の木の枝が繋がって木目が連なった木の事を言う。
共に、男女の深い愛情の喩(たと)えに使われる。
その紋様の意味に逸早(いちはや)く気付いた由羅と豺牙、親子の顔色が蒼ざめる。
目敏く紋様の意味を理解した他の客達も、動揺の色を隠せない。
差し込む日差しに輝きながら浮き出てきた比翼の鳥と連理の枝の紋様。
これ程、見事な精緻かつ華麗な技量を合わせ持つ機織り名人は、西国広しと言えども、唯一人しか存在しない。
白蜘蛛の精、“白妙(しろたえ)の御婆(おばば)”の異名を取る国宝級の名人、その人のみ。
“虹織り”と呼ばれる、それは、特殊な糸を使って複雑に織り上げられ、光を浴びれば虹の七色に輝く不思議な織物で、冬に着れば、軽い上に丈夫で暖かく、夏に着れば、涼しく風通しが良い。
その為、西国のみならず遥か遠方の国からも、注文は、引きも切らず。
大枚を叩(はた)いても、何年も、いや、下手をすれば、何十年も待たなければ、その織物を手に入れる事は叶わないとまで言われている垂涎(すいぜん)の品なのである。
そうしたこの上無く貴重な虹織りの共布で仕立てられた羽織と内掛け。
織り出された比翼連理の紋様、其処に籠められた西国王、殺生丸の意図は、明確である。
国主の隻腕に抱き上げられた小さな人間の童女、りんこそが、殺生丸の伴侶、未来の西国王妃であると。
それは、誰憚(はばか)る事なく表明された事実上の宣告であった。
更に、裏を返せば、童女を、りんを害そうとする者は、西国王、殺生丸を敵に回す事になるとの無言の“恫喝”をも含んでいた。
こうして、年若い国主を体良(ていよ)く手玉に取り、籠絡(ろうらく)する積りであった豺牙の計略は、見事なまでに殺生丸から肩透かしを喰らい、あっけなく潰(つい)えた。
菊見の宴を利用して、西国王との親交振りを見せ付け、己の娘を引き合わせ、次代の国妃への布石を打つ為の手筈は、悉(ことごと)く外されてしまったのであった。
そればかりか、逆に、この観菊の宴を利用されてしまったのだ。
殺生丸の国主としての力量を内外に示し、その上、国主の正室の座を狙う西国中の娘を持つ野心家の親達に、釘を刺す切っ掛けを与えてしまったのだ。
それは、西国に蔓延(はびこ)る旧弊な古狸どもに向けた新国主、殺生丸の鮮やかな先制攻撃でもあった。
そして、これ以後、水面下で始まる熾烈な権力闘争の幕開けでもあったのだ。 了
2006.11/3(金)◆◆作成
《第二十一作目『重陽(ちょうよう)』についてのコメント》
今回、初めて話の進行上、オリキャラを登場させなければならなくなり、ネーミングに四苦八苦致しました。 特に、豺牙の娘の由羅に苦労しました。
原作の二巻に“逆髪の結羅”が居る事に後で気付きましたが、これ以上、キャラのイメージにピッタリの名前は思い浮かばなかったので“由羅”で押し通しました。
それに、完全に同じ字でもありませんしね。
イヤハヤ、オリキャラを創作する事が如何に難しいかを嫌と言うほど思い知らされました。
原作者の高橋先生の偉大さも身に沁みました。
第一作目『闘鬼神再び』→第十二作目『送り火』→今回の二十一作目『重陽(ちょうよう)』と続いております。
追記◆◆:遅ればせながら八千打お祝い作品でもあります。
今回、九千打も半ば近くなってからのupと大幅に遅れた事を此処に謹んでお詫び申し上げます。
今迄に無いオリキャラ創作という難しい課題に挑んで散々※頭を悩ませました。
その関係で構想が纏まるのも、かなり遅れ、結果的に相当な時間オーバーとなってしまいました。
少し休んでから九千打お祝い作品にかかる事にいたします。
拙宅にお越しくださる皆様に此処で改めて御礼申し上げます。
2006.11/3(金)★★★猫目石